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第一章 『邂逅、始まる物語』その2



 三月中旬、イーストステーションは普段の人気のなさが嘘のように混雑していた。

 外見や服装は様々で、共通点は十代半ばであることくらいだ。

 それも当然と言えば当然、三月は養成校の新入生が押し寄せる時期なのだ。

 精霊騎士になる方法は二つある。

 養成校で優秀な成績を収めて精霊騎士候補生である従士になるか、卒業後に準従士として働き、実績を積んで従士に昇格するかだ。

 前者は精霊騎士になることが約束されたエリートコース、後者は精霊騎士になれる保証のない叩き上げコースだ。

 着替えてくれば良かったかな、とヴェルナは汚れた制服を摘んだ。

 汗臭いし、汗でべとべとする。

 見られているような気がして、ヴェルナは小さく身を捩った。

 自意識過剰だと思う。

 何しろ、自分は可愛らしさと無縁の人間なのだ。

 まず、ヴェルナは目付きが悪い。

 ダークブラウンの髪はベリーショート、肌は日に焼けている。

 ついでに背も高い。

 平均的な男性の身長よりも頭半分くらい高いのだ。

 胸も、とヴェルナは腕を組んだ。

 八年も鍛錬を続けている上、貧乏生活が長いので、胸も含めて贅肉は少なめだ。

 女らしくも、可愛らしくもないよな、とヴェルナは溜息を吐くしかなかった。

「ったく、待たせるんじゃねえよ」

 ヴェルナは苛立ちを抑えきれずに悪態を吐いた。

 不意に、光が視界を掠めた。

 ヴェルナが反射的に天井を見上げると、握り拳大の光球が空中を漂っていた。

 精霊……狂精霊になる前の姿だ。

 九割以上の確率で自然消滅するから、放置しても問題ないはず。

「狂ったら、ヤバいもんな」

 ヴェルナは人差し指を精霊に向けた。

「アサ……っ!」

 ヴェルナがアサルトを放つよりも早く精霊が弾けた。

 精霊の数はヴェルナが呆気に取られている間にも減っていく。

 最後の精霊が弾けた時、一人の少女が改札を通り過ぎた。

 少女の天使のような愛らしさに、ヴェルナは息を呑んだ。

 艶やかな長い金髪が歩くたびに揺れ、横顔が見え隠れする。

 スラッと通った鼻筋、可愛らしい桜色の唇、蒼穹のように澄んだ瞳がバランス良く配置され、幼いながらも気品を感じさせる顔立ちだ。

 けれど、すぐに気品(メツキ)は剥げた。

 突然、少女が世界中の不幸を背負わされたような表情を浮かべたのだ。

 こんなに私が辛い想いをしているのに、とそれくらい考えてそうだ。

 多分、原因は大きな旅行鞄だ。

 ヴェルナにはちっとも重そうに見えないが、少女はあまりに華奢だった。

 少女の身長はヴェルナの胸くらい。

 薄手のブラウスとチェックのスカートから伸びる四肢は若木のように細く頼りない。

 人波から弾き出され、少女は不安そうに周囲を見渡した。

 潤んだ瞳が助けを求めるように忙しなく動いている。

 少女は桜色の唇を噛み締めるが、すでに涙腺は決壊寸前だ。

 偶然、目が合う。

 次の瞬間、少女は屈託のない笑みを浮かべた。

 パァッと周囲が明るくなったような、そんな笑顔だった。

 少女は旅行鞄をヴェルナに歩み寄り、上品な仕草でおとがいを逸らした。

 泣きそうな顔をしていたくせに驚くべき変わり身の早さだ。

「おい、そこの大女!」

 天使のような声で急所を抉られ、ヴェルナは少女を殴った。

「あぐぅぅぅぅぅ……な、何をするのだ、貴様は!」

「悪口を言われたから、ぶったんだよ」

「ぶった? 殴られた瞬間に火花が散ったぞ!」

