表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

デミリタライズゾーン編.1_シラージュの韋駄天

 シラージュの防壁の内側には人の気配があるものの、活気がない。皆、ボロボロの屋根すらない廃墟に身を寄せ合い、手近にある材木やもはや体裁を為していない本で小さな焚火を熾して意味もなく眺めている。雨はめったに降らないため、空気が乾燥しきっているのも彼らから動く力を奪っている要因なのかもしれない。山の上に建つ街ではどれほど深く井戸を掘っても水はなく、廃墟を漁って得た僅かな金属品をコップ一杯に満たない水や筋ばかりで顎が疲れる干し肉に交換すればその日できることは終わる。後は逃げてきた故郷や異国の地に想いを馳せ、そこで課されていた厳しい労役をネタに自分の不運を語るだけ。

 打ち捨てられた街、シラージュの一日はそうやって過ぎていく。

 だが、その日やって来た男はどうやらそうした連中に加わることを良しとしないようだった。麦わらで編んだ鍔のない帽子と黒い革のコート、足には分厚い布が巻かれた長靴。旅人の中でもその身なりは立派な部類に入るだろう。布を身体に巻き付けただけの瘦せこけた住人達とは対照的だ。なにより赤銅色の肌と黒い髪の毛は珍しい。そんな彼は立ち並ぶ廃墟を一通り見ていたが、やがて一軒の扉と屋根がついている建物に入る。中は食事や飲み物を提供している店らしく、十人ほどの客が薄そうな大麦がゆや度数だけやたらと強いサボテンの蒸留酒をちびちびと口に運んではやや抑えめな喧騒を生み出している。

「いらっしゃい! また会ったね!」

 カウンターの向こうから店主らしき人物がきさくに声を掛けてくるが、男にとっては初めて足を踏み入れた店だ。だが彼はあえて指摘せずに片手を上げてそれに応え、歩み寄る。

「やあ、飲み物を頼みたいんだが」

「なんでもあるよ。水でも泡酒でもラムでもなんでもござれ。あ、ウェットランドのイネ酒は最近入ってきてないかな。切らしてるのはそれだけだね」

「では水をいただこう。シェード銅貨でいいか? それとも現物か?」

「いや、銅貨でいい。じゃあ水一杯だと……10枚だね」

「10? ずいぶんと吹っかけるじゃないか。砂漠のど真ん中にあるスレイブヤードのバーでも5枚はいかないぞ」

「どうせ貧民窟の腐った雨水だろ。ウチのはキョトーの新鮮な井戸水だ。文句があるなら他所へ行きな」

「わかったわかった。ついでにその干し肉も買うから全部で15枚にしてくれ」

「おいおい話にならんね。近頃は食い物が手に入りづらくなってんだ。20枚出してもらわなきゃ困る」

「それで値段をつりあげちゃ誰も買わなくなるだろ。それにこの銅貨は最近発行されたばかりだ。昔のよりちと質がいい。だから16枚にしてくれ」

「そんなの微々たる差だ。……ったく17だ。それ以下は認めないぜ」

「しょうがねえ。何も手に入らないよりはマシだ」

 男は銅貨と引き換えに店主からコップと干し肉の塊をもらい、席に着く。彼の他にも数人が座っているが、そのテーブルでは誰も一言も発さない。ちらりと正面を向くと、体格のよさそうな男が彼をじっと見ている。

「おいてめえ何ガンつけてんだよ」

言われる前にサッと目を伏せたつもりだったが、相手はこちらに気があるらしく、大げさな口調で絡んでくる。

「おっさん、そんな怖い目で睨んでくるなよ。こっちはめちゃくちゃ気分を害したんだけど」

「……“気分を害する”という言い回しを知っていたことに驚きだな」

「てめえ何つった!」

 チンピラが立ち上がり、背中のサーベルを抜きはらう。彼も距離をとるべく立ち上がる。その瞬間、背後を誰かが通り過ぎた。一瞬の出来事だったため認識が遅れたが、腰にぶら下げていた袋が掠め取られたようだ。

「おい待て」

「それはこっちの台詞だ、おっさん! これで頭カチ割られたくなければ謝罪して全財産寄越せ!」

「面倒だな。そんなことよりちょっと私用ができた。後にしてくれ」

「んだとコルァ!! おちょくりやがってぶち殺がすぞ!」

 チンピラが重量感のある金属の刃を振り下ろす。その刃は所々錆びていて持ち主の性格を的確に表しているが、その質量だけでも十分に脅威足り得る。男は座っていたスツールの足を上にして掲げ、防御と同時に相手の脛を蹴り飛ばす。硬いつま先から放たれた衝撃を薄いズボンでは吸収しきれず、相手は思わずうずくまってしまう。だが、その結果を見届ける人々の中に彼はいない。一連の防御と攻撃を終えるとさっさと店を後にしてしまったのだ。

