<宮島健一> 扇の要たる者の振る舞い
埼玉県のとある中学校。
中高一貫校や大学附属と言った特徴があるわけでもなく、また学食や優れた体育系の施設があるわけでもない。とにかくどこにでもありそうな普通の中学校。しいて言うなれば便利なところにあるため、東京に楽に行けることは特徴だろうか。もっともそれは埼玉県の地理的要因であり、決してその中学校の特徴とは言えないだろう。
さて、そんな普通の中学校にある普通の野球部。
4月、新入部員を迎えたその野球部は活気を持って練習に打ち込む。
3年生は中学最後の思い出づくりに、2年生は今までの球拾いや声だしから解放されたことで生き生きと、一方で1年生は球拾いや声出し、練習できるとしても学校周りの走り込みと『野球部』と言われるものではないがしっかりと励んでいた。ただ1年生に関しては上級生や監督から言われるのだから、逆らうわけもなく従順にやむを得ず行っていた。と言ったところである。
だが、しかし……
「オイ、そこの1年。もっと声出せ」
入部から1週間。どうも声は出さない。球拾いは不真面目。走り込みはダラダラとやる気がみられない部員がいた。返事もなくめんどくさそうに声を出し始めた1年生。その態度についキャプテンがキレる。
「返事はねぇのか。1年のくせに調子に乗ってるんじゃねぇぞ」
と、その1年生。周りの1年生が怯える中、やる気のまったく感じられない目で先輩を睨みつけてはっきり答える。
「じゃあ、先輩。質問いいですか? まさか先輩とあろうものが後輩の質問を無視したりしませんよね?」
「ふ、ふん。言うじゃねぇか。なんだよ。言ってみろよ」
「野球部に入って1週間。声出しに球拾いばかり。こんなんで野球が上手くなるんですか?」
「そ、そりゃあ上手くなる。そういう下積みがあってこそだな――」
「もちろん、先輩たちもこなしてきたんですか?」
「あ、当たり前じゃねぇか。だからこそ上達して……」
そう断言する先輩にその1年生はため息まじりに答える。
「上達してこれですか。全然、説得力ないですね」
「なんだと、この野郎」
「やめろ、橋立」
3年生キャプテンと新入り1年生との間で一触即発。その間に副キャプテンの天野が割って入る。
「悪いけど、適当な文化系にでも入りなおします。こんなところにいても時間の無駄だし、だったら将来のために将棋部あたりで趣味を見つけてきます」
捨て台詞のように言い放って帰ろうとした1年生。しかし言いたい放題されて黙っていられるほど、中学校3年生は大人ではないのである。
「ちょっと待て。逃げる気か」
その言葉に1年生は足を止める。
「そんなに言うならお前の実力を見せてみろよ。お前、バッターか、ピッチャーか」
「バッターですけど?」
「ほら。好きなバットを選べ。俺が相手してやる」
頭に血の上ったキャプテン・橋立は自分のグローブを手にマウンドへ。対して1年もバットとヘルメットを手に取る。
「天野副キャプ。バットとヘルメ、借ります」
「ちょっと1年。悪い事は言わない。やめとけ」
感情的な橋立に対し、天野は後輩思いであり冷静沈着。口の悪い1年生にも気を使うような対応。
「子供の頃の2年間の差は大きい。小学校から上がってきたばかりの奴が簡単に打てるほど、3年生の球は甘くない」
「助言ありがとうございます。けど、所詮は同じ中学生じゃないですか」
彼の助言に礼を言って右打席へ入る。
「1打席勝負だ」
そう宣言する橋立だったが、
「橋立。大人げないぞ。せめて3打席にしてやれ」
先輩・橋立の暴走を止められなかった天野が、後輩に向けてできる限りの援護。ついでにキャッチャーとして、マスクやプロテクターを身に着けて定位置にしゃがみこむ。
「チッ。分かったよ。ま、俺なら3打席くらい余裕で抑えられるさ。だてにお前らより2年間長く生きてねぇ」
マウンド上の橋立は、右バッターボックスで構えた1年生を睨みながらワインドアップ。
『(むかつく面だぜ。3年生にたてついた事――後悔しろっ)』
そこから足を高く上げての全力投球。
『(は、速い)』
1年生相手に本気を出すか? と驚く天野。ところが、
「なっ……」
1年生の振ったバットはインハイのストレートを捉え、打球はレフトの遥か後方。移動式ネットの向こうで練習していたサッカー部の中へと落ちる。
「先輩。すみません。今の『ウォーミングアップ』でしたか?」
暗に「遅い」と言われた一言。
橋立はマウンド上に崩れ落ちながら地面を殴りつける。
「やっぱり、こんなところでやる気には――」
「なぁ、1年」
先輩投手を粉砕して、満を持して野球部を去ろうとした1年生の前へと天野が立ちふさがる。
「名前は?」
「入部したときに一応、自己紹介したんですけど」
「ごめん、忘れた」
正直な一言にため息を漏らしつつもそこは答える。
「1年3組、宮島健一。ポジションはキャッチャー」
「宮島くん……か。どうしても野球部を辞めるつもり?」
「そりゃあ、球拾いと声出しばかりもつまらないですし。野球は部活動に限る必要もないですから」
その回答に少し悩んだ天野。すると、
「監督には宮島くんが普通の練習に加われるよう、伝えておくからやめないでもらえるかな?」
「そんな事、副キャプテンとは言え生徒にできるんですか?」
疑心暗鬼な宮島だったが、天野は微笑む。
「ウチは今現在、キャッチャー経験者が僕だけだから。厳密には2年生にもいるけど、中学から始めた即席だし……それに、ほら、やっぱりライバルがいないと張り合いがないじゃない」
「口が上手いですね。先輩は。ま、そこまでしてくれるなら残ります」
この言い様。どっちが年上か分かったものではないが、しかし天野は喜びの雨あられ。
「ありがとう。ただ、やはり上下にうるさい人もいるからそこは気を付けてくれるかな? 僕に対してはタメ語でいいから。って言うか、敬語はあまり好きじゃないから」
「そういう頼りになる先輩は、むしろ本当に尊敬して敬語を使いたくなりますけどね」
「天邪鬼かな。君は?」
「いえ、尊敬する人物には敬語を使う。ただそれだけです」
1年生の宮島を本格的な練習に加えるのは、やはり監督が方針的観点から難色を示したのは予想通りであった。ところが副キャプテンでありレギュラー捕手である天野が、
「ポジションを競い合うライバルがいないと張り合いがない。そして宮島には自分のライバルとなる力がある」と説得。挙句に「そこまで言うなら打ってみろ」と言われた宮島が不慣れな流し打ちにも関わらず、校舎の窓を割りそうになるほどの会心打を放ったことで監督もその実力を認めざるを得なかった。