「小突かれたくらいで大袈裟じゃねえの?」

「そ、その鋼鉄製の手甲はなんだ!」

 ヴェルナは手甲を眺めた。

「手甲に決まってるじゃねえか。目が腐ってるのか?」

「腐ってるのは貴様の頭だ!」

 あ? とヴェルナは少女に手を伸ばす。

 ひぃっ! と少女は小さな悲鳴を上げ、その場で尻餅を突いた。

「な、何と乱暴な……き、聞いていた話と違うではないか」

「お前が待ち合わせの相手かよ」

「そうだ。私がライカ・E・ローランドだ。この春から貴様の後輩になる」

「あたしはヴェルナ・トゥルーズ。進級は決まってるけど、今は二年生だ」

 養成校は三年制だ。一年生で基礎的な戦闘訓練と一般教養、二年生で特定の教師に師事しながら実戦的な戦闘訓練をこなすことになる。三年生は進路を決めるための猶予期間となっている。

「いつまでそうしているつもりだ?」

 不満そうに唇を尖らせ、ライカは手を突き出した。

「その手は何だよ?」

「引き起こせ、と要求しているつもりだが?」

 仕方なく引き起こすと、ライカはわざとらしくスカートを叩いた。

「じゃ、行くぞ」

 ヴェルナは立ち止まり、手を差し出した

「生命線と頭脳線が短いぞ」

「荷物を持つ、って意味に決まってんだろ」

「がさつそうに見えて気が利くのだな」

「がさつは余計だ」

 旅行鞄を奪い取り、ヴェルナはライカが細長い袋を担いでいることに気付いた。

「それは?」

「うむ、私の精霊器だ。イエル、挨拶しろ」

 ライカが促すと、袋の先端が解けた。

 そこにあったのは古ぼけた剣の柄だ。

『お初にお目にかかります。私はローランド家に仕えるメイドでイエルと申します』

「精霊器なのに、メイド?」

『精霊器ですが、メイドです』

 イエルが当然のように断言すると、ライカは自慢げに慎ましい胸を張った。

「ふふん、驚いたか」

「呆れてるんだよ。精霊器がメイドだなんて聞いたこともねえ」

「それは貴様が無知なだけだ。イエルは掃除、洗濯、料理をこなし、乳母として私を育て上げたパーフェクトメイドだぞ」

「精霊器の所有者は無条件で精霊騎士に認定されるから、わざわざ養成校に入る必要ないんじゃねえの?」

「確かに無条件で精霊騎士になれるが、知識と力を得る機会を捨てることもなかろう」

 高貴なる義務ってヤツか、と少しだけ感心。

「ご立派です、ライカ様」

「ふふふ、照れるではないか」

 意外にお調子者なんだな、と満更でもなさそうに頬を紅潮させるライカを眺めた。

「先生の所に案内するから付いて来いよ」

「アッシュに会うのは四年ぶりだ」

 先生を呼び捨てにすんなよ、とヴェルナは拳を固く握り締めた。



 イーストステーションを出ると清々しい風がヴェルナの頬を撫でたが、それも一瞬の出来事だ。

 入居者を歓迎するアパートのオーナー、呼び売りの商人の真似事をする学生、犬や猫の鳴き声……カオスな状況に清々しさは消えてしまった。

 馬車に乗りたいのだが? とライカが目で訴えてきたが、ヴェルナは無視して人気のない路地に入った。

 しばらくして川沿いの道に出ると、ライカが漂う悪臭に顔を顰めた。

「むぅ、この街には浄水設備がないのか?」

「北側にはねえよ」

 イーストシティーは河によって南北に隔てられ、南に貴族、北に平民と住み分けられている。

 南側はインフラが整っているが、北側は浄水設備のない地域が多い。

「けど、他の街に比べりゃ天国さ。工場が乱立している訳でも、スラムが広がってる訳でもないし、精霊が狂ってもあたしみたいな候補生から先生みたいなベテラン精霊騎士までいるしな」

