ひとりかくれんぼ
初投稿となります。
雨降りしきる、冷たい夜闇の中。ふたりは命を賭していた。
「腕を上げましたねえ、倉坂さん!」
青年は光の剣を掲げる。その身を包むローブが金色に照らされると、暗闇に隠れていた表情が浮かび上がった。眼差しはたしかにまっすぐではあるが、唇が震えている。
「あなたこそ。……戦いたくはなかったです」
相対する娘――私?――は、背後に控える6人の仲間を守るかのごとく立ちはだかっていた。頭に乗せている花の冠をかるく撫でてから、彼女もまた光の剣を構えなおす。
「……何の夢だろ~」
そう呟いた瞬間、私の後頭部に鈍い痛みを覚える。
「倉坂、授業中に寝るな」
「お断りします」
目覚めたばかりで朧な視界には、自分以外にも机に突っ伏している者はいる。むしろ、大半の生徒は静かに寝息を立てていた。
「みんな寝てるじゃないですか。なんで私だけ」
「せめて静かに寝てくれ。お前は寝言がすさまじいから。勉強してる生徒の邪魔なんだ」
はぁい、と小さく返事をすると、満足したのか先生は踵を返し教卓へ戻る。
いつもの授業風景だ。
「ねえ、倉坂さん。昨日は何してたの?」
隣の女子が、探りをいれるように話しかけてくる。なぜ他人のことを知りたがるのかは不明だが、女子とはそういうものらしい。
「……その定義から考えれば、私は性別を間違えて生まれてきたのでしょうか」
「へ?」
「あ、いえ、独り言です。……昨日の夜はひとりかくれんぼをしていました」
思考に没頭していると、時々それが独り言として声に出てしまう。悪い癖だ。
「ひとりかくれんぼ?」
「ざっくり説明しますと、米を詰めたぬいぐるみとかくれんぼをするのです」
そう説明すると、誰もが決まって、奇怪な生き物を観察するような顔になる。この話相手も当然例外ではない。
「へ、へぇ~……そう……楽しい?」
他人に、自分の趣味をとやかく言われる筋合いはない。私はにやぁ~と笑みだけ返し、もう一度机に突っ伏した。
超常現象なんてあるわけないのに……という小声。もう聞き飽きた。
私は信じている。不思議な力の存在を。
オカルトマニア。
人は私をそう呼ぶらしい。
何と呼ばれようと興味は無いが……七文字は長くないだろうか。いちいちそんな名前を口に出すのは面倒ではないだろうか。他人の思考はよく分からない。私の推測が正しければ、彼女らは知能に何らかの問題を抱えているのだろう。
「もう一度ひとりかくれんぼを実施するので、私はこれで失礼します」
帰りのホームルームが終わると、クラスの中心らしき女子から合コンに誘われた。それによって怪奇現象が訪れるのであれば参加する価値を見出せるが、ゾンビやミイラでもなく医大の男性が来るだけとのことで即座に断る。
今回の男性陣はオカルトに興味があるから、と懇願されたが、自分で研究してくださいと一蹴した。
自室のベッドで、半身をむくりと起き上がらせる。電気は点けておらず、カーテンも締め切っているので、光は一切入ってこない。
帰宅してすぐジャージに着替えてから、ずっと休んでいた。昨夜はひとりかくれんぼで徹夜していたし、今日もずっと起きていなければならないからだ。
「昨日とは違う方法で、ひとりかくれんぼを実施します」
それで成功するのだろうか。
「分かりません。何でも試してみなければ」
あらかじめ枕元に置いていたタコワサの瓶を開け、口に流し込む。夕飯を食べず寝ることを想定して用意していた食料であり、これ自体は儀式とは何ら関係は無い。
「んぐ、んぐ、んぐ……。おいしい。つーんとします」
やはり、儀式の前はタコワサに限る。最強の食べ物だ。
ベッドから降り、部屋の明かりを点ける。降霊術の道具が並んだ机に、からっぽになったタコワサの瓶を置いて、ひとりかくれんぼの準備を始める。
「現在午前1時。開始時刻まで2時間……」
両親が寝ているはずなので、独り言もできるだけ音量を抑えている。
「まずはぬいぐるみの用意をしましょう……」
机に置いてあった手のひらサイズのテディベアをつまみあげ、ハサミでその背中を切り裂く。詰まっていた綿をすべて取り出し、代わりに米を詰め込む。このとき、本来なら自分の爪も一緒に詰めるのが正式なやり方であるが、あえてそれはしなかった。
「今回は爪の代わりに、これを……」
右手に持ったハサミを、左手に向ける。刃を大きく開くと、電光を淡く照り返し、私の楽しげな表情を映し出した。
刃の先端を、左手の親指の腹に撫で付ける。
「一説によると、爪を入れるというのは、元々は自分の体の一部を入れるという意味だそうでしてね……」
ふ、ふふふ……。うふふふふふふふふふ……!
