5
灯りが少なく月も無いからだろう、夜天は星でひしめき合っている。
ソニアは空を見上げて感嘆の声を上げかけ、慌てて口を押さえた。密かに見張りをするというのに、大きな声を出しては気付かれてしまう。
辺りが暗いためぼんやりとだが、ガデスがあっと言う間に屋根に上がるのが見えた。フードを被って銀髪が目立たないようにしているようだ。
闇に目を凝らしてゆっくり歩き始めると、カインホークが手を引いて塀まで誘導してくれた。
「……夜でも見えるようになる眼鏡とか、誰か作らないかな……」
塀に手を突いたフェリルが小さく呟くのが聞こえた。
この場で見えないのは彼とソニアだけだ。夜目が利く人が少し羨ましいが、今嘆いても仕方がない。
ソニアは座り込むと、手招きで犬を呼び寄せた。黒く艶やかな毛皮を撫でてやりながら、命令する。
「セージ、いい? 周囲を見回ってきてね」
愛犬は頷くと、音も立てずに跳躍し塀を乗り越える。何か怪しいものを見かけたら、合図を送ってくれるだろう。
未だ姿を見せたことがない不審者は、毎回日付が変わるぐらいの時間に来るという。ソニアの役目は、それまで待機していることだけだ。
欠伸をかみ殺しながら辺りを見回すと、ヴァインは目を閉じ、腕組みをして塀に寄りかかっている。
立ったまま寝ているように見えたので眺めていると、気付かれたようでソニアの方を振り向いた。愛想笑いで適当にごまかし、ソニアは視線を別の方向に遣る。
カインホークはゲイルと本を挟んで何かをしている。単語を指さしあうことで会話をしているようだ。たまに声を忍ばせ笑い合うのが、実に微笑ましい。
「……ふふ、目の保養……ふぁ」
少しでも気分を上げて誤魔化そうとしたが、瞼が重たくなってきた。
大分目が慣れてきたとはいえ、辺りが暗すぎて眠くなるのだ。昼間の歩行による疲労も、良い具合に眠気を助長している。
「……寝ちゃっても大丈夫だよ?」
両頬を引っ張って耐えているのを見かねたのだろう、そう言うフェリルに首を振って、ソニアは立ち上がった。
一人だけ甘えるわけにはいかない。
「……とはいっても、昨日遅かったのよね……」
立ったままでも寝てしまいたい衝動に、体を動かして耐える。
遠くから、遠吠えが聞こえた。ソニアは耳をすまして、次の反応を待つ。あれは、愛犬が何かを見つけた合図だ。
再び、遠吠えがソニアの耳に届いた。先程よりも近くなっている。
「今のは……」
「うん。こっちに追い込んでるみたい」
側に立てかけていた棍を手にして、じっと待つ。
眠気はとうに消えている。
「ん、声が近づいてきたな」
一番耳が良いであろうカインホークがそう呟くと、塀によじ登った。ソニア達も外で待ちかまえようと、門から出る。
屋根を見ると、ガデスが身を乗り出して森を注視している。
ほどなく、ソニアにも声が聞こえてきた。
「--ぃゃあああぁぁ!」
「ぎゃぁあああ、来るなぁぁ!」
「ひいいいいい!」
複数の人の悲鳴だ。声の様子から察するに、必死で逃げてきているようだ。木々の奥に、激しく揺れる灯りが見える。
灯りはぐんぐんと近付き、やがて持ち主の姿が見える距離になった。
半泣き顔で先頭を走っているのは、若草色の長髪を持ったエルフの娘だ。その背中を守るように、金髪の人族の青年と、赤銅色の髪と髭のドワーフが続いている。見た目から察するに冒険者のようだ。
そして少し距離を開け、人族や竜人族の男達が走っている。粗野な風貌と身なりからして野盗ではないだろうか。
金髪の青年が、呆然と眺めているソニア達に気が付いた。
「逃げてくれ、危険な魔物に追われている!」
青年がそう叫ぶと同時に、森の奥から見上げるほどの体躯の犬が姿を現した。
灯りに照らし出された毛並みは闇の如く黒く、双眼と口から覗く牙には青い炎が揺らめいている。
ゆったりとした歩みが、返って威圧感を増している。
「うがッ--ひ、ひいぃ」
後方の男達の一人が、根に躓いて倒れた。腰が抜けたのか立ち上がれず、後ずさる。
周りの男達が遠巻きにまごついているなか、金髪の青年がエルフの制止を振り切り、倒れた男の前に立ちはだかった。
「ダメ、ダメよ逃げないと!」
「駄目だ、見捨てるわけにはいかない!」
槍と盾を構え、仁王立ちする。その隣に、不敵に笑ってドワーフの男が並んだ。
「ほんに仕方ないのう、お前さんは」
「バーグ……すまない、ありがとう!」
エルフの娘は振り返り、ソニア達に向かって叫んだ。
「お願い、手を貸して! 彼が--アベルが死んじゃう!」
「え、あ、えっと、あの」
慌てているソニアに、野盗らしき男達も懇願する。
「頼む、助けてやってくれ!」
「この通りだ!」
魔犬が立ち止まった。青年とドワーフの男を一瞥する。
