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<神城純一>法と力と

 チームレベルにせよ個人レベルにせよ、それほどいい結果が出せているとは言えない1年4組。その中で1人気を吐くバッターがいる。


「ファール」


 本日の対3組戦。


 ほとんどのメンバーが無安打。チームとしては無得点が続く中、1番ファーストで出場の神城は3打数3安打。8回も回ってきた第4打席においても悪くない様子。今でこそリリーバー・三崎相手にファールで粘っているところだが、次第にタイミングが合いつつある。


 カウント1―2。ストライク先行カウントが続く中で三振狙いの変化球が投じられるも、


「ファール」


 きわどいコースはきれいにカット。


「ボール、ツー」


 そしてはっきり外れる球はしっかり見逃し。


「うぜぇぇぇ」


 ベンチ内で敵ながら悪口を言っているのは宮島。たとえ自軍が攻撃中であったとしても、守備側の方に感情移入してしまうのはキャッチャーの宿命か。


「あいつ冗談じゃねぇよ。何球粘ってるんだよ」


「ちなみに今のファールは5球目です」


 そんな宮島のヤジのようなものに、広川がいつものですますで解答。


 平行カウントとなって2―2。そして5球はファールでボールカウントに反映されていないため、投球数は既に9球。次で10球目である。


「ボール、フォア」


 そしてついには集中力が途切れる。10球目、11球目と外れてフォアボール。


「なんなんだ? あいつ?」


「なんなんでしょうねぇ。彼」


 宮島と広川は2人そろって、本日出塁率10割のトンデモバッターをみつめていた。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


「うぉ~」


「これは中学の体育祭の時の写真(やつ)じゃなぁ」


 いつもの練習後。なぜわざわざ実家からアルバムを持ってきていたのか分からない神城は、それを新本と共に閲覧中。ちなみに閲覧している場所は言うまでもない。


「そういえばさ、神城ってなんでこの学校に来たんだ?」


「どうしたん? 急に」

「いや、昔の話(アルバム)で思い出した。聞いちゃダメな類の話だったか?」


 携帯ゲーム機を手に、本当に急な話を振ってくる長曽我部。今まで新本と面白おかしくアルバムを見ていた神城は、次のページをめくりながら質問を質問で返す。


「ちなみに宮島と新本、ついでに長曽我部はなんでなん?」


「上下関係が嫌い」


「男女気にせず野球できる」


「坊主が嫌だ」


 この中では割と新本が納得できる理由であり、上下関係嫌いの宮島はやや納得。そしてかなり短髪の長曽我部であるがそれでいて坊主が嫌いというのは、どこか個人的に守るべき一線があり、それが丁度短髪ということなのか。


「ふ~ん。なかなか面白い理由じゃのぉ。ちなみに秋原はなんでなん?」


「私? 球児のお兄ちゃんを相手してたこともあって、少し野球選手のマネージャーに興味があったから。かな?」


 と、それぞれこの学校に来たのはそれなりの理由があるもよう。もっともなんとなくでこんな潰しが利かない野球専門学校なんかに来るわけもないだろう。同じ野球で学生生活を潰すにしても、高校に進学した方がまだ将来の幅は広いはずである。


「で、結局のところ神城は?」


「そうじゃのぉ……ルールとか注目度、じゃろぉなぁ」


「ルールとか注目度、ってぇと?」


「高校野球はことあるごとに連盟が口を挟んでうるさそうじゃし、世間も騒がしいけぇのぉ。こっちの方がのびのび野球できるじゃろぉ」


「俺に似てるな」


「まぁ、遠からず近からずじゃのぉ」


 土佐野専では長髪でも文句を言う人は誰1人としていない。という点であまりプレーに口を出されないという意味では神城と長曽我部の主張は似通っているのか。


「タッチを避ける目的ならまだしも、ヘッドスライディングなんて怪我のリスクを背負うだけ。にも関わらずなんのかんの言うヤツおるけぇのぉ」


「特に神城の場合、アレだろ。カット打法って高校野球の特別規則でアウトだろ?」


 長曽我部の指摘するカット打法。苦手球やきわどいコースから逃げるために、神城がしばしばやっているファール打ちのことである。これは公認野球規則やプロ野球規則上は問題ない行為だが、高校野球ではアウトとされることもある。もっとも神城の場合はフォアボール狙いのカットではなく、狙い球が外れた時に逃げるためのカット打法であるが。


