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別れる気は無いけど、離婚しましょう

作者: 山鳥 比
掲載日:2026/05/19

「やばいな……このままだと、中年になってしまう」

 

 胡桃屋(くるみや) 狂人(きょうじ)、39歳。

 体重計にのりつつ、目の前の鏡に写る自分の姿を見ながらボソッと呟く。


「こんなにお腹に肉あったかな――」


 知らない間によく育ったお腹を見て、これが人生の終わりかと嘆く。しかし、直後に「まぁいいか」とあっさりと受け入れる。


 既婚者39歳。

 綺麗な妻に、可愛い小学生の子供だっている。

 仕事も小さい会社だけど、不動産という安定した職種で、社長だってしている。

 良いじゃないか。多少太ったって。


 ――これが、俺の怠慢だった。


「別れる気は無いけど、離婚しましょう」


 15年以上一緒にいる妻から、よくわからない死の宣告を受けた。


「……どういう意味?」


「一回でわかってよ。――本当にグズ」


 ボソッと。だが確実に聞こえるように妻が心を抉る。


「だから、別れるつもりは無いけど、離婚しましょうって言ったの!」


 同じことを二回言われた。やはり意味がわからない。

 最早、『別れる気は無い』と、『離婚しましょう』は、反対語なのでは? と思うほど、妻の意図がわからない。


「……離婚したいってこと?」

「そうじゃ無い」

「……違うんだ。じゃあ離婚しないの?」

「離婚しましょうって言ったじゃん。話聞いてた!?」


 誰か正解を教えてくれ。と、心の中で思う。


「もう、一から十まで説明しないとわからない人なんだから!」


 これを一で答えれる人がいるなら、それはもう運命と呼んでも差し支えないと思う。なんてことを考えてるうちに、妻が説明を始める。


「事実離婚しましょう」


 聞き馴染みのないワードが飛んできた。

 

「事実離婚? そんなのあるの?」

「不勉強すぎ。常識よ」


 本当にそれは常識なのか?

 不動産という職業柄、結婚や離婚とは縁が深いが、「事実離婚するので、部屋探しお願いします」なんて言われたこと一度も無いのだけれど。


「ちょっとググってもいい?」

「……5分だけね」


 短いようで長い。絶妙な執行猶予をくれた。

 あまり時間が無いので、要点だけ調べることにした。


 【事実離婚とは?】

 離婚届を出さずに事実上別れることです。


 〈メリット〉子供の為にあえて戸籍は入れたままにする。

 