「他の、と言うことは……この街の出身ではないのか?」

「あたしが生まれたのは別の街だよ。八年前に両親が死んで……ま、色々あったんだよ」

 なるほど、とライカは今一つ分かっていない様子で頷いた。

「もう一つ聞いても良いか?」

「あたしが答えても良いと思う質問ならな」

「どうやって、学費を賄っているのだ?」

「学費は篤志家ってのか? が払ってくれてて、生活費は奨学金とバイトで稼いでる」

 ライカは感心したように頷いた。

「その篤志家の期待に応えねばならんな」

「言われなくても努力はしてるさ」

 現実は厳しいけどな、と言う台詞をヴェルナは辛うじて飲み込んだ。

「見えて来たぜ。あれが精霊騎士養成校……学園だ」

 ヴェルナは対岸を指差した。

 黄土色の塔が灰色の建物の群れから場違いな感じで突き出している。

 学園の校舎は二百年前の城砦を増改築したものだ。

 この街で最大の敷地面積を誇り、闘技場や市街戦を想定した施設まである。

「あそこでアッシュが働いているのか」

「そうだよ。あそこでアッシュ『先生』が働いているんだよ」

 『先生』の部分を強調しても、ライカは何処吹く風だ。

 ライカの危うさを忌々しく思いながら、ヴェルナは橋を渡った。

 ガラス張りの玄関を抜け、突き当たりにある部屋の前で立ち止まる。

 ノックを二回したが、いつまで経っても返事はなかった。

 仕方がなく扉を開けると、青年が机に突っ伏していた。

「また、寝てるよ」

 ヴェルナが足音を立てて近づいても、青年は目を覚まさなかった。

 この青年がヴェルナの教師であり、ライカの知人でもあるアッシュ・キルマーだ。

 年齢は二十六、独身。

 柔らかそうなブラウンの髪と十代で通用しそうな童顔が特徴と言えば特徴だ。

 ちなみに身長はヴェルナの方が少し高い。

 元々は軍属の精霊騎士だったらしいが、それ以上は分からない。

 アッシュ先生は自分から軍にいた頃の話をしないのだ。

「あたしを迎えに行かせて、自分は昼寝かよ」

「いやいや、起きてますよ!」

 ヴェルナがぼやくと、アッシュ先生は本の山を薙ぎ倒しながら体を起こした。

「おや? お久しぶりですね、ライカさん」

「……貴様、脳みそが湧いているのか?」

 ライカは虫でも見るような視線をアッシュ先生に向けた。

「四年ぶりなのに随分な態度ですね」

「四年しか経っておらんのに貴様は変わりすぎだ」

「僕だって「僕!」」

 素っ頓狂な声を上げ、ライカは目を見開いた。

「貴様が、あのアッシュ・キルマーが僕だと?」

「昔みたいに荒っぽい言葉を使っていると学生の教育に良くありませんから」

「まるで教師みたいな口ぶりだな」

 ふぅ、とアッシュ先生は小さな溜息を吐いた。

 ヴェルナはライカの背後に移動し、

「おい、クソガキ」

「何だ? 用が済んだのなら……」

「取り敢えず殴るぞ?」

 かなり手加減して右拳をライカの脳天に落とした。

「な、何をするか、貴様!」

「お前がグダグダ言ってるから話が進まねえだろうが! おまけにアッシュ先生を呼び捨てにしやがって、お前は何様だ!」

「ローランド伯爵領の貴族様だ!」

 ヴェルナが無言で拳を落とすと、ライカは痛みに耐えるように呻いた。

「また、殴りおったな! この暴力女!」

「これは暴力じゃねえ、躾だ!」

「何処が躾だ! 貴様のは単なる暴力だ!」

「実質的に暴力でも、あたしが躾と言ったら躾なんだよ!」

「な、何と言う傍若無人」

 ライカは呆けたようにヴェルナを見上げた。

