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第三章『分岐、最悪の選択』その3



 事件の影響か、商店街の空気は重く沈んでいた。

 自分の力を過信した学生が重傷を負うなんて珍しいことじゃない。

 問題は、今回の事件で警備体制に対する不信感が芽生えてしまったことだ。

 もっとも、それが分かっても真面目に見回るくらいしかできないのだが。

 午前中の見回りを終え、自然公園のベンチで早めの昼食を取っていると、

「街の雰囲気が悪いな。この調子では今日、明日にでも狂精霊が生まれるかも知れん」

 ライカがイエル特製サンドイッチを頬張りながら言った。

 ヴェルナは小さめのサンドイッチを飲み込み、紅茶で唇を湿らせた。

「精霊士ってのは、そう言うのも分かるのか?」

「分かると言うよりも分かってしまうのだ」

「案外、精霊士ってのは本能の一つなのかもな」

 ヴェルナが思いつきを口にすると、ライカは動きを止めた。

「……どう言う意味だ?」

「精霊は人間にとって天敵も同然だろ。殺し殺されての関係、食物連鎖っての? 精霊騎士って例外を除けば、精霊は間違いなく上位捕食者だ。んで、ウサギと狼みたいな捕食関係でも、ウサギは食い殺されないための武器を持ってるんだと」

「どんな武器だ?」

「長くて、良く聞こえる耳」

 ヴェルナの答えを聞くなり、ライカは失望したと言わんばかりに肩を落とした。

「長くて、良く聞こえる耳は重要じゃん。脚力で劣るウサギは狼が近づいてくる前に逃げなきゃ食われちまうんだから。人間と精霊も同じで、力で劣る人間は精霊が狂うよりも早く逃げなきゃ殺されちまうだろ。だから、精霊士は精霊の気配に敏感なんじゃねえの?」

