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変転
後鳥羽上皇、
諱(生前の徳行によって死後に贈る称号)
は尊成、
高倉帝の第四子でいらっしゃいました。
母は七條院と申されました。
治承四年七月十五日にお生まれに成られました。
壽永二年七月、
平宗盛ら、
養和帝(安徳天皇)を連れ、
神器を摂り、西海に走る。
法皇之を憂いて源義仲、源行家に
勅(天皇の命令)を発する。
之を討たせた。
そして
平時忠に詔(天皇の命令を直接に下す文書)を下し
宗盛等を諭し、
帝を都へお連れする様に命じた。
しかし、
宗盛は法皇の命にも答えず、
此処に於いて尚
評議を執り行った。
側近共は云った。
故、三條宮の子、
北陸宮は年長なれば、
乱離(国が乱れて人々が離散すること)の際には
宮を援立(高い地位に就 かせ)して
国家を安定させては…との話しも有ったような。
又は八條院を等々、
臣下の身を以て
非ぬ申し立てを連ねたと云う。
分不相応の極みであった。




