こんな夢を観た「スマートフォンの謎」
桑田孝夫が、今はやりのスマートフォンに買い替える、と言い出した。わたしが不用意に発した、何気ないひと言が原因だった。
「桑田って、まだガラケーなんだ」
「あ? なんだ、そのガラケーってのは」折りたたみ式の携帯を手に、桑田が聞く。
「何って、ガラケーはガラケーでしょ?」わたしには、それ以上の説明ができなかった。
「ガラケーというのはですね、ガラパゴス携帯の略ですよ、桑田君」志茂田ともるがいてくれてよかった。「ガラパゴス諸島のごとく、閉鎖的な発展を遂げた携帯、という意味ですね」
「つまり、どういうことなんだ?」桑田はまだ理解できずにいる。
「国内向けに様々な機能が付きすぎて、世界的なシェアを逃してしまった――つまり、やりすぎてしまった携帯なんですよ」
桑田は自分の携帯をじっと見つめ、
「……つまり、すごいってことじゃねえか」
「そうなんだけど、今はスマホの時代なんだよね」わたしはそう言って、ポケットからスマートフォンを出した。
「何が違うんだっつうの。電話がかけられて、メールやネットもできる。おんなじじゃねえの?」
「いえいえ、それが違うのですよ、桑田君。携帯はあくまで、電話機です。インターネットに接続できると言っても、それは限定的なもの。スマートフォンはですね、言わば、超小型のパソコンなのです」
「これがパソコンなのか?」桑田はわたしのスマートフォンを、信じられないな、という顔で見る。
「そうだよ、桑田。色んなアプリをインストールできるんだから。音楽プレイヤーにもなるし、カーナビだってできるよ」わたしは自慢げに言った。
「でも、家のパソコンみてえに、映画は観られねえだろ、さすがに」
「できるよ。そんなの朝飯前だってば」
これが決め手となったらしい。さっそく、機種交換をしに行く、と言い出した。
「まあ、お待ちなさい」と志茂田。「あなたにスマートフォンが使いこなせるのですか? 意外と手間のかかるものですよ。何しろ、パソコンそのものなのですから」
桑田とて自分の部屋にパソコンを持っているが、お世辞にも使いこなしているとは言えなかった。しょっちゅう、わたしや志茂田に電話をしてきては、操作の仕方やトラブル対処を求めてくるのだ。
「うーん、もうちょっと考えてみるか」そう答えた桑田だったが、次の週には、早くも新しいスマートフォンを見せびらかしにきた。
「見ろ、最新機種だぜ。店員に聞いたんだけどよ、古い機種じゃできねえことが、あれもこれもやれるんだってよ」
「ねえ、桑田。ちゃんと、マニュアルは読んだ? 知らないでいじってると、中のプログラムとか壊れちゃったり、立ち上がらなくなるって言うよ」
「マニュアルか。あのぶ厚いやつな。そんなの、後回しだ。パソコンつったって、しょせんは電話機だろ? おおざっぱにわかればいいんだ」桑田はそう言って取り合わない。
「知らないよ、おかしくなっちゃっても」わたしは念を押した。
ファスト・フード店の席で、桑田は夢中になってスマートフォンをいじる。画面をスライドさせてみたり、用もないのに地図を表示させてみたりと、まるで、オモチャを買ってもらった子供だ。
「地図を拡大させるのって、どうやったっけ? 夕べ、たまたまできたんだけどな」桑田が尋ねる。
「人差し指と親指を、こう、画面の上で広げるんだよ」
「えっと、こうか……。おうっ、できた、できた!」
食べかけのハンバーガーがとっくに冷たくなっていてもおかまいなく、目を輝かせて操作する桑田。
「ありゃっ?」いきなり、声を上げる。
「今度は何?」わたしは桑田のスマートフォンを覗き込んだ。真っ黒で、何も映っていない。
「なんだよ、おい。もう、ぶっ壊れちまったか?」おろおろと画面をなで回す。それでもダメだとわかると、シャカシャカと振ってみる。
「それ、たぶん、バッテリー切れだと思う」わたしは言った。「あのね、桑田。スマホって、消費電力多いから、すぐに切れちゃうんだ」
「そんなはずはねえ。だって、夕べ、充電して寝たんだぞ。まだ、数時間しか使ってねえのによ」どうも、納得しきれないらしい。無理もない、わたしだって、使い始めたばかりの頃は驚いたのだから。
「だから、ガラケーを使ってればよかったのに」
バッテリー切れのスマートフォンをしばらく見つめていた桑田は、ふとこんな事を言い出した。
「思うんだけどよ。そもそも、おかしいじゃねえか。なんで、こんなちっこい機械にテレビやネットの画面が映るんだ?」
「はあ?」わたしには、桑田が何を言っているのかわからない。
「だからよ、これってほんとじゃねえんじゃないかって……」
「本当じゃなければ、なんなのさ」今度はわたしが聞く。
「幻覚だな」
「幻覚って、そんな。だって、みんなが見えてるじゃん。それも幻覚だって言うの?」
「集団催眠だ。携帯の会社があるだろ? ああいった会社が、怪電波を全国に送って、幻を見せてるんだ」
まったく、無茶を言う。
わたしは、桑田のその間違った考えを正そうと、テーブル越しに身を乗り出した。
そのはずみで、自分のスマートフォンを床の上に落としてしまう。
「あっ、いけない……」慌てて拾うが、タッチ・パネルは真横に1直線、きれいなひびが入っていた。「あーあ、やっちゃったなぁ」
「なあ、むぅにぃ。それ、どう見たって、ただの石版だぞ。画面なんか、鏡のように磨き上げただけじゃねえか」
「そんなことない。中には、ぎっちりと電子部品が詰まってるんだから」
その時、手の中でぽっきりと2つに折れてしまった。割れたところを見ると、板チョコのようにむくである。
桑田の言った通り、わたしのスマートフォンはただの大理石だった。