それ以降というもの。まともに練習に加えてもらえないほとんどの1年生をしり目に、宮島は2、3年生とほぼ同立場で練習に加わる。そうなると言わずもがな、練習試合においても出場機会が与えられる。
『(先輩。このバッターはここまで変化球にタイミングが合っていない。低めに変化球を落としましょう)』
基本的に主力の第1試合は正捕手・天野が先発であるため、宮島は控え選手および現2年生が主体となる第2試合先発。天野に比べて率いる投手陣の質は悪いはずなのだが……
「ストライクスリー、バッターアウト。チェンジ」
ここまでしっくりいく成績を残していなかった2年生投手を好リード。無失点こそ稀だが、1、2失点程度に抑えるのは日常茶飯事であった。そしてもちろんのこと、
「あいよっと」
打球はあっさりとレフトオーバー。満塁のランナーを一掃。
打撃もかなりいい成績を残す。さながら地元では上級生を含めても最強と言ってもいいほどの実力であった。
ただそうなると難しいところがある。
『(公式戦は天野を使うか。それとも宮島を使うか)』
監督としても悩みどころ。リード面はもとより、盗塁阻止、打撃など総じて能力が高いのは宮島である。だがその一方で天野はここまでチームを正捕手として引っ張ってきた副キャプテンであり、その努力は2年以上もずっと見てきた。果たしてここでレギュラーを入れ替えていいのだろうか……
「監督、何か僕に用件でしょうか?」
ある日の練習後。監督は天野に少し残るように指示を出した。そのため他の部活動で休日出勤していた教師たち数人しかいない職員室。そこへとやってきた。
「あぁ。その、なんだ。少し言いにくいことなんだが……」
監督は手元のコーヒーが入ったマグカップを避けて手を組む。
だが言葉が出てこない。しっかり言う事はまとめていた。伝える覚悟ができたからこそ呼び出した。にもかかわらず……しかし、口を開いたのは意外にも天野だった。
「レギュラーの件、ですか?」
「……感づいていたか」
「えぇ。宮島健一。彼を見た時、あぁ、きっと自分はコイツにレギュラーを奪われるな。と思いました。でも少しだけ思ったんです。アイツと競い合えれば、きっと自分も大きく成長できるって。それも……甘かったですね。まったく勝てなかった。才能ってヤツは凄いです。僕が必死で努力して2、3歩進んだって、宮島は同じ努力で10歩、20歩先を行くんですから。きっと凡人も努力すれば、天才にだって勝てる。けど、努力した天才には、凡人では努力しても勝てない……」
天野の口からスラスラと言葉が出てくる。それは監督を説得しようとするものではなく、自らの立場を追い込むようなもの。
「しかし。俺は副キャプテンにマスクを被ってほしいと――」
「いえ。宮島くんに正捕手は譲ります。たしかに自分が正捕手なら、中学校最後の思い出がひとつ作れるかもしれない。けどあいつなら、宮島くんなら、きっともっと大きな夢が見られそうです。思い出が作れそうです。今まで夢にも思わなかった、全国の舞台の夢が」
趣味は読書の天野は、中学生らしくないセリフを並べて説得。
「そうか……だが、副キャプテンにはどんどんチームを引っ張っていってほしかったな」
「監督? このマグカップ。そちらに移動させてもらえますか?」
「え? あ、あぁ」
邪魔だったかと思いつつ、監督はコーヒーの入ったマグカップを手元へと引きずりながら寄せる。
「じゃあ監督。そのマグカップを貸してください」
「?」
続いてそのマグカップは彼の手に。彼はそれを元の位置に戻すと、監督の手元へと押して移動させた。そして微笑み伝える。
「いいんです。ベンチの副キャプテンだって」
「……詩人みたいなことを言うな。お前は」
「そうですね。試合中はベンチで詩でも書いていましょうか?」
6月下旬のある日曜日。近所の中学校にて練習試合が行われることとなったのだが、試合前の雰囲気は明らかに違っていた。それもそのはず。スコアラーの手元にあるメンバー表がそのすべてを物語っている。
『2 宮島』
守備位置、名前の順に書かれたスターティングオーダー。その4番の欄には宮島の名前があった。宮島にしてみれば中学校に入って初めて打順であったが、それだけの問題ではない。なによりこのオーダーの試合は第1試合。伝統から言って主力選手の出場するものだ。
それはつまり、副キャプテンのレギュラー落ちを意味する。あくまでも伝統的にそうであるからして、今回のこの采配には他の意図がある可能性も否定できない。しかし、現場の選手たちにしてみればそれ以外の発想が浮かばなかった。
ただそれで正しいのである。
わざわざ本人である天野を呼び出してまで監督が選び、さらには本人からそれを切り出したレギュラー落ち。それを知らない周りのメンバーは、まるでカラ元気で頑張っているかのような天野に気を使うが、宮島はさも当然かの様子で試合準備に挑む。
「しっかし橋立さん、スライダーがすごいキレですよね。どんな投げ方してるんですか?」
「ま、おめぇなんかじゃ投げられねぇ球だよ」
そしてここまで天野と組んできた橋立も、ただでさえ嫌いな宮島とバッテリーを組まされて不満顔。
「橋立さんに投げられるんだから、僕にだっていけますよ」
「じゃあ投げてみろよ。こうやって縫い目に人差し指をかけてだな……リリースの瞬間に切るんだ」
軽い投球練習にもかかわらず、割と本気での変化球。ただそれも宮島がなんなくキャッチする。いくら変化球と言えど、中学生程度の球を後逸するような選手ではない。
「えっと、縫い目に指をかけて――」
ピッチャーへの返球時、少し時間をかけて握りなおすと、セットポジションからリリース瞬間にボールを切るように投球。そのボールは普段の宮島の2塁送球よりも遥かに遅いスピードで橋立の元へ。
『(ふん。あんだけでかい口叩いておいて、やっぱり早々曲がるわけ――)』
と、胸元に来たはずのボールが急に軌道を変える。慌ててグローブを動かした橋立だが、間に合わずに弾いてしまう。
「おっ? 曲がりましたか?」
「バ、バ、バカ野郎。てめぇがノーコンすぎんだよ」
もっといいところに投げろ。と、文句を口にする橋立。
だが後ろに落ちたボールを拾いながら、内心は驚きつつあった。
『(マジかよ。いきなりあんだけボールを曲げるなんて、あいつ天才かよ)』
自分だってこのボールをまともに使えるようになるまで、1か月くらいは使ったものである。だが宮島はわずか1日、いや、1球で会得した。まだコントロールや、投球フォーム、握り直しの時間など数多くの問題は抱えているが、その投手としてのセンスは未知数である。
「僕に変化球は合わないみたいですね。けど、キャッチャーとして、そしてバッターとしては任せてください。ぐんぐん引っ張っていきますよ。今日も勝ちましょう」
