別れる気は無いけど、離婚しましょう
「やばいな……このままだと、中年になってしまう」
胡桃屋 狂人、39歳。
体重計にのりつつ、目の前の鏡に写る自分の姿を見ながらボソッと呟く。
「こんなにお腹に肉あったかな――」
知らない間によく育ったお腹を見て、これが人生の終わりかと嘆く。しかし、直後に「まぁいいか」とあっさりと受け入れる。
既婚者39歳。
綺麗な妻に、可愛い小学生の子供だっている。
仕事も小さい会社だけど、不動産という安定した職種で、社長だってしている。
良いじゃないか。多少太ったって。
――これが、俺の怠慢だった。
「別れる気は無いけど、離婚しましょう」
15年以上一緒にいる妻から、よくわからない死の宣告を受けた。
「……どういう意味?」
「一回でわかってよ。――本当にグズ」
ボソッと。だが確実に聞こえるように妻が心を抉る。
「だから、別れるつもりは無いけど、離婚しましょうって言ったの!」
同じことを二回言われた。やはり意味がわからない。
最早、『別れる気は無い』と、『離婚しましょう』は、反対語なのでは? と思うほど、妻の意図がわからない。
「……離婚したいってこと?」
「そうじゃ無い」
「……違うんだ。じゃあ離婚しないの?」
「離婚しましょうって言ったじゃん。話聞いてた!?」
誰か正解を教えてくれ。と、心の中で思う。
「もう、一から十まで説明しないとわからない人なんだから!」
これを一で答えれる人がいるなら、それはもう運命と呼んでも差し支えないと思う。なんてことを考えてるうちに、妻が説明を始める。
「事実離婚しましょう」
聞き馴染みのないワードが飛んできた。
「事実離婚? そんなのあるの?」
「不勉強すぎ。常識よ」
本当にそれは常識なのか?
不動産という職業柄、結婚や離婚とは縁が深いが、「事実離婚するので、部屋探しお願いします」なんて言われたこと一度も無いのだけれど。
「ちょっとググってもいい?」
「……5分だけね」
短いようで長い。絶妙な執行猶予をくれた。
あまり時間が無いので、要点だけ調べることにした。
【事実離婚とは?】
離婚届を出さずに事実上別れることです。
〈メリット〉子供の為にあえて戸籍は入れたままにする。
〈デメリット〉婚姻関係にあるので、戸籍上の夫婦関係がある以上、相互に助け合う義務があります。
なるほどなるほど。
ん?……これは、デメリットなのかな。普通に良いことが書いてある気がするのだか……。
「調べました!」
「遅い!4分49秒!」
間に合ってんじゃん。と言いたいが、そんなことを言うと火に油だ。穏便に穏便に……。
「これは、要するに……」
頭の中で調べたことを整理する。
「離婚はするけど、助け合って生きていこうってこと? あっ、わかった!逆にこれからもよろしくお願いしますみたいなサプライズだ」
なぜだか、妻の顔がみるみる曇る。あっという間に曇天だった。
「そういうとこ!ホントありえない」
口には出して無かったが、「グズ」と聞こえた気がした。
「もういい」
「怒ってる?」
「……」
返事は無い。ただの屍のようだ。いや、こちらが屍にされる前に一旦、冷静になろう。
「ちょっと、考えたいし、散歩してくる」
「……」
やはり返事は無い。妻に世界樹の葉を使いたいところだが、あいにく持ち合わせてるものは、肥えた肉のみだった。
◇
「それはザーサイが悪い」
「なんで? いきなり離婚って言われたの俺の方だよ」
散歩と称して、やってきたのは、友達の、正野良人のところだった。
ちなみに、ザーサイとは、俺のあだ名である。
昔、良人が、『胡桃屋』を『桃屋』と呼び間違えたのが、ザーサイの起源である。
一時期、キムチの素や、ごはんですよなんて呼ばれた時期もあったが、最終的にザーサイで落ち着いたのだ。
「事実離婚なんてよほどの決心だと思うぞ」
「なんで?」
「本当は離婚したいけど、子供の為を思うと両親揃ってた方がいい的なことだろ。自分の幸せより、子供の幸せを優先できるなんて、優美ちゃん偉いな」
「人の妻を名前で呼ぶのやめて貰えますか?」
「事実離婚持ちかけられた奴が、旦那面すんな」
キッパリと言い切られた。
「でもなんで急に事実離婚とか言われたんだろ。まさか、優美のやつ、浮気してるのでは……」
「もしそうなら、普通に離婚持ちかけるだろ。そうじゃないんだから、何か理由があるんだよ」
はて? 身に覚えがないな――。
太ったからか――。
それとも、来年で40歳になるからか――。
はたまた、こっそりプリン食べたのがバレたか――。
「お前何したんだよ?」
「プリン食べたら、太って、40歳になる」
「なんの話だよ」
心地のいいテンポでツッこまれて、思わずニヤける。
「気持ち悪い顔すんなよ」
ニヤけたのがバレてしまった。
お恥ずかしい限りである。
