脱出 SIDE-T
章最後の話なので一寸時間がかかりました、申し訳ありません
「ふぅ……」
俺は溜め息をつき、座っているソファーへと背中を預ける。
昨日五條さんから話を聞いてから既に12時間経ち、日付も変わっていた。
あれから長い間考えていたのだが、頭の中が整理される事はなく、ただ時間だけが過ぎて行く。
「ふぁ……」
集中を切らしたからか、急に眠気が込み上げてきて俺はあくびをする。
一回寝ているはずなのだが、状況が状況だけに安眠できていなかったのだと思う。
俺は眠気覚ましにコーヒーを飲むため立ち上がると、馴れ親しんだかの様にコーヒーメーカーが置いてある机に向かった。
机の前に立ちカップをコーヒーメーカーに置いて淹れ終わるのを待っている間、五條さんの方を見てみれば自分の机でパソコンと向き合い何やら打ち込んでいた。
五條さんの方も昨日、話終わってからずっと今の様に何かの作業に没頭している。
それから何をするでもなくコーヒーが淹れ終わるのを待ち、カップが黒い液体で満たされると俺はソファーへ戻った。
ソファーに腰かけカップに満ちた熱いコーヒーを啜りながら俺は、昨日の事について再び考え始める。
五條さんは俺には力があると言った。
その力があれば、この施設に連れてこられた人達を助け出すことも不可能ではないとも。
確かに俺は元々、『地獄列車』から聞こえた声の主を助けるために、この施設に乗り込んできた。
また、フランベルジェに再び立ち塞がれる可能性も考え、日向さんから『能力』と『励起法』について学んだ。
そのお陰で、フランベルジェを退け、今この施設へ入ることが出来ている。
自惚れた部分も入っていると思うが、今の俺は常人を越えた『力』を持っているだろう。
しかし、昨日五條さんと話している時にも思ったが、俺はつい最近まで普通に暮らしていた、まだ16歳の子供だ。
ただでさえ人体実験などの話で結構堪えていたのに、その上多くの人の命が俺の『力』にかかっていると言われて、その重さに俺はどう進めばいいのか分からなくなってきた。
莉奈を追うために自ら踏み込んだもう一つの世界は、思っていた以上に暗く、深く、俺の弱い心を際立たせ踏み止ませるには十分なものであった。
結局どうすればよいのか分からないまま悩んでいると、五條さんの机に備えられている電話が鳴り始めた。
その電子音で俺は思考を中断し、五條さんはこの忙しい時に誰だと呟きながらキーボードを叩く手を止める。
親しい人からの電話なのか、相手の声を聞いた五條さんは安心したように表情を緩ませ、「どうした?」と聞き返す。
しかし、次に受話器から発せられた言葉を聞いて、五條さんの表情がみるみる青ざめていく。
そこからは反応は劇的で、緩みかけていた部屋の雰囲気ががらりと変わる。
我に返った様に五條さんが慌てた様子で、再び電話の相手と矢継ぎ早に話を進めていく。
話の内容が分からない俺には状況が掴めず、ただ五條さんの会話が終わるのを待つしかなかった。
話が終わったのか、五條さんは受話器を元に戻し深刻な顔でこちらを振り向いた。
「五條さん、どうしたんですか?」
「…落ち着いて聞いてくれ」
自らを落ち着かせる為か、五條さんは瞼を閉じ一度深呼吸してから続きを話す。
「今、この施設にいる同僚から連絡があったんだが…君がここにいる事がばれてしまった」
五條さんの言葉に俺は思考が少しの間止まる。
まだ答えも出せていないのに、もう見つかってしまった?
