後編
Part5 風習
あれから、いろんなことがあった。
乱暴者のチャドはあの事件からひとつきもたたないうちにサクラメントに引越していった。
学校を去る日、バツの悪そうな顔をして
「あのときはごめんな」
と竜登に謝りに来た。
今にして思えば、あのときすでに引越しが決まっていて、彼なりに辛かったのだろう。
住み慣れた土地を去るのはつらい、竜登もオレもそれは十分に知っているから、少しチャドに同情してしまったし、もっと仲良くしておけばよかった、とも思った。
第一印象が悪過ぎたけど、もしかしたら意外にいい奴だったのかもしれない。
竜登は、今はもうすっかりクラスに馴染んでいる。
もともと明るい性格で、ヴェーラを助けた一件からもわかるように運動神経も抜群だし、頭もいい。とくに計算が素晴らしく速くて、ミセス・コーエンはマスの授業中「エクセレント!」を連発している。悔しいが計算は絶対竜登にかなわない。
一度「なんでそんなに計算が速いんだ」って聞いてみたら「じいちゃんがソロバン塾やってたから幼稚園にあがる前からソロバンやらされてた」ということだった。
うーん、日本のソロバンってすげえ、オレもやっとけばよかった。
もちろんヴェーラともうまくいっている。
竜登がかなり英語が出来るようになったのもあるけど、ヴェーラのほうも一生懸命日本語を勉強している。将来は日本に行ってみたいとかで、ひょっとしたらこれは一生ものかな、とか密かに思っている。
そして、今は新学期から半年。学校はスプリングリセスに入った。
あと3ヶ月で4thgraderも終わる。
今日、オレは竜登の両親に誘われ、近所のバルボア・パークに花見に来ていた。
オレの両親のほうはダウンタウンに観劇に行った。子供も6歳から鑑賞可能らしいけど、オレは全然興味ないし、竜登といたほうが楽しいからこっちに乗ることにした。
バルボア・パークには大きな池があり、その周りは桜並木に囲まれている。日本で一番人気のあるソメイヨシノではないけれど、八重咲きのピンクの桜はとてもきれいだ。
アメリカ人にも人気のあるところだけれど、日本人としては、春に花見が出来るのは何よりうれしいものだ。
竜登のお父さんが見事に咲いた桜の木の下にシートを広げ、オレたちはそこに座った。ちょうど満開の時期で、日本だったら桜の下とか絶対空いてないだろうから、ちょっと得した気分だ。
お母さんが重箱に入った弁当を広げる。玉子焼き、野菜の煮物、焼き魚、ほうれん草のごま和え、と純日本風のおかずが並ぶ。それに俵型のおにぎり。ここがアメリカだということを忘れてしまいそうだ。
もちろん、アメリカ人に桜の下で弁当を食べる習慣はない。でも、こういうのを不思議とも何とも思わず、すぐに馴染んでしまうあたり、オレもやっぱり日本人ってことなのかな。
「いただきます」
そう言って、玉子焼きにかぶりつくとお母さんがにこっと笑った。
「日本食、大丈夫?」とか聞かれないのがなんとなくうれしい。
「しかし、酒が飲めないのはさびしいな」
お茶を飲みながら、つぶやいたのはお父さんだ。
日本の花見には酒が付き物だけど、アメリカは公共の場での飲酒は厳禁だから、大人には物足りないのだろう。アメリカでは人前で酔うのはとても恥ずかしいこととされていて、酔っ払いにはかなり厳しい。
まあ、子供のオレにとってはどうでもいいことだけど。
「仕方ないでしょ、ここはアメリカなんだから」
お母さんに窘められ、お父さんが肩をすくめる。
オレと竜登は顔を見合わせて、こっそり笑った。
Part6 提案
「ところで、和人くん」
「あ、はい!」
竜登のお父さんに突然話しかけられ、オレはちょっと焦った。
やばい、今笑ったのバレたかな、と思ったけど、お父さんが言ったのは全然別のことだった。
「竜登が土曜日に日本語補習校に行っているのは知っているかな」
「はい」
そう、アメリカ国籍を持つオレと違って、竜登はあくまでもアメリカに長期滞在している日本人だ。いつかは日本に帰らなきゃならない。オレにとっては寂しいことだけど、こればかりは仕方のないことだ。
そして、いつでも日本の学校に復帰できるように、竜登は土曜日をほぼまる一日使って、30マイル離れた場所にある、日本語補習校に通っている。