「まぁ、それもないと言ったら嘘じゃけど、それだけじゃないけぇそこだけを取り出すのは極論で?」


 神城が高校野球を毛嫌いしている理由を煎じ詰めて言えば『そもそも高校生らしさがよぉ分からん』というもの。言ってしまえばそうした空気と神城のタイプが合わないのである。


「しかし、あの規則って本当におかしいよなぁ」


「何がだよ」


 秋原のマッサージを受けつつ苦言を呈す宮島に、長曽我部はやや強めの口調で返す。別に怒っているわけではないのだが、たまにそうなるのが彼らしい。


「自分も野手だからわかるけど、ファール打ちってすげぇテクがいるぞ」


「かんぬ~の場合、ファール打ちどころかバットに当てるのすら苦心してるもんね」


「うるせぇ」


「確かに神城ほど意図的にファール打てるやつはそうそういねぇよな」


 長曽我部も試合なり練習なりで一通り全選手と対戦経験があるからわかる。土佐野専1年生でも優れたバットコントロールを誇るとされる1組の三村・斎藤、2組では大谷・村上、3組の笠原・太田と言った、優れたバットコントロールを誇るメンバーでも、神城並みのカット技術を持つとは言い難い。むしろカット技術は彼だけの専売特許である。


「うにゅぅ、あれってピッチャーの負担を軽減するためなんだけどぉ、だったらもっと他にやることあるもんねぇ」


 と、新本も賛同を示す。ただあまり野球に詳しくない秋原は、宮島のマッサージに集中していることにして話には介入せず。


 結果として実質的に神城以外全員が彼を擁護する側に。しかし意外にも神城はそのルールを悪と捉えていないようで。


「たとえすごい技術でも、ルール的にやっちゃいけんもんじゃったら仕方ないじゃろぉ」


「でもよぉ、神城。おめぇの技術、プロ並みだぜ。そんなもんを封じられるのは気分がいいもんじゃねぇだろ」


 長曽我部はさらに神城に問いかけるが、神城はアルバムに伸ばしていた手を止める。


「プロ並みでも、世界級でも、ケースバイケースで封じられるべき技術っていうのは間違いなくあるんで。それは野球に限らんじゃろぉ。いや、むしろ長曽我部じゃったら『野球以外』の方が実感があるんじゃないん?」


「そんなこと言われても、俺にはそんなんうかばねぇな」


「宮島や新本にはまったく分からんじゃろぉ。長曽我部には知っといてほしいのぉ。それと、九州を転々としていた秋原じゃったらもしかすると……」


 それを聞いた秋原は少し悩んでから「あぁ、なるほど」と納得を示した。


「本当にまったく分からねぇぞ。神城、何のことを言ってるんだ?」


「分からんなら分からんでええよ。どうせ、そこを話し始めたら小難しい話になるけぇ」


 意味深な話への前振りをしておきながら、起承転結の『転』あたりにして話を打ち切った神城。宮島も彼が小難しいというからには、わざわざ深く聞く必要はないと口を閉じる。


「シロロ~ン。次のページ~」


「そうじゃったのぉ」


 神城は新本に急かされて次のページを開くと、その中央あたり。クラスの友人と一緒に撮った1枚の写真に視線を向けた。


『(そうなんよなぁ。たとえすごい技術じゃけぇって、使っちゃいけんもんもあるんよなぁ)』

 それは県単位で見れば神城の、市町村単位で見れば長曽我部の地元にある世界遺産。ただ素晴らしいものではなく、いわゆる『負の世界遺産』と言われるそれであった。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 最弱クラスこと4組は毎度のこと苦しい試合運び。


