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スペシャルアンソロジー「明日、世界が滅亡します」  作者: 世界崩壊アンソロジー企画
16/22

kill you,love me 作:赤井瀬 戸草

      ***


 めっちゃ愛してる。殺したくなるくらいに。


      ***


 急に地球滅亡だのなんだのと言われても実感がまるで湧かないのは僕だけではなかったようで、街中は普通に今を生きる人々で溢れていた。マスクをして、イヤホンをして、トートバッグを肩に提げて、杖をついて、どこかに向かい、消えてゆく人が何人何人も居た。スクリーンの中で大パニックに陥るニューヨークだとか東京は、結局人間の妄想の産物でしかなかったのだろうか。

 世界は普通のままだった。

 もっとも、彼ら彼女らの胸中がそんなざっくりした概観で片付けられるものではないとは分かっている。終わりを静かに待つものが居るのかもしれないし、逆に死が恐ろしくて心中では震え上がっているのかもしれない。でもそれ以前に、彼らは気丈なのだ。そんな様子は決しておくびにも出さない。でももしかすると東京の方に行ってみれば、もっと違った風景が広がっているのだろうか。人々が慌てふためいて道路の真ん中を走り回っていたり、車がそこいら中に乗り捨てられていたりするのだろうか。

 田舎と都会の狭間のような町を歩きながら、そんな都会の空想に浸ることの出来る僕は、骨の髄まで田舎物なのだろうなあと思う。

 テレビに、号外に、ネットニュースに、自治体のやかましいスピーカーに。あらゆるメディアを通じて全人類に伝えられた地球滅亡の報は、大した生活の変化を僕にもたらさなかった。今日の予定で変わったことといえば、会社に欠勤連絡を入れようと電話をかけたら会社に誰も居やがらなかったので、今付き合っている【みー】の家に向かうことになったくらいだった。

 中古の安い軽をぷんすかと走らせて、僕は高速を降りた。僕の地元から少し離れた隣県の某市に、彼女は住んでいる。この軽、古いせいかスプリングが最悪で、とにかく車内が揺れる。ちょっとした道路のでこぼこでつまずくたびに、がじゃがじゃと金属のこすれ合う音。そんな中身がいっぱいに詰まったリュックはとにかく重い。物理的に質量が大きすぎる。もうちょっと内容量を減らしておくべきだったかもしれない。

 

 彼女のアパート前の駐車場に、僕は丁寧なバックで車を停車した。着いた瞬間に目に入ったのは一階の一〇四号室に深々と突き刺さった真っ赤なスポーツカーだった。言うまでも無くスポーツカーも部屋もぐしゃぐしゃのずたずたで、とても見られたものでは無かった。僕がそんな奇怪な風景を見ても動揺しないのは、突っ込んでいたのがみーの部屋ではなかったこと、運転手がそもそも居なかったこと。そして何より、自分自身が別のことに関する興奮でいっぱいだったからだ。

 一〇三号室の前まで速足に行き、チャイムを押すとみーはすぐに出迎えてくれた。陽気の暖かい平日の午前にみーもうとうとしていた様で、「――あえ、ムッくんじゃんどしたのー」なんて眠そうなまぶたを擦りながらも僕の腕に抱きつき、招き入れてくれる。

「寝てたのか?」

「地球滅ぶから、会社サボって寝られるなって」

暢気のんきなやつだな……みーの部屋に突っ込んでこなくて良かったな」

 僕があごで隣の部屋を示すと、「隣、空き部屋だったからねえ」と気だるげなみー。

「運転手は?」

「知らない。死体転がってるかな? 無いなら多分逃げたんだと思う」

「なんだってこんなアパートに突っ込んだんだろうな」

 玄関で脱いだ靴を揃えながら、僕はみーに質問をしてみた。

「そんなの知るはずないじゃない。なんかこう……世界が滅ぶから破壊衝動に駆られたとかじゃないの?」

「なるほどな。確かに、物をぶっ壊したり人を殺したりしても、どの道明日には全部無くなるわけだ」

 ソファに腰掛けた僕は、世界が終わるのがまるで他人事であるかのように呟く。

 今、この世界にはどのくらい気の狂った人間が居るのだろうか。

 僕も含めて。

「……しばらく待ってて、紅茶入れてくるから」と言うと、みーは準備をするために台所に向かおうとする。

 そこを逃す僕じゃない。

 どれで殺そうかな――よしコイツにしよう。音を立てないようにリュックの中から手頃なトンカチを握って、気配を殺し素早く彼女の後ろに付いた。今だベストだ頭に振り降ろ――。

