51.閑話 傷病軍人/東京の日々
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本日はここまでとなります
長かったシベリア抑留を終え――あとは、帰るだけのはずだった。
けれど、日頃の真面目さが仇になって、東京に寄る事になった。
同郷の人間と、もう少し長めに一緒に居られる事になったのは――嬉しいやら悲しいやら。
青森から乗った電車は、とても混んでいた。何とも言えない気持ちのまま、俺はその中に混ざり込んだ。
混んだ電車の中は、それはそれは酷い有様だった。
乗る前に買った酒を煽る者、故郷の歌を歌う者。
やっと日本に帰れた安堵から、周りのうるささも気にせずに昏々と眠る者。
正直、一言で語れる話なんて、一つもなかった。
それでも、それぞれが――いろんな気持ちを抱えて、この電車に乗っているのは分かっていた。
だが、俺が通ると――どうしても静かになってしまう。
「ああ、気にしないでくれ。むしろ賑やかな方が、こいつらも喜ぶ」
「――そうか」
優しい返事が聞こえると、「一緒に話さないか」と声を掛けてくれる。
各々の見た戦争の話なんて、誰がするもんか。
そんな気概で、未来を語る電車は一昼夜走った。
途中、福島のあたりで長い休憩があったらしいが、話に夢中で気づきもしなかった。
上野には昼を超えて少し経った辺りで着いた。
「じゃあ、お元気で」
「ああ、折角生きたんだ、お互いにな」
電車の中に居た人間はみな、戦友だ。
どう戦ったかじゃなくて、逃げたとかじゃなくて、生き残った戦友だ。
そんな一期一会の友と別れ、都電に乗り換えて向かったのは市ヶ谷。
これを済ませたらあとは故郷に帰るだけだと思っていたのだが、どうやら時間が遅かったみたいだ。
「遺骨はお預かりいたします。ただ、この時間からは手続きが出来ないので、また明日お越しください」
「ああ。因みにどのぐらいで終わる?」
「朝一で来て貰えば、半日はかからないかと……」
「わかった」
友を預けると、ぽっかりと穴が開いたように時間が出来た。
そこからは――自由時間だった。
まずは気になっていた築地に行き、明日のことも考えて築地近くの八丁堀で宿を取り、ふらふらとしているといい香りが漂って来た。
懐は寂しいが、久しぶりの美味そうな香りに釣られるように洋食屋の暖簾をくぐった。
店内はとても賑やかで、その様子が少しまぶしくて目を細めてしまうが、どうやら、そういう風には見えなかったらしい。女給を少し困らせてしまったようだ。
少しいたたまれない気持ちでいた所、別の女給がきて酌をしてくれた。
呼んでもいないのに面倒を起こす客というのは、どこにでもいるものだ。
ふらふらと怪しい足取りの若い男が入って来て、目の前で迷惑なやり取りをされそうになったので、思わず間に入った。
ところが、俺の顔を見るなり――目を見開いて、言葉を聞かずにそそくさと逃げていった。
お礼を言われながら、背中をバシバシと叩くのは店のおかみみたいで、その手はとても優しく、――温かかった。
そして女給から明日も来るように言われ、懐事情が心許なかったが、彼女はかなりの聞き上手だった。
青森港まで一緒に帰ってきた仲間の話もぽろっと出たのもあって、出来るだけ来ると伝えた。
「はい、今の書類で完了ですね。お疲れ様でした」
「あ、ああ。じゃあ後は……頼んだ」
「ええ。ありがとうございます」
遺骨の処理が終わったので、後は故郷に帰るだけになって少しだけ肩の荷が下りた気もする。
昨日よりも少しだけ慣れた築地は賑やかで、美味そうな香りがする方へ自然と足が向かう。けれど懐事情もあって、眺めるにとどめた。
「せっかくのお誘い、不義理はよくないな」
昨日の洋食屋の女給がふと頭をよぎる。
夜だけでも顔を出そう――そんな気持ちになっていたのだが……。
今日も、と築地をぶらつき、久しぶりの蕎麦を堪能する。
美味そうな魚を横目で見ながら、昨日と同じような時間になってから洋食屋へ向かったのだが、昨日は普通にあったはずの暖簾が何故かもう下がっていた。
「そこまで遅い時間に来たつもりはなかったが……」
暖簾が下りた店に無理を言うつもりもなく、漏れてくる店内からの音は、昨日と同じぐらい賑やかだった。
さらにその声達には波があり、楽しそうな空気が外でも感じられるほど。
「どうしたものかな……」
「おや?軍人さんがどうかしました?」
「いや、昨日縁あってこの店で食事をしたのだが、この通り暖簾が下がっていて」
「ん?もう暖簾が?……本当だ。いつもだとまだやっている時間なのに?」
誂えの良さそうな服をきっちりと着こなしている青年は少しだけ考えると、いきなり不思議な事を言う。
「何か、今日は面白い事でもあったのでしょう。こうなってしまっては入れませんし、明日にずらしてはどうでしょう?時間はあるのでしょう?」
男はとんとんと腕時計を軽く叩く。
「あー、いや用事は今朝終わってしまったので、故郷にでも帰ろうかと思って」
「急ぎで?」
「いや、急いではいないがこの通り。懐事情は心許ないのでね」
とても軽く見えるはずの財布をペロッと見せると、男は苦笑い。
「なるほど。ここの女給さん達は義理堅いですからね。約束があるなら、なおさらです。もしよければ――この後ご一緒しませんか?……後学のためにも、少しお話を伺えたらと」
男がジッと見ているのは自分の顔の傷だろうか。
……怖いもの見たさなのかもしれない。だが、次の一言が悩みを吹き飛ばした。
「私の方でお金は出しますから」
「いいのか?」
「ええ。軍人さんは、優しそうなので」
……どうやら夜は長くなりそうだ
昔の時代の話を書き始めた時点でいつかはこういう話も書かないとおかしくなるのかな?と思っていまして。
かなり時代考証に関しては頼りになる味方がいてくれて助かっています。
十話に出て来た傷病軍人さん。
何故か再登場です
外食に限らず、スーパーで買い物をしている隣の人、果てはお隣の家の人にも歩いて来た道が色々とあります。
気にしないと、ただそれだけ。
ただ、気になってみるとなかなか不思議なモノ。
チラッと出た傷病軍人さんの過去だと重く見ずに、そういうものか。とサラッと思って下さるとうれしいです。
次回の大安吉日にまたしっかりとお届け出来るようにがんばって溜めておきます(笑)
本日も読んで頂きありがとうございます<__>
また次回の大安吉日にお会いしましょう




