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翌日、ガデス達は昼前に城を出て城下の冒険者協会に訪れた。
本来の予定ではもっと早くに行くつもりだったが、前夜に開かれた出発祝いの宴が早朝まで続いたため、ずれ込んだのだった。解毒魔法のおかげで体調に問題は無いはずだが、何となく地面が揺れているような気がする。
調子に乗らずに、ソニアやフェリルを見習ってほどほどにしておけばよかったと、ガデスは反省した。竜人族に合わせて付き合うのは、駿馬と併走しようとするようなものであることを忘れていた。
「いやー……凄かったな……。最後のほうディーン様泣かれてなかったか?」
「大兄上は酔いすぎると泣き上戸入るからなー。まあ、定期的に手紙を送って近況を知らせようかと」
「うん。じゃないとディーンお兄様もレオンお兄様も心配しちゃうね」
ディーンが第一王子、レオンが第二王子だ。どちらも武勇に優れており、また母親が王族に連なる高貴な血筋として一目置かれている。
シルバーフィールドの冒険者協会は、受付カウンターと依頼書などが貼られた掲示板が置かれているだけというシンプルな作りだ。受付には犬耳の半獣人が座っており、ガデス達に気が付いて新聞から顔を上げた。
「いらっしゃーい--っておや、若様。冒険者やるって本気だったんスか」
「そりゃもう。しばらくは一冒険者として、世界中を回ってくるよ」
変わり者だなぁ、などと言いながら受付の男は新聞を畳み、カウンターから出てきた。軽く手を振るソニアに満面の笑みで手を振り返すと、ガデス達に会釈し掲示板の前に立つ。
「今ぺーぺー用の依頼とかあったっスかねぇ。お守りの人ら、どんくらいならイケます?」
「えーっと……オーガとか、下級魔神くらいなら楽勝だな」
「ういっス。オークぐらいっスね」
正直に言ったのだが話を盛っていると思われたらしい。ゴブリンにしておけと言われなかっただけまだ良いのかもしれないが。
「あー、じゃ、これとかどうスかね。「家の周りで最近不審な影を見ます」っての。リザードマンの集落から離れたトコみたいっスけど」
「あれ? ターコイズレイクの依頼もこっちに来るのね」
ターコイズレイクは北西にある湖上国家だ。国民の8割は竜人族、残りの2割はリザードマンで、領内にはリザードマンの集落が点在している。
「いや、ウチ側に離れたトコなんで、こっちに依頼来たみたいっスね。」
聞けば湖からシルバーフィールドに向かって流れる大川の途中に住む者からの依頼らしい。
「周辺には、どんな魔物が生息してるか分かる?」
「うーん、ココと大差ないだろうから、ゴブリンが基本で、大ガニ、大蛇、大グモ、狼と、たまにオークってとこっスかね。ヤバいのはいないっスよ。軍隊の巡回があるから」
ディーン王子率いる軍隊が訓練も兼ねて定期的に巡回し、魔物討伐をしているらしい。言われて掲示板を見てみれば、ペルキアやタルタニに比べて討伐系の依頼は少ない。
「それでもウチは軍が漏らしたのを依頼に回してくれるんで、多いほうっスよ。他国だとお偉い「鱗持ち」サマの管轄っスから、手が出せないんで」
基本的に八鱗連合は内陸に行けば行くほど閉鎖的になっていき、竜人族の地位が上がる反面、他種族が軽んじられる傾向にある。「鱗持ち」とは、竜人族が他種族を見下すときに使う「鱗無き者」という言葉を揶揄した表現だろう。
「--っと、ソコの兄さんブルーパレスの人っスか? 悪いね、本当の事言っちゃって」
「いえ。馴染めなかった方ですから、お気遣いなく」
ブルーパレスは北方の山脈に位置する。国民の多くはヴァインと同様に青い髪と目を持ち、氷竜に姿を変えられる。雪深いために外界との交流が少ないこともあり、かなり閉鎖的な国だ。種族に誇りを持つ気持ちは理解できるが、よほどの用事が無い限り行きたくない、とガデスは思う。
「えーっと、んでだ。受けるか? 話を聞くかぎり、家周りを調べれば解決できると思うが」
「おう、受けよう受けよう。家の周りになんかいるって落ち着かないだろうしなー」
カインホークの言葉に半獣人の男は頷き、掲示板の地図を指さした。