持ち手に力を込めると、指の中に冷たい金属が入り込む。切られたぬいぐるみが綿を吐き出すのと同じように、私の指からも鮮やかな赤い生き血が流れ出す。まるで雷に打たれたときのように痛く、熱く、歓喜の涙を流した。
「うふ、ふふ……。ここまですれば、きっと成功しますよね?」
米粒と同程度の大きさしかないが、自分の肉片を採取した。大事な指の腹の肉を、テディベアの心臓のあたりに詰める。
「……止血したほうが良いでしょうか」
見てみればテディベアがところどころ赤い染みを作っているし、他の道具にも付着している。血液は乾くと硬くなるので、道具を壊しかねない。そうすれば今後の降霊術にも影響が出る。
こういうときのためにカバンにいつも入れている救急セットを取り出し、消毒して包帯を巻きつけておいた。
「うぅ、ちょっと痛いですね」
しかしそれも、ひとりかくれんぼのためだ。
最後に赤い糸でテディベアを縫い合わせ、ぬいぐるみの準備は完了。
そしてもうひとつ。儀式を終わらせるときのために、塩水の用意も必要なのだが……。
「今回は、塩水は無しでやりましょう」
浮き立つ心を抑えながら、かくれんぼ開始予定の3時までウロウロ歩き回って時間を潰した。
「午前3時。いよいよですね……」
儀式を行う前、必ず思うこと。やっと怪奇現象を目の当たりにできるのかもしれない。
今日こそはという期待を胸に、両手でテディベアを持ち上げ、目をじっと見つめた。米が詰まっているからか、どっしりとした感触で、本物の肉でできているんじゃないかと思えてくる。そういえば自分の血肉を入れていたっけな。
「いい、クマちゃん。最初の鬼は倉崎葵ですから。最初の鬼はくらさきあおいですから。さいしょのおにはくらさきあおいですから」
あとは昨日と同じ手順でひとりかくれんぼを実施していく。
テディベアとカッターナイフを持って階段を降り、浴室に向かう。もちろん明かりは点けない。
湯船に残った水を風呂桶ですくい、その中にテディベアを入れる。まるで生き物がお風呂に入っているみたいで、ちょっとかわいらしい。
扉の近くにテディベアの入った桶を置いて、一旦浴室から出る。
リビングの炬燵に足を入れ、リモコンでテレビを点ける。炬燵の机には母からの手紙が置いてあった。父と母はもう部屋で寝ているから、冷蔵庫から夕飯取って食べて、とのこと。
「あー、あとでいただきましょうか」
ひとりかくれんぼの本来の手順通り、テレビを砂嵐の画面にし、静かに目を閉じる。
カッターナイフをぎゅっと握り締め、10秒数える。
10、9、8、……2、1、0。
最初の鬼は、倉坂葵。
ちゃききき、と尖った刃が顔を出す。
凶器を指先で弄びながら、私は浴室に向かった。
当然、そこにはテディベアの入った桶がある。
扉の近くではなく、奥のほうに。
「ふふ……。ついに、ついに……!」
あまりに現実離れした出来事に、唇の端が大きく釣りあがるのを感じた。自分の思考とは関係なしに、ナイフが音を鳴らして刃をせりだす。
クマちゃん、みぃつけましたぁ~!!!
