76.エンドロールは最後まで観る派
パチパチと、火が爆ぜている。優陽は初めてエストリンドの屋敷で目覚めた時を思い出した。
全ては悪い夢で、しばらくすれば全て消えてしまう幻。目が覚めたら、ほとんど覚えてやしない。天羽優陽の頭の中で完結する、瞬きで終わる物語。
そう思い込んでいた。
「……お目覚めですか。ユーヒ様」
「……おはよう、サヘル」
まぶたを持ち上げると木目の天井。首を回すと、かたわらに座る彼女の姿があった。
部屋の奥で暖炉の火が小さく音を立てる。
「……初めて会った時も、サヘルに看病してもらってたね」
「お加減はどうですか?」
「……あの時よりはマシ」
サヘルはこちらを見て微笑んでいる。そのぎこちない笑みが誰かと重なって、優陽は唇を噛みしめた。
「……ケテルは?」
「……彼は生きているのですね」
「……うん。どっかに、行っちゃった……」
サヘルは表情を曇らせたが、すぐにまた笑顔を浮かべる。
頷く優陽へ彼女は布団を肩までかけ直した。
「ユーヒ様が無事で何よりです。アイギス殿もお疲れの様子で、先ほどまで眠っていらっしゃいました」
「みんなが運んでくれたの……? サヘルも怪我とかしてない……?」
「ええ。クリード殿もレイも、大事ありませんよ。アロガント殿がここまで連れて下さったのです。今はもうグラトナス殿を置いて、ねぐらへ帰ると立ち去られましたが……」
「自由だなぁ……」
黒翼の竜が悠々と羽ばたく姿を思い起こし、優陽は目を閉ざす。それに似た白い輪郭がまぶたの裏に見えて、すぐに目を開けた。
シーツを握りしめ、優陽は震える声を絞り出す。
「ごめんね……」
「何を謝られることがございましょう」
サヘルが困った様子で眉を下げて笑うので、優陽は余計にいたたまれなくなった。
「ケテルを、引き留められなくて……」
「ユーヒ様がお気になさることはありません」
「でも……」
「ユーヒ様」
サヘルは優陽の手へ自身の手を重ねる。彼女の視線を追うと、テーブルの上には彼女から預かっていた短剣が置かれていた。
「ユーヒ様へ私がお預けした短剣は、家族の形見でした。幼い頃、父が護身用にくれたものです」
「そうだったの……」
「私はずっと、その剣で……。いつか私の故郷を奪った国へ復讐する機会をうかがっていたのです」
「………………」
息をつくサヘルに優陽は沈黙しか返せないでいた。彼女は苦笑気味に肩を落とす。
「結果はご覧の通り。まんまとケテルの思惑に踊らされてしまいました。それどころか、ケテルに命を救われたも同然です。彼には復讐する前に、貸しを返さねばなりません」
「……サヘルは、ケテルが嫌い?」
「ええ。嫌いです。卑屈な癖に天才肌で、人あたりは良くても気遣いに欠けて、肝心なことは自分で抱え込んでロクに相談もしない強情者です」
「容赦ないダメ出し……」
彼女は優陽の目を見てやけにしっかりとした口調で優陽の問いに答えた。言葉に迷う優陽へ彼女は続ける。
「だからユーヒ様も、無理に彼を赦す必要はありません」
「………………」
「許したくないなら許したくないで構わないのです。彼はそれだけのことをあなたへしました。例えそれがあなたのためだったとしても、彼があなたを傷付けた事実が変わることはありません」
「…………うん」
「ご自分を責めなくて良いのです。ケテルはきっと、あなたが変わらずに在ることを願いました。そして、あなたはあなたのできる限りで私たちの力になって下さった。それで充分なのですよ」
「…………うん」
優陽は頷くことしかできなかった。
口を開いたら嗚咽が漏れて、次には声をあげて泣き出してしまった。胸の奥からどっと押し寄せてきたものを、自分ではどうしようもなかった。
サヘルの腕の中でひとしきり泣いて、気付いたらまた眠りに落ちていた。
まぶたを閉ざしても、夢から目覚めそうにはない。この夢物語はまだまだ続きそうだった。