 本日の対1組戦でも、先発の本崎が序盤から大量失点。対する1組先発の鶴見は4組相手に5回1失点の好投を見せ、折り返し地点にてすでに体勢は決したとみるべきだろう。


 だが7回。試合が急激に動き出す。


 大量7点リードでマウンドに上がった1組・菊田。しかし本日はいまいち調子がよくなかったのだろうか。三国にいきなりホームランを許すと、佐々木・三満にも連続でスタンドに叩き込まれる大乱調である。


 あっさりと4点差へと変わり打順は7番の小村。


 菊田は思うとおりにいかないことでイラついているのだろう。マウンドの土を蹴飛ばしたり、ロージンバックをたたきつけるように扱ったり。


 そしてその初球。


「デッドボール」


 小村の腰に当ててさっそく出塁を許した。ひとまず帽子を取ってはいるものの、どことなく不満そうな表情を浮かべている。


 そんな心理状態の変化はピッチングに現れるものである。


 続く富山への3球目。ど真ん中に甘く入った球をレフト前に運ばれてランナー1・2塁。


「タイム、代打、宮島」


 そしてキャッチャーとしての出場を見越して宮島を代打へ送る広川。


『(菊田、ちょっとカリカリしてるな)』


 代打として打席に向かおうとしながら、その様子を読み取った宮島。彼はサークル内のスプレーを手に取りバットに振りかける。そしてゆっくり歩いて打席に向かいながら素振りを数回。


 表情の読み取りの上手い宮島はその対応も上手い。こうして相手を逸らせて、ピッチングを乱そうという算段である。もっとも間を空けることで相手に立ち直らせる時間を与える結果になることもあるが、ひとまず今の菊田にとってはそうはならないだろう。


「お待たせしました」


 十分すぎる時間を取った宮島は右バッターボックス。


「プレイ」


 球審のプレイ再開宣告。


 マウンド上で竹中からのサインに頷いた菊田はセットポジション。その初球、


『(いっつ――)』


 130キロを超えるストレートが宮島の頭を捉える。狙い澄ましたかのような頭部デッドボールに、球審はすかさずボールデッド宣告をしてプレー中断。菊田はついにふてくされ、足元のせいにするようにマウンドを蹴りだした。

ただボールが勢いよく跳ね返ったことからも分かったが、それほど彼にダメージはなかったか。すぐに起き上って広川監督やマネージメント科救護班を制する。


 これでランナー満塁へと代わり、あまりの大乱調にしびれをきらした1組・大森監督も投手交代を宣言。この大ピンチ、後を継いだ城ヶ崎が無失点に抑えてしのぐ。


 なかなかの大乱調に7点差は4点差に。しかしながらこのイニングの攻防は禍根を残すものとなる……


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 次なるイニング。4組は新本をリリーフとして投入。さらに予定通り宮島を守備へ就かせる。


「宮島くん。本当に大丈夫ですか?」


「はい。あのヘルメット、なかなかに有能ですよ。メーカー、いい仕事してますよ」


「ふふふ。購入してきた経営科に伝えておきます」


 土佐野専の備品は基本的に経営科経由での購入となる。その商取引で生徒が関わることで勉強の機会としているのもそうだが、単純に売店の運営が経営科の管轄であることで、必然的に物品購入の窓口になっているゆえでもある。


「ただ違和感があったらためらいなくいいなさい。誰も文句は言いません」


「はい。ではその時はお願いします」


 宮島は準備万端でホーム後方へ。


「宮島くん。大丈夫だったかな?」


「監督にも言われた。けど大丈夫」


 なにせ頭部デッドボール。本来ならば危険球退場でもおかしくない。退場とならなかったのは、あくまでも退場判定の前に監督が自主降板させたからである。もちろんプロでは自主降板によって退場が無くなるわけではないが、そこは土佐野専ゆえの自由度である。


