10
差し込んできた日差しの眩しさに刺激され、ゲイルは寝返りを打って顔を背けてから目を開けた。夜明け前まで、眠れずに寝返りを繰り返していたのを覚えているが、いつの間にかに寝ていたようだ。
変な時間に寝たからか、あるいは寝すぎたのか、首から肩にかけて筋肉が強ばっており、頭がすっきりしない。
日差しの様子から見て、もう昼前だろうか。
『狩り……は、今日は休むんだっけ−−って!』
重要なことを思い出し、ゲイルは飛び起きた。身支度もそこそこに部屋を飛び出し、階段を駆け降りる。
リビングでは、両親がテーブルに向かい合って座っていた。卓上には2人のコップと、盆に伏せられた1個のコップ、脇にまとめられた5個のコップが置いてある。
だが、両親のほかには誰の姿もない。
『カイン達は?!』
『ついさっき出発したぞ』
『待ってはいらしたんだけど、起こしちゃ悪いからって……』
ナグの言葉に、ゲイルは肩を落として階段に座り込んだ。もう会うこともないかもしれないのだから、せめてちゃんと別れを言っておきたかった。何故起こしてくれなかったと言いかけて、ぐっとこらえる。せっかく気遣ってくれたのを無碍にはできない。
『夕べ、随分遅くまで起きていたんだな?』
『……寝れなかったから』
慰めるように肩に手を置いたバンが、コップを差し出す。水で煎じられた冷たい茶を僅かに含み、ゲイルはうなだれた。その背中を励ますように、バンがさする。
『お前が珍しく寝坊するから、少し予定が狂ってしまったぞ』
『ごめん、なさい……』
震える声で謝るゲイルの頭に、バンは手を置いた。そのまま優しく頭を撫でる。
『謝る相手が違うぞ、ゲイル。--まあ、今ならまだ途中で追いつけるだろうが』
『相手が、違う……?』
涙目で見上げるゲイルに、バンはいたずらっぽい笑みを浮かべた。そしてナグの方を振り返る。
ナグは、荷物で膨れた背負い袋を手に戻ってきたところだった。
『実は彼らに追加で依頼をした。--息子の修行を手伝ってほしい、とな』
『家出と旅に出るのは違うでしょう、もう。ちゃんと「よろしくお願いします」って言うのよ』
ナグから渡された荷物を抱え、バンに促されるまま立ち上がる。
『えっと、え? 修行って……』
『「可愛い子には旅をさせろ」という言葉がある。一緒に行って、修行してきなさい』
昨日言ってただろう、とバンがゲイルの背中を押し、玄関に向かわせた。ナグが背負い袋を背負わせ、服を整える。
『着替えとか、寝ている間に必要そうな物を詰めておいたから。後で確認して、足りないものがあったら買い足しなさい。お財布落とさないようにね』
ややボサボサになっていたゲイルの髪を手で整え、ナグは軽く背中を叩いた。
『--これでよし。気をつけてね』
『うむ。頑張ってきなさい。たまには手紙を寄越すんだぞ』
促されるままに玄関の外に出たゲイルを、両親は笑顔で見送る。ゲイルは呆然としていたが、ナグに促され我に返った。
『ほら、なにぼーっとしてるの。付いて行きたかったんでしょう?』
『え、あ、えっと。修行に--?』
問いに、両親は頷いた。昨日のカインホークとの会話を聞いていたのだろう。ゲイルが一度は頷き、躊躇して断ったことも。
ゲイルは背筋を伸ばし、息を吸った。優しく見つめてくる両親に、笑顔で答える。
『うん。じゃあ--行ってきます!』
『『行ってらっしゃい!』』
両親の声に背を押され、ゲイルは足早に歩きだした。
皆は少し前に出たということなので、急いで歩けば道中で合流できるかもしれない。
あるいは、空を飛べれば。
ゲイルは、ヴァインが竜になって羽ばたいた姿を思い出した。同じ竜人族なのだから、真似できるかもしれない。
『--よし』