相変わらず『シャレム・エストリンド』の体は丈夫だ。
気絶したように眠ったかと思えば、起き上がって早々に腹の虫が鳴き出す。
「おはようございます。ユーヒ様、サヘル様」
扉をノックする声に、優陽は椅子から身を乗り出す。
「おはようございまーす、ジャラス殿」
「おはようございます。ジャラス殿」
「お、おはようございます……」
「…………」
どうぞどうぞ。と、優陽は入室してきたジャラスを迎え入れる。
促されるままに室内へ足を踏み入れたジャラスの目に映ったのがテーブルを囲む女子会だったためか。彼は扉を開けたまま固まってしまった。
優陽もそこで自分が部屋着だったことを思い出し、スープで温まった体が冷えていくのを感じる。
優陽の隣ではレイ・ジールも目を泳がせていた。
「あわわわわわ……。こ、これはっ……サヘルが先に食事を取ってしまいましょうって言ってくれたからお言葉に甘えたんですっ……。決して着替えるのめんどくさくてとかじゃないのでクリード様にはナイショにしてもらえると命拾いしますっ……!」
「も、申し訳ありません、ジャラス殿……。サヘル様が同席を願われましたのでお断りする訳にもいかず……」
「ジャラス殿。本日は私がレイを誘ってシャレム様の元へ押し掛けたのです。細かい点には目をつむっていただけますと助かります」
口早に言い訳をする優陽と肩身を狭くするレイとは対照的に、サヘルは朗らかにジャラスを見上げていた。
しばしの間を要し、ジャラスは小さく唸る。
「……サヘル様がそう仰るのであれば」
「ありがとうございます」
葛藤を浮かべながらも頷いてくれたジャラスに優陽とレイは胸を撫で下ろす。
危うく開口一番におしかりを受けるところであった。
「ジャラス殿も少し休まれていかれてはどうですか」
「いえ。私は……」
「ユーヒ様にお話しがあったのでしょう? 腰を落ち着けてお話しされた方がよろしいですよ」
「……では、失礼いたします」
サヘルは有無を言わさず空いていた自身の隣を勧める。
サヘルの笑顔とは対照的に優陽と並んでいるレイの表情はかたい。彼女は彼女でのんびりと昼食を取り終わった所へ元上司が参戦してきたことに戦々恐々としているらしく、背筋を伸ばして椅子に座り直している。
ジャラスもジャラスで気まずそうにサヘルの隣へ腰を下ろす。
「怪我はもうよろしいのですか」
「グラトナス殿のおかげで私はほぼ完治しております。紫睡の者も歩きまわって構わないと、許可が下りたようです」
「あ。スロース殿、ベッドから脱出できたんですね」
優陽は丸二日ほど眠っていた。そして特に怪我の酷かったジャラスとスロースは竜の血をもってしてもそれ以上の休養を余儀なくされた。
特にスロースは血を流し過ぎて倒れていたにもかかわらず、勝手に出ていこうとしていたところをあえなくアイギスに見つかり、グラトナスによってベッドへ縛り付けられたらしい。
ざまあ、と。優陽は遠い目をしてそれを聞いていた。
「あなたも大事にならず何よりです。ジャラス殿」
「サヘル様……。私は……」
「しばらくはご自愛なさってください。今後のことは皆で考えていきましょう」
「……はい」
自身へ手を重ねるサヘルへジャラスは目を伏せた。
一度はその命を脅かした女性から心配されるのは、彼からしてみれば複雑な心境だろう。サヘルが彼を追及することはなかった。
「それで、ユーヒ様へどのようなご用件でしたか?」
「まずは先ほどの紫睡の件です。お気にされていらっしゃいましたので……」
「スロース殿がベッドに縛り付けられてるトコ見たかった……」
それくらいしても許されるはずだ。
これまでに受けた仕打ちを思い返し優陽は「くっ……」と拳を握りしめる。
咳ばらいをしてジャラスは続けた。
「紫睡の者が目覚めました故。クリード殿は早急にこちらを発ちたいと仰せです」
