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スペシャルアンソロジー「明日、世界が滅亡します」  作者: 世界崩壊アンソロジー企画
12/22

胡蝶とスケッチ、そして終末 作:えくぼ

 明日、世界が滅ぶらしい。


 まるで他人事なのは、あまりに唐突で、荒唐無稽すぎて、実感がわかないからに違いない。脳内も、足元もやけにふわふわとしていた。床一面に真綿を敷き詰められたようだ。その柔らかさにずぶぶと沈みそうになるのをこらえているのだ。決してそれは春だからではない。


 ふわふわとした頭で一度整理する。

 滅亡という衝撃的な事実を伝えられたのは、なんの変哲もない朝だった。 柔らかい朝日に目を細めて、雨が降らないという天気予報に何故か安堵していた。その直後、臨時ニュースをアナウンサーが慌てて伝えだしたのだ。


「地球はコアの崩壊とともに滅亡します」


 ……勘弁してほしい。

 それからは日本中が、いや、世界中が大騒ぎだったことだろう。

 曖昧な予想で語る理由は単純だ。

 今、テレビもネットも全てを遮断しているからだ。

 何故そんなことをしたのか。


 滅亡と聞いて最初に浮かんだのは、最後の一日をどう過ごすかということであった。

 最初は何かとんでもないことをしようかと思った。それは犯罪かもしれないし、贅沢かもしれない。やりたいけれど、何かが邪魔してできなかったことをするのだ。美味しいものをたくさん食べてもいい。きっと楽しいだろう。

 でもそれはやめた。何故かはわからない。ただ、自分にはやる意味を見いだせなかった。する人はきっといる。する価値もきっとある。確信めいた予感だけはあった。


 次に浮かんだのは、大切な人たちに顔を見せに行くことだった。

 一日あれば日本のかなりの範囲までいけるだろう。現代は交通網が発達している。飛行機でも新幹線でも自由に使えばいい。どうせ今日は仕事も休む。世界滅亡の日だ。


 会うとしたら誰だろうか。

 会うべきなのは誰なんだろう。


 親かな?

 親とはまたわかりやすい。

 最近は趣味でジャガイモ作りにはまっていると聞いた。趣味で小さな畑をいじっている。今はキャベツが旬だと笑っていた。送られてきたそれは柔らかいみずみずしい葉だった。甘くて美味しかった。

 両親はきっと笑って出迎えてくれるだろう。それで地球終わるなんて本当かな? なんて喋って、過ごして緩やかに明日を迎える。それで、終わりだ。育てられたことを感謝し、滅亡の時を待つ。

 そうするべきなのかもしれない。


 親じゃなくても、友達でもいい。

 馬鹿騒ぎして愚痴をこぼしあって、お酒を飲んで泥のように眠るのだ。それもきっと楽しい。付き合っている人はいないが、友達もかけがえなのない大切なものだも改めて思う。大学時代の同級生がいいか。


 次から次へとやりたいこと、やるべきことが浮かぶ。自分の人生がまるで充実していたかのようだ。逆に足りていなかったからこんなにやり残しているのか。


 それら全てを差し置いて、最初に取り掛かったのは部屋の掃除だった。

 どうせ滅ぶのに、と思わないでもない。実に無駄な行動だった。何か明確な意図があるかと言われれば、ない。

 もともと、物の少ない部屋だ。散らばった多少の紙や本と、洗い物と洗濯物で全てが終わる。軽く掃除機をかけて換気扇をつけた。二時間ほど使って部屋を綺麗にした。少なくとも人が呼べる程度には。

 全部、自己満足だ。


 そしてアルバムを見つける。

 なんのことはない。高校のものだ。それをパラパラとめくる。まだあまり中身は変わっていない気がしてならない。懐かしい顔ぶれの幾つかに目が止まる。

 アルバムの隣にはスケッチブック。表紙には黒く蝶の影絵が印刷されている。何故あるのかは忘れてしまった。奇妙なものだ。まだまっさらで、何も描かれていない。今の自分と同じだ。


 そうだ。何故忘れていたのだろう。

 やらなければならないことなど何もない。

 やりたいことは何かを問うのに、経験が邪魔をしすぎている。そんな風に過去を、自分の積み重ねたものを全てまるでくだらないもののように投げ捨てた。


「馬鹿らしい」


 最後を前提とするなら今しかできないことを。

 最後が来ないとするなら、後から滅亡の日を見返して想い出になるように。

 最後に、何よりも自分が今この瞬間とき、本当にしたいことをしよう。


「本当、馬鹿らしい」


 部屋が綺麗になって、昔を見て、そうしてようやく整理がついたのだろうか。わからない。けど、無性にそのスケッチブックがもったいないと思った。今の自分と同じ。ならばここから何かを描き込んでいってやろう。