才能を少し認めそうになっていた橋立も、その一言に眉をひそめる。
なおその日の練習試合の結果。
橋立は4回を6失点。宮島が2本塁打で応戦するも、6―4で敗北を喫した。
そして翌週。同じオーダーで迎えた、他校との練習試合。
今試合も橋立が4回7失点で炎上。そして宮島は1本塁打、タイムリー1本で反撃も7―3で大敗であった。
宮島としては先週、そして今週の練習試合と課題が残るゲームが続いた。
的確な洞察力、思考力からもたらされる的確なリード。それによって実力的にはエースに劣る2年生を引っ張り、そして好成績を残させてきた。
しかしながらエース・橋立と組んだ前の2試合。いずれも橋立の炎上を許している。それも相手の打線が強かったわけではなく、仮に強かったとしてもエースほどの力量を持つ者をリードするのであれば抑えるべきであったろう。
「宮島くん。軽くキャッチボール付き合ってよ」
「いいですけど……」
ある放課後の練習。暮会が早めに終わったため、先んじてグラウンドへと来ていた宮島。そこへとこちらも早めに授業の終わった天野もやってくる。そして彼はすぐにカバンからグローブと軟式球を取り出すと、制服姿のままでキャッチボールの相手を依頼。
宮島と天野の2人はキャッチボールを開始する。その球速は明らかに宮島の方が速く、実力の差がはっきりと表れて見える。
「考え事かな?」
普段から宮島とキャッチボールをしているからこそ分かる。ボールの質から読めはしないが、キャッチボールの時のテンションが違う。
「え、えぇ。少し」
それほど宮島の雰囲気に違和感があるということである。
「う~ん。さしずめ、橋立との相性、と言ったところだろうか」
「まさしくそうです。キャッチャーとしてピッチャーを引っ張っていかなければいけないことは分かるんですけど、いまいちリードの仕方が分からなくて」
「なるほどねぇ。あれだけ上手いリードをしてきたのに、エース相手だと上手くいかない。と」
「はい……」
相性に関しては性格的な面もある。また橋立・宮島に関しては入部初期の確執もあって、あまり関係が良いとは言えない。今は辛うじて天野の仲介によって交友関係が維持できている程度である。
「天野先輩は橋立先輩とは長いんですか?」
「一応、少年野球の時からの付き合いかな」
「何か橋立先輩を上手くリードできる方法ってないですか?」
後輩たる宮島の質問に答えたい天野だが、答えだけ言ってしまってもすぐにそれを実践に反映できるとは思えなかった。宮島は野球の上手いタイプだが、それは基礎が盤石であるからでもある。しかし基礎が盤石ということは、基礎が崩れにくい一方で基礎を崩しにくいとも言える。そして宮島にとっての基礎とはリードも内包されるものである可能性が高い。
となると、考え方そのものを変える必要がある。
「副キャプテンがベンチにいることはどう思う?」
「えっと、その……」
予想外の方向からの質問に宮島の返答が詰まる。何よりその副キャプテンからポジションを奪ったのは自分である。
「だったら質問を変えようかな。例えばそこに持ち上げられないほど大きな荷物があるとする。それを君の場所から自分の方へと移動させるにはどうする?」
「僕の場所から? だったら、引っ張るしかないですよね」
「そう。でも、仮に僕の方から君の方へ移動させるなら?」
「押すしかないですね」
「元にある場所と、移動する先は同じ。しかし引っ張るか、押すか。方法は違う」
彼はモーションに入ってキャッチボールを再開。
「押してダメなら引いてみろ。ってことですか?」
「むしろ引いてダメなら押してみろ。かな」
「まったく意味が分からないですよ。そんなこと言われてもどうすればいいか……」
少し遠回しに言いすぎたようで、具体案が思い浮かぶには至らない。野球に関しての頭は良さそうな一方で、そうした言語的な頭や人の考えを理解する、一般的な意味での頭の良さは持ち合わせていないようである。
「前に進ませるためにはグイグイ引っ張っていくのも方法だけど、背中を押してあげるのも方法ってこと。例えば――」
彼の続く言葉に宮島は思いもよらない斬新さを感じる一方で、これまでの長い野球経験がそれを痛烈に否定する。
「そ、それって、例えハズレだと分かっていてもですか?」
「ハズレだと分かっていても」
「冗談じゃないですよ。なんでそんな敗戦行為をわざわざしないといけないんですか?」
「投手を炎上させ続けてなお、その考えを改めず行動を変えようとしない宮島くんの方がよっぽど敗戦行為じゃないかな?」
「そ、それは……」
「孔子曰く、『過ちて改めざる。是を過ちと言う』だったかな。失敗することは間違いではないが、その失敗を受けて改めようとしないのは間違いである。という意味だよ。このあいだ、国語で習った」
これまで先輩だろうがなんだろうが言いたいことを強気に言ってきた宮島だが、ここであっさりと天野によってねじ伏せられる。
「騙されたと思ってやってみなよ」
3年生にとっては最後となる夏休みの大会が迫っている7月。
第1試合は案の定、橋立投手と宮島捕手のバッテリー。
「宮島くん。覚えているかい?」
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「否定するのは失敗してからで間違いじゃない。ほら、頑張って」
背中を叩いてグラウンドへ押し出す。これが今、天野にできるベンチの副キャプテンとしての仕事だ。
天野から背中を押されてマウンドまで駆け上がった宮島。今までにない行動だけに橋立は警戒していたが、宮島の告げた一言に対応をやや和らげる。
「ふん。1年坊主のクセに。そこまで言うなら仕方ねぇ。だったら――」
文句を言いながらも宮島の一言に返答した。
「分かりました。参考に――いえ、それでリードを組み立てます」
『(ん?)』
試合が開始されると宮島はいい意味での違和感を覚える。
何よりも今までとはボールの質がまったく違う。それも試合開始直後だけではなく、投げてくる球すべてがそうに見える。
2回の表、ワンアウト。
『(本当はカーブでタイミング外すべきなんだろうけど……)』
『(ま、頑張れ)』
ベンチの天野に目配せすると自然と微笑みを返してくる。
そう。それが天野の伝授したリード方法。
『(す、ストレートでどうだろう?)』
例えその球が打たれると分かっていても、投手の投げたい球を投げさせてやる。そうすることでピッチャーの気分を上げて、いい質の球を放ってもらう。仮にコースが甘かったり待ち球だったりしても、いい球はそう簡単には打たれない。
これはつまり……
