地球が崩壊するらしいので、トラックで異世界転生しよう 作:K
『……こ、ここで、臨時ニュースをお伝えします。
テレビの前の皆さま、落ち着いてお聞きください……。約二十四時間後の明日朝八時ごろ、地球はコアの崩壊とともに滅亡します』
「マジで?」
と口に出してみるものの、今はもう十一時をまわっていた。
ユーチューブで見た再生数の多いこの動画は、投稿されてからすでに三時間が経っていた。
なんてこった。
こんなビッグウェーブに乗り損ねるなんて――!
「それはマッドネスが深夜に動画編集してたからやんか」
そういえばそうだった。
ユーチューバーである俺ことセイヴ・ザ・マッドネス(三十歳)は、飯を食うために動画を作る労働をしていたのだった。
さすがは俺の嫁、ミマ。
聡明だ。
「でもお兄ちゃんのあんな動画でアクセス数が稼げるなんて、思えないけどね!」
「おいおい……」
身もふたもないことを言うこいつは俺の妹、ディス子。
まあアクセス数が不思議と稼げないのは事実なのだが。
「ねえ、それでマッドネスはどうするん? 編集した動画アップせえへんの?」
「いやだってこんな動画があったんじゃ絶対埋もれるし、不謹慎だなんだって叩かれる可能性もあるからさ」
「でも地球が崩壊するなんて、信じてへんよね?」
「まあな」
「だったらアップすべきやん。むしろ動画投稿するライバルが減ってええんちゃうん?」
そうか、それもそうだ。さすがはミマだ。
「でもさ、お兄ちゃんはこれを見ても嘘だって思うわけ?」
といって俺が見たのはローマ法王のツイートだ。
英語だから読めないけど、「Earth」という文字をみただけでピンと来た。
「ミマ。前言撤回。ディス子の言うとおり、たぶん地球は確実に崩壊する」
「そっかーホンマなんか。なんかそれちょっと残念やなあ」
脱力感のある嫁の関西弁を聞くと、本当に残念がっているかどうかが疑わしくなる。
ただ、地球が崩壊することが決まったとなれば、やることは一つしかない。
……えっと、なんだろう。
「えっ? もしかしてお兄ちゃん、地球最後の日なのに特にやりたいことがないの?」
「それは……さすがにないよなあ?」
いや、ある。
あるけど、できない。
ミマはショートカットの髪型が似合う、運動が大好きな関西弁の女の子だ。
そしてちょっと口の悪いディス子はその妹で、幼さの象徴であるツインテールが目立つ女の子だ。
やりたいことは、そんな嫁であるミマを抱きしめ、妹であるディス子とチュッチュすることだ。
ただ、それができない。
彼女たちにできることは、彼女たちがプリントされた抱き枕をチュッチュすることだけだ。
次元の壁は高くそびえ立って、一人暮らしの俺に孤独を味わわせていた。
そんな中で地球が崩壊する。
一人で死ぬ。
孤独死。
ダメだ、そんなのダメだ。
次元の壁を超えなきゃ。
どうすればいい?
「だったらさ、トラックの力を借りればいいんじゃない?」
「トラック? どうしてトラックなんだ?」
脳内妹のディス子はあきれた声で言う。チュッチュしたいことが伝わっているからだろう。
が、トラックとは一体なんのことだ?