 〈デメリット〉婚姻関係にあるので、戸籍上の夫婦関係がある以上、相互に助け合う義務があります。


 なるほどなるほど。

 ん?……これは、デメリットなのかな。普通に良いことが書いてある気がするのだか……。


「調べました!」

「遅い!4分49秒!」


 間に合ってんじゃん。と言いたいが、そんなことを言うと火に油だ。穏便に穏便に……。


「これは、要するに……」


 頭の中で調べたことを整理する。


「離婚はするけど、助け合って生きていこうってこと? あっ、わかった!逆にこれからもよろしくお願いしますみたいなサプライズだ」


 なぜだか、妻の顔がみるみる曇る。あっという間に曇天だった。


「そういうとこ!ホントありえない」


 口には出して無かったが、「グズ」と聞こえた気がした。


「もういい」


「怒ってる?」


「……」


 返事は無い。ただの屍のようだ。いや、こちらが屍にされる前に一旦、冷静になろう。


「ちょっと、考えたいし、散歩してくる」


「……」


 やはり返事は無い。妻に世界樹の葉を使いたいところだが、あいにく持ち合わせてるものは、肥えた肉のみだった。


 ◇


「それはザーサイが悪い」


「なんで? いきなり離婚って言われたの俺の方だよ」


 散歩と称して、やってきたのは、友達の、正野良人(ただのりょうと)のところだった。


 ちなみに、ザーサイとは、俺のあだ名である。

 昔、良人が、『胡桃屋(くるみや)』を『桃屋(ももや)』と呼び間違えたのが、ザーサイの起源である。

 一時期、キムチの素や、ごはんですよなんて呼ばれた時期もあったが、最終的にザーサイで落ち着いたのだ。


「事実離婚なんてよほどの決心だと思うぞ」


「なんで?」


「本当は離婚したいけど、子供の為を思うと両親揃ってた方がいい的なことだろ。自分の幸せより、子供の幸せを優先できるなんて、優美(ゆうみ)ちゃん偉いな」


「人の妻を名前で呼ぶのやめて貰えますか?」


「事実離婚持ちかけられた奴が、旦那面すんな」


 キッパリと言い切られた。


「でもなんで急に事実離婚とか言われたんだろ。まさか、優美のやつ、浮気してるのでは……」


「もしそうなら、普通に離婚持ちかけるだろ。そうじゃないんだから、何か理由があるんだよ」


 はて? 身に覚えがないな――。

 太ったからか――。

 それとも、来年で40歳になるからか――。

 はたまた、こっそりプリン食べたのがバレたか――。


「お前何したんだよ?」


「プリン食べたら、太って、40歳になる」


「なんの話だよ」


 心地のいいテンポでツッこまれて、思わずニヤける。


「気持ち悪い顔すんなよ」


 ニヤけたのがバレてしまった。

 お恥ずかしい限りである。


「ちょっと、話は変わるだけど……」


「おう……急にシリアスだな」


 4分49秒で、事実離婚というものを調べた時に、気になることが一つあったのだ。いや本当はもっとあったけどね。


「もし……もしも、本当に事実離婚したらさ――」


「……おう」


「妻の手を握る行為(こうい)は、好意(こうい)であってもセクハラになりますか?」


「上手いこと言ってるようで、めちゃくちゃアホな発言だな」


「いやでも、この大コンプラ時代ですよ。何をやってもハラスメントになるこの時代に、妻の手を握る行為は、セクハラに該当するかと聞いている!」


 あれ? 切実な意見なのに、良人の顔が曇ってるぞ。どこかで観た、曇天よりはマシだけど。


「たぶん……そういうところなんだろうな」


「なに?」


「優美ちゃんが、事実離婚したいって言ったの。なんかわかってきたわ」


「えっ? 本当? 教えてください!お願いします!」


 良人がため息をひとつつき、何も言わず肩に手を当て、ポンポンと優しく叩いてくる。


「一度、真面目に話してみな」

 

「いつも真面目だよ」


「……だといいんだけど」


 そう言って、良人は優しく微笑み「またな」と言って去っていった。


 ◇


 まだ家に帰るには、早い気がする。

 散歩と称した、この現実逃避には、まだ続きがある。


「離婚のことは、俺に聞け」


 そう力強く言ってくれたのは、4年に1回離婚をし、現在、5度目の結婚を考えてる、鋼のメンタルの持ち主、別所先輩。通称メダリス先輩である。


 帰り道に、ふとメダリス先輩の事を思い出し、先輩の行きつけのバーで、お悩み相談をお願いしていた。


「メダリス先輩……妻に離婚をしたいと言われ……いや、実際には事実離婚したいと言われたのですが、どうしたらいいでしょうか?」


「それは難儀だな」


 ここまで、妻も良人も、まるで俺が全部悪いみたいな言い方をしてきたが、もしかするとメダリス先輩は、初めて俺の味方なのでは? と前のめりでメダリス先輩の言葉を待つ。


「いいか、狂人。離婚ってのは、愛なんだよ」


 はてはて? 謎かけかな。


「愛……ですか? その心は?」


「離婚ってのはな――お互いの愛がピークになった時に起こる現象だ。」


 うわー! なんかカッコいいこと言ってる。

 それでそれで?