「無理なら先生に言って治療時間もらうけど?」


 こんな場面に初めて巡り合ったのであろう、今試合で球審を務める1年2組・岸田。少ししつこいまでに宮島を気にしてくる。


「大丈夫、大丈夫。まぁ、いきなり倒れたら、その時は頼んだ」


「た、頼まれても……」


 緊急事態における試合対応は審判の管轄である。が、負傷対応は附属病院の管理も含めてマネージメント科の管轄だ。


 ただいずれにせよ、言葉が乱れているようなこともないし、遅いと言っても新本の投球を受けられている以上、運動能力や感覚器官に影響が出ているようにも思えない。本当に宮島の言うとおり、ヘルメットが優秀であったのだろう。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 早くもツーアウトを取って先頭バッターは8番の大鳥。彼が右バッターボックスに入ると、宮島からのサインを受け取った新本はセットポジションへ。そこからの初球。


「デ、デッドボール」


 背中へと当てるデッドボール。新本は丁寧に帽子を取って謝罪。彼女の投じた球はストレートとはいえ、球速はせいぜい100キロ程度。痛いにしてもそれほどではなかったか、はたまた大鳥の温厚な性格か。手を軽く挙げて「気にするな」くらいの合図を新本へ送る。


『(新本のデッドボールか。サインはアウトコースだったはずだけど……平常時で逆球とは珍しい)』


 新本はピンチで大荒れするところがある。また入学直後にオーバースローからスリークォーターに変えて一時的に制球力が落ちている。が、今は決してピンチでもないし、その一時的に落ちた制球力も今となっては回復。土佐野専投手陣トップクラスの制球力を誇っている。そんな彼女が逆球を投じるとは、まさしく猿も木から落ちると言ったところか。


「タイム。代打、三村」


 ツーアウトながらランナーが1塁。ピッチャーの工藤に打席が回ったところで、控えスタートの主砲・三村が代打に送られる。


『(ここで三村か)』


 三村は巧打力と長打力を併せ持つ好打者。新本にとっては最後の最後でこんなバッターと対峙することになるとは、先のデッドボールが悔やまれるところである。


『(初球はチェンジアップでいきなり外すか?)』


 軽く探りを入れてみると、新本は頷いてセットポジション。土佐野専最速と言われるクイックモーションから、指を抜くようにしてチェンジアップを投じる。一見すれば甘い球。しかし完全にタイミングを外しにきた球へ、三村は明らかに速いタイミングでのスイング始動。思いっきり引っ張る形となり、三塁側スタンドに飛び込むファールボール。


『(ワンストライク。ひとまずひとつもらったか)』


 ファールであったとしても初球でストライクを取れたのはおいしい。


『(次は変化球がいい?)』


 スローカーブのサインを出してみると、一発で首を縦に振る。


 ただこの投球はアウトコースにはっきり外れてワンボール。そもそもコース自体はアウトコースを狙ったものであったため、この程度の誤差ならば許容範囲内と言ったところだ。


『(さぁて。次あたりで追い込みたいけど……これかな?)』


 次もタイミングを外す目的で変化球のサインを出してみるが、ここは横に首を振られる。


『(じゃあ、まっすぐ?)』


 縦に振った。


 セットポジションに入った新本。

 カウント1―1からクイックモーションで3球目。


 新本の投球は低めへのストレート。


 三村は気持ちセンター返しを意識してスイング。


 その打球は、


「新本っ」


「いっ――」


 鋭いピッチャー返し。ボールは新本の反応が間に合わないほどの早さで、彼女の腹へと直撃。新本は意地で打球こそ手にするも、投げることも、ましてや起きあがることもできない。


「タイム。タイム」


 あまりの緊急事態。審判としてはプレー自体を続けるべきであろうが、慌てた岸田球審がタイムをかけてしまう。しかしなんにせよ球審がタイムコールをしたのだ。


「秋原さん。病院へ連絡。担架も準備」


「はい。分かりました」


「誰か担架を手伝ってくれ」


「任せろ」


 搬送するかどうかはさておき受け入れ準備だけでもしてもらうため、広川は秋原に病院連絡を任せてマウンドへ。運ぶための担架を高川、そして頼みに答えた大野が引き受ける。大野は野球科生であるが、パワーのある人間が手伝ってくれるのは心強いところ。さらに内野陣がマウンドに駆け、マネージメント科数人もベンチを飛び出した。