「マッドネス、いつも見てるやん。トラック」
「外へ出てないのにトラックなんて見るわけないだろ!」
「いやいや、現実じゃなくて小説やて。ネット小説。よく一話目で出てくるやん」
ネット小説とトラック……という単語を聞いてようやく俺は嫁と妹が言う意味を理解できた。
トラック転生だ。
「そうか、わかったぞ! トラック転生して異世界に行けば、孤独死からも脱出できてハーレム世界へ跳躍できるってことだなっ!」
「そういうこと。お兄ちゃんもたまには頭働くじゃない」
「いやいや、ミマとディス子がいなければ、俺にはなにも思い浮かべることができなかったよ。ははは」
まあ、脳内嫁と妹だから、本当にいないんだけど。
異世界転生すればなんとかなりそうだ、と本気で思えたのは地球崩壊という今の状況のおかげだった。
伏線もなにもなく一日で地球が崩壊することの突飛さと、トラックに轢かれて異世界転生してしまう突飛さとを比較すれば、異世界転生のほうがはるかに現実的だ。
ゆえに、異世界転生は可能だと俺は判断した。
我ながら天才だと思った。
だからついそのことをツイートしてしまった。
だが、そんな天才的な発想も数件かリツイートされただけでスルーされてしまった。
「ほかの人の見る目がないんよ」
ミマが励ましてくれる。
ありがとう、ミマ。
「で、どうするのよ、お兄ちゃん」
「どうするって、そりゃあ外に出るしかないだろ」
「外に出られるの? 引きこもりのクセに?」
「おいおい、それは誤解だ。ニートと引きこもりを混合するな。というか俺はニートでもない。ユーチューバーだ」
「ディス子ちゃん、ユーチューバーって今じゃ子どもが憧れる職業なんだから、引きこもりって言ったらあかんよ」
ということで、引きこもりじゃない俺は外に堂々と出た。
ミマとディス子はキーホルダーやTシャツとして俺と同行してくれている。
その心強さがあるからこそ、俺はコンビニと銀行以外の道を久しぶりに歩くことができた。
だが、
「あかんなー、これ」
目の前にあった道路は渋滞していた。
「なんだこの状況?」
「避難ちゃうかな? 地震がだんだん大きくなるってニュースで言ってたやん」
「だからって地球が崩壊するのに、どこへ逃げるっていうんだ?」
俺は車の中にいる人間を見た。とある車には制服を着た学生カップルがいる。
女子高生が免許を持っているのだろうか。いや、そんな気はしない。
地球が崩壊するから駆け落ちしよう、って女のほうから誘ったのだろうか。
まあとりあえずリア充は爆発しろ。
「もっと別の場所に行かないと、轢かれないよ?」
ディス子の言う通りだ。
どこまで渋滞しているのかよくわからない。そんな道路に飛び出して、トラックにぶつかったとしても痛くもかゆくもないだろう。
クラクションを鳴らされ、怒鳴られるのがオチだ。
でも、どこへ?
高速道路はさらに混雑していることが予想できる。
では国道や高速道路以外の道となると、この近くでは民家と民家の間にある一方通行のせまい道ばかりになる。
そんな道はトラックどころか車と遭遇することがあまりないし、そもそもスピードを出す輩がほとんどいない。
トラック転生って意外と難易度が高いのか?
「ほかにトラックが多そうな場所を探すしかないよ」
「……って言ってもどこなんだよ」
「走ってるトラックを探すより、トラックが集まってる場所を考えたらええんちゃう?」
なるほど、ミマはやはり賢い。
トラックがどこにいるか、ちょっと考えてみる。
だいたいは運送会社の営業所や集荷場、それに港といった荷物が集まる場所にやってくる。
この混乱の中で、その運送システムがどれほど機能しているかわからないが、この数時間で機能が全停止したとは思えない。
なんだ、考えればすぐわかることだ。
とりあえず港に行ってみよう。
「めっちゃでかいトラック走ってるやん! これに轢かれたら平べったくなれるやろうなあ」
俺の目のまえを大きなトラックが次々と走りさっていく。
十トントラックどころじゃない。
たぶん二十五トンとかそれぐらいだろう。
今さらどこへ行くのかはわからないが、とにかく三々五々にスピードを出して走っていく。
そんなトラックに轢かれたら、人間どころか自動車だって平べったくなれるはずだ。
トラック転生にしては少し大きすぎる気もするが、悪くはない。
「お兄ちゃんさ、異世界転生したらどうするの?」
「どうするって、チートステータスを得てハーレムを築く。以上だ」
「そのハーレムにさ……私たち、入れないのかな?」
「大丈夫だ、問題ない」
「どうして?」
「転生先でディス子たちを見つけるからな。それか女神にお願いする。一緒に転生させてやってくれって」
「お兄ちゃん……お兄ちゃんのそういうところ、私、嫌いじゃないよ」
素直に好きって言えばいいのに。
……という脳内会話を繰り広げている間に、スピードを出したトラックがこちらへ向かってきていた。
スピード違反じゃないかと思うぐらい速い。
「よし、じゃあ行くか!」
俺は転生への第一歩を踏み出した。
道路に飛び出すのは生まれてはじめてなので、心臓が張り裂けそうなほどドキドキする。
こわい、というより非日常に踏み込んだ感覚に興奮しきっている。脳内物質が噴出し、多幸感に体が包まれていくことがわかる。
ああっ、これが転生なんだ!
