前編
PART1 容姿
オレには2つの国籍と3つの名前がある。
なぜかというと、オレはアメリカ生まれで、父親が日本人、母親がドイツ人だから。
アメリカで生まれた子供は両親の国籍に関わらず自動的にアメリカ国籍が与えられる。そして両親のどちらかが日本人だある場合、申請をすれば日本国籍も取得することができる。
だからオレはアメリカ人であると同時に日本人でもある。
ドイツは多重国籍を認めていないからドイツ国籍はないけれど、将来的にドイツ国籍になることもできるように、ドイツ名も持っている。
オレのドイツ名は ラルフ・ヴィルヘルム・バックハウス
アメリカ名は ラルフ・カズト・モリカワ
そして、日本名は 森川和人。
3つの国の3つの名前、でもオレはひとりしかいない。
時々思う。
オレはいったいなんて名前で、なに人なんだろう。
オレが生まれたのはアメリカ合衆国、イリノイ州、シカゴ。
米国第3位の大都市だ。
でも、オレにここの記憶はまったくない。
オレの父親は米国の企業に勤めているが、オレが1歳になる前に日本に転勤になった。
そして、オレは1歳から6歳までを日本で過ごすことになる。
だから・・・
オレが最初に覚えた言葉は日本語だった。
日本は安全で快適な国だ。文化程度も高い。
でも、オレにとって快適とは言い難いことがひとつ。
日本は極東の島国で、移民の受け入れにも積極的ではない。だから「日本人」=東アジア系という図式が出来上がってしまっている。
ここで問題になるのがオレの「見かけ」
オレの母親はドイツ人、レースはコーカソイドでゲルマン系。ヨーロッパ民族の中でもことに金髪碧眼が多い。
当然、オレの母親も金髪だったし、眼の色は緑色だ。そして、オレはどこから見ても母親似だったから、一般の日本人にとってオレは「外人の子」だった。
オレの顔を見ると、皆一様に困ったような表情で英語らしきもので話しかけてくる。
「日本語で話して」
と言うと、ほっとしたような照れ笑いを浮かべて「日本語できるんだ、すごいねえ」と言われる。日本に住んでる日本人なんだから当たり前だろ。と、思うんだけど、金髪で緑の目だったりすると、日本人だと認めてもらえないらしい。
こういうのなんて言うんだろう「疎外感」かな。
とにかく、そういう状況の中でオレは幼少期を過ごしたわけだ。
でも、少々の疎外感はあっても、オレは日本でそれなりに快適に暮らしてきた。
6歳の誕生日のころには、簡単な漢字くらいなら読めるようになっていて、これで小学校に上がっても大丈夫、絶対「外人」なんて言わせない。そう思ってオレは入学の日を心待ちにしていた。
けれど、オレは結局「小学生」になれなかった。
父さんのアメリカへの再度の転勤が決まったのは、オレが6歳の春。
小学校入学をひと月後に控えた、3月のはじめのことだった。
父さんの転勤先は、マサチューセッツ州、ボストン。隣のケンブリッジには、世界一有名といってもいいハーバード大がある、教育機関の多い町だ。
ここは人口の50%以上がヨーロピアンだったから、オレの見かけは珍しくもなんともない。ごく普通の子供だから、町を歩いていてもじろじろ見られる、なんてことはない。
自分の容姿が目立たないことが、なんだか不思議で新鮮だった。
かくして、日本にいたころ、オレを悩ませていた問題はあっさり解決した。
だが、代わりにもっと大きな問題が待ち構えていた。
アメリカで生まれた子供は、自動的にアメリカ市民になる、だからオレはアメリカ人だ。だけど、1歳で日本に渡ったオレは英語が全くできなかった。
Part2 言語
両親の母国語が違う場合、子供は自然に両方の言語を覚える。
オレの場合、使用頻度が多いのは日本語だから日本語のほうが得意だけど、母親が普段オレに話しかけるときはドイツ語なので、ドイツ語なら一般的な会話は出来る。
英語は、そのどっちでもない。
実は両親の間で交わされる会話は英語だったのだけど、オレに関係ない話だから全く関心がなくてロクに聞いてない。「英語」はオレにとって覚える必要のない言葉として素通りされていたのだった。