「ちょっと、話は変わるだけど……」
「おう……急にシリアスだな」
4分49秒で、事実離婚というものを調べた時に、気になることが一つあったのだ。いや本当はもっとあったけどね。
「もし……もしも、本当に事実離婚したらさ――」
「……おう」
「妻の手を握る行為は、好意であってもセクハラになりますか?」
「上手いこと言ってるようで、めちゃくちゃアホな発言だな」
「いやでも、この大コンプラ時代ですよ。何をやってもハラスメントになるこの時代に、妻の手を握る行為は、セクハラに該当するかと聞いている!」
あれ? 切実な意見なのに、良人の顔が曇ってるぞ。どこかで観た、曇天よりはマシだけど。
「たぶん……そういうところなんだろうな」
「なに?」
「優美ちゃんが、事実離婚したいって言ったの。なんかわかってきたわ」
「えっ? 本当? 教えてください!お願いします!」
良人がため息をひとつつき、何も言わず肩に手を当て、ポンポンと優しく叩いてくる。
「一度、真面目に話してみな」
「いつも真面目だよ」
「……だといいんだけど」
そう言って、良人は優しく微笑み「またな」と言って去っていった。
◇
まだ家に帰るには、早い気がする。
散歩と称した、この現実逃避には、まだ続きがある。
「離婚のことは、俺に聞け」
そう力強く言ってくれたのは、4年に1回離婚をし、現在、5度目の結婚を考えてる、鋼のメンタルの持ち主、別所先輩。通称メダリス先輩である。
帰り道に、ふとメダリス先輩の事を思い出し、先輩の行きつけのバーで、お悩み相談をお願いしていた。
「メダリス先輩……妻に離婚をしたいと言われ……いや、実際には事実離婚したいと言われたのですが、どうしたらいいでしょうか?」
「それは難儀だな」
ここまで、妻も良人も、まるで俺が全部悪いみたいな言い方をしてきたが、もしかするとメダリス先輩は、初めて俺の味方なのでは? と前のめりでメダリス先輩の言葉を待つ。
「いいか、狂人。離婚ってのは、愛なんだよ」
はてはて? 謎かけかな。
「愛……ですか? その心は?」
「離婚ってのはな――お互いの愛がピークになった時に起こる現象だ。」
うわー! なんかカッコいいこと言ってる。
それでそれで?
「結婚は、前夜祭みたいなもんだ。本番は離婚してからなんだよ」
なんだろう。
変な事を言ってるのはわかる。
――わかるのだが、妙に説得力がある。
「離婚という、夫婦の試練を乗り越えて、それでもお互いが求めあう。その時初めて、二人は結ばれるんだ」
何かが心にストンと落ちた。
そうか! だからか!
優美は、本当の愛を確かめる為に、あえて離婚では無く、事実離婚って別れない形を選択したのか。
点と点が繋がる。目から鱗。なるほどなるほど。
「メダリス先輩、ありがとうございます! なんか、わかった気がします」
深々とお辞儀をする。頭を下げているので、顔までは見えなかったが、メダリス先輩の手元に、親指だけが立ったグーがあった。
「俺はな、四人に離婚という種蒔きをしたんだ。その芽が恥ずかしがって出てこないから、今度5度目の種蒔きをしようと思ってる」
「後悔は無いんですか?」
「後悔? あるわけねぇだろ。――俺は、今でも全員愛してるからな」
痺れるぅー! メダリス先輩に相談して良かった!
「マジカッケェっす。俺、もう一度妻と話してみます!」
「あぁ、頑張れよ」
メダリス先輩は、持っていたウイスキーのロックをグッと飲み干す。
「狂人――」
「……はい」
「ちゃんと水やらねぇと、枯れちまうぞ」
超ダサいセリフなのに……めちゃくちゃカッコいい!
メダリス先輩は、マスターに「もう一杯」とまだまだ飲みが足りない様子だったが、俺は家に帰ることにした。
◇
「ただいまー」
家に帰ると、リビングの電気だけがついていた。
時刻は21時。娘の美人が寝たぐらいの時間に帰宅した。
リビングの扉を開けると、テーブルの上にラップのかかった晩御飯が置かれていた。
あれだけ曇った表情をしていたのに、晩御飯を準備してくれるなんて……やはり、足りてないのは水やりだったか。なんて思っていると、寝室の扉がガチャっと開く。
「あら……グズ。帰ってたの」
拝啓。メダリス先輩。もうこれ、枯れてませんか? 敬具。
「うん……ご飯ありがとう」
「仕事はしっかりしてるんだし、それぐらいはしてあげる」
今のはツンデレなのか? いや、デレてはないか。
「……で、考えはまとまったの?」
ご飯の置かれた席の、向かいの椅子に妻が座り、真っ直ぐ聞いてきた。こんな状況だけど、心は穏やかだった。大丈夫。怯むことはない。二人の心の友に聞いてきたのだ。俺の答えは決まってる。
「一度、優美としっかり話したい」
「え……?」
妻の鉄の仮面に綻びを感じた。まだ何も言ってないのだけれど。でもこれは好気!このまま押し切る!
