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 どんな日でも、その髪につげ櫛を通せば心は落ち着く。


 ルーティンとか、儀式とか、そういう物は、こんな時のために備えて日頃行われるものなのかもしれない。


「いきなりの日程変更って、やっぱり生徒会の思惑が働いてのことだよな?」


 時刻は十二時五十分を少し過ぎたか、というところだった。(いつ)(はな)(さい)初日を迎えた学園は、生徒や教師、関係者、一般来場者と様々な人でごった返し、華やいだ空気を纏っている。


 その中に隠しきれない慌ただしさとバタつきを感じるのは、今朝急遽発表されたスケジュール変更のせいだろう。


「だろうな。ここまで急な変更は今までなかったという話だし」

「てか、こんなムチャクチャが通せるんだな。普通に考えたら無理だろ、こんな変更」

「まぁ、そこは色々コネなり権力なりが絡んだ結果だろうな」


 本来ならば、初日の十三時からは疑似実地(パフォーム)の予選が行われるはずだった。


 エントリーした全十六チームがトーナメント形式で戦う疑似実地(パフォーム)は、毎年初日に『予選』と呼ばれる一回戦と二回戦、二日目に準決勝と決勝という日程で二日間に分けて行われる。錬力相が視察に訪れるのは毎年二日目の決勝戦と決まっていて、優勝チームは錬力相から直接表彰状と記念の楯が贈られる。


 その慣例が、今年は急に、五華祭が開幕する直前に変えられた。


 今から行われるのは『本戦』。


 全十六チームが乱闘形式で入り乱れて戦い、最後まで立っていた者が所属するチームが優勝。


 今年の疑似実地(パフォーム)は、この本戦一本勝負となった。


「表向きは『錬力相の視察が急遽初日に前倒しになったから、初日に優勝チームを決めて、意地でも錬力相に表彰してもらおう』だったか?」

「くだけた言葉でザックリ纏めてしまうと、そんな感じの話だな」


 錬力相の視察日程の変更は、錬対が働きかけたものであるらしい。


 視察自体を取りやめれば、学園と政府の間で一波乱起きることは必至。ならば生徒会側が事前に予定を把握できない土壇場で日程を変更し、その隙を突こうという考えだったようだ。


 ──生徒会がそれ以上のゴリ押しで対応してくるとは、錬対側も予想できなかったんだろうな。


 そこまで考えた(ライ)()は、ふと気になる情報を耳にしたことを思い出した。


「変更と言えば、『ウェルテクス』は(すず)(しろ)(ヒメ)()(あま)(みや)()()()が欠場だってな」


 周囲の空気がバタついていても、雷斗と(アン)()がいる教室の中は静かだった。展示に使われていない教室を拝借してヘアセットをしているのだが、そのおかげで周囲の視線が気にならなくて助かる。出陣前の最後の打ち合わせにももってこいだ。


「あぁ。ちょっとした取引をさせてもらった。その結果だな」


 本日の杏奈は、いつものもっさい制服姿ではなく、シンプルな黒詰襟のワンピースに黒のベールという修道服に身を包んでいた。


 何でも、クラスの女子生徒達に『コスプレ喫茶の宣伝にちょうどいいから!』という理由で押し付けられたらしい。最初から杏奈に着せるために用意された衣装だったそうで、標準よりも小柄で細身な杏奈が着用しても袖も裾もピッタリと長さがあっていた。ご丁寧に足元には編上げのブーツまで用意されている。


 断ろうと思えば断れたのだろうが、杏奈側にも何か思惑があったのか、杏奈は大人しくその衣装に身を包んでいた。渡されたのは衣装と靴だけであったはずなのに、いつの間にか首に銀のロザリオをかけていた辺り、杏奈もこの衣装を気に入ったのかもしれない。