 通りを見渡すと、右側に見える街の門に動くものが見えた気がした。先ほどの盗人とは限らないが、活気のない周囲の様子からほとんど間違いないだろう。

「待て!」

 彼はひとまず叫びながらその後姿を追う。街の門をくぐると、それほど離れていないところにひとつの人影が見えた。砂しか見えない広い渓谷を真っ直ぐわたり、向かいに見える山々に身を隠すつもりらしい。人影が振り向き、門の前に立つ男の姿を認めたようだ。

「アイツ……笑ってやがる」

 なるほど、向こうがその気なら。男は走り始めた。

「その安い挑発、乗ってやる」

 シラージュの街は先ほども述べたとおり、山の上にある。その山肌も長年手入れされていないがごとくごつごつの岩と枯れかけの草に覆われている。その斜面を彼は猛然と下っていく。渓谷の底にたどり着いた時、盗人はようやく向かいの山を登り始めたころだった。ひとまず彼は相手との距離が縮まっていることに安堵を覚える。相手が得意とするフィールドで戦うのはそれ相応のリスクがある。とはいえ、負けてしまっては彼自身のプライドが傷つく。だが、安心したのは早かったかもしれない。

「距離が広がっている!?」

 相手は登りのはずなのに、先ほどよりも背中が小さく見える。

(まずい、このままでは離されてしまう)

 彼は思い切って靴紐をナイフで切る。後で拾いにくればいい。だが今は少しでも身軽にしなければ追いつけない。どのみち岩肌を素早く登るのにがっちりした重たい長靴は適さないのだ。ついでにコートも脱ぎ、シャツとズボンだけになる。それまでしてようやく距離が縮まる。

 あともう少し。

 互いが石ころを後ろに蹴り、禿山を登る。

 あともう腕一本分。

 足に傷をつければそれだけで一気に不利になる。男は速度を上げる以上に地面の状態を把握することに腐心する。しかし、驚いたことに盗人も裸足だ。

 あと拳一個分。

 自分の脚力に自信はあるが、目の前の人物はいいものを持っている。磨けば光るだろう。

「だが、相手が悪かったなッ!」

 目の前の今にもばらけそうな胴衣の襟をつかむ。丁度山頂で、なだらかになり始めていたのも追いつけた原因だろうか。盗人は当然抵抗し、男の腕を掴んで引きはがそうとする。しかし、岩を押しているようにびくともしない。

「はなせよ! クソッ! ゴミ! カス! オレはシラージュの韋駄天様だぞ!」

「なんじゃそりゃ、子供かよ……って本当にそうか」

 まだ成長しきっていない痩せた身体。ただの栄養失調ではなく、本格的に筋肉が付き始める時期がまだ来ていないようだ。ぼさぼさの金髪に紅い目と、この辺ではよく見かけるハット族の特徴を備えた少年は忌々し気に首根っこを掴む相手をにらみつける。せめてもの抵抗のつもりだろうか。

「ふむ、俺としては取ったものを返してほしいのだがな」

「人聞き悪いこと言うな! オレは財布なんて取ってない! 人違いだ!」

「おや、俺は財布が取られたとは一言も言ってないぞ。どうして知っているんだ?」

「ぐ……でも知らねえ! オレは関係ねえ! 放せったら!」

 少年は再び暴れ始める。男はため息をついて、少年の首に腕を回す。

「ウッ……ゴガッ! グエェ」

「俺としてはこのままお前を絞め殺してその服の中を探ってもいいんだがな。最後の忠告をしてやろう」

 骨がきしむ音を少年は聞いた。実際にはそんな音は出ていないのだが、恐怖と息苦しさが幻聴を生み出している。

「おとなしく、盗んだものを引き渡せ」

 うまく出ない声の代わりに腕が二、三回タップされた。男はようやく力を緩め、少年の身体を下ろしてやる。

「さあ、返せ。返してくれたら見逃してやる」

 彼はもたもたと懐を探る少年を急かすように掌を目の前で上下に振る。その時だった。

 グルルルル……

 低いうなり声が彼らの周囲から聞こえてくる。男が見渡すと、十匹以上のサバクオオカミが二人を囲んでいる。


運動能力が一番大事です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