「結婚は、前夜祭みたいなもんだ。本番は離婚してからなんだよ」


 なんだろう。

 変な事を言ってるのはわかる。

 ――わかるのだが、妙に説得力がある。


「離婚という、夫婦の試練を乗り越えて、それでもお互いが求めあう。その時初めて、二人は結ばれるんだ」


 何かが心にストンと落ちた。

 そうか! だからか!

 優美は、本当の愛を確かめる為に、あえて離婚では無く、事実離婚って別れない形を選択したのか。

 点と点が繋がる。目から鱗。なるほどなるほど。


「メダリス先輩、ありがとうございます! なんか、わかった気がします」


 深々とお辞儀をする。頭を下げているので、顔までは見えなかったが、メダリス先輩の手元に、親指だけが立ったグーがあった。


「俺はな、四人に離婚という種蒔きをしたんだ。その芽が恥ずかしがって出てこないから、今度5度目の種蒔きをしようと思ってる」


「後悔は無いんですか?」


「後悔? あるわけねぇだろ。――俺は、今でも全員愛してるからな」


 痺れるぅー! メダリス先輩に相談して良かった!


「マジカッケェっす。俺、もう一度妻と話してみます!」


「あぁ、頑張れよ」


 メダリス先輩は、持っていたウイスキーのロックをグッと飲み干す。


「狂人――」


「……はい」


「ちゃんと水やらねぇと、枯れちまうぞ」


 超ダサいセリフなのに……めちゃくちゃカッコいい!

 メダリス先輩は、マスターに「もう一杯」とまだまだ飲みが足りない様子だったが、俺は家に帰ることにした。


 ◇


「ただいまー」


 家に帰ると、リビングの電気だけがついていた。

 時刻は21時。娘の美人(うるわ)が寝たぐらいの時間に帰宅した。


 リビングの扉を開けると、テーブルの上にラップのかかった晩御飯が置かれていた。


 あれだけ曇った表情をしていたのに、晩御飯を準備してくれるなんて……やはり、足りてないのは水やりだったか。なんて思っていると、寝室の扉がガチャっと開く。


「あら……グズ。帰ってたの」


 拝啓。メダリス先輩。もうこれ、枯れてませんか? 敬具。


「うん……ご飯ありがとう」

「仕事はしっかりしてるんだし、それぐらいはしてあげる」


 今のはツンデレなのか? いや、デレてはないか。


「……で、考えはまとまったの?」


 ご飯の置かれた席の、向かいの椅子に妻が座り、真っ直ぐ聞いてきた。こんな状況だけど、心は穏やかだった。大丈夫。怯むことはない。二人の心の友に聞いてきたのだ。俺の答えは決まってる。


「一度、優美としっかり話したい」

「え……?」


 妻の鉄の仮面に綻びを感じた。まだ何も言ってないのだけれど。でもこれは好気!このまま押し切る!


「俺はさ、優美がそんなに悩んでるなんてこれっぽっちも思って無かった。」

「……これっぽっちは余計な一言。で?」

「良人に相談したんだけど……」

「なにを?」


 『妻の手を握るのはコンプラ違反になりますか?』なんて事を相談したというのは、いくら俺でも今言う事でない事ぐらいわかる。


「なんで、事実離婚なんだろって」

「なんでだと思う?」

「最初は、本当は別れる気は無くて、俺に悪いところがあるから、直して欲しいとかそんな感じかなって思った」


 素直に思ったことを話す。ありのままに。


「でも、ならなんで離婚じゃ無くて事実離婚なんだろってなって……」

「うん。私なりに色々考えて、事実離婚を選んだの」

「だよね。そう思って、その後にメダリス先輩にも相談に行った」

「え? 誰?」

「メダリス先輩。あっ通称、別所先輩」

「逆じゃない?」

「先輩メダリス?」

「……そういうところ」


 妻は、ひとつため息をつき、話を戻す。


「で、どうするの? 事実離婚するの?」

 

「うん! もちろんする!」

 

 即答した。

 

 これは、愛の試練なのだ。妻の愛に応える為にも、俺はここで変わるのだ。水やりを怠らず、メダリス先輩が成し得なかった、離婚の更に先へ!いざ参らん!