 杏奈の指先が何か物思いにふけるかのように胸元のロザリオをいじっているのをチラリと眺めてから、雷斗は問いを向けた。


「取引って……朝会いに行ってた相手は、清白姫妃だったのか? それとも雨宮詩都璃?」

「雨宮詩都璃の方。こちらが提示した条件で協力を取り付けられた。欠場はその協力の一環だ。『体調不良』という理由で早退してもらった。詩都璃を心配する姫妃とともにな」

「そんなことさせて、生徒会に怪しまれたりしねぇの?」

「ちょっとした薬を服用してもらって、一時的に腹痛と発熱状態を作り出した。効果は二時間ほどで切れるが、あれを仮病と見破るのは難しい」


 本日の髪型は『衣装に合わせてシニョンに結ってほしい』とすでにオーダーが出されている。髪を()き終わり、つげ櫛を杏奈に返した雷斗は、まずはサイドの髪を取ると編み込みを作り始めた。


「そっか」


 その合間に、短く杏奈の声に応える。


 今朝、雷斗は十分間だけ杏奈の自由行動に目をつむった。もちろんいざという時は雷斗が駆けつけられる範囲での自由行動だ。


 その間に杏奈がどの辺りで行動していたかは知っているが、杏奈がその間に何をしてきたのかまでは知らない。錬対にバレたら雷斗の首が即刻飛びかねない行動だと、一応雷斗も杏奈も自覚はしている。


 ──それでもこれは、絶対に必要な行動だった。だからアンナは俺に『お願い』したんだ。


 杏奈が単独で雨宮詩都璃との取引に出向いたのは、絶対に単独でなければない理由が何かしらあったからなのだろう。雷斗はその確信にイチミリも疑念を抱いてはいない。幼馴染としても相方としても、理由もなく雷斗に外れてくれと言う杏奈ではない。そのことは雷斗自身が一番よく知っている。


 だから雷斗は軽く答えると話題を変えることにした。


「乱闘形式に変えた思惑、どこにあると思う?」


 左側の編み込みが完成したら一度ヘアゴムで仮止めをして、今度は右側の髪も同じように編み込んでいく。左右が完成したら仮止めを一度解き、後ろの髪と纏めて低めのポニーテールに纏める。さらにその髪を雷斗はゆるくみつ編みにした。


「自分達の力をなるべく温存しつつ、確実に私達を潰すため。あと、私の能力を正しく把握しているならば、情報量で私を潰すためだ」


 その指の動きが、杏奈の言葉を受けてピクリと止まった。


「相手取る人間が増えれば、その分私が見極めなければならない情報も増える。情報が増えれば、私の()()()()()()()もその分短くなる」


 杏奈の能力である『雷撃の直観ライトニング・インサイト』は、本来ならば誰でも備えている観察力、思考力、洞察力を限界まで研ぎ澄ました末に『異能』とまで呼ばれる領域まで昇華させた代物だ。錬力が生まれ持ったの資質に百パーセント依存しているように、杏奈の『錬力学殺し』はその脳に百パーセント依存している。


 そうであるからこそ、杏奈にはその能力を行使する上で制約がついて回る。それが『反動』であり、『タイムリミット』だ。


雷撃の直観ライトニング・インサイト』の決定的な弱点。それを突きつけられた雷斗は、微かに手を震わせる。


「……アンナ。もし、……もしも、疑似実地(パフォーム)中に反動が出たら、その時は俺のことは」

「イヤだ」

「アンナ!」

「絶っっっ対にヤダ。そうしなきゃいけないくらいなら、私は最初から作戦には参加しない」

「はっ!? ちょっ!?」


 杏奈がプイッとそっぽを向く。そのせいで完成間近だったみつ編みはスルリと雷斗の手から抜け出ていってしまった。左右が編み込まれただけのポニーテールがサラリと修道服の上に広がる。


「参加しないってお前……っ!!」

「だから、私がそんなことになる前に、さっさと決着を着けようよ」


 あまりに予想外な言葉に雷斗は思わず杏奈の正面に回り込む。まるでそんな雷斗を待っていたかのように、杏奈は顔を上げて雷斗を見つめた。


「生徒会が今日に日程を纏めてくれたなんてラッキーじゃん。さっさと仕事なんて片付けて、初めての学園祭を楽しみたい」


 イタズラが成功した子供のような顔で杏奈は笑った。顔にはまだメガネが載っているから詳細な表情までは分からないが、露わになっている口元にはニシシッという笑みが浮かんでいる。