足を止めたゲイルは、背負い袋を下ろして目を瞑った。自身の体が膨れ上がって、兄から貰った置物の竜の姿に変わる様を思い描く。
急激に背中を引っ張り上げられるような浮遊感に、ゲイルは慌てて目を開いた。
『う、わ……!』
視界が随分と高くなった。体を見下ろすと、赤い鱗に覆われた腕と鋭い爪が見える。首を巡らせると、岩石のような背びれと長い尾、そしてコウモリのような翼が確認できた。意識して力を入れると、思い通りに動く。
ゲイルは背負い袋を掴み上げ、力一杯翼を動かした。激しい風が巻き起こり、体が浮き上がる。翼を動かす角度を変えると、前に進み始めた。
程なくして、川沿いを歩く集団が見えた。こちらに気が付いて最初に空を見上げたのは、カインホークだろう。
『見つけ--』
声を上げかけた、と同時に体勢が崩れた。集中が切れて、羽ばたき方がおかしくなったようだ。立て直す間もなく落下する。
『わ、わ--!』
目を瞑り、身を縮めて衝撃に備える。風にあおられ、ゲイルは地面を転がった。落下速度がゆるまったために痛みはないが、回転したせいで目が回る。
「だ、大丈夫?」
聞こえてきた声に目を開けると、心配そうに見下ろすソニアが見えた。その後ろには、驚いた顔のヴァイン達が立っている。
「う、うん。怪我も、大丈夫」
たどたどしく竜語で答え、ゲイルは身を起こした。カインホークかガデスが風を起こして、着地を助けてくれたのだろう。竜化は落ちたはずみで解けたようだ。
抱えていた背負い袋とその中に仕舞った財布の無事を確認し、胸をなで下ろす。その目前に、手が差し出された。
「悪い悪い。熟睡してたから、起こしちゃ悪いと思って先出てきちゃったよ。--立てるかー?」
さほど悪びれた様子なく、カインホークが手を差し出している。
「ごめん、寝坊しちゃって−−よいしょっ」
カインホークの手を掴み、ゲイルは立ち上がった。背負い袋を背負いなおし、服の土埃を払う。
「えっと、修行の依頼でお世話になる、ので。よろしくお願いします」
母親の言いつけどおりに挨拶し、頭を下げる。その足下に、黒犬が寄り添った。顔を上げると、皆頷いている。受け入れられたのだろう。
「よし--それじゃ、出発すっか」
ガデスの合図で、歩き出す。隣にいたフェリルが首を傾げ、ゲイルの腰元を指した。
「そういえばゲイル、武器は?」
「え? --あ」
ばたばたと出てきたのですっかり忘れていた。しかしそのまま言うのも躊躇われ、思わず取り繕う。
「えっと--枝払い用の斧だったから、新しいのに、しようかと」
「なるほど--慌ててて、忘れたのかなと」
「!」
図星をつかれ、目を逸らす。フェリルはゲイルの顔をのぞき込み、吹き出した。
「はははっ、まあ何にせよ、新調するのは正解かな。シルバーフィールドなら、色々流通してるし」
「何、武器買うの? それならレッドデザートのが良いのあるよ」
「確かに、鉱物の産地ですしね」
前を歩いていたカインホークとヴァインが会話に加わる。
「どうせなら打ってもらえば良いんじゃね?」
「え、なになに。次レッドデザート行くの?」
「そだねー、俺もあんまり行ったことないし、行こ行こ」
ガデスとソニアも加わり、どんどん話が進んでいく。
「え、と、でも、他に行くとことか」
「決まってなかったし。ってわけでレッドデザートな」
「オッケー」
あっと言う間に次の目的地が決まってしまい、呆然とするゲイルの肩を、カインホークが叩いた。
「こういう身軽さが、冒険者の醍醐味だよな」
「そう? --かな」
ゲイルは首を傾げかけ、結局納得した。カインホークが楽しそうだったから、だけではない。自分でも見知らぬ土地に胸が躍っていたからだ。
足を止めて仰ぎ見た空は、ゲイルにはいつもよりずっと広く見えた。