「ここにいる事がばれるにしても、まだ時間があると思っていたのだが」
五條さんが予想外の事態に表情を歪ませる。
「とにかく、今同僚が出来る限り警備員を足止めしてくれているから、今のうちに施設から逃げ出すんだ」
「……でも、それじゃこの施設に連れてこられた人たちはどうするんですか?」
俺が聞くと、五條さんは表情を悲しそうにしながら頭を横に振る。
「こうなってしまっては、さすがに君一人の力ではどうする事は出来ない」
確かに追いかけられているときに見たが、あれだけ多くの警備員達を相手に必ずどうにか出来る自信はない。
そんな風に弱気になっていると、五條さんが何か言いたそうな目でこちらを見ていた。
五條さんは俺の目を真っ直ぐと見ていて、有無を言わさないその瞳には何か決意にも似た強い意志を感じた。
「だから君に、この施設で行われている事を誰かに伝えるだけでもして欲しい。そして出来ることなら、この馬鹿げた実験を終わらせてくれ」
五條さんの瞳の力に押されるように俺はゆっくりと頷くが、五條さんの言葉に俺は違和感を覚える。
何かがおかしい、五條さんが言った言葉を反芻する事でその原因に気付いた。
「待ってください、その言い方だと五條さんは逃げないんですか?」
「……あぁ、私はここに残る」
「っ! なんでですか!?」
俺は五條さんの返事に驚くが、すでに気持ちが固まっているのか、俺を諭すように言う。
「私は関わりすぎてしまった。それに、まだやらなければならない事があるし、色々と責任があるんだよ。なのに私だけここから逃げ出す事なんて出来ない」
「そんな…」
俺が言葉を失っていると、五條さんが「待っててくれ」と言い、歩き出した。
五條さんはさっきまで作業していた机に向かい、引き出しを開けて一枚のCDケースを取り出す。
こんな時に何をしているのかと思っていると俺の前まで戻ってきた五條さんが、そのケースと共に一枚の紙を俺へ差し出した。
「こっちの紙は同僚からの情報で選んだ脱出ルートだ。ここが今いる部屋で、後はその矢印通りに進めばいい。それと…これは帰ってから見てくれ」
俺へ渡しながら、五條さんは地図上の一つの部屋を指で指し示す。
手渡された地図を見てみると、示された部屋から矢印が連なっていて、地図の端へ続いている。
「さあ、行くんだ。早くしないと間に合わなくなるぞ」
五條さんがそう言うが、俺は五條さんを置いて行くことを躊躇い、動けないでいた。
そんな俺を五條さんは、肩を掴み、そっと背中を押す。
「頼んだぞ。君だけが一縷の希望なのだから」
俺は振り向こうとしたが背中を押され、振り向く事が出来なかった。
背中を押すその手から五條さんの決意と思いを感じたから。
俺は背中を押された勢いのまま部屋を出て、ひたすらに駆ける。
渡された地図に沿って進む。
ただ、ただ脱出場所を目指す。
託された思いを無駄にしないために。
『励起法』を使いそのまま進む。
脱出場所の手前まで来ると、そこには二人の警備員がいた。
いくつかの外に通じる場所にあらかじめ配置させていたのだろう。
向こうも近づいてくる俺の存在に気付き、一人が手に持っていた拳銃の銃口を俺に向ける。
しかし、俺はこんなところで立ち止まるわけにはいけない。
俺は足を止めることなく、そのまま踏み込む。
そして銃弾が撃ち出されると思った時、”バチッ”と火薬の音とは違う音がした。
見れば、拳銃で俺を撃とうとしていた警備員の首元に、もう一人の警備員がスタンガンらしき物をあてている。
警備員は拳銃を構えたまま、その場に崩れ落ちた。
俺が動向を窺っていると、もう一人の警備員はスタンガンを腰元になおし、俺の方を見る。
「君が、五條の言っていた少年か」
呼ばれて俺は驚き、そして一つの考えが浮かんだ。
もしかして、五條さんが言っていた同僚とはこの人なのかもしれない。
そして、この人がここに配置されるのを予想して、脱出場所を選んだのか。
「こんな子供に俺達大人の理不尽を…すまん。勝手な言い分に聞こえるかもしれないが…………頼む」
警備員の男性は何事か呟やくと、俺に対して謝った。
どうしたらいいか分からず俺が返事に窮していれば、遠くから怒声と足音が近づいてくる。
それに気付いた男性は扉の方に近づき、横にあるリーダーにカードを通すと、扉が開いた。
そして男性は俺に近づき、囁く。
「……えっ?」
「さあ、行け。もう時間がない」
男性の言葉に驚く俺に、男性は五條さんのように俺の背中を押す。
「後は、頼んだ」
「……はい」
再び思いを託され、泣きたくなる気持ちを抑え走り出す。
それからどれだけ走ったのかはあまり覚えていない。
長い、スロープのような通路を突き進んでいると、先に扉が見えてきた。
俺がその扉を蹴破るように倒すと、目の前に新たな景色が現れる。
辺りを見渡し、見た感じからここはビルの様だった。
遠くからこぼれてくる月光に地上に戻ってきた実感が湧き、安心しそうになるが踏みとどまる。
俺はその場で振り向き、壁に手を添える。
そして、集中した俺は最大限の威力で能力を発動した。
粗めに発現した『分解』は壁の所々を削り、それにより少しずつ、徐々に大きく壁が崩れていく。
数十秒後には、俺の出てきた出口は瓦礫に埋もれていた。
そこでようやく俺は力を抜き、その場で仰向けに倒れこむ。
右腕で目の元を覆い、こぼれる滴を隠す。
「……ちくしょう」
俺の呟く声が、ビルの中をむなしく響かせた。
この章はこの話で終わりになります、二章は少々お待ちください。