自分たちの息子は英語が喋れない。
これは両親にとって盲点だったらしい。
自分たちが普段英語で会話していたものだから、当然オレも英語を理解しているものだと思い込んでいた、呑気なものだ。
オレのあまりの英語力のなさに慌てた両親はいきなり英語の特訓を始めた。
家でも英語以外の言語は禁止。日本語で話しかけようがドイツ語で話しかけようが、英語でしか答えてくれない。しかも英語で話すことを強要される。
確かに今更日本に戻れない以上、何がなんでも早急に英語を身につける必要があったし、そのためには仕方のないことだったとは思うけど、言葉を奪われたも同然だったあのころの辛さは今でも忘れられない。
ヨーロッパ系の多いこの地に来て、オレは疎外感からは解放された。
しかし、かわりに言葉の壁にぶつかり今度は圧倒的な「孤独感」に苛まれる結果になった。
まあ、そのおかげでか、まだ幼かったからか、オレは半年で言葉をクリアし、ESLからも卒業できたのだけれども。
そして。
それから3年あまりの月日が流れ、英語にもボストンの生活にもすっかり慣れたころ、オレはまた引っ越すことになる。
ただし、今度はアメリカ国内だから、いくぶん気楽だった。
引越し先はカリフォルニア州ロサンゼルス。
移民の国アメリカでもことに様々な人種が暮らしている、俗に「人種のサラダボウル」とも呼ばれている全米2位の大都市。
どんなことが待ち受けているのだろうか。
期待といくばくかの不安を抱え、オレは4th greaderの新学期を新しい土地で迎えることになった。
転校した先のエレメンタリーでは、すでに新学期がスタートしていた。
スクールオフィスで転入手続を済ませ、新しい教室に入る。
クラスルームまで送ってきてくれた母さんに手を振って、オレは担任のミセス・コーエンに促されるまま、自己紹介を始めた。
名前はラルフの方を使った。「カズト」はzuの発音が結構難しいし、アメリカ人にとっては馴染みのない名前だから、聞き返されるのが面倒だったからだ。
前に住んでいたボストンについて、いろいろと話しながら、クラスメート達を観察する。ヨーロピアンは3割ほど、ヒスパニックが4割、アフリカンが1割ってところか。あとはアジアやアラブ、インド系など、さすがにバラエティに富んでいる。
ほとんどは転校生のオレに興味津々の様子で熱心に聴いてくれているけど、その中に3人だけ、オレのほうを見ていないクラスメートがいた。
Part3 邂逅
転校生のオレに関心のない3人の級友。ひとりは明らかに東アジア系の男子。チャイニーズかコリアンってところだろう。なかなか整った顔立ちだが、虫の居所が悪いのか、不機嫌そうな表情で窓の外を眺めている。
二人目は小麦色の肌をした、インド系の女子。くっきりとした顔立ちで、かなりの美少女だ。彼女はさっきから、気遣わしげに例の東アジア系の男子のほうばかり見ている。
最後の一人は赤毛のヨーロピアンの男子。体格がいいが、失礼ながらお世辞にも賢そうには見えない。粗暴な性格が目付きに現れていて、出来ればあまりお近づきにはなりたくないタイプだ。こいつはずっとインド系の美少女を見ているのだが、時折、アジア系の男子を忌々しげに睨みつけている。
なるほどね。大体の構図が見えてきた。
しかし、美少女とバカはわかりやすいが、アジア人のイケメンは何が原因であんなに不機嫌なんだろう。そのことが妙に気にかかるのは彼が「日本」を思い起こさせる容貌をしているからなのかもしれない。
昼休み、オレは情報収集に取り組むことにした。
洋の東西を問わず、女子はお喋り好きで、その情報網は侮れない。とはいえ、私見をあまり交えずに正確な情報を伝えてくれる人物はなかなかいない。
その中にあまり喋らずに聞き役に専念している子がいた。自分がやたらと喋りたがる子は大概人の話は聞いてないから、あまり役に立たない。
オレは彼女、ソフィアに話を聞くことにした。
しばらく当たり障りの無い世間話をしてから、本題に入る。
