ありったけの想いを込めて
将人の一世一代の告白は事故が起きる数時間前のことだった。
海に行こうと友里を強引に誘い、「仕事があるのに」という彼女の言葉を無視してバイクを走らせる。有無を言わさない突然の行動に最初こそは驚き戸惑うもの、友里は諦めの色を表情に滲ませてタンデムシートに跨った。
市街地を抜けるまで互いに無言のまま黙りこくる時間が続く。
将人は時折ジーンズのポケットを気にしつつ、どこか落ち着かない様子でアクセルを握り続け、友里は何処へ連れて行かれるのだろうと訝しげな表情で彼の背中にしがみついていた。
カーブを曲がると、サイドミラーに映る彼女の何か言いたげな目つきが「何処へ行くつもりなの?」と告げても将人は何も答えない。目的の場所へ急ぐ為にアクセルを吹かす。
そして一度だけ休憩を挟んで3時間ぐらい走ったぐらいだろうか。傾斜が急な峠を越えて海岸線を走り、行き着いた場所は水平線の彼方まで見渡せる浜辺。人気の海水浴場から離れて人の姿が見えない静かな場所だ。
心地よく聞こえる潮騒の音と穏やかな浜風の中、長い髪を靡かせて歩く友里の後ろ姿を目で追いかける将人はどこか落ち着きがない。しきりにジーンズのポケットの中に入れた小箱を触って大きな溜め息をつく。
そんな青年の態度を友里は見逃さなかった。振り返り様に立ち止まる。
「ねぇ、どうしたのよ。なんか今日の将人はどこかおかしいよ」
「そ、そうか? 普段と変わんねぇと思うんだけど……」
唐突に問いかけられて将人は内心焦った。
いつもの自分と違う態度を自覚していても、心が浮ついている理由だけはまだ言えない。本当なら上手くタイミングを見計らってプロポーズをしようと思っていたのにと心の中で愚痴をこぼし、あたふたする自分を叱咤した。
ところが意識すればするほど落ち着きがなくポケットの中を弄りだす。
「そう? さっきからどうもおかしいのよね」
ジーンズのポケットを目で指摘されて将人の思考が止る。一瞬、頭の中が真っ白になってしまい、一晩考え抜いて選んだ言葉が消し飛んでしまう。
必死になって思い出そうとしても浮かばない。どう言えば友里を感動させられるのかと思案している間に、太陽が水平線の彼方へ沈もうとしている。
結局、時間だけが無駄に過ぎ、感動させられる言葉が浮かばないままプロポーズしようと決意してしまう。
「あの、あのさ……」
「ん、どうしたの?」
「いや、その……」
「なに口篭ってんのよ、やっぱりいつもの将人らしくないじゃない。言いたいことあるんだったらはっきり言いなさいよ。それにここ、何しにきたの? 黙ってたら分からないじゃない。ねぇ、本当に今日は全然らしくないよ。何かあったの?」
ようやく決心がついたと思っても、振り向いた友里と視線が合ってしまうと話が切り出せない。仕事を休ませてまで海に連れきた理由を尋ねられてしまえば尚更だ。チラリと自分を見つめる目に威圧されたように感じてしまい視線が泳ぐ。
普段は言いたいことをはっきりと口にする自分が今は口篭って落ち着きのない姿に、友里はどう思っているのだろう。仕事をすぐサボるのが仇になってクビにでもなったと思われているのだろうか。
そこへ「ねぇ、何か隠してない?」と尋ねられただけでなく、何か後ろめたいことがあるのではないかと勘ぐる疑いの眼差しまでも感じてしまう。自白させようとしている鋭い目つきが突き刺さり、何も言えない将人はポケットに忍ばせていた小箱を目の前に差し出すのが精一杯の行動だった。
淡いピンク色をした包装とリボンで飾られたジュエリーケース。厚紙の小箱は何度も握り締められて原型を崩し、リボンが絡まって歪な形になっている。
友里に「何それ……?」と問われてようやく無残な形になってしまっていることに気がつき、将人は慌てふためきながら包装を破く。
絡まったリボンに邪魔をされて上手く取り出せない。焦って強引にリボンを引き千切った拍子にジュエリーケースが手から零れ落ちてしまう。
「ぅわっ! 危ねぇ危ねぇ……ハ、ハハッ」
何度もお手玉をしながらも必死になって受け止めて正面を向くと、友里が小首を傾げて不思議そうに自分を見ている。
どうやら状況を察していないようだ。小箱の中に入っている物が何かとまだ気がついていない。
一方の将人は大きく深呼吸をした後、少し間をおいてジュエリーケースを開いた。しかし緊張が解れていない為か「こ、これ……」と一言を添えただけでまた黙り込んでしまう。
期待と不安だけではなく、柄にもない行動が恥ずかしいと思うあまりにそれ以上の言葉が出てこない。伝えたい言葉が頭の中でグルグルと駆け回って視線を逸らす。