トラックとの距離が縮まるごとに、俺は転生の女神を頭の中で呼び続けた。
しかしキイイイイイイイイィィッという金属音とともに、トラックの大きな車体は俺のそばを通りすぎていった。
は?
と同時に俺のうしろで人々の悲鳴があがり、ガシャガシャグシャグシャという鈍い破砕音が聞こえ、ドンッと間近で見る花火みたいなバカでかい音が聞こえた。
キーーーーーンと耳鳴りがした。
逆に耳鳴り以外、聞こえない。
「マッドネス、大丈夫? 爆発で耳、イカれたんちがう?」
「……たぶん」
会話ができているのは脳内嫁だからだ。脳内会話に耳鳴りは関係がない。
俺を転生させてくれるはずだったトラックは、俺のうしろにあったガソリンスタンドに突っ込み、ついでに客や店員を轢きながらガソリンスタンドの爆発に巻き込まれて大炎上したらしい。
たぶん、あのガソリンスタンドにいた人間は誰も助からないだろう。
合掌。
「あーあ、やっちゃったね。お兄ちゃん、死刑だよ」
「かもな。でも遅くてもあと二十時間ぐらいでみんな死ぬんだ。それよりちょっと早く死んだだけだと思えば、まあ大したことないんじゃないか?」
「おお? マッドネス、ほんまにマッドな感じやな。すっごいキャラチェンジやん」
やはりミマとディス子はすごい。
こんなことをした俺を決して非難しない。
ただちょっと考えれば当たり前のことだ。
脳内嫁と妹が俺に逆らうはずがない。
ミマもディス子も、俺にとっては最高に都合のいい美少女でしかない。
異世界もきっとこんな女の子ばかりなんだろう。
さっさとこんな殺伐とした現世からはおさらばしたいところだ。
家に帰ってこげクサい体を洗ってから、次の作戦に移ることにした。
「今度はなにするん?」
「トラックはどうしても飛び出す人間を避ける。あの時は全部爆発したからよかったが、もう一度同じことをして、俺を避けたトラックがまた誰かを轢いたらまずいことになりかねない」
「どうまずいん?」
「轢かれたやつの親族とか恋人が、その場で俺をリンチするかもしれない。あの時は運よく近くにいた人間が全員死んだだけだ。だから次はそうならないよう、準備をしているんだ」
手元にはダンボールの板が二枚ある。
その二枚の板の上部の左右二ヵ所に穴をあけ、その穴の中にヒモを通した。
簡単ではあるが、ヒモで繋がった二枚のダンボールをこれで着ることができる。
ちょうどダンボールの板は腹と背中を覆い隠すほどの大きさだ。
「あとはこのダンボールに文字を書けば完成だ」
油性マーカーできゅっきゅと文字を書く。
字は汚いが、遠くからでも読めるぐらい大きな字だ。
「効果あるとええんやけどなあ」
「大丈夫、効果は絶対あるって」
ダンボールに書いた文字の効果は絶大だった。
歩道をとぼとぼと歩く、気力と希望を失ってしまっていた人々であっても、俺のダンボールを見ては驚き目を見開いていた。
子どもは親に「見ちゃダメ」と言われていた。
そりゃそうだろう。
ダンボールにはこう書いた。
『異世界転生希望! トラックよ、俺を轢いてくれ!』
こんな文字を見て、おかしいと思わない人間の方がおかしい。
ただ地球が一日で崩壊するというおかしな状況の中、正常であり続ける方が俺はおかしい気がしていた。
だから俺はこの世界において、真に正常なことをしている実感があった。
「でもこんなので轢いてくれるのかな」
「轢いてくれるって。人の悩みに答えるのが人やんか。マッドネスの言葉みて、涙流しながらトラック動かしてくれるわ」
脳内嫁のミマの思考がだんだんとおかしくなりつつある。
いや、この世界に対して正常になりつつあるということか。
とにかく俺は堂々と歩道を歩いた。
道路に飛び出さないのは、俺を避けた車が大惨事を起こして、その飛び火が俺に飛ばないようにするためだ。
つまり、これは誰かが俺に「じゃあぼくが轢きますよ」と声をかけてもらう必要があった。
俺から一人一人声をかけても良かったが、そんなことをすれば自警団か警察かが俺を捕まえるだろう。
まあ、これも捕まるギリギリのラインだと思うが。
「あの……」
声のした方を向いた。すると初老の男がいた。まさかこのじいさんが俺を轢いてくれるのか?