「お前がアッシュ先生の何を知ってるか分からねえけど、あんまり舐めた態度を取り続けるなら……マジで殺すぞ?」

 耳元で囁くと、ライカは今にも泣き出しそうな顔でヴェルナを見つめた。

『躾にしては些か度が過ぎているように思えますが?』

「警告も兼ねてんだよ。学園で舐めた態度を取ってると痛い目に合うぜ」

 学園の授業は実戦的なものが多く、二年次は模擬戦闘をこなさなければならない。

 誰に非難されることもなく、気に入らないヤツを叩きのめすことも可能なのだ。

 実力があれば返り討ちにできるが、ライカには無理だろう。

「先生、続きをどうぞ」

「ヴェルナさんは乱暴ですね」

 アッシュ先生に言われ、ヴェルナは慌てて顔を背けた。

「え~、ライカさんには入学式まで自由に過ごして貰います。僕も手が空いている時は顔を見せるようにしますけれど、基本的にヴェルナさんに面倒を見て貰います」

「こ、この暴力女に私を!「躾だろ? し、つ、け」」

 ヴェルナが思いっきり後頭部を掴むと、ライカは意味不明な叫び声を上げた。

 ライカが本格的に泣き出しそうだったので、ヴェルナはすぐに力を緩めた。

「仲が良くて結構ですね」

「貴様の目も腐っているの……あひぃっ!」

「あたし達は仲が良いよな? 出会った瞬間に恋に落ちるような手軽さで親友だよな?」

 再び指に力を込めると、ライカは必死に首を縦に振った。

「もう一度だけ聞くぜ? ああ、親切で教えてやるけど、あたしはリンゴを片手で握り潰せるからな。だから、慎重に答えろ。あたし達は親友だよな?」

「し、親友だ! 出会った瞬間から私とヴェルナは親友だ!」

「素直が一番だぜ」

 ヴェルナは短時間で驚くほど素直になったライカから手を離した。

「それは良かった。これから一緒に暮らすんですから仲良くして貰わないと」

「アッシュ先生、アッシュ・キルマー先生。それはあたしが卒業するまでクソガキと同じ屋根の下で暮らすって意味ですか?」

「一年と言わず、ヴェルナさんが従士になったら三年は一緒になりますね。家具の方は運び込んであるので安心して下さい」

「安心できる要素が欠片もないんですけど……と言うか、何の権利があって?」

「ヴェルナさんのアパートの保証人は僕ですし、家賃を滞納した時は僕が支払っているじゃないですか」

「立て替えて貰った分はバイト代から支払ってるじゃん!」

「生活費を賄えてないではないか」

「うるせぇ! 一人暮らしは大変なんだよ!」

 呆れたようなライカを怒鳴りつけ、ヴェルナは髪を掻き毟った。

「まあまあ、ヴェルナさんのアパートは家族向けで部屋が空いてますし、家賃も半額になりますよ」

「前の台詞と繋がってねえ!」

「困りましたね……じゃあ、ライカさんは僕のアパートに引き取「それは却下!」」

 アッシュ先生とライカに視線を向けられ、ヴェルナは咳払いを一つ。

「だ、大体、このクソガキがあたしと暮らしたい訳ないじゃん」

「構わないぞ」

「ほら、このガキも……何だって?」

「構わぬと言ったのだ」

「あれだけ躾けてやったのに同居したい? マゾか、お前は?」

 ヴェルナが睨み付けると、ライカはニヤリと笑みを浮かべた。

 あれだけ躾けたのに、こいつは復讐する機会を狙ってやがるのだ。

「のぅ、親友……私と暮らせて嬉しかろう?」

「ああ、親友……月のない夜には気をつけろ?」

 ふへへ、とヴェルナとライカは顔を突き合わせて笑った。

「話がまとまったようですね。ライカさんをアパートに連れて行って貰いたいのでヴェルナさんは上がって結構ですよ」