「俺はさ、優美がそんなに悩んでるなんてこれっぽっちも思って無かった。」
「……これっぽっちは余計な一言。で?」
「良人に相談したんだけど……」
「なにを?」
『妻の手を握るのはコンプラ違反になりますか?』なんて事を相談したというのは、いくら俺でも今言う事でない事ぐらいわかる。
「なんで、事実離婚なんだろって」
「なんでだと思う?」
「最初は、本当は別れる気は無くて、俺に悪いところがあるから、直して欲しいとかそんな感じかなって思った」
素直に思ったことを話す。ありのままに。
「でも、ならなんで離婚じゃ無くて事実離婚なんだろってなって……」
「うん。私なりに色々考えて、事実離婚を選んだの」
「だよね。そう思って、その後にメダリス先輩にも相談に行った」
「え? 誰?」
「メダリス先輩。あっ通称、別所先輩」
「逆じゃない?」
「先輩メダリス?」
「……そういうところ」
妻は、ひとつため息をつき、話を戻す。
「で、どうするの? 事実離婚するの?」
「うん! もちろんする!」
即答した。
これは、愛の試練なのだ。妻の愛に応える為にも、俺はここで変わるのだ。水やりを怠らず、メダリス先輩が成し得なかった、離婚の更に先へ!いざ参らん!
「……」
あれ? 何故だんまりなのだろう。
「……わかった」
あれれ? 思った反応と違う。
「……明日から、子供の前だけは夫婦でいてね」
ん? こんな反応の予定じゃ無かった。
「……ご飯、あっためて食べて。じゃあ」
そう言って、妻が寝室に戻って行く。
「ちょっと待って!」
思わず、妻の手を握って引き止める。妻の表情が、見たことの無いぐらい儚げで、考えるより先に、体が動いてしまった。
「あの……えっと……俺なんか間違えたかな?」
「……」
「俺の解釈間違ってる?」
「……」
「事実離婚したいのって、結婚が前夜祭で、離婚からが本当の愛で、それを育む為の事実離婚でしょ?」
「は?」
妻の表情に、生気がぐんぐん戻る。
戻りすぎて、なぜだろう。後ろに般若のようなスタンドが見える。
「何をどう解釈したら、そうなるの?」
「いやだから、メダリス先輩が……」
「そいつ誰よ……大体あなたはいつも人の話を真面目に聞かなっ――」
妻の逆鱗にふれ、もうダメだと思ったその時、寝室の扉がガチャと開く。
「あれ? パパ帰ってたの」
「ウルちゃんただいま!どうした?」
「なんか、寝れなくて……」
「そっかぁ。お悩み怪獣をパパが食べてあげよう」
娘の頭をアムアムと食べるフリをし、そのまま脇腹をコチョコチョする。
「もう……ふふ。やめてよパパ……ふふ……アハハ」
「これで大丈夫!お悩み怪獣はパパが食べ尽くした!めでたしめでたし」
安心したのか、娘の表情は軽くなる。そのまま、手を口元にあて、小さくあくびをする。
「ありがとパパ。……なんか寝れそうな気がしてきたよ。おやすみ」
「うん!おやすみ」
すっと扉を閉めようとした時。娘が隙間から覗き込む。
「夜に手繋いで、パパとママは仲良しだね。じゃあおやすみ」
この修羅場でさえ、娘には微笑ましく写ったのかと思いつつ、覚悟を決めて、妻の方に視線を戻す。すると、さっきよりは幾分穏やかな表情をしていた。そして、何故だか、ほんのり顔が赤い気がした。
「お酒飲んだ?」
「飲んで無いわよ!」
飲んで無いらしい。むしろ飲んでて欲しかった。
「もう……バカみたい」
「俺が?」
「もう! 本当にそういうところ!」
「……ごめん」
「でも……あなたの優しいところは、好き」
デレた!今のはデレたで間違い無い!
「俺も……優美が好き」
「うるさい。グズ。黙れ。キモい」
妻の言葉は、とんでもなく辛辣だが、何故だか優しさを感じた。
「事実離婚……やっぱり保留」
「え……?」
「だから、保留にしてあげるって言ってるの。それとも本当に離婚したいの!?」
「いや、したく無いです!一生一緒にいるって15年前に神に誓ったので、このまま誓わせてください!」
何故、妻の機嫌が直ったのかはわからない。
が、ひとまずこの騒動には区切りがついたようだ。
「保留――だからね」
いや、ついてないのかもしれない。
「じゃあ、先に寝るね」
「うん。おやすみ」
妻が寝室に行く前に、「まぁ、ご飯ぐらいあっためてあげる」とあたためてくれた晩御飯。
「美味しい」
よくわからないが、大変な一日だった。
結局、何故、事実離婚だったのだろうか。
考えても、答えはでない。なら――。
「まぁ、いいか」
めでたしめでたし。
ゆるい話を書きたいと、息抜きで書きました。
評価、ブクマ良ければ、また書こうと思います。