「……何やってんの」

 振り返られた。

 構わず振り下ろせば良かったのに、僕は動きを止めてしまった挙句、トンカチを手から滑らせた。

 木製のフローリングに、硬い音と共に深めのキズがついた。


「で、リュックにそんな物騒なものを詰め込んではるばる私を殺しにきたわけだ」

「ああ」

「悪びれる様子も無いんだね」

「明日には世界が滅ぶわけだし」

「呆れた」

 リュックの中身は、全て彼女の前にさらけ出してしまっていた。はさみ、包丁、つち、小型チェーンソー、トンカチ、のこぎり……そんな物騒なシロモノの数々を見てみーはもうため息しか吐いてくれない。

「……で? 何であたしを殺そうなんて考えに至ったわけ?」

「うーん――みーを守りたかった、とでも言うのかな」

「言ってることとやってること逆じゃん。自分のこと頭おかしいって認識できてる?」

「できてるけど……でも、やっぱり嫌なんだ」

 世界崩壊なんて意味の分からない理由で、たまらなく愛おしいみーに死んで欲しくなかった。僕は彼女のものでありたいし、彼女は僕のものであって欲しい。

 世界に殺されるぐらいなら、僕が殺したい。

 実に単純に、みーへの愛から生まれた僕の殺人衝動。

 実は僕はサイコパスだったのかも。

「ムッくんからの重い愛は大歓迎だけどちょっと重すぎたなー。……止める気は?」

「さらさら無い。多分、今日は殺すまで帰らないと思う。それぐらい、僕はもう止まんない」

「ホントにびっくり。こんなことになるくらいなら、ムッくんと付き合わなきゃ良かった」

「そうだな。僕も申し訳なく思ってる」

「申し訳ないと思うなら殺さないでよ」

「無理だ」

「ああ、もう……」

 みーは頭を抱える。僕は殺人衝動に包まれたとはいえ、頭自体は至って冷静なので彼女の気持ちを察することは十分に出来た。結局殺すけど。

「……じゃあ良いよ。好きにして」

「えっ?」

「殺して良いよって言ってんの。ほら、もう私何もしないから勝手にして」

 そう投げやりに言った後、みーはソファに体を投げ出した。

「え、え、マジで?」

「まじまじ。さっさと殺してちょーだい」

 数分前まで紅茶を飲み交わそうとしていたカップルとは思えない修羅場。シュールそのものだった。

「ほら、これ見てよ」

 そういって彼女が僕に右の手首を晒す。何本も横にひっかき傷みたいな線が入ってる。何かで書いたわけでもしわでもなく、つまりはそういうこと。

「みーって自殺願望あったんだ」

「うん、昔はね。それでもムッくんと付き合うようになって、それが生き甲斐になったから、カッターはもう要らなくなったの」

「……」

 そうだったのか、としか言えない。

「どの道死亡エンドだったみたいだけどね。まあ、自殺願望も他殺願望も似たようなものなんじゃない?」

「そう……だよな。うん」

 どっちも死ぬか殺されるかだ。

 自分で縄にぶら下がるのか通り魔にナイフで刺されるのか。多分、それも些細な違いでしかない。

「ムッくんは、私を愛してるんでしょ? 殺したくなるぐらい」

「うん」

「愛されてるなら、私は死んだっていい」

「愛してるからこそ、僕は殺したい」

「これでムッくんとあたし、両者の利害が一致したわけだね」

 ぴたり。

「……おーけー。じゃあ、刺すよ。どこがいい?」

「そんなの刺される側のあたしに訊かないでよ……出来るだけ痛くないとこがいいな」

「それってどこ?」

「知らないってば」

 中途半端な口喧嘩。僕もみーも黙りこんでしまった。どうしよう、もっとすんなり僕なら刺せると思っていたのだが。

 躊躇ためらいまみれじゃないか。

 沈黙の末にナイフを見据える。ネットで容易に手に入れたサバイバルナイフは、人を死に至らしめようとするその狂気を形状にまで表している。人を殺したそうな形をしている。

 でも――その人殺しナイフを握る僕の右手は、どうしようもなく震えている。

 僕の殺人への思いは、まだ弱いのか?

 僕の愛ってこんなもんだったんだろうか?