投手主導リード
宮島の経験上、ここでのストレートは絶対と言っていいほど打たれる。だが、どうせ自分のいつものリードでも橋立は炎上してしまうのだ。だったら本当に騙されたと思って天野を信頼する。
『(どうせ打たれないリードをしたところで、ピッチャーのコントロールは百発百中じゃない。宮島くんのリードでも2年生投手陣が完封できないのはだからだろう。だったら最初から打たれないリードなんて諦める。とにかくピッチャーにいい球を投げてもらって、ボールの質で相手を抑え込む……きっと。それが君ならきっとできる。僕には才能がなかったけど、君になら)』
そしてこちらも宮島に向けて信頼を向ける天野。
一方通行ではなく、相互に信頼を持った2人。
その2人の力を合わせたリードは、
「くそっ。レフトっ」
宮島の予想通り弾き返されてレフト前ヒット。そう簡単には抑えることができない。だがだからと言ってこのリードがダメだと判断するのは早計である。なぜならその程度で失敗と判断するならば、宮島の元々行っていた『捕手主導リード』は論外と言っても過言ではない結果に終わっているのだ。
『(すべてを判断するのは試合が終わってからで遅くない。橋立先輩。どんどん放ってきてください。嫌ならとにかく首を振って)』
『(それ、ヤダ)』
『(いきなりですか。じゃあ、この球で)』
『(よし)』
まだいまいち相性が合わず、相手の投げたい球は読み切れない。しかし相手が首を振ってくれるのなら、相手に投げたい球を投げさせてやることができる。
「ストライーク」
『(先輩、勝負はここから。気張っていきましょう)』
他の1年生達が雑用に駆り出されてしまったため、1人残された宮島。彼は魂が抜けたような顔でグラウンドを眺めていた。
と言っても試合が行われているわけではない。自チームも相手チームも昼食タイムであり、せいぜい広がっているのは試合後で足跡がたくさん付いたグラウンド。一応は宮島を除く1年生たちによって整備が行われているが、用具の制限などからその範囲は限られる。
「お疲れ様」
「天野先輩」
そうしていると天野がそこへとやってきた。その手には2年生の補欠部員が記しているスコアブック。開いているページは先ほどの試合のものである。
「ナイスゲーム、かな?」
「ナイスゲーム、ですかねぇ?」
橋立―宮島バッテリーに始まった本日の第1試合。橋立は試合終了までの5回を完投して1失点。試合は途中からサードの守備で出場した天野のタイムリー、宮島の走者一掃3点タイムリーなどで大量点を挙げて大勝を果たした。
「先輩が言っていたこと。分かる気がします」
「何か言ったっけ?」
「前に進ませるには、引っ張るだけではなく押す方法もある」
宮島はこの試合でそれを強く実感した。
「いわゆる『リーダーシップ』って、先導してみんなを引っ張っていくことだと思っていました。けど、みんなが前に進むために背中を押すのも『リーダーシップ』の形の1つなんですね」
「縁の下の力持ち。縁の下だから誰も気付かないし、きっと歴史には残りにくい。けどきっとそうした存在はいる」
彼は宮島の横に腰かけてつぶやく。
「1985年。ある球団がプロ野球にて日本一を果たした。監督やクリーンアップ、エースピッチャー。いろんな人が日の目を浴びることになった。けど、その後ろには大きなリーダーがいた。決してグイグイチームを引っ張った感じじゃない。しかし彼は前線で戦う選手や首脳陣たちの背中を押していった。そんなリーダーとしての役割を果たして、チームを優勝に導いたんだ」
「そのリーダーって言うのは?」
「球団社長」
そうとだけ言ってその場を後にする天野。近くにいた第2試合登板予定の投手に声を掛けてウォーミングアップに向かっていった。
天野や橋立ら3年生にとっては最後の夏。
マウンドにはエースでキャプテン・橋立。一方で副キャプテン・天野は、ベンチにて声援を送り続ける。そして彼の代わりにマスクをかぶっているのは……
「先輩、その調子です」
「ふん。てめぇに言われずとも分かってるよ」
仲が悪そうな、しかしかれこれいいコンビとなりつつある1年生・宮島。
このバッテリーはいい結果を生み続ける。
1回戦 宮島のスリーランの得点を、橋立が守り抜く 3―0 勝利
2回戦 宮島の先制ソロ、走者一掃などで大量得点 9―1 勝利
3回戦 熱い投手戦も、代打・天野のスクイズで虎の子の1点を得る 1―0 勝利
副キャプテンの天野はこの結果を見て気持ちが高ぶっていた。
今までは1試合、運が良ければ2試合勝って終わりだった。
しかし、
4回戦 橋立が自らタイムリーを放ち、投げては無失点の好投 2―0
負けない。
とにかく負けない。
エースの橋立の調子がいい。
そして他の皆もしっかりプレーできている。
だが何より、宮島健一。彼の存在が大きい。
「もしかしたら……」
あの時、彼は監督に話した。
もしも宮島がキャッチャーをやれば、今まで見たことのなかった大きな夢を見ることができるかもしれない、と。そしてその夢は、今まさに現実のものになろうとしていた。
あれよあれよと言う間に埼玉県大会の決勝戦まで進出。
ここまで優勝など夢ですらなかったこのチームにとって、あまりにも急すぎる展開であった。
その全国への切符を賭けた試合は双方共に一歩も譲らない死闘となる。
均衡を破ったのは4回の裏。
相手のミスを絡めて作ったツーアウト3塁のチャンスで、宮島が左中間を真っ二つに破り先制点。
しかし相手もエース・橋立の失投を見逃さず、直後の5回の表にホームランで試合を振り出しに戻す。
『(マジかよ。あの1番、今日は3打席3安打じゃないか)』
相手の苦手コースを徹底的に突いているわけではないから多少の被弾は仕方ない。が、これほどまでに好き勝手やられては宮島としても気にせずにはいられないのである。
助けを求めるようにベンチに目をやるも、監督は「切り替えていけ」と声をかけるのみ。副キャプテン・天野に至っては、2年生スコアラーのつけているスコアブックをのぞき見ており、宮島の視線にすら気づいていない。
『(自分で好き勝手できるのは楽だけどさぁ)』
心中で愚痴りつつも、宮島は橋立の意向も汲み取りつつのリードでこの回をその1点のみに切ってとる。
奪った点がすぐ奪われる。
一瞬でも気を抜けば、その瞬間に負ける。
今までとは違う質の試合に、ナインの集中力も緊張感も極限に達する。
「橋立」
ベンチにナインが引き上げるなり、天野が水分補給中の橋立を呼び寄せる。そしてスコアブックを見ながら一言二言。たいして橋立も少し反応を見せるも、さらなる天野の言葉に首を縦に振った。
「宮島くん」