 これがライカがあたしやアッシュ先生と一緒にいて安心する理由かもな、とヴェルナは心の中で付け加える。

「臆病者と言われているような気がするぞ」

 何故か、ライカは不機嫌そうだ。

「臆病なくらいで丁度良いと思うぜ。それに、あたしは精霊を怖いって感じないヤツと一緒に戦いたくねえな」  

「ヴェルナも精霊が怖いのか?」

「当たり前だろ」

 ヴェルナは自分でも驚くくらい素直に答えられた。

「怖いと思うから慎重になるんじゃねえか」

「ヴェルナは、すごいな」

 言って、ライカは嬉しそうに笑った。

「アッシュ先生の受け売りだよ、受け売り」

「今、私の中でヴェルナの評価が微妙に下がったぞ」

「良いから、さっさと飯を食えよ」

「……ヴェルナ様、あれを」

 イエルがヴェルナの背後を指差す。

 口調は普段と変わらない平坦なものだったが、嫌な予感がした。

 振り返ると、予感は的中。

 赤い信号弾が浮かんでいた。

 信号弾の位置と脳内の地図を照らし合わせ、

「商店街だ! イエル、ライカを抱えてついてきてくれ」

「かしこまりました。目的は住民の避難でよろしいですか?」

「ああ、あたし達の仕事は戦うことじゃねえ」

 魔力圏を形成し、ヴェルナは商店街に向かう。

 かなりのスピードで走ったのだが、イエルは顔色一つ変えずに付いてきた。

「ヴェルナちゃん!」

 マリィおばさんに呼び止められ、ヴェルナは足を止めた。

 マリィおばさんの後でアリス先輩がスレッジハンマー片手に狂精霊と戦っていた。

 狂精霊の姿は体表が灰色っぽい以外、ヴェルナが戦った個体と同じだ。

 ほぼ無傷の狂精霊に対し、アリス先輩は傷だらけだ。

 きっと、アリス先輩は住民の避難を優先して、狂精霊を足止めしたのだろう。

「早く、精霊をやっつけておくれよ」

「ヴェルナ様、私達の目的は住民の避難のはずですが?」

 ぎょっとマリィおばさんが目を剥く。

「あれが見えないのかい! もう、アリスちゃんは限界なんだよ!」

 違う。

 あれがアリス先輩の戦闘スタイルだ。

 だったら、次の行動は決まっている。

 だから、住人の避難を優先させたんだ。

「みんな、窓から離れろ! 無理なら地面に伏せろ! 巻き込まれるぞ!」

 叫び、ヴェルナはマリィおばさんと地面に伏せる。

「ハァァァァァァッ!」

 触手の群れを薙ぎ払い、アリス先輩が吠える。

 翠緑の魔力が爆発的に膨れ上がり、強固な魔力圏を形成する。

「カノン!」

 爆音が轟き、アリス先輩が狂精霊と激突した。

 荒れ狂う衝撃が狂精霊を蹂躙する。

 対城砦対軍攻性魔術カノン……魔弾と同じ下級魔術に属しながら、あまりの殺傷力の高さに模擬戦闘で使用を禁じられた魔術だ。

 これでアリス先輩は自分を打ち出し、砲弾と化して狂精霊に突っ込んだのだ。

 人間なら形も残らない、必殺の一撃を受けても狂精霊は生きていた。

 悲鳴を上げ、滅茶苦茶に触手を振り回す。

 触手が石畳を削り、店先にあった肉や野菜を粉砕する。

 被害が一番大きいのは体を密着させているアリス先輩だ。

 けれど、アリス先輩は無茶苦茶にスレッジハンマーを振り回した。

「彼女は正気なのですか?」

「あれがアリス先輩の戦い方なんだよ」

 百年を生きるイエルにもアリス先輩の戦い方は異常に見えるらしい。

 だが、こうでもしなければアリス先輩は強くなれなかった。

 腕力だけで優勝候補になれるほど、学園のライバルは甘くない。

 アリス先輩がスレッジハンマーを振り下ろした瞬間、血が全身から噴き出した。

 その隙を狂精霊は見逃さなかった。

 狂精霊はアリス先輩を引き摺り倒し、触手を振り下ろす。

 アリス先輩はスレッジハンマーで受け止めたが、防ぎきれなかった触手が腕の肉を抉っていた。

 大丈夫だよ、とアリス先輩の唇が動く。

 瞬間、頭の中が真っ白になった。

「ヴェルナ!」

 ライカの腕を振り払い、ヴェルナは走り出していた。

 最大出力の魔力圏を形成する。

 八年間の努力も、ケガをしたら選考会に参加できなくなることも吹き飛んでいた。

 あったのはアリス先輩を助けることだけ。

 ヴェルナは衝動に突き動かされ、狂精霊に怒濤の連打を叩き込んだ。

「氷槍一矢!」

 氷槍が真横から突き刺さり、狂精霊を凍結させた。

 氷の彫像と化した狂精霊はそのまま地面を滑り、道の真ん中で止まった。