「は、はい。どうしましたか?」
俺の声は思いのほかたどたどしかった。そういえばリアルで人と会話したのは何年ぶりになるだろう。
ただ怯えてはいなかった。むしろ興奮と期待でいっぱいだった。
だが、
「自殺はいかんよ。命をもっと大切にしなきゃいけない。学校で教わらなかったのか?」
と、じいさんは眠たいトーンで俺に説教をしはじめたので、興奮と期待は一気に冷めた。
俺はじいさんに言った。
「たかだか二十時間の命に、そんな価値なんかねーよ」
説教をするつもりだったじいさんはポカンと口を開けていた。
そのあと、じいさんの口からどんな言葉が飛び出すのか楽しみで仕方がなかったが、じいさんのことは無視をして、歩道の人だかりから逃げ、人気のない公園に入った。
その公園は人気がなさすぎて不気味だった。
犯罪の温床になっていてもおかしくなさそうだ。
「おう、兄ちゃん。なんだその身につけてるものは? ――ははっ! おまえ、トラックに轢かれて自殺したいのか!」
俺は突然の声かけにビクッと少しだけ驚いた。
公園の端っこの方でタバコを吸っていた四十歳ぐらいのおっさんが、俺を見てタバコの火を消し、こちらへ近づいてきた。
自殺じゃなくて異世界転生です、とはちょっと言い難かった。ネット小説を読んでいなさそうな人に、この文脈は通じる気がしない。
「まあ、トラックで自殺したい感じですね。どういう感じで死ねるか、知りたかったんで」
「奇遇だな。俺もだ。いや、俺は逆だ」
「逆?」
「俺はトラックの運転手なんだ。二十五トンの大型トラックのな。で、そいつを使って人を轢き殺そうといま考えていたところだったんだ」
「え、ええっ!?」
轢いてもいいよ、と言う人が身近に現れることを願っていた。ただ、心構えまではできていなかった。
「それ、本気ですか……?」
「ああ、本気だよ。そもそも人はもう何人も殺してるんだよ。撲殺、毒殺、刺殺、絞殺、焼殺、爆殺とまあ地球がもうそろそろ崩壊するって言うんだったら、色んな殺し方を試そうと思ってな。……あっ、おまえ俺が人を殺しまくってるってこと、信じてないだろ?」
俺は首を力強く横に振る。
このおっさんの鋭いサイコパスな目は間違いなく人殺しの目だ。
本能が恐怖を告げている。
トラックに轢かれる以外で死ぬなんて冗談じゃない。転生できないじゃないか。
「あのトイレの中には若いねーちゃんがいる。それを見れば信じられるはずだ」
おっさんが言うトイレは公園のトイレだ。外観から不潔さが容易に想像できる。
そしておっさんがなにをやったのかも想像できる。
俺は少しだけ吐き気がこみ上げてきた。
「いや、いいです。素直に信じます。それで、どうして俺を轢き殺そうと……」
「そんなの決まってるだろ? 轢殺がまだなんだ。いま外にはたくさん人があふれているから、轢殺ぐらいは楽勝だと思ったんだが、轢き殺したあとに親とか恋人とかが俺をリンチしにくるかもしれねえ。そうでもなくとも警察がまだかろうじて機能しているから、逮捕されるかもしれねえだろ。だからといって、『俺のトラックに轢き殺されてくれ』とも頼めねえしな。どうすっかなー……と思っていたところに、お前がきた。