そして橋立がその場から離れると、今度は防具を外していた宮島の呼び出し。
「なんですか。先輩」
「ここ。1番の投球内容」
「えっと……スコアブック、読めないです」
「白丸がストライク。黒丸がボール。三角がファール」
「ですか」
1打席目 ボール ボール ファール ボール (二塁打)
2打席目 ボール ストライク ボール (二塁打)
3打席目 ボール ボール (本塁打)
「……これがどうしたんですか?」
「おそらくこのバッターについてだけど、積極的にストライクを取っていくべきかもしれないと思ってね。スコアを見る限りだと、ボール先行カウントから、ストライクを取りに行った球を痛打されているように見えて」
再びスコアに目を落として確認。
1打席目 3―1からの二塁打
2打席目 2―1からの二塁打
3打席目 2―0からの本塁打
「な、なるほど」
「つまるところが、初球はストライク。以降もストライク先行を意識して――」
「でも天野さん。それやっちゃったら、投手主導リードが……」
天野の指摘を遮っての宮島の主張。しかし天野は落ち着いた口調で、
「そんなバカの一つ覚えみたいに投手主導に固執するんじゃなく、相手の攻略のためには捕手主導に切り替えるのもたまには必要さ。ただしその場合は、ピッチャーの了解を取っておくといいかも」
「捕手主導への切り替え。それもピッチャーの了承を取って。難しいですね」
「捕手主導でも時には投手の投げた球を投げさせることもあるようにね。そう馬鹿の一つ覚えみたいに考えない方がいいよ。それと彼……意外とすんなり言うことを聞くかも」
あれからさらなる追加点を許し、おそらくは時間的に最終回前の攻撃。いや、この回の伸び方次第では相手の攻撃が終わり次第、即終了ともなりかねない。それが時間制である中学野球の難しいところである。
「先輩」
「あんだよ」
「この回の3人目なんですけど、さっき天野先輩とスコアを見たら、ここまでボール先行カウントから痛打を許していたんですね」
「面倒くせぇ。結論から言え。ボケ」
「ストライク先行で」
橋立はあまりキャッチャーに引っ張ってほしくないタイプ。なんだかんだと小言を言われるかと思ったが、彼は大きなため息を漏らしながらマウンドへ。
「分かった、分かった。分かったから、さっさと座れよ。時間ねぇのが分からねぇのか」
「は、はい」
天野の言うとおり、すんなりと宮島の主張を聞いた橋立。宮島はらしくなさを感じながら、投球練習開始のためにホーム後方に座り込んだ。
『(これが投手主導リードの為せる業)』
ベンチで腕組みした天野が、橋立・宮島バッテリーをほほえましく見つめる。
先輩ヅラしたがり俺様タイプな橋立と、怪物級のセンスを誇り我を通すタイプである後輩・宮島。それぞれ体育会系特有の上下関係も輪をかけ、犬猿の仲に始まったバッテリー。しかし今では橋立も表向き嫌そうにしながらも、宮島の提案に文句も言わずに了承である。
『(ピッチャーはずっとキャッチャーに好き勝手させてもらっている。だからこそ、時にはキャッチャーの要望にも応えてくれる。そして人によっては文句を言いながらも、キャッチャーを信じて投げ込んでくれる。それが……投手主導リード)』
ここまで2失点しながらも質のいい球を放っている橋立は、この回も先頭の8、9番を連続三振に切って取る。
『(ふん。こいつか。あのバカが言ってた3人目ってのは)』
『(橋立先輩。初球は……ここです)』
どうせコーナーに構えても、橋立のコントロールではそこに来るとは限らない。ならばその要求するコースは――
『(ど、ど真ん中だと? ついに狂ったか?)』
『(とにかくど真ん中めがけて。しかし細かいコントロールは気にせず、全力で来てください)』
ど真ん中に構えられたミットに疑心を持つ。しかし……
『(打たれたらてめぇの責任だぞ。この野郎)』
橋立は歯を食いしばりながら投球モーション始動。
その右腕から放たれた投球は、
「ストライーク」
アウトコース低めへのストレート。結果として厳しいコースでワンストライク取った。
「先輩。ナイスコースです」
「バカ野郎。いちいちうっせぇんだよ。黙ってろ」
犬猿の仲なのか。ケンカするほど仲がいいのか。よく分からないコンビである。
『(先輩。次はここです)』
『(俺に指図すんじゃねぇ)』
指図も何も、やり取り的にはいつも通りのサインと変わらないのだが。
「ストライクツー」
インローのストレートに空振りツーストライク。
「ナイスピッチ」
「だからうっせぇつってんだろ」
試合はもう終盤にも関わらず元気そうである。
『(さぁ……一球外しましょう。と言っても、勝負のボール球です)』
無駄な遊び球ではなく、意味のある勝負球。そのためにボールゾーンへとミットを構える。
『(あぁくそっ。この野郎のリードで抑えられてるのが腹立つぜ)』
ややいら立ちながらも、これで決める気で足を踏み込む。
『(だからな――)』
そして腰を回転させながら、
『(ここでしくったらゆるさねぇからなぁ)』
腕を振り下ろした。
投球はインハイへのストレート。内、内と二球連続で続くことにはなるが、高さ的にはボールである。手を出されても前には飛ばない。勝負球のボールには悪いコースじゃない。
そして宮島の思惑通りにバッターは手を出すが、バットの根元に当たって打球が垂直に舞い上がる。
「いったぞ、宮島」
「宮島くん」
橋立・天野両先輩の指示を耳にしつつマスクを脱いで天を仰ぐ宮島は、すぐさま打球を発見。落下地点に向けて移動を開始。しかし思いのほか勢いのないボールは、すぐに落下してくる。
『(マズイ。捕れるか?)』
風の影響か、それともボールの回転の問題か。垂直に上がったはずの打球はやや1塁側に流される。
「みんな逃げろ」
ベンチに突っ込んでくる。そう判断した天野はすぐさまベンチ入りしている2年生に逃げるよう指示。が、一方で気付く。
「と、捕るな。宮島くん」
宮島の進路上には、ビールケースを利用したバット立て。勢いあませば突っ込む。
天野は急ぎそちらの方へと向かうと、足からスライディングしながらバット立てを蹴飛ばした。そして、
「天野、宮島っ」
宮島の事故を防ぐためにバット立てを蹴飛ばしに行った天野、そして打球を追っていた宮島。傍からこの両者が交錯したように見えたワンプレーに、監督は血相を変えながら彼らの方へと目をやった。
「球審」
しかし倒れこんだ宮島は問題なさそうに左手を挙げ、天野も一安心したかのように監督の方へと目をやる。
「あ、アウト。チェンジ」
球審はインフィールド内での捕球後、アウトフィールドとの境を越えたと判断。アウトコール。このとき、試合終了規定時間まで残り1分30秒。無事新しいイニング――最終回の攻撃に突入した。