「……どうしよう、殺したくなくなってきたかもしれない。いや、殺したいけど殺せない」

「えー。そんなのやめてよ、もうあたし殺されるテンションになってたのに」

「殺したいよ。みーに突き刺さったナイフの感触も、血にまみれた僕の手の滑りも、みーが空っぽになったみーも、全部知りたい。……でも」

「踏ん切りつかないって?」

「うん」

「チキン」

「ごめん」

「腰抜け」

「ごめん」

「チェリー」

「ごめん」

「童貞」

「ごめん」

「三年半彼女居ながら童貞のままの男ってのもどうなのよ」

「……ごめん」

 あれ、なんで童貞ネタだけしつこいんだ。

 うーん、参ったなと首を傾げるみーは可愛かった。少ししてから、彼女は閃いたように顔を上げた。

「それじゃあ、私たちの愛を確認しよーよ」

「確認って?」

 そんなことするまでもないと言いたかったけれど、僕が愛ゆえ為そうとする殺人を実行に移せないのは事実で、僕は訊き返すことしか出来なかった。

 僕が顔を曇らせる一方で、彼女は楽しそうな顔で言う。

 多分、ここ数ヶ月で一番の笑顔だ。

「今日一日、デートしたいな」


 どこに行こうか二人で散々迷った挙句、とりあえずどっかに行こうなんて適当なことを言い出して、僕とみーは外に繰り出した。危なっかしいので新聞紙で包んだサバイバルナイフだけ、すかすかのリュックに放り込んでおいた。

 世界崩壊の方が手始めにもたらしたのは情報化社会の破壊だった。

 テレビでは最後まで放送を続けんとする局もあれば、有志がいなくて真っ青な画面に『しばらくお待ちください』を垂れ流すだけの局もあった。信用の薄いネットニュースが、ブラウザがはち切れそうなほどに溢れかえっている。

 結果、何も知らずに車を走らせた僕たちは高速道路に入って絶望した。というのも、圧倒的な渋滞が発生していたのだ。更にその渋滞に耐えかねた人たちが車を乗り捨てていて、空っぽの車たちに塞がれた高速道路が再び機能する気配は無かった。かといって僕たちが引き返そうにも、後ろにまた人々がつっかえている。もう、これ以上車を動かすことは不可能だった。

「みー、降りよう。この道路はもう駄目だよ」

「せっかくの世界終末ドライブなのに」

「ドライブも何も道路がもう流れてないんだから、車を乗り捨てないと仕方ないだろ」

「最悪じゃん」

「そこの分岐から歩いて高速降りよう」

 愚痴りながら足をばたつかせるみーを無視して、僕は一人高速道路の片隅を歩き出した。道路は先が見えなくなるまで車で埋め尽くされている。それらが列を成して道路を微動だにしない光景には、何とも言えない奇妙さが漂っていた。後ろから「待ってってば」とみーが僕の左手を取る。

 ふわり、と、左手に柔らかく温かい手の感触。

 終わりつつある世界と彼女の体温を肌で感じながら、僕とみーはしばらく歩き続けた。


 結局、二人で何度かデートしたことのある近場の動物園にたどり着いた。存外スタッフさんが何人か居た。本当なら黙って入園してしまうつもりだったのだけれど、スタッフさんがいるならということで、受付の人に入場料を支払おうとした。ところがやはり今更お金儲けをしても仕方が無いのは向こうも認識しているようで、僕たちは園内に無料で入らせてもらった。

 僕はそこらを漂うようにふらふらと歩く。一方でみーは久しぶりの動物園が楽しいのか、ルンルンとスキップを続ける。お互いの右腕と左腕を絡ませているので、僕はスキップしているみーに無理やり駆け足でついていくような形になっていた。

 しばらくしてスキップに飽きたのかみーがスキップをやめて、僕たちはゆっくり園内を歩き出した。

「獣の匂いがするね」

「そうだなあ。懐かしい」

 付き合いたての頃、二人でぎこちなく手をつないで歩いていた時に、この匂いがつんと鼻を突いてきたのをよく覚えている。何故かこの匂いが嫌いじゃなかったのだ。そして、その匂いは今も変わらない。

 変わってしまいつつあるのは僕たちの関係と、崩壊へと向かう世界。でも、彼らは何事もないかのように檻やらケージやらの中に佇む。林檎りんごを貪り、あるいは胡坐あぐらをかき、あるいは尻尾をもてあそび、それぞれが自由にその時を待っている。

 全てを分かった上でそんな振る舞いを僕たちに見せているのか、はたまた何も知らないだけなのだろうか。

 みーの右手を携えてぼんやりとした漂いを続けていると、みーが象の檻を見て、「あ、飼育員さんいる」と呟いた。みーの指差す方に視線を向けると、象に何か果物をやっている飼育員の男がいた。