 だから、バタバタと、周りにあるインターネットやテレビなどの情報源全てを断ったのだ。携帯の電源を切り、どこからも連絡が入らないようにして、そうやって全てを白紙に戻した。先ほどの"何故"の答えだ。

 これで、何にも縛られずに、【純粋に今したいこと】ができるに違いない。そうやって筋が通っているのかいないのかあやふやな理論を振りかざしていた。

 そんな支離滅裂な自分の行動に苦笑しながら、やはりどこか他人事のような視点でスケッチブックを片手に家を飛び出す自分を見ていた。


 ◇


 向かったのはホームセンターだった。

 絵を描くにあたって道具を買おうと思っても、画材店などどこにあるか、あるのかも知らなかった。無計画に飛び出してなんとかなりそうなのがホームセンターぐらいであった。

 店内はガラリとして誰もいない。

 何を使って描こうか。水彩絵の具か。それとも色鉛筆か。

 そうやって悩んで迷ったわりには、選んだのは鉛筆だった。新品の鉛筆を一ダース、カッターナイフとセットで購入した。どちらもシンプルなものだ。


 そしてコンビニで昼食を買う。

 時刻はそろそろ十一時を過ぎる。随分と決断が遅かったものだ。せめて、掃除の前にこの結論が出ていれば迷わなかったものを。二時間のロスだ。

 トートバッグに買ったものと貴重品数点セットに、色々入ったポーチ、そしてスケッチブック。

 風を感じてバイクに乗って、どこに向かうかも決めずに適当に走り出した。

 道の奥に吸い込まれるようだ。景色が後ろへ流れていく。繰り返し見えるもの、そして移りゆくもの。


「あれ、ここって……」


 いつの間にか吸い寄せられるようにある場所に辿り着いていた。山を背後に抱く、やけに広い休憩所。ベンチや飲食店、そして高台が一つある。そのテラスからは自分たちが住む街が一望できる。少し離れたところに、灰色が少しばかり。すぐ近くにはコスモスが咲き乱れていた。コスモスの中を蝶がひらひらと飛ぶ。黒い艶のある大きな蝶だった。スケッチブックのそれとよく似ている。

 どうやってきたのかもよく覚えていない。ただ――この場所はよく覚えている。


「高校時代、ここで告白したんだっけ……」


 告白はしたものの、付き合うには至らなかった。

 友達でいようなんて言われて、それが悔しいやら嬉しいやら。なんで返すのがいいのかもわからず、とりあえず頷いた。気がつけば高校生活が終わり、その人とは――


「――どうなったんだっけ?」


 おかしい。

 連絡がつかないなら、わかる。それがどうして思い出せない。何故、何故と頭では思っている。しかし、心がそれを考えることを拒絶している。まるで自分がわかっているから、考える必要はないと慌てて止めるように。

 そして考えるのをやめた。


 スケッチブックを取り出す。

 何もないと思っていた一枚目の片隅に小さく名前が書いてあった。かすれて、何が書いてあるかもわからない小さな文字で。

 そこに少しずつ輪郭を入れていく。

 どちらにするか迷った。細部を緻密ちみつに端から描いていくことと、全体を描いて描き込んでいくことと。どちらでもよかった。大事なのは今、目に映る光景を紙にうつしとることだった。

 時間とともに変わる。風向きが、人の動きが、空の色が。光の方向も、温度も何もかもが変わっていく。ゆっくりと傾いて色づいて、暗くなっていく。

 鉛筆で良かったと思う。微細な変化をもしも絵の具で描いていたら混乱するだろうから。少しずつ描き込んで変えていく。その加減は常に黒のみだ。

 鉛筆をカッターナイフで削る。鉛筆削りとは違って不規則に、削りカスは鉛筆の先と同じ形をしていた。芯は木の部分との境目で角度を変えて尖がる。削る間に描いたものを見直す。そうやって絵の不足を確認するのだ。

 描いているうちに、頬を一筋の涙が伝っていた。拭う気も起こらず、ひたすらに無視して書き続けた。

 そうやってあたりが暗くなったころ、一枚の絵が出来上がった。


「おおお……」


 お世辞にもうまいとは言えない。

 だが、完成できた。鉛筆で、つまり白黒モノクロの風景だけど脳裏にその鮮やかさがずっと焼き付いている。今度からこれを見るたびにその鮮やかさを思い出せそうだ。忘れていたものまで全て、思い出せそうだ。