「え、え、ええっ!? 何よ突然、これって……」
ぶっきら棒な態度で差し出された指輪が目にとまった友里が驚いて言葉を失う。悪いことばかり思案していた為なのか、いきなり差し出されたエンゲージリングを目の当たりにして今度は彼女が絶句したまま固まってしまった。
今までにそんな素振りを一切見せなかった将人がいつになったらプロポーズしてくれるのかと不安になったこともあるだけに、友里とって俄かに信じられない行動だったのだろう。
同時に嬉しさがこみ上げて表情が綻び、瞳に涙を滲ませながら両手で口を塞ぐ。
そんな友里の表情の変化に気がつかない将人は、相変わらず自分の想いを上手く言葉で伝えられない。
だが、その想いは友里に届いていたようだ。自分の気持ちを落ち着かせ、聞きたい言葉をじっと黙りこんで待っている。
デートの際、お決まりになった二人乗りでのタンデムツーリング。今回は約束がないまま強引に連れ出されただけだと思った彼女にとって、まさに突然のサプライズ。驚きが大きかっただけに、膨れ上がった嬉しさが言葉にして表現ができないといったところだろう。
だからこそ将人自身の想いを込めて言ってほしいと目で訴える。今すぐにでも胸の中に飛び込みたい気持ちをグッと堪え、求婚の言葉を黙って待ち続けた。
そして一瞬でも自分を不安にさせた彼に対してのお返しという意味も含め、意地悪く無言のプレッシャーをかける。
感極まって泣きそうなのを懸命に堪えているその表情を見ていれば、将人は伝えたい気持ちを言葉にできたことだろう。ところがしどろもどろになって言葉を探すうち、余計に頭の中が真っ白になった挙句に見逃していた。
「まあ、そういうことで……つまり、その……」
友里の様子が気になっても自分をジッと睨んでいると思い込み、やはり目を合わせられない。気恥ずかしさも合わさって、素直に気持ちを表現できなくなってしまっている。
想いを伝えたいのに伝えられずに苛立っている彼氏の煮え切らない姿に、友里は心の中で「こんな肝心なときに、もう! この根性なし!」と心の中で叫んでしまう。
じっと見つめていた彼女が今度はおもむろに背を向け「早く言って……」という本音を小さな声で呟いたのは、複雑な女心とでもいうべきなのだろうか。
「ちゃんと聞くから落ち着いて……。将人の気持ちをそのまま素直に言って。でないとその指輪、受け取れないじゃない」
しばしの間をおいて両手を後ろでに組み、振り返った表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。
今にも涙が零れそうに潤ませた瞳で見つめ、心臓がバクバクと激しく鼓動して息が詰まりそうな将人の緊張を解していく。
「俺は、友里といつまでも一緒にいたい。貧乏で苦労かけるかもしれないけど、俺はお前とずっとそうしたいと思ってた。だから……」
「だから?」
「け、けっ……けこって……」
想いのたけを込めて「結婚してくれ」という言葉を意識するあまりに将人が噛んでしまい、友里のはにかんだ表情が一転、ポカ~ンと口が開いたまま固まってしまう。
そしてバツが悪いと言わんばかりに頭を掻き毟る彼氏の姿が滑稽に見えたのか、少し前屈みになりながら口を手で覆って笑ってしまうのを懸命に堪えようとする。
「クスクス……もう、一番肝心なセリフを噛んでどうすんのよ」
「笑うなよ! 人が真剣に言ってんのに、笑うなって!」
「そんなこと言ったって無理よ……クスクス」
「お前なぁ、いい加減にしろよな」
将人にとって一世一代の大告白――。
ところが自分が上手く伝えられなかったのを棚に上げ、真っ赤な顔をしながら派手な身振り手振りで抗議の声をあげる。
しかし、それ以上は何も言わなかった。友里の瞳から零れ落ちる涙が目に留まり、唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。
そんなふてくされた仕草も彼らしいと思った友里はまるで吸い寄せられるように将人の胸に飛び込み、頬を濡らす涙を拭わずに上目遣いで見上げる。
「だって可笑しいんだもん。でもね、嬉しいよ。ずっと将人がプロポーズしてくれるの待ってた。全然そんな素振りもなかったから不安だったけど……あれ、どうしたんだろう……涙が止んない。これじゃ将人のこと笑えないね」
「――友里」
「絶対に離れないでね。私もずっと、ずっと将人の傍にいたいから」
友里をギュッと抱きしめた将人が唇を重ねる。
穏やかな浜風が祝福するように包み込む中、夕日が二人の抱き合う姿を照らしていた。