「あ、これソコの雑貨屋で売ってるっスから、てくてく歩くならコンパスと薬共々用意しといたほうがイイっスよ。--さて、ここが現在地。銀碧水路からずっと上りきるとターコイズレイクに行き着くっス。定期船で所要1時間。でもって、途中の、ちょっと上ったここらへんに依頼人の家があるはず。船だと降りれないんで、徒歩か飛んでかないとダメっス。俺なら歩いて1時間ってトコっスね」
軽薄な口調とは裏腹に、丁寧に説明をしてくれる。
「若様はそれなりに丈夫でしょうからどうでもイイっスけど、ソニアちゃんは頼むっス」
真顔でそう説明を締めくくる男に、カインホークが笑いながら頷いた。
早めに昼食を済ませてから、ガデス達は川を辿って歩き始めた。この地域は起伏が乏しい平原地帯なので、実に歩きやすい。
「早ければ歩いて1時間だったよね……無理せずゆっくり行こうか。ソニア、疲れたら言ってね」
「うん、ありがとう。でも大丈夫よ」
黒い犬を従え、ソニアは軽い足取りで歩いている。随分と歩き慣れた様子だ。
「カインは--まあいいか」
「おう。男の子だから頑張るぞー。性格が正反対になるぐらい過酷なこともあるだろうし」
何を言っているのかと思ったが、ちらりとガデスとヴァインを見てにやりと笑ったことで意味がわかった。
「正反対とは失礼な。経験を重ねて社交的になっただけだろ……俺については」
「いえ、私も正反対になったつもりはないんですが」
言われた冗談に真面目に返すと、フェリルが補足をした。
「そうだね--ヴァインはよそ行きになっただけで、ガデスは父さん色に染まってきただけだよ」
「なるほどー、そういうことなのね」
大きく頷くソニアに釈然としないものを感じつつ、元凶のカインホークを見る。
得心いったように頷いているのを見てガデスは何となく、その膝裏に軽く手刀を入れてみた。意表を突かれたカインホークが、悲鳴を上げて大きくバランスを崩す様に、溜飲が下がったガデスはぎゅっと拳を握る。
「--よしっ」
「よくないよ?! ビックリしたな、もー……」
「口は災いの元だった」などと言うカインホークに、勉強になっただろうと笑ってやる。
時折船が通るのを見送りつつ、そんなやり取りをしながら歩いていると、水車小屋とそれに繋がる塀が見えてきた。正面に回り込むと門が開いており、綺麗に手入れされた畑と、石造りの家が覗いている。周りが塀で囲まれているのは、防衛のためだろう。
声を掛けると、緑灰色のリザードマンが小走りに出てきた。声と洋服から見るに、女性のようだ。失礼だとは思いつつも、ガデスには顔立ちだけで見分けられる自信はない。
畑仕事をしていたのだろう、麦わら帽子を被り、手には剪定バサミが握られている。依頼を受けた旨を伝えると、ガデス達を家に招き入れてくれた。
「まあまあ、こんなところまで来て下さって……まずはお茶をどうぞ」
ナグと名乗った緑灰色のリザードマンは、自家製だという柑橘と木イチゴのフルーツティを淹れ、今朝焼いたというブルーベリーのパウンドケーキを振る舞ってくれた。何気なく口に運び、予想以上の美味さに思わず顔が綻ぶ。
「こ、これってどこかのお店に出したりしてません?」
ケーキを食べて声にならない歓喜の声を上げていたソニアが、食いつき気味に聞いている。買いだめしたい位に気に入ったのだろう。ガデスにも気持ちは分かる。
「うふふ。時間を頂ければ、また焼いて差し上げますよ。主人も息子も好きなので、作り慣れてますから」
「えええ、ありがとうございますー!」
普段は眦が上がり気味のソニアの猫目が、糸のように細くなって垂れている。とても嬉しそうな様は見ていて和むが、本来の用事を忘れそうになる。
「えっと、それでナグさん。依頼頂いた件なんですが--」
「あ、ええ。ここ数日のことなんですけどね--」
ナグの家は敷地の四方を塀で囲み、魔物や獣から畑と家を守っている。それでも稀にゴブリンなどが来ることもあるが、ナグの夫や息子が撃退するので問題なかったそうだ。
だがここ数日、獣ともゴブリンなどとも違う何かが、夜中に家の周りをうろついているらしい。気配や物音に気付くと夫と息子が様子を見に行くのだが、姿は見あたらず正体が掴めないという。
