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スペシャルアンソロジー「明日、世界が滅亡します」  作者: 世界崩壊アンソロジー企画
17/22

つがいの雛 作:裏山おもて

 二羽の鳥が空に舞い上がっていった。



   雛   雛



 朝から風は穏やかで、春先にしては暖かかった。


 小さなアパートの台所では、大根の煮つけが弱火の上でくつくつと揺れている。薄味にしているから色もあまり濃くない。でも、味見なんかしなくたって塩梅あんばいくらいはわかる。

 煮ているあいだに、洗濯物を干さないと。


 奥の部屋にいる主人は寝たきりで、娘は東京に出てしまって遠くで暮らしているから、身の回りのことはぜんぶ自分でやらないといけない。一日で一番忙しいのは朝の時間だった。

 とはいえもう、十何年も同じ生活だ。時間をどうやりくりすればいいのかなんて考えることもない。


「よっこいせ」


 腰も最近痛みはじめてきた。

 歳だろうか。認めたくないけど、そうなのだろう。


 洗濯物を干し終わると、ちょうど炊飯器から合図が鳴った。去年の暮れに娘が買ってくれたものだ。安物のお米でも美味しく炊けるから気に入っていた。


 冷蔵庫から作り置きの惣菜を取り出してテーブルに並べ、ラップを剥がす。大根の煮つけを皿によそい、お米をついで椅子に座る。


「あら。リモコン……どこへやったっけね」


 まったくこれだから歳はとりたくない。

 リモコンはなぜか電子レンジの上にあった。

 ようやくゆっくりと腰を落ち着かせて、テレビを点ける。


「おやまあ」


 なにやら外が騒がしいと思ったら、これが原因なのかもしれない。どこの番組でも同じ放送をしていた。

 その放送をしばらく呆然として眺めてから、首をひねる。


「……あたしも、ボケてしまったんかねえ」


 世界が終わる。

 そんな冗談みたいな言葉を、テレビのなかの若い子が大真面目に話していた。






 結婚したのは四十五年ほど前だった。

 当時は大学なんておいそれと行けるような時代じゃなかっただった。そりゃあ高い学費と教養さえあれば問題なかったのだけれど、両親が「女は家庭を守るから必要ない」と昔気質の一辺倒で、高等学校を卒業するとすぐに見合いをさせられた。もちろん、貧乏だったからというのもあるのだろうけど。


 初めて見合いをした相手が、いまの主人だ。

 とはいえすぐに結婚したわけじゃない。見合いは破談になり、そのあと何度か別の男性と見合いをしたもののうまくいかなかった。

 そりゃあ抜群に器量が良いとは言えないし、背も低い。華やかさもなく大学にも通ってない女なんて、両親が望むような家柄の男性からすれば掃いて捨てるような数ほど言い寄ってきていただろう。


 主人と再会したのは、それから五年ほどたってからだった。


 実家に住みながら近くの弁当屋でパートとして働き、日々を暮していた。

 両親からははやく結婚しろとうるさいくらいに言われていたが、見合いなんてうまくいくはずないだろうとすべて断っていた。

 そんな折、主人が客として買い物に来てくれたのだ。


「お久しぶりですね。お元気そうで」


 五年経っても覚えていてくれていたことに、少し感動してしまった。

 それからというものほとんど毎日のように弁当屋に通ってくれて、しだいに手紙のやりとりをするようになり、それから三年後に結婚した。

 どこにでも転がっているような地味な話だけれど、それでも幸せな家庭を築けたことがなによりうれしかった。


 娘が生まれて、孫もいる。

 孫の顔がなかなか見られないことは寂しいけど、ときどき東京に遊びにいくとうれしそうに「ばあちゃん!」と相手をしてくれるから、その笑顔を見ただけでこの人生でよかったなと思えるのだ。

 この人生で、この世界に生まれてよかったなと、思えるのだ。


「……ねえ、あなた」


 主人はもう、満足に体を動かすこともできない。

 ろくに話すこともできない。


 食事を摂るのも時間がかかるし、用を足すのも介助がいる。心臓の具合が悪くていつ発作が起きてもおかしくない。

 先に旅立たれるのは悲しいなと、ぼんやり考えていたのは確かだ。


「でも、一緒に死ねるなら、寂しくないわね」


 歳を重ねてシワシワになった手で、もっとシワシワな手を撫でる。

 主人は「ん」と小さく呻くように返事をして、目を細めた。言葉は不自由になってしまったけれど、目を見ればなにを考えているのかくらいわかる。


「そうね……あの子たちには(こく)だねえ」


 いつでも優しかった主人は、娘や孫のことを気遣っているようだった。

 あの子たちは無事だろうか。

 東京ではどうかわからないけれど、この田舎町では喧騒も静かになりはじめていた。


 テレビのニュースで流れているとおり、すこしずつ地震が多くなってきている。

 命が終わるときはいつだって静寂のほうが似合うものだ。


 街は、ゆっくりと死に始めていた。






「あたしらのことはええから、あんたはあんたでしっかりやりなさい。……最後なんだから家族みんなで過ごすんだよ」


 そう言って電話を切った。


 娘が心配して連絡をよこしてくれた。

 すこし取り乱した様子だったけど、電話をしていたら落ち着いたようだった。


 そりゃあ最後に声を聴けてうれしかった。娘も大人になってからは親らしいことをしてやれていなかったから、きちんと母親らしくなだめてあげることができてよかったなと思う。

 娘との最後の会話。なぜか、いつも通りにさっさと切ってしまった。


 静かになった電話機を、じっと見つめる。


 もうこんな歳だし親しい友人もそれほど多くないから、電話がひっきりなしに鳴るということもない。みんな家のなかに籠っているのか窓をあけても車の音すらほとんど聞こえなかった。