全国を賭けた最終回の攻撃は、意地と意地のぶつかり合いとなった。
1番バッターが出塁し、2番が送りバント。1アウト2塁のチャンスメイクも、3番・橋立がセカンドゴロに倒れて2アウト3塁。
「くそっ……」
チャンスを生かせなかった橋立は悔しそうにボックスから引き上げる。次なる4番・宮島はあえて声をかけなかったが、彼は擦れ違い際に一言。
「……頼んだ」
「え?」
振り返るが彼は復唱しなかった。
「狭山。キャッチボール付き合え」
その代り、すぐさま2年生とファールグラウンドでキャッチボールを開始。
「宮島くん。頼んだよ」
そしてそんな素直になりきれない橋立に対し、宮島に素直な声援を飛ばすのは天野。だったが、そんな彼に監督から声が飛ぶ。
「天野。代打だ」
「か、監督?」
「勘違いするな。宮島に代わってじゃない。次だ」
立ち上がる監督。天野は「次」と言った監督に、監督も宮島がやってくれると信じている。そう感じたが、そういうわけではなかった。
「宮島は勝負させてもらえない」
「ボール」
2アウト3塁。一打同点、一発逆転のチャンスで宮島が歩かされる。
「そ、そんな」
「当然のこと。1年生とはいえ、実力は今大会トップクラス。まぁ、聞いた話では宮島と同世代でもっと化け物じみたキャッチャーもいたみたいだが、今大会はケガらしいからな。なんつったかな……西園寺だったか?」
監督の話を聞きながら準備を整えた天野。するとそれを待っていたかのように審判からのフォアボールコール。
「行ってこい」
「はい」
宮島が歩かされて2アウト1・3塁。
「審判さん。代打、10番」
「タイム。代打、背番号10番」
自ら代打を伝えた天野が右バッターボックスへ。
一打同点のチャンスは続いている。ならばこのチャンスはなんとしても生かしたい。
初球。
「「「ランナー、走ったぁぁ」」」
宮島スタート。
「ストライーク」
甘いコースに決まるストライク。キャッチャーは2塁に投げず。フリーパスの宮島が2塁へと到達する。
宮島の盗塁で2アウト2・3塁。一打逆転と変わる。
『(ここで打てば、全国。ここで打てたなら)』
まだ厳密には最終回の裏があるのだが、橋立の調子ならば確かにここでの逆転は勝利と言ってもいいのかもしれない。
「ストライク、ツー」
外のボール球に空振り。いつもなら何の問題もなく見逃すはずの球に空振りした。
緊張だ。その緊張のせいで、わずか1秒にも満たない短時間での判断ができない。
2塁ランナーの宮島が何か言っている。ファールグラウンドからは橋立、ベンチからは監督や他の選手も何か言っている。が、天野の耳には聞こえていても理解ができない。分かるのはただ『何か言っている』だけ。
ピッチャーがモーションを起こす。
ボールならば見逃せばいい。
0―2ならば外してくるだろう。
だが、もし、3球勝負なら――
「ストライクスリー、バッターアウト」
高めのボール球。にもかかわらずその30センチも下をバットが通過した。
その瞬間、今まで理解できなかった声が理解できるようになった。チームメイトから出てくるため息、そして敵側からは歓喜の声。
負けたのだと理解した。
それも最後は野球初心者のようにボール球を振り回して空振り三振して。
『(そっか……負けたんだなぁ)』
それでも負けたことについての悔しさはなかった。
埼玉大会の決勝まで来れたこと。
そしてこの舞台で最後にバッターボックスに立てたこと。
その嬉しさ、その快感が勝った。
『(きっと……宮島くんなら自分みたいな三振はしなかった。この大舞台でも、1年生であっても。本当、宮島くんはすごいなぁ。やっぱり表舞台で頑張るのは宮島くん。僕は裏舞台で支えるのが性に合ってるよ)』
自分の善きライバルになると思った存在。
しかし善きライバルにはならなかった。自分がライバルとして意識していることが失礼なほど、圧倒的な力を感じた。それでも彼は宮島と共にいれたことに満足だった。
『(副キャプテンらしいことができなかったと思うけど、投手主導リードを教えることができて、そしてベンチから君を支えられて……副キャプテンとして冥利に尽きた。最高の夏だったよ。ありがとう。宮島くん)』
「試合終了」
天野・橋立ら3年生の夏は、最後の最後で最高の成績、埼玉県大会決勝戦敗退にて幕を閉じたのであった。
あの激闘の夏から早くも1年以上が経過。
野球部初となる女子部員を含めた新1年生を仲間に加え、そして迎えた夏の大会。しかし野球とは運の介在するスポーツである。昨年、勝利した相手に敗北。今季は3回戦敗退と言う結果に終わった。
3年生も引退し、キャプテンに就任した宮島だったが。
『(面倒くせぇなぁ)』
今は1年生の御守りをさせられているところ。
監督曰く「1年生だからと言って侮れない」だとか。昨年とは打って変わって1年生も積極的に練習・試合への参加をさせるようにした結果、キャプテンにその1年生の相手をさせられる仕事が回ってきたのである。
『(誰だよ。こんな風潮を作ったヤツ)』
宮島自身である。
ついでに宮島は1年生の御守りと同時に、同じポジションとして次世代キャッチャーの育成も任されていた。その宮島の優れた技術を後輩に伝えてほしいのは、監督にとっても当然の思いである。もっとも監督はあまり野球経験があるとは言えないので、指導を宮島に投げたとも言えるのだが。
その結果、彼に指導を任されたのはヤツである。
「お師匠様~」
松島彩香捕手。2年生そして既に引退したが3年生の中にまともな捕手がいなかったため、1年生にして二番手捕手としてベンチ入りしていた女子である。投手陣から天野・宮島と受け継がれている『投手主導リード』を聞いた彼女が宮島に教えを受けて以降、彼女は彼を「お師匠様」と呼び続けているのである。
宮島にしてみれば普段の学校でもこう呼ばれるのだから面倒なことこの上ない。
女子に声をかけられるのは青春のひと時のようだが、男子中学生野球部員からレギュラーを奪いそうな女子なら話は別である。もっとも奪うポジションはキャッチャーではなく外野であるが。
「この前の練習試合、私のリードはどうでしたか?」
「知らん。だから僕に聞くな」
投手主導リードについては宮島に聞かれても困る。むしろ答えを持っているのは、組んでいるピッチャーなのだから。
「少しくらい教えてくださいよぉ」
「だから聞かれても困る。投手主導を教えてくれた僕の先輩だって、実質的に『ピッチャーの投げたい球を投げさせろ』しか言っていないし」
「……ケチ」
「とにかく経験を積むしかないだろ? これについては」