そこには竜登と同じ立場の子供たちがたくさんいて、オレ以外の同じ年頃の子供と日本語で会話できる、竜登にとって貴重な場所であるらしい。
「今はそっちの学校も春休み中で、日本のグレードでは4月から新学期。竜登は五年生になる」
「知ってます。小学校入学直前まで日本にいたので」
幻の小学一年生、背負うことのなかった新品のランドセル。あのときの苦い思いは今でも忘れることができない。
「そうか、それなら話は早い。もちろん和人くんがよければの話なんだが、新学期から竜登と一緒に通わないか?」
え・・・。
「実はね、あなたのご両親の了解はもうとってあるの。お父様は日本人として日本の教育を体験するのはとてもよいことだとおっしゃてたし、お母様も日本語補習校での実績はアメリカでの外国語取得のキャリアとして認められるから、今後のためにも行っておくのは有効だって賛成してくださったの」
突然のことに戸惑っていると、お母さんから意外な話を聞かされた。
うーん、もしかして今日の花見はオレにこの話をするためだったのか。
「和人くんのおうちはフリーウェイに入る前にちょうど通る場所だから、ついでといっちゃなんだけど、竜登を連れていくときに和人くんを途中でピックすればいいだけの話だし、帰りはおうちの前でドロップできるし、次の日は休日だから、いっそうちに泊まってくれてもいいし」
「ちょ、ちょっと待ってください」
オレはなんだか盛り上がっているお母さんを押しとどめた。
まだ、なんだかいろいろと整理がつかない。
「あの、日本語補習校って日本人が行くところですよね」
「まあ、基本的にはそうだけど、プライベートスクールだし、日本語を理解出来れば国籍は問わないらしいわよ。それに和人くんは日本国籍も留保してるでしょ」
「ええ、まあ。20歳になるまでは。でも、オレは見かけがこんなだし」
日本にいたときに感じていた、珍しいものを見るような視線。あの視線に晒されるたび、自分はここにいてはいけないのじゃないかと思ってきた。所詮オレは「他所者」なのだ、と。
「ああ、それなら大丈夫。竜登のクラスだけでもハーフの子は8人いるから、和人くんも全然目立たないわよ。あ、イケメンだからやっぱり目立つといえば目立つけど」
お母さんはそう行ってケラケラと笑った。
・・・イケメンて、そういう問題だろうか。
でも、なんだかこの人と話していると今まで真剣に悩んでいた自分はなんだったんだ、と思えてくる。
ちょっと、心が軽くなったような気がした。
Part7 発見
お母さんの話はさらに続く。
「ごめんなさいね、真面目な話なのに。それで、話の続きなんだけど、さっき言ったように外国語のキャリアが目的で通っているシチズンの子も多いの。中にはあまり日本語が得意じゃない子もいるけど、みんな仲良くやってるわよ、ねえ」
「うん」
話を振られた竜登が頷く。竜登と一緒に日本の学校に行く、少し心が動いた、でも。
「今、竜登は何も困ってないんだろ、だったらオレが一緒にいる必要ないんじゃ」
「あのさあ和人、おまえ、何かゴカイしてないか?」
「誤解?」
竜登はちょっと怒ったような顔をしていた。オレ、何か悪いこと言ったっけ?
「エレメンタリーでおまえがいつも一緒にいて、通訳とかやってくれてるのは、すごく助かるし、感謝してる。でも、オレがおまえといるのは、便利で都合がいいからじゃないぜ」
「竜登・・・」
「オレが和人と一緒にいたいって思うのは、楽しいからだ。和人は違うのか、オレが英語ができなくてカワイソウだから面倒みてやってる、それだけなのかよ!」
横っ面を張り倒されたような気分だった。
そんなこと思ったことなんかない。だけど、ほんの少しだけ、オレは竜登を疑っていたのかもしれない。通訳ができる、オレは竜登の役に立っている。でも、それがなくても竜登はオレのことを友達だと思ってくれるだろうか。どこかでそう思っていた。
「竜登はオレのこと、日本人だって思ってる?」
そう聞くと、竜登は不思議そうな顔をした。
「だって日本人なんだろ」
「こんな顔でも?」
「ああ、それならもう慣れた」
は・・・、慣れたって?