 穏やかな空。

 遠くの山のほうで、渡り鳥がたくさん飛んでいた。

 鳥たちも最後は故郷で過ごすのだろうか。

 そんなことを思いながら台所に戻り、冷蔵庫からキャベツを取り出す。


「最後くらい、あなたの好きなコロッケを作りますからね」


 医者には不養生だからと止められていたから、なんだかずいぶん久しぶりだ。

 食べているときの主人の顔が好きで、むかしはよく作っていたっけ。余ったひとつを楽しそうに娘と取り合っていた数十年前の主人の姿を、いまでも昨日のように思い出せる。


 じゃがいもを小さく切り、水を張った鍋に入れて茹でる。

 玉葱はみじん切り。

 千切りキャベツを作ったら、ボウルへ入れておく。


 作り方は手が覚えていた。

 まな板を叩く包丁の音が心地よく台所に響く。

 じゃがいもを茹でているあいだに、いつのまにか正午を過ぎていた。いつもはテレビが時間を教えてくれるけれど、今日はそれどころじゃないみたい。


「あ……お米、買ったばっかりだったのにねえ」


 せっかく十キロも買ったのに勿体ない。

 そんなことが気になっている自分に気づいて、苦笑いを浮かべる。


 じゃがいもが柔らかくなってきたら湯きりして、さっと炒める。水分がすくなくなったら熱いまま丁寧につぶしていく。

 みじん切りにした玉葱をバターで炒めて、しんなりしてきたらひき肉とコンソメを混ぜてまた炒め、ムラなく炒めたら皿に移して冷ます。


 食器の準備をしていると、台所の窓の外の廊下に、一羽のツバメがとまっていることに気づいた。


 ツバメなんて最近はとんと見なくなっていた。こんななんにもない小さなアパートの窓を覗くなんて、よほど退屈なのだろうか。


「あんたは、どこかに飛んでいかないのかい?」


 ツバメに話しかけると、彼は首を動かした。

 廊下の上を見ているようだ。


「えっこらせ」


 腰をかがめて、窓から廊下の天井を覗いてみる。


「あら、まあ」


 知らなかった。

 廊下の天井の隅に、ツバメの巣があった。巣の中で二羽の雛鳥がピイピイと鳴いている。

 いつからあったのだろう。耳も遠くなってしまったのか、雛の鳴き声に気づきもしなかった。


「そりゃあ、置いていけはしないわねえ」


 にっこりとほほ笑むと、ツバメの親鳥はこっちを見て小さく鳴いた。


「はいはい」


 つぶしたじゃがいもを少し手に取り、窓を開ける。

 窓枠の端においてやると、親鳥は警戒しながらもくちばしでつつき、器用に口の中に入れるとすぐに巣へと飛び帰った。


 喜ぶ雛鳥たちの声が聞こえてきた。

 もっとちょうだい、と急かすように鳴いているような気がして、もう少しだけじゃがいもを置いてやる。

 親鳥がまた、こちらに飛んでくる。


 そういえば娘も小さい頃は食べるのに夢中だったっけ。とにかくなんでも食べる子だったから、おかわりもたくさんできるようにたんまり作っていた。

 いつもおかずが残るから、つぎの日の主人の弁当のメニューは考えなかった。


「やっぱり、小さい頃は食べないとねえ」


 笑うと、親鳥は礼を言うように大きく鳴いて、また巣へ帰って行った。


 ちょうど冷めてきた玉葱とひき肉を、じゃがいもと混ぜ合わせる。調味料も加えてから形を整える。

 溶き卵とパン粉を用意してから、鍋に油を注ぐ。

 最後くらい綺麗な油を使おう。使い古しの油は、そっとしまっておいた。


 油が適温になったのを見計い、具を卵とパン粉につけて油のなかへとゆっくり入れていく。

 パチパチと小気味の良い音が弾けた。


 衣の色がどんどん変わっていく。

 まるで、早送りに歳を取るみたい。

 小麦色になったところでコロッケを取り出し、油を切る。


 んん、いいにおい。


 千切りキャベツを皿に敷いて、その上に盛り付けていく。

 たくさん作ったから、これならいくら食べてもなくならないだろう。


「あなた、ご飯ですよ」


 コロッケをお盆に載せて、主人のところへと運んでいく。

 いつもは寝転がったまま食事を待っているのに、今日ばかりは上半身をなんとか起き上らせて待っていた。

 コロッケだってわかったのだろう。

 そりゃあもう楽しみだったに違いない。

 主人の目がそう語っていた。


 でも主人の震える手では箸も持てないから、その手の代わりになるのは、いつだって妻の自分の役目だった。



   雛   雛 



 最後の日は、夕飯を食べずに寝床についた。

 いつぶりだろうか。

 少なくとも何十年かぶりに、主人と手を繋いだまま眠りに落ちた。


 きっと、寝ているあいだにすべては終わるだろう。


 せっかくの最後の一日だったのに、とあの世で娘に怒られるだろうか。

 ……たぶん怒られるだろう。


 でも、これでいい。

 これでいいんだ。


 最後に見た夢は綺麗な青空が広がっていた。

 主人とふたりで見晴らしのいい草原に立っていた。


 すると、遠方の森から二羽のツバメがこちらに向かって飛んでくる。

 つがいの鳥たちはなにか言いたそうに頭上をぐるぐると旋回してから、吹き抜けていく風に乗るようにして空の彼方へと舞い上がっていった。

 それを眺めて主人とふたり、手を繋いで笑い合う。


 たとえこれが最後の日だとしても。



 あたしには、これだけでいい。

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