「新本、分かるか」


 宮島が倒れたままの彼女の肩を揺すって声掛けをするが、よほど苦しいのか言葉らしい言葉を発していない。ただ席をしている限りでは呼吸停止の類はないし、ボールはしっかり握っている点はまだ安心である。


 それからしばらく、担架が来たあたりで新本も落ち着きを取り戻す。呼吸をある程度戻し、問いかけに頷き・首振りで対応できるくらいになる。


「監督、担架、持ってきました」


「先生。病院からすぐに救急車を回すと」


 高川、大野の2人が担架を持ってくるのと、秋原の救急車要請がほぼ同時。


 これからは審判養成科教員や居合わせた事務員などの大人が協力し、新本を担架に乗せて球場外へと搬送。高川・大野が最初はやる予定であったが、担架の扱いは不慣れな人にとっては難しいのである。


「さぁ、新本さんは反応からして大丈夫でしょう。すぐに試合を始めますよ」


 広川が手を叩いて全員の注目を集めていると、直後に聞こえ始める救急車のサイレン。さすが、学内に病院がある学校は違う。


『1年4組、選手の交代です。ピッチャー、新本に代わりまして長曽我部』


 負傷退場の新本に代わってマウンドに上がったのは、「たまにはリリーフも経験すべし」ということで先発を外れていたエース・長曽我部。


『(輝義。リーディングヒッターの岡川相手。ひとまずアウトローへストレートで様子でも見るか?)』


『(……)』


 険しい表情で頷いた長曽我部に宮島も違和感を覚える。


『(あれ? 不満かな? でも頷いたぞ?)』


 彼なら不満なサインは首を振るだろう。投手主導が信条の宮島に変に気遣いをする必要もないだろうし、不満そうに頷いたというのはいささか疑問の残るところ。それでも頷いた以上はサイン決定である。宮島はアウトコースにミットを大きく開いて構える。


 セットポジションの長曽我部は、まったくランナーを気にしない大きなモーションで一投。


『148㎞/h』


 150キロに迫る剛速球。ところがそのボールはアウトコースに構えた宮島のミットへ向かわなかった。


「デッドボール」


 投球は岡川の肩口へ。なんと新本に続いてこの回2つ目のデッドボール。いや、前のイニング、1組・菊田のものと合わせれば4つ目のデッドボールだ。


 非常に怪しい空気が漂い始める試合展開だったが、ついに溜め込まれた火薬に火が付いた。


「チッ。それくらい避けろよ、下手くそが」


 あえて相手に聞こえるかのように口にした長曽我部に、1塁に行きかけた岡川がヘルメットをたたきつけて詰め寄る。


「なんだと、てめぇ。バッターに当てておいてなんだよ、その言いぐさは」


「まぁまぁ、落ち着いて」


 危なっかしい空気に、球審とともにバッターをなだめる宮島。しかし長曽我部の一言が頭にきていた岡川は彼を突き飛ばす。


「お前は黙ってろ」


「あっ、この野郎、ウチの正捕手に」


「あぁん、やんのか」


「ケンカか。どっからでもかかってこい」


 その売り言葉に買い言葉というべき長曽我部の返しにより、岡川がついに激昂。長曽我部と取っ組み合いに。


「まずい」


「岡川の馬鹿が」


 まさかの乱闘騒ぎ。それを止めるために広川・大森の両監督がベンチを飛び出し、4組守備陣や両チームベンチ陣、そしてランナーコーチから審判団までがマウンドへ駆け出す。その中心でなおも取っ組み合い。


「よせ、岡川」


 それを渋い声で抑えようとする三村だったが、彼の介入がまずかった。


「三村、てめぇ。さっきウチの新本に打球当てやがったな。どういうつもりだぁぁぁ」


「な、なにいってんだよ。狙って当てられるわけないだろ」


「ふざけんな。あの時、ハーフスイングだったろ。狙ってないならどうして振り切らねぇんだよ。わざとだろ、わざと」


「なんだよ。いちゃもんか?」


 さらに三村まで乱闘に巻き込まれることに。


「そがんわけなかろうが。ええ加減にせぇよ。おんどりゃあ、しばき倒しちゃるけぇそこに立てぇやぁぁ」


「ちっとは落ち着きんさい。そげんにカリカリしちゃあいけん。だいたい、若い広島県民はそんなしゃべり方せんで」


 キレて広島弁で応戦する広島市民・長曽我部に、呉市民・神城が仲裁に介入。なお神城のような広島弁も、最近の若い人はあまり使わないだろう。なんとかして全員で止めにかかるが、隙を見て突っかかるメンバーに教師陣も対応できず。そこで困った宮島が取った策は、