 そして最後まで描けずにいた空白、そこにあったものは何かを実際の風景で確認した。灰色の空白。そんな矛盾したそれは、直方体の石が立ち並ぶ――


「あれは――だ」


 それが何か気がついた時に、意識が遠のく。まるで、自分がそこにいなかったかのように。今までどこか他人事のように見ていたものが本当に他人事になる。


「あと少し……あそこを――」


 倒れゆく。スケッチブックが手から離れようとする。全てはスローモーションだった。

 今後の心配よりも、我が身の心配よりも、スケッチブックが離れることに危機感を覚えて手を伸ばす。届かぬスケッチブックの向こうにはひらひらと舞う蝶々が。優美なはねに見惚れることもできずにいる。間抜けな自分を、やはり他人事のように離れたところから見ていた。




 ◇


 自室のベッドの上で布団の端を握りしめていた。汗が背中に不快感を与えているのも無視して、時刻と日付を確認する。それはあのニュースで見たものと同じ。

 何故あんなことをしていたのか。どうしてそれを止めることができずにいたのか。記憶がところどころ虫食いだったわけ。バイクに乗っている間の道筋もわからなかったこと。それら全てが点で繋がり、今の状況と合わせて一つの結論を導き出す。


「あれって、夢……?」


 夢の最後で見たのは墓場だった。

 何故あんな夢を見たのか。記憶の中に心当たりを探して見つけて嘆息たんそくする。


「どれだけ……気にしてたんだか」


 高校二年の秋に想いを打ち明けた。

 今よりも僅かに涼しい、四季的には反対の季節だ。

 メールであの場所に呼び出した。学校から離れたのは、学校の誰かに見られるのが怖かったからだ。広場の近くには見事な秋桜コスモスが一面に咲き誇っていた。

 色よい返事こそもらえなかったが、友人としての付き合いは続いた。大学に行っても連絡は取っていた。その頃には恋心のようなそれはなくなったと、そう思っていた。

 だから、二年前、結婚すると聞いた時も祝福できると自分を信じていた。それを今更嫉妬し、恨む。そんな浅ましい人間ではないと。事実、結婚式では笑って、そうして――祝福した、はずだった。

 あの人は半年前に亡くなった。家族共々、旅行先での事故だった。重傷で運ばれて、かろうじて一言だけど口にした。後から聞いた時は崩れ落ちた。


「なんで、唯一の遺言が――」


 ――墓場をあそこにしてほしい。

 それが唯一言い残した願いだった。

 それを聞いた時に、色んなことが胸の中で荒れ狂った。

 あの場所に対する思い入れなど一つ。長く友人付き合いをしてきた自分は、それを知っていた。ならばそれを願った意味というのは一体なんだ? あの人はそれを願って今更何を伝えようという。わからない。死んでからでは何もかもが遅いのに。

 その想いは時間を経て言語化するには醜く、そして整理をつけて笑い話や一つの想い出にするには辛すぎた。

 ようやく落ち着いたところでこんな夢だ。最悪というには、見てるときの気分が最高だったものだから余計救えない。もちろん笑えもしない。

 一つだけ夢ではなかったことがある。頬には涙のあとがうっすらと、方向こそ違ったけれど、確かについていた。


 朝食を食べるよりも先にテレビをつけた。いつものようにニュースが、そして天気予報が流れる。


「本日は日本全国、爽やかな快晴でしょう。ところどころにわか雨が降るかもしれませんが――」


 雨が降らない。

 何かが引っかかる。ふと時刻を見ると、八時を僅かに過ぎていた。微妙な時間帯だ。何が、何が引っかかっている。


『――こ、ここで、臨時ニュースをお伝えします』


 その聞き覚えのある切り出し、話題転換に嫌なものが背筋を這う。


『テレビの前の皆さま、落ち着いてお聞きください――』


 あり得るはずがない。

 だってあれは夢で、自分の過去が生んだ亡霊だ。想い出にすがる自分が嫌で、吹っ切るためにあったのだ。そうに違いない。

 何も食べてないからか、空腹の胃を何かがこみ上げてくる。胸の中でざわつく音にぎゅぅと布団を掴む手はますます強くなる。焦点の定まらぬ目、視線は宙をぐるぐると彷徨さまよう。

 嘘だ。きっと、何か違う話だ。


『約二四時間後の明日朝八時ごろ、……地球はコアの崩壊とともに滅亡します』


 確認のために同じ文面がもう一度繰り返される。

 それは夢よりもさらに現実感を失って、まるでどこか遠い世界のことのように聞こえていた。

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