「・・・ところで、あのアジア系の男子だけど、いつもあんなふうな感じなの?」
彼はオレたちとは離れた場所で、たったひとりでつまらなそうにサンドイッチを食べていた。
「ああ、ルークね。ええ、いつもああなの。とはいっても入ってきたばかりだから、まだクラスに馴染めないのかも」
へえ、あいつも転校生だったのか。
「ルークっていうのか」
「ううん、本当は違う名前らしいんだけど、難しい名前で発音できないし憶えられないからって、ミセス・コーエンがつけた名前なの」
うん、チャイニーズかコリアンかわからないけど、アジア系の名前は憶えにくいから、英語名を通称にすることはよくある。
「シャイなのかな、それともスタバーンとか」
「わからないわ、でもみんな彼に興味はあるの、あ、ほら」
ソフィアに促されルークのほうを見ると、ちょうど彼の隣りに例のインド系の美少女が座るところだった。
「今座った子、ヴェーラっていうんだけどね、ルークは転校して来た日に彼女が階段から落ちそうになったのを助けたの」
「へえ、すごいな」
「ええ、かっこよかったわよ。階段を降りようとして躓いたヴェーラを左手で支えて、自分が落ちないように右手で手すり握って。もう大拍手」
そりゃそうだろうな。
しかし、だったら彼はヒーローだ。ヒロインのヴェーラが彼に惚れるのは当然として、ますます彼の不機嫌の理由がわからない。
ん、でも、ヴェーラとは結構楽しそうに話しているみたいだな。まあ、そのうちにクラスにも馴染んでくるだろう、オレも折を見て話しかけてみよう。
そう思っていた矢先に事件は起こった。
なんとなくいいムードになりかかっているヴェーラとルーク。
でも、そのことを快く思っていない人物がひとり。言わずと知れた粗暴そうな赤毛のバカだ。何かしでかさなければいいが、と気がかりに思っていた時、突然赤毛の右手が閃き、何かをルークに向かって投げつけた。
次の瞬間、ルークが立ち上がった。
「痛えな、何しやがる!」
カフェテリア中に響き渡る声。
今まで喋らなかった彼の剣幕に、場は水を打ったように静まった。
「もう、チャドったら、また・・・」
隣りでソフィアが小さくつぶやいたのが聞こえたが、オレは彼の使った言葉に衝撃を受けていた。
日本語、だった。
彼の不機嫌の理由、それが一瞬で理解できた。
ここにいるのは3年半前のオレだ。
親の都合で友人たちと引き離されて、言葉すらわからない世界に突然放りこまれ、どうしようもない孤独と意思を伝えられない焦燥感に絶望していた。
英語の通称じゃなく、彼の本名が知りたい。
彼の話を聞きたい。
いてもたってもいられず、オレは彼の元に駆け寄った。
「お前、日本人か?」
日本語で話しかけると、彼は大きく目を見開いた。信じられない、という表情で、物を投げつけられた怒りも忘れてしまったようだった。
「お前、日本語出来るのか?」
何かなつかしい質問だな。
「ああ、オレの父さん、日本人だもん」
彼はさらに大きく目を見開いた。
「マジで?その顔で、日本人?!」
うわ、この返しもなつかしい。ここだけ日本が戻ってきた気分だ。
「お前、名前は?」
そう質問してみる。
「榊原竜登」
りゅうと、そりゃ確かに憶えられないし発音できないだろうな。Ryutoじゃなんと読むのか英語圏の人間にはまずわかるまい。
「りゅうと、か。漢字は?」
「漢字わかるのか?」
「うん、まあ、一応。言ったろ、どんな顔していようがオレは日本人だって。で、漢字は?」
「ドラゴンの竜に、山に登る、の登」
「登竜門かあ、かっこいいじゃん」
「とうりゅうもん?」
「知らないのか?あれだよ、鯉が川を溯ると竜になるって中国の伝説。こいのぼりで有名だろ」
ちょっと得意な気分で、オレはルーク、じゃなくて竜登に説明する。
こっちに来てからも、日本語を忘れてしまうのがいやで、父さんの書斎の本を片っ端から読み漁っていたから、今でも日本語の文章には自信がある。
まあ、たまに単語を忘れていて焦ったりはするけど。
とにかく、これが竜登との出会いだった。