「へいへい、了解。いくぞ、クソガキ」

「クソガキではない、ライカだ」

「お前なんざクソガキで十分だ」

 廊下に出て、ヴェルナは天を仰いだ。

「私が魅力的だからと、我を忘れて襲い掛かるなよ」

「襲うか!」

「だが、私も鬼ではない。接吻くらいまでなら許してやろう」

「聞けよ、あたしの話を!」

「照れるな。貴様が同性愛者と言うのは驚きだが……」

「誰が同性愛者だ、誰が?」

 ヴェルナが怒りに任せて首を締め上げると、ライカは今にも死にそうな感じで白目を剥いた。

 どうやら、良い具合に頸動脈を締めしまったらしい。

 ヴェルナは慌てて手を離し、気付けになるか分からないがライカの背中を叩いた。

「えふっ、出会った瞬間に恋に落ちたと言ったではないか」

「そんな訳ないだろ! お前の頭にはチーズでも詰まってんのか!」

 ライカは口から涎を垂らしながらヴェルナを見上げ、

「同性愛者で、歪んだ性欲の捌け口に、叩いていたのではないのか?」

「何処の猟奇殺人犯だ、それは!」

「私のことが、好きではないのか?」

「今の所、あたしがお前を好きになる要素なんてねえぞ」

 ライカは今にも泣き出しそうな表情で俯いた。

「面倒臭いガキだな」

 舌打ちをし、ヴェルナは抵抗するライカを担ぎ上げた。

「わ、私のことが、嫌いなのだろう?」

「あたしには責任があるんだよ」

 今から探しても物件が残っているはずもない。

 野宿をしたこともないようなガキを寒空の下に放り出すのも気が引けるし、同居すると言った以上、その言葉に対する責任は取るべきだと思う。

「あら、ヴェルナさん。人攫いにでも転職なさったの?」

 やたらと嫌みったらしい口調にヴェルナは足を止めた。

 声の主はヴェルナを待ち構えるように立っていた。

 陽の光を浴びて、豊かな金髪が炎のように輝いていた。

 鍛えられた体は猫ようにしなやかで、ヴェルナが敗北感を覚えるくらい女としての魅力に溢れていた。

 挑発的な光を宿す翠玉の瞳、嘲るように歪んだ唇、顔立ちが整っているだけに、言葉よりも雄弁に侮蔑の念が伝わってくる。

 これで実力が伴わなければ鬱陶しいヤツで終わりなのだが、彼女……セシルは学内屈指の実力者であり、帝国の歴史に名を残す公爵家の令嬢だった。

 学園が存在しなければ、ヴェルナとセシルが知り合うことなんてなかったはずだ。

「アッシュ先生から新入生の世話を頼まれたんだよ」

「選考会も近いのに余裕ですのね。それとも精霊騎士になるのを諦めたんですの?」

「諦めてねえよ」

「当然ですわ。折角、選考会の補欠として選ばれたんですもの。最後まで可能性を信じて研鑽を積んで頂かないと」

 ヴェルナは舌打ちし、ライカを担ぎ直した。

 言われなくても、選考会の重要性は痛いほど理解している。

 選考会で結果を残せば、精霊騎士の候補生としてエリートコースに進めるのだ。

 選考は模擬戦闘のトーナメントだから、それなりに公平だ。

 問題は、補欠であるヴェルナが出場できるかだ。

 結論は絶望的……参加者がトラブルに見舞われない限り、出場は不可能に近い。

「もう少し早く、アッシュ先生に見切りを付けていれば、そんな惨めな想いをしなくて済みましたのに」

「あたしは惨めなんて思ってない」

「信じた結果が子守りでは説得力がありませんわ」

 ヴェルナは拳を固く握り締め、爆発しそうな感情を抑えつけた。

「安っぽい挑発をするために呼び止めたんなら、あたしは行くぜ」

「わたくしに模擬戦に勝ったからと言って、調子に乗らないで下さらない!」