「明菜……」


「はぁ、ブランクあるんだけどなぁ。ちょっと空けて」


 ベンチから秋原を呼ぶと、彼女は円の中を割って入っていく。


「出てこい、三村ぁぁ。新本の仇じゃ。ぶっ殺したるけぇのぉ」


「三村、打撃タイトル争っとる縁じゃ。ここは僕の言うとおり引いときぃ」


 一番大暴れしそうな口調の神城は、煽られ続ける三村を諭して戦線離脱へ誘導。なんとか被害を食い止めるために右往左往。


「逃げるんか。おんどりゃ、それでも男か。タマ付いとんかぁぁぁ」


「ええ加減にしぃや。ここをどこじゃと思っとるんな。野球人の聖地グラウンドで。こんなところで暴力沙汰たぁ、何を考えとんじゃっ」


「うるせぇ、神城。同じ広島県民、分かり合えると思っとったけどもう堪忍ならん。てめぇもタマ付いんならかかってこい」


 激昂した長曽我部は神城へと拳をふるいかける。しかしその時だった。


「付いてないけどいいかな?」


 攻撃を行った長曽我部に対し、集団的自衛権を行使したのは秋原。2人の間に割って入った彼女は彼の胸ぐらと腕をつかむと、


「えいっ」


「いてっ」


 外股狩り。柔道経験者らしい対応を見せる。ただ曰くブランクがあるとの言葉通り、少し危なっかしさも残っていたのだが。


「おのれ、長曽我部。さっきはよくも」


 そして秋原に投げられた長曽我部へ、追撃をかけようとする岡川。彼に対しても秋原は、


「せいっ」


「げっ」


 長曽我部と同じ要領で対応。


 体の大きな男子2人を相手にする女子(柔道経験あり)がいるのだから驚きである。


「さぁ、まだやる人はさっさとかかって来る。締め上げて引きずりまわしたげる」


 しかもこの場において長曽我部の次に好戦的である。


「い、今だ、あいつらを抑え込めぇぇぇぇ」


 少し秋原にビビりながらも、こうして倒れこんだ両名をチームメイトが抑え込み引きはがす。さすがの巨漢と言えども、同じ巨漢集団に抑え込まれては継戦不能。乱闘は意外にも早く終結を迎えた。


 なおこの結果……


『審判養成科、監督教員・真里です。暴力行為および危険球により1年4組・長曽我部、暴力行為により1年3組・岡川。両者を退場処分と致します』


 乱闘を行った長曽我部・岡川の両名が退場処分。秋原が両者を投げ飛ばしたのも審判団から疑問が出たが、「あれは仕方ない。むしろよく止めた」と真里審判科監督教員、広川監督、大森監督ら3人の満場一致で無罪放免となった。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


「痛てて。あいつら……」


 乱闘騒ぎの試合となった日の夜。


 岡川と掴み合いのケンカをしたせいで軽い怪我をした長曽我部は、秋原からガーゼ交換などの処置を受けていた。


「まったく。なんであんなに熱くなるかなぁ?」


「だってよぉ、最初にやったのはあいつらだぜ?」


 長曽我部は自らを正当化するかのような言い方。一見、誰も同調してはくれないような主張であったが、神城とゲームをしていた新本が急に振り返り主張。


「そうそう。だって、最初にやったのはむこうの菊田。こっちの大事なキャッチャー2人に当てたんだよ。それにかんぬ~の時は、謝りもしないなんてふざけてるし」


 その主張に宮島はなんとなく状況を察する。コントロールのいい新本が、珍しく逆球でのデッドボールを当てていた。もしもあれが狙ったものであるとするならば、新本の今の話と行動に一貫性があると言えるだろう。