腹を一突き。しっかりと食い込んだのを確認して、腹の中身をかっさばくようにナイフを抜き取る。中から赤く染まった米が雪崩のように溢れ出し、中身の大半を失ったテディベアはふにゃりと崩れる。
「ふぅ……楽しかった。次はクマちゃんが鬼ですから」
刃が出っ放しのナイフをテディベアの近くに置いておく。
浴室を出るとき、私は最高の気分だった。
超常現象などないと言う人々にも見せてやりたい。テディベアの位置がちょっと変わるというだけだったが、たしかに存在するのだ。不思議な力というものは。
「さて。どこに隠れましょうか」
本来はひとりかくれんぼを始める前に、隠れる予定の場所に塩水を用意しなければならない。しかし昨日とは違う手順にする方針だったので、そんなものはなかった。事前に隠れ場所を決めていもしない。
きょろきょろと隠れ場所を探していると、ふと、ひとつの光景が脳裏をよぎる。
私がテディベアを刺した光景。
私が鬼だった。
今の鬼は?
テディベアが鬼。
ナイフは?
テディベアが持ってる。あの子が鬼だから。
「……いえ、まさか」
心のどこかで、私もまた、超常現象などないと思っていたのかもしれない。だからナイフをテディベアに渡した。
証明したばかりではないか、私自身が。
不思議な力は、確かに存在すると。
理解した。自分の身に危険が迫っていることを。
そして強く後悔した。ひとりかくれんぼを実施したことを。
鬼となったテディベアは、私の隠れるのを今か今かと待ちわびているに違いない。
腹をかっさばいた私に、同じ目に合わせるために。
「儀式を終わらせなきゃ……」
終了するには……隠れ場所に用意した塩水を使う必要がある。
つまりこのかくれんぼは、自分の意思では終わらせることができない……。
『ねえ』
子供の甘えるような声が、脳内に直接響いた。
『おねえちゃん。隠れないの?』
背筋が凍りつく。
隠れたらいけない。隠れて、もし見つかったら……。
それよりは、ずっとこのまま待機していよう。
そうすれば、テディベアは私を襲わない。……たぶん。
「お、お茶を飲んで落ち着きましょう」
もしかしたらこの儀式を行うとき、舞い上がっていたのかもしれない。それで幻覚や幻聴の症状が出たんだ。そうに違いない。お茶でリラックスすれば、いつもどおりの平凡な日常が待っている。
『都合がいいね、おねえちゃん。超常現象を証明したいって、いつもいつも願っていたじゃないか』
ちゃぷん、と水の音が聞こえた気がした。
いや、聞こえない。聞こえない。何も。
台所の明かりを点ける。お茶を手早く用意して、一気に飲み干す。
落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ちち着けけケケケ。
「すぅ、はぁ……」
深呼吸で落ち着こうとしても、それすら荒い息になってしまう。
『ねえ。早く隠れてよ。おねえちゃん』
「ひっ……!」
もう一度、ちゃぷんと水の音がした。
『隠れないなら、もうお風呂から出ちゃうよ』
「だめ……わかりました、隠れますから。おとなしくしててください、お願いです!」
夜中なのに大声を出してしまったが、今はそれどころではない。
「あれ」
声を張り上げたのに、家の中のどこからも、うるさいとか早く寝ろという返事が返ってこない。
『何してるの。早く』
「か、かくれます!」
どこへ?
自分の部屋だとすぐばれる。
「あそこに行ってみましょう……」
テディベアに聞こえないよう、足音を立てず階段を上がる。
自分の部屋の隣にある、両親の部屋に入ってみる。
「……うそ」
ダブルベッドには、父も母もいなかった。
「で、でも、手紙には、ちゃんとこの部屋で寝てるって……」
『もーいーかい?』
思考を遮るように、子供の声が聞こえる。
咄嗟にあたりを見回す。隠れられそうな場所は……。
「クローゼットしかありません。すぐ見つかりそうですが」
何かの役に立てばと思い、母の枕を借りてクローゼットに身を潜める。
『もういいかな? じゃ、探すよー』
ハンガーに掛けられた洋服を隠れ蓑にし、私のかくれんぼが始まった。
ここまでごらんいただき、ありがとうございます。
半端なところで終わってしまって申し訳ない・・・。
不定期更新予定ですが、もしよろしければまたきてくださるとうれしいです。