「ここら辺はターコイズレイクの軍隊さんが巡回に来てくれますから、危険な魔物ではないと思うのですけれど……」
「--万に一つの可能性が無きにしもあらず、という訳か。確かに不安ですね」
「ええ。夫と息子が外へ狩りや漁に行くので、何か恐ろしいものと遭遇してしまったりしないかと……」
そのような状況なのになぜ門を開けているのか。疑問に感じて聞いてみると、もし万が一逃げてきたときにすぐ逃げ込めるようにしているのだという。
「なるほど……ですがそれも不用心かと」
「ええ、でも不安で……。ゴブリンなら、私でも追い払うぐらいはできますし」
実際に相手が危険な魔物かどうかはともかく、夫人の不安を取り除いてやるのが大切だ。ガデスは対処案を上げようとして、カインホークの挙手に遮られた。
「はいはい。じゃあ防衛・調査と護衛で手分けすればいいんじゃないか?」
「ぬ、言うこと取られた……まあいいや。そうすれば門を開けてても大丈夫だし、少しは安心だと思いますよ?」
2対3に分ける程度ならば、戦力的にも支障はないはずだ。それを聞きナグ夫人は顔を輝かせた。だがすぐに何か不都合を思い出したらしく、困り顔になる。
「いかがしました?」
「あ、いえ、素晴らしいご提案なんですが、夫が聞き入れてくれるかどうか--」
ナグの言葉に応えるように、門が閉じられる音がした。ちょうど二人が帰ってきたようだ。
程なくして扉が開き、夫人よりも僅かに濃い緑灰色のリザードマンが顔を覗かせた。見知らぬ者の訪問に驚いたのか、目を丸くして、聞き慣れない言葉で何かを訪ねる。夫人は同じような言葉で答えてから、ガデス達に向き直った。
「夫のバンです。竜語は分かるんですが、汎用語が分かるのは私だけなので、通訳しますね」
「あ、俺たち竜語分かりますよ」
立ち上がって竜語で挨拶をすると、バンはやや訛りのある言葉で答え、夫人に向かってリザードマン語で通訳した。どうやら夫婦に共通で使える言語はリザードマン語だけのようだ。
「すみません、普段他言語は使わないもので」
バンは竜語でそう言うと、自身の背後に、リザードマン語で声を掛けた。意味は分からなかったが、どうやら扉の外にいる息子に話しかけたらしい。バンが部屋に入ると、その後に続いて長身の青年が入ってきた。
背はヴァインより少し高いようだが、あどけない雰囲気からして年はアルテミスと同じか、少し下かもしれない。炎を連想させる赤髪と、瞳孔が縦に長い金色の瞳は、ここから南方の「レッドデザート」に生きる竜人族の特徴だったはずだ。
青年はどこか眠たげな目でちらちらとガデス達を伺っていたが、ナグからリザードマン語で何かを言われると、頷いて頭を下げた。
戸惑いに気付かれてしまったのだろう、ナグが説明をしてくれる。
「息子のゲイルです。卵の頃からリザードマンの中で育ったので、竜語も汎用語も不得手なんですよ」
「あ、ああ、なるほどー。僕は父が竜人族なんですよ」
取り繕うようなフェリルの言葉に、ソニアも頷く。夫婦が特に気を悪くした様子もなく合槌を打っているのを見て、ガデスは内心胸をなで下ろした。予想外だったとはいえ迂闊だったと反省する。養子を取ることはそう珍しくないが、気を使わなくていい話題でもないだろう。
「えっと、それで、護衛の件はどうしましょう? 俺から説明しましょうか?」
「いえ。私から話しますね」
ナグは家族にフルーツティとパウンドケーキを出しながら説明する。何かを話し合った後、バンが口を開いた。
「我々の護衛をして下さるということで……大変ありがたいんですが、狩りも漁も少人数の方が向いていまして--」
「ああ、確かにそうですね」
「ええ。それにその、お恥ずかしいんですが……息子は人見知りが激しい質でして」
申し訳なさそうに頭を掻きながらそう言うバンから隣のゲイルに視線を移すと、たしかに下を向いている。時折こちらを見るのだが、すぐに視線を逸らされる。好奇心の強い小動物が、物陰から覗き見ている様に似ている。
「--というわけでして、原因究明と家内の護衛をお願いしたいんです」
ナグ夫人の不安を解消するには護衛するのが手っとり早いと思ったが、邪魔になっては本末転倒だ。ガデス達はバンの言うことに従い、家の近辺で調査をすることにした。
(4に続く)