 ちなみに彼女はあの後、附属病院へ土佐野専私有の救急車で搬送。いくつかの検査も受けたが、筋骨格系、循環器、消化器その他諸々、大きな影響はないとのこと。さすがに強烈な打球であったために腹にあざができたようだが、むしろ彼女は「すごい」と自慢していた。


「そうだ、そうだ。新本は宮島のデッドボールに対する報復したんだぞ。それなのに三村のヤツ、新本にピッチャー返しなんてふざけやがって。そりゃあ岡川へは狙って当てたけど、避けられない球じゃねぇだろ。しかも岡川の野郎、宮島を突き飛ばしたしよ」


 結局は彼女の腹にあざができたくらいで済んだ今回の件。狙ってピッチャー返しなど打てるのか怪しいものだが、狙ってファールを打てる選手もいるくらいだし、打撃の天才たる三村ならば意外にやってしまえそうである。


「あのさぁ、僕のことで怒ってくれるのは嬉しくもあるけどさ、あまりことを大きくするとかえって罪悪感があるんだが」


 宮島としては自分が事の発端だと考えると、例え自分が直接関与していなくとも思うところがあるようだ。


「あいつ、次やったらゆるさねぇからな」


「私も許さない」


 そんな彼の意向も聞かずに新たに決意を表明する両名。すると、


「のぉ、長曽我部」


「なんだよ」


「突然じゃけど、8月6日って何の日か知っとる?」


 神城はゲームを止めて長曽我部に問いかける。


「な、なんだよ、急に」


「知っとる?」


「そ、そりゃあ……なぁ」


 宮島や新本は『8月6日』と言われても何の事だかさっぱりである。しかし長曽我部はさも知っていて当然のような反応。


「秋原も知っとるよな」


「うん。私にしてみれば『8月9日』の方がイメージ湧きやすいけどね」


 神城・長曽我部、そして秋原。この3人が知っている『8月6日』『8月9日』とは。


「宮島と新本も、歴史の授業とかで聞いたことあるじゃろぉ」


「勉強は苦手」


「余裕」


 スポーツだけをやってきた2人はさっぱり。かと思いきや、新本は知っているようで。そこで神城は仕方なしに宮島に答えを伝える。


「1945年8月6日、広島市へと原子爆弾投下。同年8月9日、長崎市へと原子爆弾投下」


 広島県出身の長曽我部・神城。そして九州各地を転々と引っ越し続けていた秋原も当たり前のように知っていることであった。そして新本が知っているのはゲーム知識だろう。ただ長曽我部の疑問はそこではない。


「で、それがどうしたんだよ」


「原子力。正しくは放射線って優れた科学技術なんよ。原子力発電という形で莫大な電気を生み出しもするし、病院だと放射線を使って病気を治すこともあるんで」


 確かに原子力が日本の電力需要を支えていた時期もあるし、ガンを治す放射線治療というものが存在するのもまた事実である。しかし……


「その技術を兵器に用いて、1945年に多くの死者を出したのも原子力」


「チェルノブイリで事故を起こして、大惨事になった原因も原子力だね」


「どんなに優れた技術も使い方次第で害をもたらす。言ってしまうと、優れた技術じぇけぇどんなことにでも使ってええっていうのは暴論なんよ。それこそ野球に関して極論を言ってしまえば、『バッターの頭に確実に当てるコントロールがあるなら、バッターの頭を狙ってええ』なんてことにもなるんよ」


 これは故意死球を投じた新本への遠回しの牽制である。


「新本のコントロールは本当にすごいもんで? でもじゃけぇって、そのコントロールでバッターに当ててええわけじゃない。長曽我部のボールのスピードも尋常じゃないで? でも、それをバッターにぶち当ててええかって言うたら違うじゃろ? どっちもバッターを抑えるためのもので、バッターに怪我させるもんじゃないんじゃけぇ」