なあ、兄ちゃん。こういうのを運命の出会いって言うんだよな?」
「ですね」
できればその言葉は美少女の口から聞きたかったが、間違いではない。
俺とおっさんの利害の一致は運命的だった。
トラック転生が確定し、心の余裕を取り戻した俺は、やり残したことがないかを考えることにした。
そして一つだけ家から持ってくるものを思い出し、おっさんに轢いてもらう場所を聞いてから一度帰宅した。
俺は家から持ってくるべき一つのアイテムを背負って、轢いてもらう場所――つまり転生ポイントにやってきた。
転生ポイントは人気のない工場地帯だった。地球が崩壊するまえから稼働していなさそうな錆びれた工場が軒を連ねていた。
そして道路は広く両側四車線。
トラック転生の環境としては最適だった。
「おいおい、兄ちゃん。なんだそれ。サンドバッグか?」
「ちがいます、俺の嫁と妹です」
「はあ……。まあ俺の人殺しもよい趣味とは言えないから他人に言えたもんじゃないが、兄ちゃんの趣味も相当だな」
少なくとも人殺しよりもマシだと思うし、これは愛であって趣味じゃない。
俺はミマとディス子がプリントされた抱き枕をひもでおんぶしていた。
家からもってきたものは抱き枕だ。
キーホルダーとシャツでなら、ミマとディス子とは一緒にいた。
だが一番愛したミマとディス子は、キーホルダーよりこの両面プリントされたこの抱き枕だ。
ミマとディス子ともできれば転生したい。
そういう強い愛があるのなら、一番愛したアイテムで轢かれるべきだと俺は考えたのだ。
「あのさ、確認だけどよ……本当に轢いてもいいんだな?」
「いいですよ。というか人殺しが趣味なのに、確認するんですね」
「いや、途中でヒヨって逃げられたら腹が立つからな。逃げても殺すって言いたかったんだ。……そうだな、逃げたら溺死させるから、そこのところよろしくな」
そう言っておっさんは笑顔でトラックに乗り、エンジンをかけた。
おっさんの二十五トントラックはグオオオンとうなり声を響かる。
そしてスピードをあげながらこちらに向かってきた。
今度のトラックは俺を避けない。
つまり、俺が避けない限り、トラックは俺を轢く。
そして俺には逃げる意思がない。
完璧だ。
轢け。
轢いてくれ。
俺を異世界転生させてくれ。
おっさんの顔がはっきりと見える位置までトラックは近づいてきた。
おっさんはよだれを垂らして、目を見開いている。
明らかに正気ではなさそうだった。
だから俺は一瞬だけ、おっさんがハンドル操作を誤ってしまう、悪い想像をしてしまった。
だが、その心配は杞憂だった。
気付いたときには、トラックの大きな車体が視界を覆っていた。
――これは轢かれるな。
「……聞こえますか。あなたはトラックに轢かれました。覚えていますか」
頭がぐわんぐわんと揺れる中、女性の声が聞こえた。
今まで聞いたこともないぐらい美しい女性の声だ。
まるで女神だ。
というか異世界転生直前に聞く女神さまの声じゃないのか、これ?