その並大抵ではない経験を積む必要がある新リード法を、わずか半年で会得したのは宮島の才能であろうか。単純になんだかんだ言っても橋立や、その他投手陣と相性が良かっただけなのか。
1試合でも負ければ引退が決まる、宮島たち最後の夏が幕を開く。
この3年間の間で名前が知れ渡り、埼玉ナンバー2とまで言われるようになった名捕手・宮島。彼の手にかかれば1回戦ごとき簡単に突破できると思っていた。
しかし、
「ストライクバッターアウトっ」
「チッ」
4回裏。回ってきた2打席目も宮島は空振り三振。5番の同級生・松原は、最強打者たる宮島が三振に取られたことで驚きの表情を浮かべながら打席へ。
「お、お師匠様……」
「マジでシャレにならねぇぞ。あの女」
そして戻ってきた宮島は、ネクストに入った6番・お弟子さんこと松島に一言。
強打者・宮島を1打席目はセンターライナー、2打席目は空振り三振に打ち取ったのは、まさかの女子である。今大会出場選手の一覧冊子によれば、『山県』と言う名前であるらしい。
「この試合、長くなるぞ」
その宮島の予想は予想通りのものとなる。
相手投手・山県のゼロ行進に対し、こちらのエース三保―宮島バッテリーも完封ペースでの好投を見せつける。本来は時間制限による打ち切りがあるはずだが、なかなか試合が動かないこともあってついには時間制限を突破しての延長戦へと突入。
こうなるともはやお互いに気力での勝負。
だが気力も限界に達するときが来るものである。
「タイム」
1アウトで1・3塁のピンチ。両者好投中だけに、1点を取られればそれで試合が決まりかねない。そのため監督の矢場がマウンドへ。それに合わせてキャッチャーの宮島もマウンドへと上がる。
「三保。まだいけるか?」
確認してみるが、彼は肩で息しつつ、そして袖で額の汗を拭きながら一言。
「はぁ、はぁ、いけます」
「……宮島」
「まぁ、球の勢い的にもキツイし、無理でしょうね」
さすがの投手主導リードでもごまかしきれない。そう判断した宮島は正直に答えた。
「矢場監督。行けって言われたら行きますよ。三保の好投は引き継ぎますよ」
「しかしなぁ、お前をキャッチャーから外すのはなぁ」
「なぁに。いますよ。ポスト宮島になれる名捕手が、ウチのチームには」
宮島は矢場に名前を告げる。すると矢場は「お前がそこまで言うのなら」と言って主審の方へ歩いていく。そしてその途中でベンチへと指示を出す。
「大沼。センターへ行け」
三保がベンチへと引き下がり、2年生外野手・大沼がセンターへ走っていく。そしてセンターからベンチ前へ駆けてきたのは……
「お師匠様、沼ちゃんがセンターってことは?」
「僕がマウンドに上がる。そういうわけで……」
三保と共に一旦ベンチまで下がっていた宮島は、外した防具を一式、彼女へと手渡した。
「任せたぞ。ま、お前ごときに僕ほどの活躍は期待してねぇけどな」
「お任せください。師弟バッテリーでこのピンチを切り抜けましょう」
宮島のキャッチャーとしての証が、後輩・松島へと渡る。
なおそのやり取りを「ポスト宮島になれる」発言を聞いていた矢場監督は微笑ましく見守る。
宮島はミットに変えて普通のグローブを手にし、松島は宮島から引き継いだ防具を身に着け、そしてマイミットを準備。
「さぁ。2人とも任せた」
「ま、やってやりますよ」
「はい。お師匠様と頑張ります」
元気に飛び出していく2人。が、松島がふと宮島に声をかける。
「ところでお師匠様?」
「ん? リードはいつも通りの投手主導で」
「そうじゃなくて……」
彼女はマスクやプロテクターを嗅いで、
「お師匠様のせいで汗臭いです」
「仕方ねぇだろ。こんな7月の炎天下でそんな重い防具を付けてたんだからよ」
「ほら。急いで」
「は~い」「はい」
その文句の言い合いも、主審から注意で断ち切られる。
急かされつつ始めた投球練習。かれこれ公式戦では初となる師弟バッテリー。しかし初期の橋立―宮島バッテリーのような険悪さはなかった。
「お師匠様。ランナーは気にせずいきましょう」
「言われずとも、いちいち気にしねぇ」
「攻めて来たら、私がサクッと殺っちゃいます。2アウト取っちゃえば、相手の策はだいたい封じられますからね」
弟子の松島は、師匠の宮島に信頼を寄せている。
一方で師匠の宮島は、弟子の松島を陰ながら「ポスト宮島」として認めてはいる。
それぞれの信頼の形で繋がった強固なバッテリーが、最後の夏の最初の難関、1アウト1・3塁に挑む。
『(とりあえず1塁ランナーは走らせてくるのが定石)』
見た感じ、1塁ランナーは体の大きな鈍足。宮島はもとより松島の肩でも十分すぎるほどに刺せるほどの足だろう。だが暴投やミスによる3塁ランナーの生還、つまりが決勝点を回避するために投げないのが普通だ。ただ先の発言からしても、松島は殺す気満々のようではあるが。
「プレイ」
プレイ再開。宮島は松島とサイン交換後、セットポジションに入って相手の左バッターと対峙。
『(さぁて、ここを乗り切れば次はクリーンアップ。そしたらその打席で勝負を決めてやる)』
次の裏の攻撃を意識しつつクイック始動。するともちろんのこと――
「「「ランナー走った」」」
『(はい、来た。松島、任せたぜ)』
アウトコースに外すストレート。バッターに視界を遮られつつも自らの視野の隅で捉え、そして味方のコールでランナースタートを認識した松島は、大きくアウトコースに寄り、さらに捕球前の時点で中腰の構え。
「殺せ、松島」
宮島が叫びながらしゃがみ込む。投球を受けた松島が2塁方向に左足を踏み込んで送球モーションへ。1塁ランナーを殺す動きを見せる。
ミスすれば1失点。しかしアウトにすれば相手の打てる策を大きく封じられる。そしてなによりピンチ縮小。リスクもあるがメリットも大きい大勝負。
だが、ほとんどの人間がおそらくは勘違いしていることがある。
リリース直前、彼女は前の左足に体重を移しつつ、そこを軸にして体を大きく転換。彼女の左肩が向いた先は――
「サードっ」
ジャンピングスローにも似た無理やりな体位変換をしながら、ややサイド気味に3塁へと送球。そう、彼女も宮島も、一度たりとも「2塁ランナーを殺す」とは言っていない。
てっきり2塁ランナーを殺すと思っていた3塁ランナーは、隙あらばホームを突こうとリードを大きめ。しかも松島が完全な2塁送球モーションに入っていたことでさらにオーバーリードしていた。これを、
「アウトっ」
松島が刺した。
「よし、OK」
小さくガッツポーズを見せる宮島。そして松島はほんのり嬉しそうに笑みを浮かべつつも、マスクを小脇に挟んでホーム前に出る。
「ツーダン、ツーダン。さぁ、あと1人」