 かと思えば直接新本に牽制を投じた。


「いかなる力もそれだけでは悪にならんのよ。秋原のやっとる武道だって、使い方次第では人を殺すことができる悪の刃で? でも逆に使い方次第では争いを止めたり、自らの身を守ったりする正義の刃にもなるじゃろ? きっとそれを正義とするか悪とするかを決めるのは、法であったり組織の理念であったり、その人に信念や規律だったりするんじゃろぉ」


 本来はスポーツに使われる力を暴力に用いた長曽我部と新本。


 対して自らの経験した武道を、ケンカを止める力として用いた秋原。


 神城の主張にぴったりはまる事案である。


「しかし神城は意外にそういう小難しい話できるのな。そんな言葉、僕はすらすらでてこないぞ」


「世界最初の被曝地、広島県の戦争教育は日本トップクラスじゃろぉて。のぉ、長曽我部」


「あっ、輝義が目を逸らした」


 野球一辺倒の長曽我部はそれほど戦争教育の効果を得ていなかったようである。もっとも曰く日本一の戦争教育らしい広島県だが、さらに大戦中に地上戦を経験した沖縄県と言う存在もあるため、神城の主張は全面的には肯定しがたいところだ。


「それじゃけぇなんよ。僕が高校野球の『カット打法禁止』をおかしいと思わんのは。僕はこのファール打ちを悪とは思ってないけど、高校野球という現場において『投手の負担を減らす』目的の上では悪になるんじゃろぉ。ってことよ」


 神城は一切ゲームを進めずに落ち着いた口調で続ける。


「長曽我部、新本。2人とも野球人なんじゃけぇ、間違っても野球を暴力に使っちゃいけんで。野球人じゃなければええってわけじゃねぇけど、野球人ならなおさら」


「す、すまん……」


「ごめんなさい……」


 神城のやんわりとした口調でのしっかりした論調に、2人とも自然と頭を下げての謝罪。


「僕は何も迷惑受けてないで? 責任感じ取る宮島や、監督、それと1組のメンバーにも謝っときぃよ」


「いやいや、僕はいいから」


 さりげなく謝罪対象に含まれた宮島は、むしろ謝られると困ると辞退。


「しかしまぁ、おもしろい話だよな。要するにモノに罪はないってことか」


「わかりやすい話をすると、包丁も人を殺せば凶器、料理に使えば調理用具じゃけぇのぉ」


「なんとわかりやすい」


 宮島らが普段から使っているバットも、人を殴れば鈍器、野球に使えばスポーツ用品である。そして野球の高度技術だって、ルールにのっとれば称賛されるものであり、ルールに反すれば非難されるものなのである。


「結局のところを言えば、力は単純なものじゃない。ってことじゃなぁ」


「しかし神城は、それを中学校の時に気付いたってことだよな。この学校に来た理由なわけでもあるし」


 宮島はハッと気付いて神城に目を向ける。すると彼は自慢げに主張。


「だてに『戦争』と向き合い続けた広島県民じゃないけぇ。のぉ、長曽我部?」


「こいつ、また目を逸らしたぞ?」


 やはりこの考えを生み出したのは、神城のプレースタイルゆえだろうか。それとも長曽我部があまり勉学に力を入れていなかっただけか。

神城の『カット打法』に関する話が、最終的に『戦争論』にまで拡大する、

とんでもない回と言えばとんでもない回でした。


ただ『高度な技術だからと言って、使っていいわけではない』と言うことは

共通点であると思います。

そして『いかなる技術もそれ単体では罪にならない。要は使い方次第』というのも、

また共通点であると思います。

そういう意味では今回のタイトルの

『力&法』

というよりは、

『技術&法律(倫理)』

の問題なのかもしれないです。


そこは読んでくださった読者さんの受け取り方にお任せします。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


さて、今後の投稿予定ですが、

現在、『蛍が丘高校野球部の再挑戦』に本腰を入れていますので、

次がいつになるかはわからないです。


ただ予定としては

『神部&鶴見編』『高川編』のいずれかになるかなぁ?

という考えです。(数か月単位で)しばらくお待ちください。

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