「そうですね。いつまでもここにいる訳にはいきません」
レイが深く頷いた。
現在、優陽たちが暖を取っているこの屋敷は、名前も知らない、あかの他人の屋敷である。
グラトナスの話では、リュシオンの民のほとんどが眷属としてあの神様モドキに吸収され、残っているのは聖リュシオンを崇めずにいた人間だと言う。それを逃れた一部の信徒は、人間で無い何かになってしまったらしい。
そのおかげで壁の内側では食料や燃料もそのまま、家主だけが消えた家々が寂しく立ち並んでいた。
優陽は自身がまとう可愛らしいドレスをじ、と見つめる。クローゼットの中には同じような少し幼い女ものの衣装が複数かかっていた。
「そのためユーヒ様の体調が宜しければ、サヘル様も含め今後についてご相談を、と……」
「わかりました。これから向かいます!」
「よろしいのですか」
「寝てばっかりもいられませんので!」
優陽は足をのばしてイスから滑り降りる。
気絶してから今日に至るまでの間。現状を自分の目で確認することができないでいる。以前のように体が動かなくなる前に動かさねば。
レイは立ち上がり、慣れた様子でテーブルの上を片付け始める。サヘルと優陽は顔を見合わせた。
「では、お着換えをいたしましょう」
「シャレムはすぐ向かいます、ジャラス殿!」
「ですが……。いえ……。……では、私はクリード殿へ申し付けて参りましょう」
「よろしくお願いします」
何か言いたいことがあったようだが、優陽がクローゼットから着替えを取り出すのを見て、ジャラスはそそくさと部屋を出ていった。
テーブルを片付けるレイを横目に、優陽はサヘルに手伝ってもらいながら着替えを始める。また少し髪も伸びた気がする。
「ジャラス殿、元気になって良かったね」
「はい。ユーヒ様のおかげです。私もレイと彼にはとても世話になりました。ケテルに代わり、お礼を申し上げます」
「ジャラス殿は、ケテルとサヘルの護衛をしていたんだよね?」
「彼の家は代々、王族の警護を担っていたのです。ただ、ケテルの場合は警護と言うよりも兄のような立場でしたね」
「兄……」
「夜更かしをするケテルをしかりつけたり、好き嫌いの激しいケテルが食事を残すのをたしなめたり、講義をどうにかしてサボるための口実を作ろうとするケテルに呆れたり……」
「それどっちかって言うとお母さんじゃないかな……」
あの生活力ゼロの王子は容易に想像ができるのでなおさら悩ましい。フォローのしようがなかった。
腕を組む優陽にサヘルは頭を振る。
「それでもジャラス殿もケテルに甘いところが少し……。いえ、多々ありましたが……」
「サヘルもジャラス殿と仲良しなんだね」
「そこまでの仲ではありませんよ。これからは、レイと同様に親しくなれたらと思います」
服を着替え終えた優陽はイスに腰かけ、後ろからサヘルが櫛で優陽の髪を梳く。
鏡越しに彼女は懐かしそうに目を伏せる。
「ケテルと違い、ジャラス殿は誠実で、生真面目で、礼儀正しく……。小難しいことをつらつらと並べたりもされませんし……」
「うんうん……」
「強く……。そして、家族を大切にする素晴らしい方です。私もあのように在りたいものですね……」
「なる、ほ…………?」
優陽は思わず先ほど男が出ていった扉を見る。
視線の合ったレイが強く首を横へ振ったので優陽は口を閉ざした。
安易に伝えて彼が卒倒してしまっては大変だ。
銀色の髪はいつの間にか綺麗なポニーテールとなり、三つ編みまで始まりどうしたものか。
しみじみとしているサヘルから逃れられず困っているとレイが彼女へ呼びかける。
「サヘル様。クリード殿がお待ちでしょうから、それくらいにされてはいかがですか」
「あら……。いけませんね。らしくもなく思い出に浸ってしまいました」
「…………」
サヘルは最後に優陽の肩をひと撫でして髪を結う手を止めた。