「……」


 あれ? 何故だんまりなのだろう。


「……わかった」


 あれれ? 思った反応と違う。


「……明日から、子供の前だけは夫婦でいてね」


 ん? こんな反応の予定じゃ無かった。


「……ご飯、あっためて食べて。じゃあ」


 そう言って、妻が寝室に戻って行く。


「ちょっと待って!」


 思わず、妻の手を握って引き止める。妻の表情が、見たことの無いぐらい儚げで、考えるより先に、体が動いてしまった。


「あの……えっと……俺なんか間違えたかな?」

「……」

「俺の解釈間違ってる?」

「……」

「事実離婚したいのって、結婚が前夜祭で、離婚からが本当の愛で、それを育む為の事実離婚でしょ?」


「は?」


 妻の表情に、生気がぐんぐん戻る。

 戻りすぎて、なぜだろう。後ろに般若のようなスタンドが見える。


「何をどう解釈したら、そうなるの?」

「いやだから、メダリス先輩が……」

「そいつ誰よ……大体あなたはいつも人の話を真面目に聞かなっ――」


 妻の逆鱗にふれ、もうダメだと思ったその時、寝室の扉がガチャと開く。


「あれ? パパ帰ってたの」

「ウルちゃんただいま!どうした?」

「なんか、寝れなくて……」

「そっかぁ。お悩み怪獣をパパが食べてあげよう」


 娘の頭をアムアムと食べるフリをし、そのまま脇腹をコチョコチョする。


「もう……ふふ。やめてよパパ……ふふ……アハハ」

「これで大丈夫!お悩み怪獣はパパが食べ尽くした!めでたしめでたし」


 安心したのか、娘の表情は軽くなる。そのまま、手を口元にあて、小さくあくびをする。

 

「ありがとパパ。……なんか寝れそうな気がしてきたよ。おやすみ」

「うん!おやすみ」


 すっと扉を閉めようとした時。娘が隙間から覗き込む。


「夜に手繋いで、パパとママは仲良しだね。じゃあおやすみ」


 この修羅場でさえ、娘には微笑ましく写ったのかと思いつつ、覚悟を決めて、妻の方に視線を戻す。すると、さっきよりは幾分穏やかな表情をしていた。そして、何故だか、ほんのり顔が赤い気がした。


「お酒飲んだ?」

「飲んで無いわよ!」


 飲んで無いらしい。むしろ飲んでて欲しかった。


「もう……バカみたい」

「俺が?」

「もう! 本当にそういうところ!」

「……ごめん」

「でも……あなたの優しいところは、好き」


 デレた!今のはデレたで間違い無い!


「俺も……優美が好き」

「うるさい。グズ。黙れ。キモい」


 妻の言葉は、とんでもなく辛辣だが、何故だか優しさを感じた。


「事実離婚……やっぱり保留」

「え……?」

「だから、保留にしてあげるって言ってるの。それとも本当に離婚したいの!?」

「いや、したく無いです!一生一緒にいるって15年前に神に誓ったので、このまま誓わせてください!」


 何故、妻の機嫌が直ったのかはわからない。

 が、ひとまずこの騒動には区切りがついたようだ。


「保留――だからね」


 いや、ついてないのかもしれない。


「じゃあ、先に寝るね」


「うん。おやすみ」


 妻が寝室に行く前に、「まぁ、ご飯ぐらいあっためてあげる」とあたためてくれた晩御飯。


「美味しい」


 よくわからないが、大変な一日だった。

 結局、何故、事実離婚だったのだろうか。

 考えても、答えはでない。なら――。


「まぁ、いいか」


 めでたしめでたし。

ゆるい話を書きたいと、息抜きで書きました。

評価、ブクマ良ければ、また書こうと思います。

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