富士川に軍す
八月二十七日相模の人大庭景親、
源頼朝と石橋山に於いて雌雄を決する。
哀れ戦いに未だ馴れぬ頼朝はあっけなく敗れた。
九月五日右近兵衛権少将平維盛、
薩摩守平忠度、参河守平智度等に勅が下る。
兵を五千騎ひきいて愈平家は東海道、
東山道の兵を集め乍ら頼朝討伐に迫った。
世の流れは切迫し、波乱は次第に大きくうねり始めた。
七日木曾の隠れた寵児義仲に以仁王の令旨が伝わった。
義仲は気負いて応ずると信濃に兵を起こした。
十月七日、
「アレは何事じゃ。」
大空を航跡を残して隕石が流れ落ちた。
その天界からの落とし物は、人々の驚愕を他所に、
福原の東北に落下したという。
「不吉な。」
人々は天来の奇怪な出来事に、不安を余儀なくされた。
あの出来事は一体何を予知するもので有るか。
平氏の殿上人の中にも福原遷都の吉凶を占う者が居た。
「ば、馬鹿らしい。其の様な事に現を
抜かす者が居たらしょっぴいて参れ。」
当時の事とて天災も人災も人知の他にして、
中々払拭出来るものではなかったが、
軈ては平家の権勢の下に押し込められる行く末に有った。
二十日平維盛等は、軍馬を愈富士川に進めた。
対する源頼朝は対岸に対峙した。
すると霧深い最中薄暗い中に
何に驚いたのか、
黄瀬川の浅瀬に宿する水鳥が、
羽音を立てて一斉に飛び立った。
すると、川岸に陣取った平家の
兵共は平時の鍛錬を疎かにした報い
寝耳に水とばかりに
一斉に逃げ出した。
「敵襲だ、各々危のうござる。」
脱兎の如くとは此の事。
坂東武者は戦わずして勝ったという。