彼女は本来、ここにいるはずのない他国の人間。それでもまだここにいるのは、誰のためなのだろう。
「サヘル」
「はい。何でしょう」
立ち上がった優陽は彼女を見上げた。
「ありがとうございました」
「……いいえ。ユーヒ様。こちらこそ、ありがとうございます」
優しく肩を撫でる手が嬉しくて、優陽はついついにんまり笑っていた。
「さて、参りましょうか。レイもそれは後でいっしょに片付けましょう」
「はい」
テーブルの上には綺麗に食器を重ねられていた。
優陽はレイの腕へ飛びついた。
「レイもいつもありがとう~」
「恐れ入ります……。自分は大したお力になれず……」
「かっこいい! とっても強い! かわいい! 強くてかわいい=正義!」
「こ、光栄です、ユーヒ様……」
レイの謙遜を遮って声をあげると彼女はまんざらでもなさそうに背筋を伸ばす。
やはりかわいい。
3人が部屋を出ると冷たい風が足元から冷やしていった。優陽とサヘルはレイへ体を寄せる。のろいが解けたおかげなのか、ここ最近の彼女の側は不思議と常に暖かかった。
「お。やっと起きたのか、お嬢」
「うーん……。なんか、納得いかない……」
続けて礼を言わなければいけない相手にエンカウントしてしまった。が、言いたくない気持ちが勝ってしまう。
隻眼に外套を目深にまとった姿は余計に胡散臭い。
渋い顔をする優陽にラーストーは肩を竦める。
「相変わらずご挨拶だな。今回はちょっと担ごうとしただけだろ」
「どの辺りがちょっとだったか判断しかねるんですけども」
「クリードの旦那がフロストロンへ戻るって話しだ。俺も一足先にエストロランドへ戻るぜ。砦に置いてけぼりの奴らも迎えにいかなきゃならねぇからな」
「あの、私ってまだ当主なんですよね……?」
忠臣を謳いながら雇用主を置いていくな。
しっかりと防寒した格好からしても彼はここをすぐにでも発つのだろう。
げんなりする優陽に彼は声をあげて笑う。
「フロストロンに置いてきた連中が勝手に砦を占領してたら困っちまうからなァ」
「冗談に聞こえないからヤダ……」
「やることは山とあるぜ、お嬢サマ」
思わず真顔になる優陽へラーストーは隻眼を細めた。持ち上がった口角の間から犬歯が覗く。
「リュシオンほどの大国がなくなって、そこら中に空白地帯が広がってる。あんまり呑気にしてる場合じゃねぇ。クリードの旦那も内心、あの甘っちょろい兄貴がどうしてるかヒヤヒヤしてるだろうさ。日和見してた腑抜け共に先越されたんじゃ堪らねぇからな」
「私たちの故郷を神に成り代わって切り取る気ならば、覚悟することですね」
鋭いサヘルの言葉を茶化すように口笛が響く。
「そりゃあ楽しみだ、女王サマ」
「ケンカを……! 売らない……!」
優陽が思わず指さしてしかりつけると彼は笑みを深めた。
「そう怒るなって。アンタが帰ってくるまではお家の復興に従事してるさ。民が冬越せなきゃ戦もできねぇからな。さっさとアイギス君に乗って帰ってきてくれよ」
「……私が帰ってこなかったらどうする気です?」
「アンタは可哀想な民を見殺しにしたりしないだろ? シャレムお嬢サマ」
「いーやーなーやーつー……」
はっきり聞こえるように発した優陽の唸り声も涼しい顔で流し、ラーストーはひらひらと手を振って去っていく。
閉まる扉を睨みつける優陽の肩をレイ手がさする。
「相変わらず掴みどころのない御仁ですね」
「私としたことが……。いっそケテルに首をはねさせるべきでした」
「ごめんね、サヘル。ちゃんと首輪つけておけるように頑張るから……。そんなに怖い顔しなくて大丈夫だよ……」
険しい顔で腕を組むサヘル。
憤慨する彼女をレイがなだめていると近くの扉がゆっくりと開いた。
重い足取りで部屋から出てきた男は優陽を見るなり顔をしかめる。
