焚火
壽永元年七月十一日、法皇、孔雀経を修し、
科人の刑を免ずる。二年二月法皇、
藤原俊成に勅して千載和歌集編纂が始まる。
三月二十三日都の空に暗雲が立ち込める。
「なんじゃこの空は。」
「うわっ雹じゃ、雹じゃ。」
都人はあちらでも、こちらでも軒下やら木立の下に駆け込んだ。
「ようけ降るもんじゃのう。」
「何の祟りかいな。」人心の荒廃は悪天候を招くので有ろうか。
殿上では幣を伊勢神宮以下十六社に慎んで奉った。
十七日、平維盛、通盛、行盛、知度、経正、清房を
派遣して源義仲討伐に十万を送った。大地は軍靴に轟いた。
「来るは、来るは、限りない大勢じゃ。」
平家もいよいよ本気を示さざる訳には行かなくなった。
二十六日、源通親、伊勢神宮にご宸筆を奉らんとの遣いに向かう。
五月二日、平維盛、源義仲の将、
林光明、富樫家経と一戦を交わす
「やぁやぁ、我こそは御大将源義仲が家臣林光明が家来
何の某成るぞ尋常に勝負。」
あちら、こちらで名乗り相が聞かれたで有ろうか。
どうやら義仲勢に勝ち目は無かったようで有った。
十一日、平維盛等は源義仲軍と雌雄を決す。
この戦は平氏にとって深手となった。
平氏にとって頼みとする平知度、館貞康他五万を越える
死者に及んだ。暁の大地が茜色に染まる。
「南無…。」
大地に生臭い
死屍累々の様に見かねた数名の僧侶が焚火と
抹香を焚き、
経を上げる姿が有った。
後の世に語られる
驕れるものも久しからず
骸の山が続いた。