「はい、覚えています……。あなたはもしかして女神さまですか?」
女神さまは俺の質問に黙ってしまった。
黙ったことを不思議に思った俺は、目を見開こうとする。
だが、うまく開かない。
仕方がないから、女神さまの姿は想像に留めて、色々と聞いていくしかない。
これからのことを。
「あの、俺ってどんな世界に転生するんでしょうか?」
無言。
「あの、希望を聞いてもらえるならでいいんですが、できればチートスキルとハーレム環境を希望したいです。あと俺の脳内嫁のミマと、脳内妹のディス子も一緒に転生させてやってください。今度こそ次元の壁を超えて、一緒に暮らしたいんです。今まで不幸だった分、次こそ幸福であったっていいですよね?」
無言。
かと思いきや、数十秒ぐらい経ったあたりで、女神さまはこう言った。
「田村茂さん。あなたは自殺願望があり、一種の妄想癖があって、自分を死んだと思い込んでいるようですが、あなたは死んでいません。奇跡的に助かったのですよ」
「えっと……なにを言っているかわかりません、女神さま。俺は二十五トントラックに轢かれたんですよ? 無事なわけがないです。確実に死んでます。死んでいてもこうやって喋ることができるのは、転生する直前だからです」
「……田村さんの言っていることはあまり理解できませんが、田村さんはクッションを背負いながら轢かれましたよね?」
「クッションじゃないです。嫁と妹ですよ。彼女たちはどうなりました? 転生できましたか?」
「田村さんのそのクッションのお嫁さんと妹さんは、あなたを助けましたよ。あれがあったおかげで、田村さんは道路に頭を打つことなく、生還できたのですから」
この女神さまはさっきからなにを言っているのだろう。
ミマとディス子がクッションで、そのおかげで俺が生きているとか、冗談にもほどがある。
「ちなみに田村さん、私はただの看護師です。女神さまではないですよ」
え?
女神さまじゃない? 看護師?
「嘘……ですよね」
「いいえ、本当です。田村さんは凶悪殺人犯に殺されかけて、このA総合病院で緊急手術を受けて、十時間経ったいま、ようやく意識を取り戻したんです。地球が崩壊するまであと一時間ちょっとですが、担当をする者として、患者が意識を取り戻したことは嬉しいことです」
「俺は……俺は全然嬉しくねえぞ! 転生もできてない上に、地球崩壊まであと一時間なんて冗談じゃ……あいたた。胸が痛い、苦しい!」
「無理しないでください。クッションがあって生還できたとはいえ、田村さんの体はいまボロボロです。それに……大変言いづらいのですが、ぶつかった衝撃で田村さんの眼は失明してしまっています」
さすがにそれは嘘だろう、と思い俺は頑張って目を開けようとした。
しかし開かない。というか眼球の気配がない。
目の奥に空洞ができたような感覚があって、実に気持ち悪い。
「それでは田村さん。私はこれで失礼します」
「失礼しますって、おいおい。あんたは俺の担当の看護師じゃないのかよ」
「確かにそうですが、地球崩壊をあなたみたいな気持ちの悪いオタクと過ごしたくありません。そうそう、あの気持ちの悪いクッションは血と土で汚れていたので焼却処分しておきました。中身の綿は勢いよく燃えてましたよ。それでは、あと一時間ほどですがお元気で」
スライドする扉の音が聞こえた。
俺はシーツの触り心地を改めて確かめる。異様にツルツルしていて、冷たい感触。家にあるベッドの感触とは全然ちがう。
目は見えないが看護師――女の言うとおり、ここはA総合病院で間違いないのかもしれない。
「ミマ、転生は失敗におわったと思うか?」
返事はない。
「ディス子はどう思う。ここからなにをすべきか、思いつくか?」
返事はない。
当たり前だ。
脳内のミマもディス子も結局は俺なのだ。
灰になったと聞いて、頭の中で死んだのだ。
……孤独だ。
死にそうなほど孤独だ。
地球が崩壊するときぐらい、なにか奇跡があって欲しかった。
だが何もなかった。
無味乾燥で、砂漠のように続く俺の人生が少しばかり早く終わるようになっただけだ。
なにも変わらなかった。
どこで間違えた?
どう間違えた?
地球が崩壊するときぐらい、なにか変わるべきだったか?
もう、わからない。
考える時間もないだろう。
雷鳴が聞こえる。
風が窓を叩きつける。
ガラスの割れる音がする。
気持ちが悪い。
ところで燃やされたミマとディス子はどうなったのだろう。
外で灰にでもされたのだろうか。
なら、良いことかもしれない。
地球が崩壊すればマグマも飛び出し俺は燃えて灰になるだろう。
灰になれば、風にのって、ミマとディス子の灰と交わることができるかもしれない。
……ああ、できるじゃないか。
灰になることで、ミマとディス子と一体になることが。
それは孤独な俺にとって、幸せな死に方だろう。
きっとそうだ。
転生して、一緒に暮らしたかったが、仕方がない。
妥協しよう。
女神さま。
それぐらいの奇跡は望んだっていいだろう?