「賑やかなところ申し訳ありませんが、道を空けていただけますか」
「あ。脱走に失敗して軟禁されてたスロース殿」
「また寒空の下に放り出されたいのかクソガキ」
優陽は無言でレイの背中に隠れた。
スロースの後ろから彼女を真似るようにひょっこりとグラトナスが顔を覗かせる。
「正確には脱走しようとしたらアイギスお兄ちゃんに見つかって逃げようとしたけどアイギスお兄ちゃんに容赦なく頭を強打されて意識を失ったところを僕が連れ戻してベッドに固定したんだよ~」
「だからアイギスに謝っておいた方が良いって言ったのに……」
「あなたと関わると本当にロクなことがありません」
彼のことなので恐らく一切の手加減もなく殴ったのだろう。
優陽は苦々しく息をついたスロースを指さして笑いたい衝動を堪える。
レイが優陽を抱えて道を譲ると、彼が外へ続く扉に手をかけたので優陽は身を乗り出す。
「そんな薄着でどこへ……?」
「散歩です。あなたも数年寝込んで歩けなくなったでしょう」
彼の言う通り。どんな魔術なのだか知らないが数年間の眠りから目覚めた直後の目覚めは酷かった。だからと言ってこの寒空の下で上着も着ないで外に出るとなれば、やはり彼らとはだいぶ感覚が違う。先ほどのラーストーでさえ常識的な厚着をしていた。
彼の肌をまばらに覆うかたい光沢が艷やかに反射する。
「クリード様と一緒にお話ししないんです?」
「私はもうフロスト家に仕えてはおりませんので」
それもそうだ。彼にはもうフロスト家に仕える義理も、ここにいる義理もない。
スロースが扉を開けると冷たい空気が入り込んでくる。
「治ってないのにまた1人でどっか行っちゃダメですよ。メガネないんだから気をつけてくださいね」
「そこの悪食竜に見張られておりますのでご心配は無用です」
「スロース殿」
「まだ何か?」
「ありがとうございました」
「はぁ……?」
優陽は頭を下げる。
スロースは眉をつり上げた。
「あなたに礼を述べられる謂れはありません」
そう吐いて、彼はピシャリと乱暴に扉を閉めた。優陽が顔を上げると清々しい冷たい空気だけが残されている。
レイはそんな光景を眺めるにこやかなグラトナスを見下ろす。
「グラトナス殿はいつまでこちらへ残っているご予定ですか」
「特に決めてないよ〜。もうリュシオンがいないから隠れる必要もないしねぇ。紫睡のお兄ちゃんが治るまではいっしょにいると思うよぉ」
「ありがとう〜。よろしくね〜」
後を追いかけるグラトナスへ手を振り、優陽は横目でレイを見た。
視線に気付いた彼女は目元を和らげる。
「自分もあの者へ謝罪を入れましたがあしらわれてしまいました」
「スロース殿は恥ずかしがり屋さんだからなぁ……」
「そういうことにしておいた方が良さそうですね」
顔を見合わせて笑って、3人はダイニングへ向かった。
大きな暖炉が燃えている。そこには薪を焚べるジャラスとクリードが待っていた。
クリードは優陽を見て早々に息をつく。
「本当に体調は大丈夫なのか?」
「見ての通り優しい美女に看病されて元気いっぱいです」
「それは良かったな」
そんな冷ややかな目で見なくても。
「二度と勝手に心中しようとするなよ」
「ごめんなさいでした……」
おっしゃる通りなので優陽は素直に謝った。その気はなかったにしても事実としてそうなってしまった以上はしかられて当然である。
クリードに促され優陽はすごすごと暖炉に近い席へ座らされた。怒られながら優しくされるとちょっと怖い。礼を言うタイミングを完全に逃してしまった。
サヘルがレイとジャラスへも席を勧めたがふたりは横へ首を振った。
「自分たちはこのままで結構です」
「あなたたちはもう、リュシオンに仕える騎士ではないのですよ。遠慮は無用です」
「ですが……」
「長くなるだろうから座れ。隣へ腰を下ろすだけだろう」