「お願い、早く!」
「す--」
目に涙を溜めるエルフの娘の背後、仁王立ちする青年達と対峙していた魔犬が、ソニアに視線を移して、困惑したように首を傾げた。
「すみません。その子、ウチの子です……」
「なんなのよ、もう! びっくりしたじゃない!」
「本当にすみませんでした……」
肩を落とし頭を下げるソニアの隣で、元の黒犬姿に戻ったセージが伏せて耳を倒し、鼻を鳴らしている。
「すみません、野盗を追い立てるつもりだったんですが……」
「私たちまで追い立てられるってどういうことよ!」
「ま、まあまあミーナ」
ソニアを庇うように立っているヴァインに詰め寄るエルフの娘を、金髪の青年が宥める。
「何事もなかったんだからいいじゃないか」
「でも! --あなたが死んじゃったら……私、どうしようかと……!」
目を潤ませる娘を、青年は抱き寄せた。優しく涙を拭ってやる。
「大丈夫。僕は君を置いて死んだりしないよ」
「アベル……」
じっと見つめ合う2人に、申し訳なさと違った理由で居たたまれない。
ソニアが彼らの仲間のドワーフを盗み見ると、彼は我関せずといった風に髭を撫でている。恐らく日常茶飯事なのだろう。
反応に困っているソニアの背後で、「住んでいる世界が違う」とフェリルとガデスが小声で話しているのが聞こえた。
「……えー、それで。そちらの集団はどうしましょうか」
心なしか煌めいて見える2人を視界外にやるかのように、ヴァインが向きを変えてドワーフに訪ねる。指を指しているのは、大人しく捕縛された男達だ。
やはり野盗で間違いなかった彼らは、魔犬姿のセージに恐れをなしたのか、全員素直に降伏した。今は周囲にある中でも一番立派な木に括りつけてある。
「ターコイズレイクの兵隊が彼らを捜していたそうなので、連れて行かれれば謝金が貰えるかと」
「ほう、そうなのか。と、ゆうても儂等はシルバーフィールドに行くしなぁ」
聞けばここから西にあるグリーンプレーンの大草原から帰ってくるところだったらしい。遊牧している竜人族の集落に、荷物を届けてきたのだそうだ。
街道側で夜を明かそうと野営していたところを野盗に囲まれ、それをセージが見つけたらしい。
全員が同じ方向に逃げたことで、図らずもまとめて追い立てる形になってしまった
「うむ。やはり、そっちで連れてってくれんか。儂等は夜が開けたらシルバーフィールドに戻るでの」
「了解しました。ご迷惑をお掛けしてすみません」
「いや、ウチのお人好しではないが、何事もなかったんで気にせんといてくれ--そこのお嬢ちゃんもな」
「はい、ごめんなさい……」
ドワーフは励ますようにソニアの背を叩き、快活に笑い声を上げた。伏せたままの黒犬を力強く撫でてから、未だ見つめ合う仲間に振り向く。
「ほれ、いつまでいちゃついてるんじゃ! そろそろ戻ろうじゃないか」
「い、いちゃついてなんかいません!」
「す、すまない。つい」
ドワーフの声で二人がようやく離れるのを見て、カインホークが何かをゲイルに耳打ちしている。リザードマン語に混じって汎用語で「リア充」などと聞こえたのは、恐らく気のせいだろう。
「ええと、じゃあ僕らはこれで失礼するよ。--君たちに幸運があらんことを」
「はい、ご迷惑をお掛けしました。--ご武運を」
野盗を頼む、と言って青年は歩き出す。その背に、先程転倒した男が声を掛けた。
「俺! あんたに助けられた命大事にする、改心するよ!」
青年は振り返り、答えるように手を振り微笑んだ。
男達は皆晴れ晴れした笑顔で頷き、青年達が森の奥に消えるまで見送っていた。
「……で、だ。これで解決か?」
「うーん、まあ、そうかな? 一応」
釈然としない様子のガデスにフェリルが答えた。「暴れ足りないなら」とフェリルが手を出すと、ガデスは素直にぺちぺちと音をさせて叩きはじめる。
「ううう、みんなごめんなさい」
穴があったら埋まりたい。そんな気分のソニアを見上げ、愛犬が慰めるように鼻を押しつけてくれた。
「いやー、誰も怪我させずに勝ったんだから、逆に大成功だって」
カインホークがそう言い、自らリザードマン語に訳すと、ゲイルも頷いた。そこにガデスとフェリルも同意する。聞こえていた音の拍子が変わったので振り返ると、何故か手遊びに変わっている。
「カインの言うとおりです。お陰で夜通し気を張らずに済みました」
ヴァインの言葉にソニアが曖昧に返事をすると、カインホークがソニアの頭をぽんぽんと軽く叩いた。励ましてくれているのだ。
ソニアはしゃがみ込むと、愛犬の額と自身の額を付けた。
「--よし! 次は失敗しないよう頑張ろう」
ソニアの決意に、黒犬は元気よく鳴いて答えた。
(6に続く)