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大海原の向こうに現れはじめた陸地を認めて、ガデスは伸びをした。海は嫌いではないが、延々船に乗っているだけというのは辛い。
「八鱗連合ってこんな遠かったっけ……。船旅とか全然覚えてねぇぞ」
ガデス達は10年以上前に八鱗連合の1国シルバーフィールドに滞在したことがある。ザックス=グレイヴに引き取られてすぐのことだ。だが、行きも出立したときも、延々と船に揺られた記憶はない。
「ペルキアからだと格別に遠いみたいだね。昔は別ルートで出入りしたんじゃないかな」
文字通り羽を伸ばしながら、フェリルが答える。その後方からヴァインが歩いてきた。大ぶりの林檎を3個持っている。
「あれ、どうしたのそれ?」
「客室にいた行商人に貰った。話に付き合った礼だそうだ」
「行商人って、あのオバサマか。まだ話してたのかー」
どこか疲れた顔でフェリルに答えるヴァインを見ながら、彼と話していた中年の女性を思い出す。ガデスの感覚が合っていれば、見かけてから3時間ほど経過しているはずだ。
「延々と、あの男と護衛に付いた時の思い出話をしていました……」
「ああ、顔を覚えられてて声かけられたのか」
養父であるザックス=グレイヴと2人で旅をしていたときに仕事を受けた相手だったらしい。様子から見るに、何故別行動なのか、養父はどこに行ってるのか、などと根掘り葉掘り聞かれたに違いない。
「そうか。しばらく父さんと一緒だったから、ヴァインは顔を知られてるんだね」
「なるほど。"黒鉄の戦斧"の愛弟子にして愛息子、ってやつか」
貰った林檎を服の裾で磨きながらガデスが言った言葉に、ヴァインは不本意そうに眉間に皺を寄せた。だが本心から嫌っていないのはガデスもフェリルも知っている。
「本人いないし、そこは素直になってもいいと思うよ、僕は?」
「ああ、アレだよ。誇らしいけど悔し憎たらしい、っていう複雑な息子心だよなー」
「……」
好き勝手なことを言う義弟義妹を半眼で睨み、ヴァインが溜息を吐いた。言うだけ返ってくるのは分かっているので、反論を諦めたのだろう。代わりに近付いてきた陸地を見ながら、話題を変える。
「--そういえば、アクアはもうグランアルシアに着いたんでしょうか?」
「んー……歩いて行くとか、ちらっと言ってたような気がするんだよな。だとすると、まだのような気が」
「修行は徒歩が基本だったんだよな」などと呟いていたのを思い出す。長くて半日という乗り継ぎ時間によるロスを加算しても、歩きでは馬車の2倍以上の時間が掛かるはずだ。
「実は結構真面目だよね。堅実に歩いてる様子が簡単に想像付くよ」
初めて会ったときの荒みっぷりが嘘のようだと、フェリルが笑う。ヴァインも微笑し、同意した。
「確かに。しかし急に人数が減ると、やはり寂しいですね」
「なー。アクアとは結構一緒に居た気がするし、最後は7人で宴会したしな」
「サンドイッチは何が至高か」で盛り上がったのが懐かしい。ガデスが熱烈に推した鰯フライサンドは、結局同じ店を知っていたエリック以外に理解されなかったが。
「……フェリルは分かってくれると思ったんだけどな、鰯フライサンド」
「え、それまだ諦めてなかったの? というかあの時初めて存在知ったよ」
「あの地方のマイナーフードですよね。食べたことがある人の方が少ないかと--ああ、港が見えてきましたね」
ヴァインがシルバーフィールドの港を指さした。まだ遠目だが、入港までそう時間は掛からないだろう。
ガデスは食べ終わった林檎の芯を燃やして消し去ると、もう一度大きく伸びをする。気合い入れに、軽く自身の顔を叩いた。
「--よっし、俺たちも心機一転して頑張るか!」
久しぶりに見るシルバーフィールドは、昔と変わらず活気に満ち溢れていた。八鱗連合の海側の玄関口なだけあり、港も町も賑わっている。行き交う人は多彩で、竜人族だけではなくリザードマンやドワーフ、エルフから、なかなか他の国では見られない半馬人のケンタウロスや黒い肌のダークエルフなどもいる。
「懐かしいなー。通りが狭く思えるのは背が伸びたからか?」
「そうだろうね。--で、どうする? このまま向かう?」
ザックスからの手紙には「古い友人を訪ねろ」とだけ書いてあった。昔に世話になった相手のことだろう。
「そうだな。何を頼まれたのかを一切書いてなかったのが引っかかるが、だからこそ先に行こう」
大通りには露店が並び、その中央には噴水が、奥には石造りの立派な門と城が見える。ガデス達は城門に向かって歩きだした。
「頼まれ事があるから代わりに昔の友人に会ってこい、か。行かせてみて驚かそうと思ったとか、ありそうだな……驚かせる相手は別行動中だが」
「ありえますね。しかし手紙があるとはいえ、問題なく訪ねられるか、若干不安なんですが」
城門には見張りの兵士が立っている。ヴァインはフェリルから手紙を受け取り、こちらを窺っている兵士に声を掛けた。
「恐れ入ります。冒険者協会のヴァイン=グレイヴという者ですが、ザックス=グレイヴの代理で--」
「ヴァイン=グレイヴ……?」
兵士は訝しげな表情でヴァインの顔を凝視する。続いてフェリルを見て驚きの表情に変わった。
「お前ら、大斧の旦那のガキ達か! 随分デカくなったんで、分からなかったぜ!」
そう言うと力任せにヴァインとフェリルの肩を叩く。音からして結構痛そうだ。ガデスの記憶にはない顔だが、昔からいる兵士だったようだ。
「いやー、上から話は聞いてたんだよ。お前らが来るってな」
元々開放的な国だからということもあるのかもしれないが、すんなりと通してもらえそうだ。心配はいらなかったらしい。だが兵士は何かに気が付いたようで表情を変えた。それまで気に掛けていなかったガデスの方を見て、首を傾げる。
「えっと、なにか……?」
「--いや、いっつも一緒にいたチビは今日はいないんだな、と」
「一緒に……?」
誰の事だろうかと、ガデスは記憶をひっくり返すが、思い当たる相手はいない。聞き返そうと口を開きかけたところで、フェリルがぽん、と手を打った。
「それ、僕達と行動してた女の子ですよね?」
「おう。ちょこちょこお前らにくっついてただろ」
それを聞いてヴァインも何かに気が付いたようだ。首を傾げるガデスの背後に回ると両肩を掴み、兵士の方に押し出す。
「え、ちょ、なに?」
「こちらが。その女の子です」
兵士が信じられないといった顔でヴァインを見、ガデスを凝視する。
「……マジか?」
「チビというのがガデス様のことなら、紛れもなくこの方ですね」
半信半疑といった様子でフェリルを見て、頷かれて再度ガデスに視線を戻す。
「えーっと…………お久しぶりです、わたしがガデス=グレイヴですよ?」
ガデスがポーズまで添えて渾身の可愛らしさを込めた挨拶に、しかし兵士は困惑した顔で目を逸らした。
(2に続く)