ジャラスが渋るもレイが遠慮がちに座るのを見て、彼も少し居心地が悪そうに彼女の隣へ腰を下ろした。
全員が腰を落ち着けるとクリードは「では」と切り出す。
「全員、自力で移動ができる程度には体が回復したようで何よりだ。ラーストーの奴は斥候も兼ね、一足先にエストロランド勢を駐留させている砦へ戻る、と言って先ほど発った」
「どうしてひとりで……?」
「まぁ、建て前だな。貴様はアイギスに任せ、早いところエストロランドへ帰還したいのが本音だろう。今のエストロランドがフロスト家の庇護も弱まり、抵抗する術も乏しいことに違いはない」
「ぐぅぅ……。我が家が倒壊の危機……」
「そうだな。しかし、リュシオンの領内は魔獣がうろついている。俺もフロストロンへ急ぎたいのは山々だが焦って無用な危険を犯したくはない」
優陽は唸った。
リュシオンが滅び、リュシオンの呪いも、加護もなくなった。当然だがそれまで避けられていた厄災もリュシオン領内へ入り込む。それどころか、優陽がケテルと共に落ちかけた大穴の周りには魔獣が集まっていたらしい。
クリードはサヘルへと視線を向ける。
「そこで提案だ、サヘル。アイギスに乗って移動が出来れば理想だが、今のあいつは些か不安要素がある。リュシオンを出て国境で馬を見繕い、フロストロンまで向かうのが無難だろう。当然、ユーヒと食糧や水も運ばねばならない。そうなると、この辺りをうろつく魔獣に対抗する術が必要だ。ここで別れるより、フロストロンまで同道しないか」
「それは私としてはありがたい、のではありますが……」
サヘルは首を横へ向ける。
ふたりの元騎士は頭を下げた。まるであらかじめ台本でも用意していたかのように息がそろっている。
「サヘル様がお許しいただけるのであれば、私はサヘル様に従います」
「自分も、リュシオンの騎士ではなくなりました。ですが、サヘル様がお許しになるのであれば……。引き続き、ご同行をお許しいただけませんでしょうか」
「……あなた方がそう言うのであれば」
返答を受け、サヘルはクリードへ向き直る。
「正直な話しをさせていただきます」
「今さら遠慮してどうする。過去を全て水に流すのは難しいことだが、だからと言っていがみ合ってばかりでは自国の首を絞めるだけだ」
クリードは肩を竦めてみせる。表情を和らげ、サヘルは脚の上で手を組んだ。
「ケテルがフロストロンへ逃したと言っていた民と、竜騎士たちの身が心配です。これからのことも考えるのであれば、彼らと合流したいと考えています」
「それについては俺も賛同……。いや、貴様へ頼みたい。フロストロンにも難民へ手を差し伸べられるほどの余裕はない。ましてや、先日まで領地を占領しようとしていた敵国の民ではな」
「受け入れて下さっているだけでも感謝しています……。ですが可能であれば、共にこの地でやり直せればと……。ケテルに命を拾われた私に出来る贖罪は、それが精々です」
「……貴様の立場が難しいのは重々承知している。フロストロンも可能な限り支援はしよう。少なくとも、貴様は民のために戦い、最悪の事態を回避したのだからな」
「わ、私も……! できることがあれば言ってね……!」
優陽は椅子から立ち上がりサヘルの手をとった。
自分にできることなどたかが知れているが気持ちだけは充分ある。せめて主張だけでもしておきたい。
身を乗り出して手を伸ばす優陽の手を握り返して、サヘルは眉を下げた。
「おふたりとも、ありがとうございます。またしばらくの間お世話になりますが、よろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「アイギスが本調子でない以上、実際にフロストロンまでの道のりでサヘルの世話になるのは貴様だろうからな」
「反論の余地なし」
まったくだ。相変わらずこの体は非力でいつ死んだっておかしくはない。