「あたし達で狂精霊を足止めする」

「……無茶をしないでね」

 狂精霊が氷を砕き、ライカとイエルに触手を伸ばす。

 二人を脅威と認識したらしい。

 イエルはライカを抱えながら触手を躱すが、軽やかな動きとは言い難い。

「アサルト!」

 ヴェルナは走りながら魔力弾を狂精霊に撃ち込んだ。

 狂精霊の意識を逸らそうとしただけなのだが、触手がヴェルナに伸びる。

 予想外の攻撃に反応が遅れた。

 ぞっとする風切り音が耳元を通過、耳から血液が滴り落ちる。

「炎弾乱舞!」

 真上から炎の塊が降り注ぎ、狂精霊の動きが止まった。

 炎が肌を炙るのも構わず、ヴェルナは弧を描く軌道で拳を叩き込む。

 腕を絡め取ろうと触手が伸びるが、

「炎弾乱舞!」

 二度目の炎が狂精霊を押し包む。

 甲高い悲鳴が上がり、噴き出した水柱がライカの炎を飲み込んだ。

 大量の水によって炎が消える。

「氷槍一矢!」

 ライカが放った氷槍を水柱が阻む。

 精霊は時間が経つほど強くなると理解していたつもりだが、こんな短時間で魔術じみた現象を引き起こすなんて予想外だ。

 これで戦況は五分以下だ。

 狂精霊の声に応じるように次々と水柱が屹立する。

 ヴェルナは散発的に攻撃を仕掛けたが、戦況を覆すことはできなかった。

「ヴェルナ、水柱は私が止める!」

 ライカが高らかに旋律を紡いだ。

 それは神話の時代に使われた言語であり、上級魔術を発動させるための呪文だ。

 何にせよ、ライカの魔術が完成するまで一人で戦わなければならない。

 何とかしてくれる、とヴェルナは狂精霊に攻撃を繰り返した。

 アサルトで牽制、ライカに意識が向けば一気に間合いを詰め、スラッグで体の一部を吹き飛ばす。

 三人で五分以下だった戦況は今や目も当てられない有様だ。

 それでも、ヴェルナは諦めない。

 ライカを信じ、全力で狂精霊をその場に押し止める。

 そして、ライカの魔術が完成した。

「顕現せよ!」

 刹那、氷雪がライカを中心に吹き荒れた。

 白い嵐が商店街を吹き抜け、世界を書き換えるかのように凍らせる。

 石畳が、建物が、店先に並んだ野菜が、ありえないスピードで凍結する。

 それはヴェルナの行く手を阻もうとした水柱さえも例外ではなかった。

 狂精霊は悲鳴を上げたが、凍り付いた世界は呼びかけに応じようとしなかった。

「アサルト、アサルト、アサルト!」

 弾幕を張り、ヴェルナは狂精霊に接近する。

 狂精霊は数え切れないほど触手をヴェルナに伸ばす。

 だが、本数が増えたことで耐久力が減じたのか、ただのアサルトで千切れ飛ぶ。

 ヴェルナが拳を振り上げた瞬間、何かが狂精霊の体を突き破った。

 頭と尾を取り除いた魚の骨のようなものが狂精霊の真下から一本、上部から五本突き出していた。

 幼児が肘から指先までを絵に描いたらこうなるかも知れない。

「スラッグ!」

 ヴェルナが爆発の衝撃を利用して飛び退ると、五本の骨が拳を握るように閉じた。

 一瞬でも遅れていたら良くて腕一本、悪くて体半分を囓り取られていただろう。

「アサルト!」

 距離を取りながらヴェルナはアサルトを起動したが、魔力弾は狂精霊に触れることなく四散した。

「どうなってやがる!」

 漠然とヴェルナは、狂精霊が魔力圏を展開していると理解していた。

 けれど、ヴェルナに考える時間は与えられなかった。

 狂精霊が六本の骨から小骨を撃ち出したのだ。

 石畳が、氷柱が、店先に並んでいた野菜が砕け散る。

 ヴェルナは必死に駆けたが、広範囲に撒き散らされた骨を全て躱すことは不可能だった。

 制服が裂け、血が脇腹や腕を濡らす。

 不意に影が差し、ヴェルナは強く地面を蹴った。

 ずんっ! と地響きを立てて狂精霊が落下する。

 砕けた石畳に背中を殴打され、ヴェルナは無様に転倒した。

 立ち上がろうとしても体が動かない。

 ゆっくりと狂精霊がヴェルナにのし掛かり、

「ヴェルナに、手を出すな!」

 魔炎に身を包んだライカが真横から狂精霊を殴りつけた。

 ダメージを受けたようには見えないが、狂精霊は上空に退避する。

「なんだよ、ちゃんと使えるじゃねえか」

「ちゃんと、ではない」

 ライカの言を裏付けるように魔炎が不規則に揺れていた。

「今のライカ様には私を使いこなす技量がないのです」

「助けてくれただけでも恩の字さ」