 みーが少し考え込む。わざとらしく顎に手をやって、うーむなんて言ってる。

「ムッくん、ちょっとここで待ってて」

 返答をする間もなくみーは繋いでいた僕の左手を離してどこかに駆け出した。どこか自由なのも昔からだった。

 しばらく待っていると、みーが息を切らして戻ってきた。

「飼育員さーん! がんばれー!」

 そう言うなり、その手に持っていた何かを檻の中に投げ込む。あたふたしながら彼がキャッチしたそれが、ようやくオレンジジュースの缶だと認識できた。

 飼育員はしばらく目を丸くしてぽかんとしていたが、やがてにこやかに僕たちに手を振ってくれた。

「ありがとう!」

「どーいたしまして!」

 笑い返すみーを見て、僕は胸の奥がぐらりと揺れるのを感じた。

 そうだ。

 僕はみーの、この馬鹿みたいに優しいところに惚れたんだ。

 恋を、僕は思い出した。

 同時に僕は疑問を覚える。

 この恋は、果たして本当に僕の殺意と結びついたのだろうか?

 僕が悩みに呼応するかのように、世界もぐらりと揺らいだ。


「飼育員さん素敵だったよね。きっと、最後の最後まで動物たちに寄り添うんだろうね」

「そうだなあ。象に餌をやってるときのあの人、笑顔だったもんな」

 うっとりとするみーと、相槌あいづちを打つ僕。僕たちは晩御飯を一緒に作ることになって、人の居ない空っぽのスーパーから材料をいくらか拝借した。というか盗んだ。

 それらが詰まったレジ袋は僕の右腕でゆらゆらと揺れていて、みーと繋いだ左手はゆらゆらと揺らされていた。

 高速道路の真ん中を、僕たちはゆっくりと戻っていた。

「私たちも、最後まで一緒に寄り添えたら良いね」

「――うん」

 踏ん切りのつかない僕の返事。

 殺せば、みーとは寄り添えない。

「……まだ、やっぱり迷ってる?」

「うん」

「私にはさ、ムッくんのその愛してるから殺したいってのがよく分からないんだよね。なんだろう、支配欲とか独占欲なのかな」

「というよりは、世界崩壊ってよく分からないものに、みーが奪われちゃうのが怖いんだ」

「私は何がどうなろうとムッくんのものだよ。――って口で言うだけじゃ駄目?」

「駄目かな。なんか……違う」

「じゃああれだね」

「何が? ちょっ――!」

 みーが僕に向かって倒れこむ。受け止めきれない僕は、もろに体勢を崩してアスファルトの地面に倒れる。

 直後、息がつまる。

 背中を打ったからとかじゃなくて、精神的に。

 落としたレジ袋から、玉ねぎやらジャガイモが転がり出る。

 僕に馬乗りになっているみー。

「みー、何を……」

「えっちなこと、しようよ」

「……それは」

「私はムッくんのものだよ。このおっぱいもおしりも。全部。全部」

 そう言って胸を押し当ててくるみーは、尋常じゃなく可愛いくて、みーの湿った吐息は繋いでた手とはまた違った熱を帯びていて、血流が一気に逆転して頭に流れ込んだかのようで、脳がびりびりと痺れて、何も分からなくなる。

 なのに、どこか冷静な僕。

「みー、止めよう。ここは高速のど真ん中だ」

「人も車も来ないよ。皆、世界の崩壊に気を取られてるんだから」

「そういうことを言ってるんじゃない」

「そんなに童貞が大事?」

「違うって言ってるだろ! 一旦落ち着けよ!」

 僕が語気を強めて言うと、途端にみーの顔が歪んだ。

 泣きそうに。

 苦しそうに。

「……ムッくんはさ、どうしたいの?」

「みーを――殺したいよ」

「じゃあさ、殺してよ!」

 みーはいつの間にか、僕のリュックからサバイバルナイフを抜き取っていて、それを握らせるように僕の両手に押し付けてくる。一方でみーは刃の部分を自分の手が傷つくのもいとわず握りしめている。