人差し指、小指を立ててのアウト確認。あくまでも冷静さを装う。
「さぁ、お師匠様。ピンチは潰しました。気楽にいきましょう」
「まだスコアリングポジションにランナーはいるけどな」
両手を広げて「ストライクゾーンを広く使っていこう」とアピールする松島だが、今度は宮島が冷静なツッコみ。冷静と言うよりはむしろ冷めているというべきか。
ただこれでピンチを縮小できたのは確か。
宮島はなかなかに速いストレート、そして橋立から習っていたスライダーを使い、最後の打者を三振に切って取った。
「お師匠様、ナイスピッチングです。で、私のリードはどうでしたか?」
「まだまだだな」
そんな好リリーフ・好リードを見せたバッテリーも、宮島は少し冷たい対応。
ただなんにせよ、彼は口に出さないだけの人間である。
『(ま、これだけできたら僕の後釜は大丈夫だろうよ。たぶん、僕が教えられることはない。できるとするならば――)』
その裏の攻撃。1アウトから宮島に打順が回り、1―0からの2球目、
『(最後まで精いっぱいプレーするから、そっから盗めるものは盗んでいけ。松島)』
ここまで好投を続けていた山県を崩した。仮設のレフトポールを直撃するサヨナラホームラン。師匠が弟子に師匠らしいことを見せつけて試合を決めた。
以降も宮島は後輩たち――主に弟子たる松島に背中で語るように、何も言わずに最高のプレーを見せ続けた。それは埼玉ナンバー1捕手・西園寺率いる中学に負けるまで続き、ついに全国にこそ行けなかったものの、後輩たちにとってそれが大きな宝となったのは間違いない。
そしてその後輩たちがこの経験を武器に翌年、連戦連勝。またしても全国行きは成らずも、決勝戦で激闘を繰り広げ、埼玉2位の地位を得たのはまた別の話である。
小学校の時から願い目指し続けたプロの舞台。
そこを夢から目標として向かうべく、彼は一通の入学願書を提出した。
『土佐野球専門学校』
高知県にできた野球専門学校。まだ新設されたばかりとあってホームページを含む一切の情報公開が無し。ネット上でのニュースや、世間での噂などから情報を得られる程度である。だが情報の集まる関東圏の利を生かして情報収集を行った彼は、詳細は不明だが元プロ選手が監督・コーチを務め、野球に専念する環境の整っていたその学校を志望したのである。
他の野球部名門校から来るスカウトをほとんど拒否。一校のみ滑り止めとして話は保留しておいたが、所詮は滑り止めとしてであった。
そして迎えた入学試験。
新幹線や特急を乗り継いで付近のホテルに前泊。体調を万全とした上で試験に臨む。
ウォーミングアップを受験生同士の即席コンビで行った後、希望するポジション別に分かれての入学1次試験。キャッチャーは非常に少なかったが、同じく埼玉県出身、県下ナンバー1と言われる西園寺や、中3らしくない強肩を誇る選手など。とにかく自分がこの場にいていいものかと思わせられる。
中学時代は地元最強状態だったが、全国から選手が集まる今1次試験ではいいとこなし。肩も取り立てて良くはなく、キャッチングもそれほどではない。1年から4番を張っていたバッティングも、このメンバーの中では埋没してしまい、足は言うまでもない。
ただ1次試験だけでこの学校の入学は決まらない。
『ただいまより、土佐野球専門学校第2次入学試験を開始いたします』
球場に連れてこられて始まった実践試験。打撃・守備・走塁、そして投手は投球も、あらゆる実力が見られる試験である。
『では第3グループ。守備についてください』
先に行われた実践打撃ではさっぱりだった宮島。だが彼がこのハイレベル空間で唯一できることと言えばこれくらいではなかろうか。
投球練習後、打ち合わせの為にマウンドへ。これは即席バッテリーのため仕方がないのだが、その後の一言でどのピッチャーも驚きをあらわにする。
当然である。この特徴的なリードをあっさり受け付けられるピッチャーなどそうそう……
「へぇ、おもしろい考えだね」
いた。
「じゃあ……スライダーを軸に変化球重視でお願いできるかな?」
「分かった。できる限り希望に沿えるようにするけど、もし、あれ? って思ったら首を振ってくれよな?」
「もちろん。それにしても投手主導って面白いなぁ。名前を聞いても?」
「宮島健一。お前は?」
「鶴見誠一郎。そっか、健一くんかぁ」
「鶴見な。覚えておけたら覚えておく」
何人かと組んで入ればこうした面白いメンバーもいるものである。なんなら2人前のピッチャーは、ピンチを招いて泣き出してしまう女子であった。
『(ほんと変な人ばっかり。だけど、みんな実力は十分)』
宮島は定位置に座り込んで、マウンド上の左腕にサインを送る。
『(天野先輩、先輩から受け継いだ投手主導リードを駆使して、ここでプロになります。そして松島。お前に継いだこのリードで、野球界に新たな風を起こしてやる。お前は女子野球で僕の代わりに新たな風でも起こしてくれ)』
宮島はサインを出してミットを構える。
「さぁ、こい。『てるみ』」
「僕の名前、覚えてくれなさそうだなぁ」
みなさんはリーダーと言えばどのような存在を思い浮かべますか?
頭がいい軍師のようなリーダーでしょうか?
統率力の凄まじいリーダーでしょうか?
自分は意外と『リーダーに見えないリーダー』と言う形もありだと思います。
皆を引っ張るのではなく、主に皆の背中を押してくれる。
積極的に現場に出つつ、引き際を弁え現場に任せる。
困ったときは絵に描いたようなリーダーとして場をまとめてくれる。
そんな縁の下の力持ちのようなリーダーが、自分の考える『理想のリーダー像』であります
私見ではありますが、本作でも天野(副キャプ)が話をしていました
1985年にあるプロ球団を日本一に導いた球団社長がその理想像にぴったり当てはまります
自分にとっての最も尊敬する人物です
今作のテーマはまさしくこのような内容でした
具体的に言えば『リーダー(先輩)の形』と言ったところでしょうか?
====================
さて、今回の登場人物の名前について
<元ネタ・日本三景>
宮島……安芸の宮島(広島)
天野・橋立……天橋立(京都)
松島……松島(宮城)
<元ネタ 日本新三景>
矢場監督……耶馬溪(大分)
三保・松原……三保の松原(静岡)
大沼……大沼(北海道)
<追加 元ネタ>
こうして見てみると、安芸の宮島の『安芸』に名前の振り分けがないわけです
別に忘れたわけではないのです
どういうことかと言いますと、本編のヒロインキャラを思い出してもらえるとわかります
『アキ』の字が入る人がいますよね。なんなら姓と名に1つずつ