 セシルが感情を剥き出して叫ぶが、その程度で怯えるほどヴェルナは温室育ちじゃない。

「調子になんて乗ってないし、戦績はあたしが負け越してるだろ」

 ヴェルナは妙に白けた気分でセシルの脇を擦り抜けた。

「さっきの女と仲が悪いのか?」

 ライカが切り出したのはアパートと学園の中間に位置する川沿いの商店街でだった。

 一瞬、何を言っているのか分からなかったが、すぐに『さっきの女』がセシルを差していることに気付いた。

「仲は良くねえな」

「どうしてだ?」

「あたし自身が仲良くしたいと思ってないし、あっちはあっちで模擬戦闘で負けたことを根に持ってるから、仲良くなりようがないだろ」

「根に持つくらいなら、勝つために努力すれば良いではないか」

「あたしもそう思う。けど、学園の貴族はプライドの高いヤツが多いからな」

 戦績はヴェルナが二勝三敗で負け越しているが、その二勝がセシルのプライドを傷つけたのだろう。

「手を抜いてやったとか言うヤツもいるし」

「それこそ努力すべきだろうに」

 ライカがヴェルナの肩の上で呆れたような口調で呟いた。

「ヴェ、ヴェルナちゃん!」

 立ち止まった次の瞬間、横道から女が飛び出した。

 幅広の包丁を手にした女だ。

 ヴェルナはライカを担いでいるのも忘れ、全力で地面を蹴った。

 おぶ! と着地の時にライカが声を上げたが、刃物を躱せたのだから問題ない。

「ヴェルナちゃん、うぉ、うぉ」

 女はヴェルナを見るなり、涙を堪えるように肩を震わせた。

 年齢は四十以上五十以下と言った所。

 冬眠前の熊みたいに太っていて、胸よりも腹の方が突き出ている。

 肌は長年の苦労を物語るように赤褐色に焼け、指先はあかぎれがひどい。

 緩くウェーブした髪と円らな瞳、ぽっちゃりとした唇を見ていると、若い頃は美人だったんだろうな、と思う。

「マリィおばさん。包丁を握り締めて突っ込んでくるのは止めてくれない、マジで」

「知り合いなのか、ヴェルナ?」

「そこの八百屋の店主だよ」

 ヴェルナは顎で横道にある八百屋を示した。

 店は二階建て、外壁が剥がれ落ちそうなくらいボロい。

「どうして、言ってくれなかったんだい?」

 マリィおばさんは今にも襲い掛かってきそうな勢いだ。

 牛を絞め殺せそうな太い腕とヴェルナの首を簡単に落とせそうな菜切り包丁。

 ぶっちゃけ怖い。

「何を?」

 若い頃は愛らしかったであろう瞳に涙を浮かべ、

「どうして、誘拐なんてする前に相談してくれなかったんだい!」

「誘拐なんてしてねえよ!」

「良いんだよ、おばさんが警察まで付き添ってやるからね」

「ライカ、何とか言ってくれ」

 ぐいぐいと肩を脱臼しかねない勢いで腕を引かれ、ヴェルナは誤解を解こうとライカに声を掛けたが、

「おとうさまと、おかあさまのところにかえりたい」

 ライカは微妙に舌っ足らずな感じで言い、両手で顔を覆った。

「こんな子どもを泣かせてまで金が欲しいのかい!」

「だから、誘拐じゃないって!」

「おとうさま、おかあさま!」

「お前は黙ってろ!」

「ヴェルナちゃん。選考会に参加できないからって、自棄にならないでおくれよ」

 いつのまにやら集まった野次馬が遠巻きに好き勝手なことを言い合っている。

 いつかやると思った、と言う意見が大多数だ。

 あたしは誘拐するような人間に見えるのか、とヴェルナは肩を落とした。

「あれ、何かあったの?」

「アリス先輩、ナイスタイミング!」

 野次馬を掻き分け、少女がヴェルナに歩み寄る。

