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第一章 『邂逅、始まる物語』その3



 ヴェルナのアパートは学園から徒歩三十分の距離にある。

 築二十年の四階建て、間取りは大きな部屋をL字型の廊下で区切った感じだ。

 玄関に入ると、右にリビング兼キッチン、左にバスルームとトイレがあり、廊下の角を曲がった所に部屋が二つ並んでいる。

 一人暮らしの学生には不相応なアパートだと思っていたのだけど、

「ふむ、悪くないアパートだ」

「そんなこと言われなくても分かってんだよ」

 アパートに入るなり、上から目線で感想を聞かされると妙に腹立たしい。

「落とすぞ?」

 ヴェルナの肩から滑り落ち、ギニャ! とライカは猫っぽい悲鳴を上げた。

「どうして、静かに下ろそうと思わんのだ!」

「だったら、自分の足で歩けよ」

 ヴェルナは涙目で抗議するライカに肩を解しながら答えた。

「うぐ、このような扱いをコールリッジでは受けたことがない」

「ここはイーストシティーだからな」

「それは……そうなのかも知れんが」

 納得していないようだったが、ライカは体を起こして、精霊器の切っ先を床に当てた。

 ライカが手を離すと、精霊器は音を立てて床に倒れた。

「倒れたぞ」

「分かっておる! イエル、もう人の姿を取って良いぞ」

『事前に仰って頂かない、と』

 魔炎に包まれ、精霊器が浮かび上がる。

 綿菓子にも見えるが、食べたら病気になりそうだ。

『……失礼なことを考えていませんか?』

「何も考えてねえよ」

『それならば、良いのですが』

 ボッと魔炎が爆発的に膨張し、朧気な輪郭が浮かぶ。

 前触れもなく魔炎は収束し、人型の闇を生んだ。

 闇が立ち上がると艶やかな黒髪が音もなく肩から滑り落ちる。

 月明かりに染められたような蒼白い肌、漆黒の瞳は凍てつき、薄い唇は怜悧を通り越して酷薄ですらあった。

 虚無、そんな言葉が脳裏を過ぎる。確かに彼女は虚無的だった。

 だから、外見から年齢を想定するのは難しかった。

 十代後半と言われればそう見えるし、三十半ばと言われたら頷いてしまうだろう。

「どうして、エプロンドレス?」

「メイドですので」

 ヴェルナが突っ込むと、イエルはスカートを翻しながら答えた。

「初めから人の姿で来れば、ライカも重い荷物を持たなくて済んだんじゃねえの?」

 今更のように疑問をぶつけ、ヴェルナは旅行鞄を持ち上げた。

「イエルが人の姿で来たら二人分の交通費が掛かってしまうではないか」

「それくらい貴族なら余裕で出せるだろ?」

「分かっておらんな」

 チッ、チッ、チッとライカは人差し指を左右に振った。

「私の姉上はケチなのだ」

「分かるか!」

 軽く手刀を首筋に叩き込むと、ライカは縋るようにイエルを見つめた。

「イ、イエル……私が暴力を加えられているのに」

「やや暴力的ですが、ヴェルナ様のそれはコミュニケーションの一つではないか、と」

 イエルから援護を受けられず、ライカは絶望的な……お小遣いで買ったお菓子を落としてしまった子どものような表情を浮かべた。

「いつまで玄関に突っ立ってれば良いんだよ」

「そうだったな! 部屋を確かめなければ。行くぞ、イエル!」

「かしこまりました、ライカ様」

「あたしの部屋は手前だからな! 間違えて入るなよ!」

 天蓋付きのベッドとか運び込んでないよな、とヴェルナは自室に戻る前にライカの部屋を覗いた。

「普通だな」

 木製のベッドと机、本棚があるだけだ。

 ベッドでごろごろしているライカから目を逸らし、扉の近くに佇むイエルを見る。

「どのような想像をされていたのですか?」

「天蓋付きのベッドとか、黒檀の机とか」

「ローランド伯爵家は辺境の一貴族に過ぎませんので」

 イエルの話によれば、ローランド伯爵家は鉄道の通っている駅まで馬車で二日も掛かるような辺境にあるらしい。

 歴代の当主は穏和な人物が多く、ライカの父親も軍人とは思えないほど穏やかな性格だったようだ。

 なるほどね、とヴェルナは旅行鞄を床に置いた。

「あたしは自分の部屋にいるから、食事は……」

「私が準備をしてもよろしいでしょうか?」

「いいのか?」

「我々、精霊器は人の役に立つことを喜びとしておりますので」

「じゃ、頼むわ」

 ヴェルナは情けなくなるくらい軽い財布をイエルに手渡した。

「リューネ様……いえ、ライカ様のお姉様より十分な食費を頂いてますが?」

「家賃は折半するんだし、食費を出して貰う理由がねえよ」

「潔癖なのですね」

「金絡みのトラブルは厄介だから、きちんとしておきたいんだよ」

「アッシュ様がヴェルナ様との同居を決められた理由が分かるような気が致します」

 財布を抱き締め、イエルは意識しなければ分からない小さな笑みを浮かべた。

