ドーバー海峡冬景色
「さよなら、私は残ります」ロンドン駅のホームで私は言う。
電車に乗り込んだ彼は、こちらを振り向くことなく左手を挙げた。
喧噪の中、God be with yeとだけ聞こえた。間もなく彼を乗せた列車が音を立てて消え去る。音は徐々に人間的になっていく。
電車の去ってしまった駅というのは、犬のいない犬小屋のようなもので、それ自体には何も意味がないように思われた。そのことを証明するように、電車から降りた人々は我先にと駅から立ち去ろうとし、駅にやってきた人は電車に乗り込むことを至上命題としているかのように目を吊り上げている。
そんな中、私はホームにずっと佇んでいる。駅好きの鉄道マニアだからではない。高い天井までの空間に、彼の残した声が漂っていないか探すためだ。通り行く人々は、横目で奇異の視線を投げかける。はよ歩けや、と。
私は居心地が悪くなって、いつものように右隣の少し上を見やる。そして彼がいないことを思い出す。彼はパリに旅立ってしまったのだ。
彼は昔からフランスに憧れを抱いていた。そのことを私は10歳頃から知っていたが、彼の祖父母が熱烈なフランス嫌いだったため、彼はその憧れを物陰で吸う煙草のように陰でくゆらせることしかできなかった。
彼はよく絵を描いていた。週末になると電車に乗ってドーバーの町まで行って、海を描いた。ある日は海岸線から。またある日は岬の上から。イギリスが形を失う地点から、イギリスを縁取る純白の絶壁を、またはイギリスでもフランスのものでもなく揺蕩う海を、双眼に映る色彩そのままに描いた。筆を休めている時、彼は私に語ったものだった。
「英仏を分け隔てるドーバー海峡という主題を、俺はいろんな角度から描きたいんだ。俺の生き方がなんで歴史に妨げられなきゃいけないんだ」更に彼は続けた。「絵画が宗教のものだった時代を終わらせた印象派の画家たちの手法を通して、俺は歴史という壁を壊したい。いつかはやってやるさ」
そう言う彼が青かったのは事実だ。それでも熱意のこもった目に私は引き込まれていったのも私の中で真実だった。飼い主に従順な犬のように、彼は内に潜める欲望に身を任せて創作を続けた。そしてついに旅立った。
ロンドン駅で彼の言葉を思い出すのでなく、彼と過ごした思い出の海を見たくなった。私は在来線に乗り継ぎ、ドーバーを目指す。
冬の海峡はやはり寂し気だった。雲が日差しを遮っていた。
彼ならこの景色をどう描くだろうか。どこから見つめるだろうか。
晴れていようがいまいが、この場所から彼のいる大地を見ることはできない。
それでも。それでもこの海の向こうで彼は絵を描くだろう。壁に穴を穿つために拳を打ち付けるだろう。それなら。それならその音を聞いて、その向こう側で土塊が零れるのを間近で待っていようじゃないか。毎週ここに来て、彼に電話をしよう。いつか彼が誇らしげに帰ってくるのを、自前の小屋を用意して待っているのだ。