 ヴェルナは宙に浮かぶ狂精霊を睨み、人が屋根の上に立っていることに気付いた。

 豊かな金髪が陽光を浴び、炎のように輝いている。

 どす黒い魔力弾が狂精霊を地面に叩きつけ、

「石柱、召還!」

 巨大な石柱がヴェルナ達を取り囲むように隆起する。

「流炎瀑布!」

 人影が両腕を掲げ、炎が生まれる。

 小さな炎は蛇のようにうねり、空を覆い尽くすまでに成長する。

 髪が痛いくらい熱い。

 商店街を覆っていた氷雪まで溶け始めた。

「……っ!」

 ヴェルナがライカを石柱の外に放り投げた次の瞬間、視界が赤く染まった。

 石柱の内側に炎が降り注いだのだ。

 魔力圏がなければ、焼き殺されていただろう。

 いや、安心するのは早い。

 一度目の死を回避しただけだ。

 魔力が尽きる前に外に逃げ出さなければ……、

「それも難しいか」

 もう逃げ出す術は残されていない。

 狂精霊が滅茶苦茶に暴れているのだ。

 高速で回転する刃に蓋をされているようなものだ。

「弱音を吐いてもいられねえか」

「ヴェルナ! 今、助けに行く!」

 真上から降ってきた声にヴェルナは石柱を見上げた。

「来るな、馬鹿!」

 ヴェルナは思わず叫んでいた。

 ライカを覆う魔炎は消滅寸前だ。

「しかし!「しかしも、案山子もねえ!」」

 ヴェルナはシュートを起動、石柱からライカを叩き落した。

「良いか! あたしを助けようとするな!」

 気絶でもしているのか、ライカの答えはない。

 格好をつけ過ぎたかな、とヴェルナは項垂れた。

「……先生、ごめん」

 何に対しての謝罪なのか、ヴェルナは自分でも分からなかった。

「こんな時は『助けて』と言うべきです」

 まるでケアレスミスを指摘するような穏やかな声。

 見上げると、アッシュ先生が宙を舞っていた。

 落下に身を任せ、アッシュ先生は拳を狂精霊に振り下ろす。

 それだけで石柱の内側を満たす炎は掻き消え、狂精霊の体が半分近く吹き飛んだ。

「さて、脱出しますよ」

 ヴェルナを抱き上げ、アッシュ先生は軽く地面を蹴る。

 風に舞う羽毛のようにアッシュ先生は石柱を飛び越え、えずくライカの傍に着地する。

「ヴェルナ、それにアッシュも!」

「……すみません、助けに来るのが遅れました」

 宝物でも扱うようにヴェルナを下ろし、アッシュ先生は右手を石柱に向けた。

 銀色の拳銃……回転弾倉式拳銃がアッシュ先生の手の平を突き破る。

「来ますよ」

 狂精霊は肉片と体液を撒き散らしながら石柱の上に立ち、最後の力を振り絞るように五本の骨を撃ち出した。

 アッシュ先生は拳銃を構え、トリガーを引いた。

 刹那、漆黒の雷が銃口から迸る。

 漆黒の雷は触れただけで五本の骨を爆砕、その延長線上にいた狂精霊を呑み込んだ。

 そして、狂精霊は塵も残さずに消滅した。

 アッシュ先生が拳銃を握る右腕を下ろすと、赤黒い弦が拳銃に絡み付いた。

 まるで血管のように脈打つそれは拳銃をアッシュ先生の中に引き摺り込んだ。

「お疲れ様でした、ヴェルナさん」

 ヴェルナは返事もできずにその場に座り込む。

「……ヴェルナ」

「あ?」

 振り向くと同時に乾いた音がした。

 じわじわと頬が熱を帯びる。

 殴られた、と頬を抑えながらライカを見上げる。

「ヴェルナの馬鹿!」

 また、乾いた音がした。

「痛えな、魔弾を撃ち込んだことを根に持ってんのかよ」

「そんなことくらいで怒るはずなかろう!」

 ばかだの、たわけだの、ライカはヴェルナの胸ぐらを掴んで言いたい放題だ。

「だったら、何で怒ってんだよ!」

 髪を掴んで引き剥がそうとしたが、ライカはヴェルナの胸倉を掴んで抵抗する。

「……どうしてだ、ヴェルナ」

「だから、何が」

「どうして、ヴェルナは自分を粗末に扱うのだ」

「粗末になんてしてねえよ」

「だったら、どうして一人で戦おうとした」

「別に関係ないだろ」

「ヴェルナ!」

 またか、とヴェルナは体を硬直させたが、予想された攻撃はなかった。

「……関係ないはずなかろう」

 ライカは大粒の涙を流し、恥も外聞もなく泣き喚いた。

「ごめん、ライカ」

 その姿は癇癪を起こした子どもみたいで、ヴェルナはそう呟くのがやっとだった。

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