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ターコイズレイク軍は集落に住んでいたリザードマン全員の無事を確認した後、一部の者を残し、引き上げていった。残った者は、損壊した家屋や荒らされた畑、そしてほぼ全壊した貯蓄倉庫の復興を手伝うという。
制圧が完了してほどなくして、女王自らが集落を訪れて手厚い援助を約束したため、リザードマン達から竜人族そのものへの不満は上がらなかった。逆にその迅速さと真摯さは、彼女の評価を上げることとなった。
風を入れるために僅かに開けた窓の外から、川の流れる音と虫の音が入ってくる。普段は気にならないのだが、今夜は妙に大きく聞こえ、ゲイルは瞑っていた目を開いた。寝台からゆっくり身を起こし、立ち上がる。
明かりを落とした室内は暗く、虫避けの香が燃えている僅かな光しかないが、夜目が利くので何の支障もない。ゲイルは置物が並べられた棚の前に歩み寄り、銅の針金で作られた竜の置物を手に取った。羽ばたこうと翼を広げている姿を1本の針金だけで象った工芸品で、遠方にあるドワーフの町の名物として兄が送ってきた土産物だ。
冒険者であるゲイルの兄は、各地を転々としているようで、手紙の発送地にはいつも違う町の名前が記されている。
しばらく翼を象った針金を指でなぞっていたゲイルだったが、ため息を付いてそれを置いた。お気に入りの物でも触っていれば気が落ち着いて眠くなるかとも思ったが、心はざわついたままだ。
ならばミルクでも飲もうかと考え、ゲイルはそっと扉を開けた。向かいの部屋で眠る両親を物音で起こさぬよう、ゆっくりと階段に向かう。
不意に、背後の扉が開いた。音に驚いて振り返ると、兄の部屋の扉が開き、カインホークが出てくるところだった。向こうもゲイルが居たことに驚いたらしく、目を丸くして固まっていたが、すぐに気を取り直すようにため息を吐いた。
『びっくりしたー……。どしたの? こんな夜中に』
流暢なリザードマン語だ。昨日は本を片手に話していたはずだが、いつの間にかに習得したようだ。
そっと扉を閉めているカインホークに、ゲイルは階下を指しながら答えた。
『えっと、目が冴えて眠れないから、ミルクでも飲もうかと』
『おー、俺と一緒だ。眠れないから、外の風にでも当たろうかと思ってたんだよねー』
仲間だな、などと笑って言いながら、カインホークはそろそろと扉から離れる。同室で寝ているヴァインとフェリルを、起こさないためだろう。
2人は1階に降りると、ミルクを片手に外に出た。畑の隅に置かれた木箱に、並んで腰を下ろす。
『昨日もだったけど、ここは星が綺麗に見えるねー』
『お城では?』
『夜警の為に松明付いてるから、見づらいんだよ』
ありがたいことだけど、とカインホークは言いながら、不意に眉根を寄せた。
『……いや、ホント、今までみんなが守ってくれてたから、命の危機に合ったの今日が初めてでさー……』
ため息混じりに呟き、目を瞑る。しかしすぐに、笑顔に戻る。
『いやー、もう思い出してはドキドキしちゃって寝れなくって。まあ、こんなことで挫折しないけど』
『挫折……冒険者を?』
ゲイルの問いに、カインホークは頷く。
『何で、冒険者に?』
従者を連れて物見遊山、というわけでもないのが、ゲイルには不思議に思えた。なぜわざわざ危険に向かうのか。
カインホークは逡巡したようだったが、内緒だと前振りをした上で話し始めた。
『うちは兄2人が優秀だから。俺が何もできなくても誰も困らないし、みんな甘やかしてくれるんだけどさー』
カインホークがそう言いながら、コップに視線を落とす。その目には真剣な色が浮かんでいる。
『--そこで胡座かくのって、悔しいじゃないか。ようは役立たずのままで良いよってことっしょ? んだから、俺だけの知識と経験積んで、見返してやろうと思って』
意地だな、とカインホークはにやりと笑った。
ゲイルは相鎚を打ちながら、心のざわつきが強くなる感覚を覚えた。その正体がわからないまま、口を開く。
『俺は……俺も、死ぬかもしれないと思ったのは初めてで、落ち着かなくて。--いつも、父さんの後ろに付いていくだけだから』
ただ背中を見て、真似ているだけだと思いいたる。一人でできることなど、何もないかもしれない。
『……でも、このままじゃ駄目、だと思う。俺も』
歩きだしているカインホークが羨ましく思え、ゲイルは彼の顔をじっと見た。
ふと、ざわつきが何なのかに気が付く。羨望と焦燥だ。
『やっぱり、家出がいいのかな……』
カインホークの真似と言われれば、否定の余地はないが、今の自分に焦りを覚えたのは事実だ。
『家出……まあ、おおむね合ってる……か? まあいっか。修行の旅に出ます、とか良いかもなー。--一緒に行く?』
遊びに出掛けるかのような気軽さで聞かれ、ゲイルは反射的に頷いた。質問の意味に後で気が付き、慌てて首を振る。
『あ、いや、でも父さんと母さんが何て言うか……。兄さんも滅多に帰ってこないのに』
置いていく両親のことを考えると、聞いてみるのも躊躇われる。そう答えると、カインホークは苦笑した。
『そっか。まあ、難しいよなー』
思わず拍子抜けしてしまうほどに、あっさりと引き下がる。
カインホークはミルクを飲み干し立ち上がった。ゲイルの戸惑いに気付くことなく、笑う。
『そろそろ寝るか。冷えてきたし、明日起きれなくなるし』
ゲイルは差し出された手を掴もうと手を伸ばしかけ、やめて一人で立ち上がった。気にしたふうもなく手を引っ込めるカインホークから目を逸らすように、視線を足下に落とす。
『うん……明日、あるよね……』
『寝坊すると、置いてかれるかもだしなー』
明日、カインホーク達はシルバーフィールドに帰る。
日常が、戻ってくる。
(10に続く)