「一応、そこへの対抗策も補強してある。そのための『取引』だ」


 杏奈は首から掛けられたロザリオの鎖を(つま)むとブラブラと振ってみせた。


 その仕草を見て初めて、雷斗はそのロザリオがただのコスプレ用の装飾ではなかったことに気付く。


「私はイトの実力を信じてる。だからイトは、私の耐久力を信じてくれ。私達は『ウェルテクス』をぶっ飛ばせるし、やつらの『反逆』は世に露わになる前に潰れるんだ」

「っ、……おン前なぁ……」


 まんまと手玉に取られた悔しさと言うべきか、やはり敵わないなという諦めというか。


 何と表現したらいいのか分からない感情を溜め息に込めて吐き出しながら、雷斗は杏奈の背後に戻った。


 解けてしまったみつ編みを編み直し、クルクルとポニーテールの根本に巻きつけるようにしてお団子状にまとめてやる。杏奈から渡されたヘアピンで固定して、仕上げに雷斗のネクタイを巻き、太さが不揃いな大きなリボンを作ってやれば出来上がりだ。


 今日はさらにその上からフワリと黒いベールを被せて、白百合の飾りで隠されていたピンでベールを固定する。サラリと腰上まで広がるベールは、適度に杏奈の姿を周囲から隠しつつも杏奈自身には世界を開いてくれているように思えた。


「今日も上手!」


 やはり今回も杏奈は鏡で己の姿を確認することなく断言した。ピョコンッと跳ねるように立ち上がった杏奈は雷斗に向き直って櫛を受け渡すと、さらに手振りで『ちょっとしゃがんで』と示す。


「イトくんって、案外赤が似合うんだよね」


 櫛を胸ポケットに入れた雷斗が首を傾げながらも身をかがめると、杏奈は背伸びをして雷斗の首に両腕を回した。一瞬抱きつかれるような態勢になった雷斗はドキリと心臓を跳ねさせるが、その驚きが口から飛び出るよりもシュルリと衣擦れの音が耳に届く方が早い。


「私以外の赤を身に着けたら、許さないんだから」


 どこに隠し持っていたのか、杏奈はいつも雷斗の手首に巻く紐タイを今日は雷斗の襟元に結んでいた。ネクタイの代わりに巻かれた紐タイは、雷斗のガタイが良すぎるせいで杏奈が巻いた時よりも随分結び目が小さくなっている。


「浮気の心配かよ」


 そんな杏奈に(あき)れの溜め息をつきながら、雷斗は左耳に差し込んだインカムの電源を入れた。


「こんなにずっと、俺はお前に一途なのに」


 すでに杏奈の耳にはイヤリングの姿に偽装された通信用小型スピーカーがつけられている。


 杏奈が耳の中に入れ込む形でインカムをつけないのは、インカムが耳をふさぐことで杏奈の五感が阻害されるのを防ぐためだ。だが今の修道服姿の杏奈には、その意図以上に漆黒と金の装身具が映えて見える。


「心配なんてしてないよ」


 雷斗としては恥ずかしいセリフをあえて耳元のスピーカーから聞こえるように言ってやったつもりだったのに、『牙』の気配をにじませる杏奈にはまったく効果は見えない。


 それどころか杏奈は、お返しとばかりに指につけられたマイクに向かって(ささや)くように告げる。


【己の血でさえ赤く染まったら許さない。……そう言いたかっただけなんだから】


 インカムごしに響く囁き声に、一瞬ゾワリと全身の毛が逆立つ。


 それがちょっと悔しくて、雷斗は杏奈を軽く睨みつける。そんな雷斗の内心なんていつも通りお見通しなのか、杏奈は楽しそうに笑うとスッと片手を掲げた。


「さぁ、そろそろ時間だ」

「あぁ」


 雷斗は同じように手を掲げてから、その手にパチンッと己の手をぶつける。


 ハイタッチを交わした瞬間、二人の唇からは同時に言葉がこぼれていた。


只今(ただいま)より『ライトニング・インサイト』を執行する」


 その言葉とともに笑みも交わしあった二人は、教室を後にすると決戦会場である中庭に向かった。


 開戦を告げる、鐘が鳴る。


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