 抜き身のそれは銀色に鈍く輝いていて、酷く無骨で。

 人殺しの道具は、みーのか細くつるりとした手にまるで似合わなかった。

 みーの手のひらから滴る赤い滴と、目から零れる涙が僕のTシャツを濡らしていく。

「私……もう分かんなくなってきちゃったよ。愛とかなんだとか。ムッくんと、心も体も繋がってる気がしない」

「みー……」

「ムッくんは、本当に私が好きなの?」

 ねえ。

 ぞくり――と。

 ボロボロと涙をこぼしながら僕に這い寄るみーには、確かに僕を奮い立たせる何かがあって。

 でも、僕にはまだみーを殺す覚悟も、みーを抱く覚悟も無くて。

 みーの心が痛むと、僕の心も痛い。

 衝動。

「――んむ」

 僕が出したのか、みーが出したのか分からなかった声。

 重なって、そのまま何秒か経って、離れて。

 紅く濡れたナイフがからりと地面に

落ちた。

「――帰ろう。みー」

「……うん」

 震えたままの涙声と、みーの鼻をすする音。

 それらはちくちくと僕の心の臓を小突いた。


 帰ってきた僕たちは、無言でカレーを作った。にんじんとたまねぎとじゃがいもとお肉を炒めて、程よく火が通ったらみーが大好きな甘口のルーを水で溶かして煮込んだ。

 ことことと煮詰まるルーのかぐわしい香りは、僕たちの沈黙を溶かしてくれた。

 お玉でルーをかき混ぜながら、みーがふと喋った。

「私さ、カレー大好きなんだよね」

「知ってる」

「ムッくんと同じくらい」

「うっ」

 ぎくりとした。

「ふふっ。おかしなの」

「いや、だってなあ……カレーと並べられるのか僕」

「どっちも大好きなんだから良いでしょ?」

 大好き。そう言われて、僕の脳内検閲を無視して言葉が飛び出してしまった。

「……それってさ。今も?」

「どういうこと?」

「いや……その」

 口ごもってしまった。しかし、もう引っ込みがつく状況じゃない。

「僕のこと、まだ今でも好きって言える?」

「んー……どうだろ。ちょっと嫌いになっちゃったかも。今日」

「――そっか」

「でもね」

 僕のうつむいていた顔が両の手のひらに突然挟まれて、ぐりりと左に向きを変えられた。

 僕の左にいたみーと目が合う。

 お互いずっと黙ったまま、何秒も経つ。

「あ、あ、あの」

 声が震える。

「そーゆー照れてるとこ、凄く素敵だよ」

 それは向日葵ひまわりのような、とても美しい笑顔で。

「――っ!」

「ふふふっ……出来たよ。カレー」

 みーはそう笑いながらも既に平皿にご飯をよそっていて、それらに手際よくルーをかけていく。僕もカレー作りを何度か試みたことがあったのだけど、何度よそっても平皿のふちにカレーが一滴垂れてしまうのだ。それをなんなくこなすみーは凄い。

 リビングの白く小さな丸机の周りに座った僕たちは手を合わせる。

 みーが音頭を取る。

「お上がりなさい」

「いただきます」

 そうして沈黙から逃れた僕たちは、他愛の無い話をする。最近見たテレビのこと。好きなジュースのこと。大好きな友達のこと。いろいろ。

 甘口のカレーもその雰囲気を手伝って、なんだか給食を食べているような気分になった。

 些細で、だけれどとても幸福な時間。

 今なら、僕は言える気がする。

「ねえ、みー」

「何?」

「僕さ」

「うん」

「やっぱり、殺さない」

「――うん」

「……ごめんね」

「うん」

 二人ともカレーはとっくに食べ終わっていた。

 僕が黙ると、こんどはみーが喋りだした。

「今日は、泊まっていくの?」

「いや、ご飯食べて――ちょっとしたら帰ろうかなって思ってる」

「そっか」

「ごめんね」

「……ねえ、ムッくん」

「何?」

「――今日さ、楽しかったし、嬉しかったよ」

「……本当?」

「うん。すっごく」

「そりゃ、良かった。――けどさ」

 僕はみーに覆いかぶさる。

 目を丸くするみーに、唇を重ねる。

 息の続く限りいっぱいに。

 高速に居たときと同じようだけど、ちょっと違う仲直りのキス。

 離れた僕の口からは、自然と言葉が出た。

「もうちょっとだけ」

 僕が電灯の光を遮っているので、真っ白に照らされた床に比べてみーとその周りは薄暗い。

 お互いの息がとても荒い。

 みーは少し不機嫌そうに、でもどこか嬉しそうに。

「カレー味のキスって最悪」

 そう、呟いた。



 世界崩壊なんてイベントが無ければ、僕たちはこんなことにならなかった。世界はパニックに追いやられたみたいだけれど、僕は終わりゆく地球にとても感謝している。

 生きるとか、殺すとか。僕とみーが今日得たものは、そんなものよりずっと有意義なはずだ。

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