「なあ、和人。オレにはよくわからないけど、ナニ人とか、そんなに重要なことなのか。べつにおまえがどこ人でも、おまえはオレの友達だろ。そりゃ最初は金髪で緑の目の日本人がいるなんてびっくりだったけどさ。そんなのすぐ気にならなくなった。オレは和人が緑の髪で金色の目でも、やっぱり友達だと思うぜ」
「緑の髪に金の目って、そんな人間実在しないだろ、どこのラノベだよ」
「モノノタトエって奴だよ。オレが言いたいのは、和人が何人でもどんな見かけでもオレは和人が好きだってこと。だから土曜日も一緒の学校行けたらいいなって思ってる、それだけ!」
そう言った竜登の目は曇りがなく真っ直ぐで。
初めて気づいた。
国籍とか容姿とか、そういうことに拘っていたのはオレのほうだった。
そうだ。オレも。
竜登がどこの国の人間でも、どんな姿をしていても、きっと友達になった。
「あの・・・」
オレは竜登の両親の方に向き直った。
「オレ、今まで日本の教育を受けたことないんですけど、それでも大丈夫ですか」
「もちろんだ。お父さんに聞いたんだが、夏目漱石を読んでいるそうじゃないか、いまどき小学生から漱石を読んでいる子なんて日本にもなかなかいないよ、感心した」
「あ、それは父の本棚の本を読んでいたからで」
と、突然お母さんが吹き出した。
「あの、何か変なこと言いました?」
「ううん、違うの、ごめんなさい。き、昨日竜登にその話したら、ナツメソーセキってなんか珍しい石?って聞かれたの思い出して。お札にもなった人なのにね」
「だって、今の千円札の人じゃないし。てか、その話和人にはナイショだって昨日約束したじゃん」
「こんなオイシイ話、黙っていられるわけないでしょ」
「かーさん、ひでえ」
竜登を肴にみんなで笑いながら、オレは空を見上げた。
抜けるようなカリフォルニアの青い空に、ピンクの桜が映える。
とても清々しい気分だった。
それはずっと探していたものが見つかったから。
オレが長い間探してきて、見つけることができなかった「自分」というもの。
それを見つけてくれたのは
榊原竜登、オレの親友。
オレが言いたいのは、和人が何人でもどんな見かけでもオレは和人が好きだってこと。
それだけ・・・。
エピローグ サクラサク
「さくら学園」
これが日本語補習校の名前だった。
補習校は土曜日だけの学校だから、自前の校舎はなく、ミドルスクールを借りている。
オレのクラスは五年だからそうでもないけど、一年生は床に足がつかなくて苦労しているらしい。
「さくら学園」という名前だけど、校庭に桜はない。
日本ではほぼどこの学校でも校庭に桜があるのにな。ほんのちょっと寂しい気持ちで、でもこれからの学校生活に期待しながら、オレは竜登と一緒に門をくぐった。
オレは5年1組、とはいっても、5年は1クラスしかない。2クラスあるのは3年生まで。やはり高学年になると勉強が難しくなることと、習い事などが忙しくなることもあり、やめてしまう子が多いらしい。
5年で入ってくる子は珍しいらしく、担任の山口先生は張り切っていた。
「今日からみなさんと一緒に勉強する、森川和人くんです」
「森川和人です、日本の学校は初めてなので、いろいろ教えてください」
先生に紹介を受けて、日本式にお辞儀をすると、教室がざわめいた。
日本語がうまいのに驚いたらしいけど、確かにハーフらしい子が数名いることもあり、さほど容姿にこだわりはないようだ、少し安心した。
「ここの席順は50音順になっています、森川君は松下さんの後ろです、松下さん!」
「はい!」
まっすぐな黒髪の可愛い女の子が手を挙げた。
お、ひょっとしてオレ、ツイてるかも。
「よろしく」
席につくときに会釈すると、松山さんが顔を上げた。
「私、松下さくら。こちらこそよろしく」
にこっと笑った松下さんの笑顔はとてもきれいだった。
さくら学園に桜の木はない。
でも
さくらみたいに可愛い子がいる。
うん
やっぱりツイてるな・・・。
END
私は普段小説を書くときに特定のモデルを設定しないのですが、この話だけは全員モデルになった子がいます。
和人と竜登のキャラクターは私自身がかなりはいってますが、ちゃんとビジュアルを参考にした子がいますよ。
ヴェーラ、ソフィア、チャドもさくらも。
みんないい子でした、今どうしてるかなあ・・・。
ところでこの話に登場する「バルボア・パーク」は実在します。私もいきました。
そして桜の下で弁当広げているのは全員日本人でしたw
アメリカ人にとっては不思議らしく、「宗教的な行事か?」と真顔で質問されたことがあります。
うーん、一種の宗教といえなくもない?
コノハナノサクヤビメに敬意を表して?あまり深くは考えてないですが、自然に対する畏敬の念は日本人には確かにあると思います。八百万の神の国ですしね。