「やっぱり、ヴェルナちゃん」

「まさか、ホビットに出会えるとは」

「そんなに小さくないよ」

 アリス先輩は少しだけ不満そうに言い返した。

 少しだけで済んだのはアリス先輩が背の低さを自覚しているからだろう。

 実際、アリス先輩は背が低い方である。

 髪は明るいブラウンで、首筋が隠れる程度の長さだ。

 決して美人ではないけれど、愛嬌のある顔立ちをしている。

「確かに、む、胸は大きいな」

「ど、何処を見てるの?」

 顔を真っ赤にして、アリス先輩は両腕で胸を隠した。

 ライカが指摘したように、アリス先輩は胸が大きい。

 相対的な大きさではなく、体のバランス的に大きいのである。

 ちなみにアリス先輩の特技は裁縫だ。

「へぇ、この子が?」

「く、首がもげるぅぅぅぅ!」

 アリス先輩がライカを撫でると、骨の軋む嫌な音がした。

 軽く撫でたつもりなのだろうけど、アリス先輩の腕力は桁が違う。

 戦闘スタイルは一撃必殺、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。

 スレッジハンマーを小枝のように振り回して、防御無視の大ダメージを与えるのだ。

 ライカが動かなくなった頃、アリス先輩はようやく手を離した。

「大丈夫だよ、ヴェルナちゃんはアッシュ先生から頼まれただけだから」

「おや、そうなのかい?」

「あ、あたしが何を言っても信じてくれなかったのに」

 つくづく人望ないな、あたし。

「悪かったねえ、今回の件で一年生の頃に戻っちまうんじゃないかって心配でね」

「ん、まあ、あれは……けど、そんなに心配しなくても良いって」

 昔のことを言われると言い返せない。

 心配してくれているのなら尚更だ。

「だからって、一人で悩むんじゃないよ。あたしゃ野菜を売るしか能のない女だけど、愚痴くらいは聞いてやれるからね」

「気持ちだけ受け取っておくよ」

 店に戻るマリィおばさんを見送る。

「元気がないけど、病気かな?」

「ん、ああ、ライカのことな」

 アリス先輩に撫でられ、ライカは力なく手足を垂らしている。

「長旅で疲れたんじゃねえの?」

「そうなんだ」

 明らかに違うけれど、世の中には知らなくても良いこともあるのだ。

「そう言えば、頼まれてたコートなんだけど、ギリギリになりそうなの」

「先輩も忙しいのに悪いな」

「授業はないし、就職先も決まったから、暇と言えば暇なんだけど、こっちに弟を呼ぶための手続きや準備が面倒臭くて」

 アリス先輩はイーストシティーで準従士として働くことが決まっている。

 負けたからだ。

 去年、アリス先輩は優勝候補の一角と目されていた。

 けれど、対戦相手に逃げ回られ、判定負けになった。

 今でもヴェルナは対戦相手のにやけ面を思い出すと怒りで気が狂いそうになる。

「お腹でも痛いの?」

「……っ!」

 アリス先輩に問い掛けられ、ヴェルナは我に返った。

「大丈夫だよ。今の仕事はやりがいがあるし、弟とも暮らせるようになったし、精霊騎士になれなくても私は満足してる」

「……そんなんじゃ、ねえよ」

「相変わらず、ヴェルナちゃんは嘘が下手だね」

 アリス先輩は年上の余裕を見せつけるように微笑んだ。

「それと、気付いてないかも知れないけど、ヴェルナちゃんには似合わないよ?」

「?」

 意味が分からずに首を傾げても、アリス先輩は何も言わなかった。

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