「あんまり高い食材を使われても金が出せないから、一日、銀貨一枚、一ヶ月で金貨三枚程度に抑えてくれると助かる」

「かしこまりました」

 恭しく頭を垂れるイエルの肩を軽く叩き、ヴェルナは自分の部屋に戻った。

 広さも間取りも変わらないが、ライカの部屋を見た後だと少し感慨深い。

 二年間で増えた小物、奮発して買った姿見、孤児院時代は考えられなかった贅沢だ。

「少し鍛錬しておくか」

 姿見の前で拳を構えた。

 急所が並ぶ正中線を晒さないように左半身を前面に、左腕は地面と水平に、背筋が上手く機能するように右脇を締める。

 ヴェルナは目を閉じ、深い穴をイメージする。

 穴の底に満ちているのは森羅万象を構築する力……魔力だ。

 穴の底から慎重に汲み上げた魔力を血液のように循環させ、魔力圏を形成する。

 足、太股、腰、腕を連動させ、素早く左の拳を突き出す。

 拳が空を裂き、真紅の輝きが残像を生む。

 中段、上段を打ち分けながら五十回ほど繰り返して右拳、同じように左の回し蹴り、右回し蹴りを消化し、体を入れ替えて同じ動作を繰り返し、全て終える頃には全身が汗で濡れていた。

「……あれも試しておくか」

 呼吸を整え、ヴェルナは腰だめに右の拳を構える。

 意識を研ぎ澄ませ、魔力を右の拳に導く。

 全身を包んでいた真紅の魔力が弱まり、右の拳が輝きを……放たなかった。

 循環まで途切れてしまうような有様だ。

「あたしは人望だけじゃなくて集中力もないのか」

 ヴェルナは机の上を眺め、精緻な細工の施された写真立てを手に取った。

 写真には今よりも目付きの悪いヴェルナと微笑むアッシュ先生が写っている。

「やっぱり、これは隠しておかないと」

 ライカに見られたら面白くないことになりそうだ。

「そう言うんじゃないんだよな」

 ヴェルナは数え切れないほどアッシュ先生の世話になっているが、邪推されるような関係じゃない。

 多分、アッシュ先生は善人なのだ。

 だから、期待しちゃダメだ。

 自分に言い聞かせて、ヴェルナは写真立てを引き出しにしまった。



 なんて無様な姿を晒してしまったんですの。

 あれではヴェルナさんを意識していると教えてしまったようなものですわ。

 私ともあろうものが平民なんかに、とセシルは親指の爪を噛んだ。

「セシルさんは今日も熱心ですね」

 悩み事なんてなさそうな声音に思わず力がこもる。

 鉄臭い味が微かに舌を刺激し、セシルは声の主……アッシュ・キルマーを睨んだ。

「熱心なのは当然です。手を抜いたら参加できなかった方々に失礼ですもの。アッシュ先生こそ、もう少し熱心に指導すべきだったのではなくて?」

「きちんと教えられる部分は教えているんですけどね」

 アッシュ・キルマーは申し訳なさそうに頭を掻いたが、これにはセシルの方が驚いてしまった。

 一学生であるセシルから見ても彼は十分な結果を出しているし、怒鳴り返されてもおかしくない状況だったのだ。

「アッシュ・キルマー先生。申し訳ないのですけれど、これからレドリック先生と約束がありますので」

「いえ、僕の方こそ呼び止めてしまって」

 少し気を遣って差し上げた方が良いのかしら、とセシルは練兵場に向かった。

 縄を巻いた柱の前に人影が一つ。

 セシルが近づくと、影は木剣での打ち込みを止めた。

「やあ、今日は遅かったね」

「アッシュ・キルマー先生に呼び止められていましたの」

 名前はレオン。

 貴族の特徴である金髪碧眼の持ち主で、身長は平均的な男子よりも少し高いくらい。

 彼もまた選考会の参加者だ。

「アッシュ・キルマー先生か。あの先生のことは嫌いじゃないんだけどね」

「この間、教室で陰口を叩いていたような気がしますけれど?」

「あれは陰口を叩かないと仲間外れにされそうな雰囲気があるからだってば。僕はヴェルナ・トゥルーズみたいに開き直れるタイプじゃないから、合わせられる部分は合わせるよ」

 セシルは言い訳がましいレオンに嫌悪感を覚える。

「レドリック先生が来たから、この話は終わりにしておこう。レドリック先生はアッシュ・キルマー先生の話を聞くと不機嫌になるからね」

 セシルとレオンは横に並び、レドリック・クロフォード教師を迎えた。

「セシル、レオン、体は温まっているな」

 彼は威圧感のある低い声で当然のように学生を呼び捨てる。

 眼光は精霊騎士として活躍した十年を物語るように鋭く、鍛え上げられた肉体は教師となった今も衰えを感じさせない。

 アッシュ・キルマーが精霊騎士らしくない精霊騎士だとすれば、レドリック・クロフォード教師は精霊騎士らしい精霊騎士だ。

「午後からは私が相手をしてやろう」

「「はい!」」

 今日も実戦さながらの戦闘訓練が始まる。

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