クリードの言葉を肯定するしかなかった優陽は表情を無にする。
レイがクリードへ遠慮がちに声をかけた。
「アイギス殿のご様子はまだ戻られませんか」
「今朝も顔を出しにきて、それっきりだな……。フロストロンまで飛べるなら楽ではあるが、本人が本調子でないのであれば止めておくべきだ」
「うーん……。前はアロガントさんに戻してもらったんだけどどうすればいいのかな……」
優陽は窓へ近寄って少しだけ窓を開けた。隙間程度に開けたが痛みを感じる寒さが顔を覆う。
裏庭へ向かってアイギスを呼んだ。
クリードたちの話しでは、アイギスはあれから人間の姿に戻れていないらしい。仕方がないので今は家の裏庭で見張りをしてくれている。
隙間から大きな体を探すも見当たらない。優陽は窓を開け切ってさらに身を乗り出す。
「アイギスー……?」
何度か呼びかけるも、アイギスからは何ひとつ返事がない。
優陽は不意に思った。
スロース同様に、彼も自分と一緒にいる必要はもうない。リュシオンの呪いが解けた今。彼はどこに行ってもやっていけるだろう。一人では生きていくこともままならない小娘のおもり等、したくないのではないか。
「アイギス…………」
「なんだ、ユーヒ」
「あれ……?」
優陽は目を瞬いた。
人ならざる姿をしていたはずの彼はいつも通りの『アイギス』に戻っていた。ちゃんと服も着ている。自分で服を探して着替えてきてくれていたようだ。
優陽の顔は自然と綻ぶ。
「良かった〜。元に戻ったんだねー!」
「……戻れた」
「寒いから入りなよー。皆でフロストロンまで戻るんだって」
「……俺はいても良いのか」
「え? アイギスがいてダメな理由ある?」
「…………足が濡れてる」
アイギスはうつむく。
優陽も彼の足元を見る。服は着ているのに靴を履いていない。どうやら靴は見つからなかったようだ。
これまでの彼だったらお構い無しに窓から入ってきたろう。ちょっとした感傷に感動を覚える。
「そっかそっか。拭くもの持って来るから玄関で待ってて!」
「わかった」
優陽は生暖かい視線を横目に自分が寝ていた部屋へ戻り、タオルを探し出した。手拭いと呼ぶのが正しいかもしれない。布にはかわいらしい刺しゅうが入っている。
手拭いを抱えて玄関に向かうと、彼が扉の前で立ち尽くしている。
「アイギス、お待たせ!」
「ん……」
差し出した手拭いを受け取り、彼は足元を拭く。
彼が足元を拭いているのを眺めている間、優陽は先ほどの自身の疑問を思い出す。
「……ねぇ。アイギス」
「なんだ」
ゴシゴシと、アイギスは自身の足を適当に拭って絨毯に上がった。
発した声は自分が思っていたよりも小さい。無意識に視線が床へ落ちてしまう。
「……私この先、どうして良いのか全然わからないんだ」
「……そうか」
「でもね、ここで終わりにしたら……。ケテルに会えなくなっちゃう気がする……」
「……そうだな」
「アイギスは、他にやりたいこととかない? 別にもう私と一緒じゃなくても……」
優陽の言葉は途切れた。
彼女の目の前には白く輝く風切り羽が差し出されている。優陽がアイギスを見上げると、彼は指で摘んだ風切り羽をさらに彼女へ押し付けた。
「やる。ひろった」
「…………?」
輝く羽根は手にすると不思議な温もりがあった。その温もりに覚えがあった優陽は両手で受け取った羽を見つめて唇を引き結ぶ。
「……アイギスがもらったんじゃないの?」
「ひろった」
「…………」
見上げると、彼は灰色の目でじ、とこちらを見下ろしていた。
それ以上の言葉を発しない彼に優陽は思わず笑いがこぼれた。
「じゃあ、もらうね」
「俺はいらない」
「うん。ありがとう……。ありがとう…………」
「俺はひろっただけだ」
アイギスは視線をそらす。
「寒いからはやく帰ろう、アイギス」
優陽が彼の手を取ると、彼は頷いた。
アイギスに手をひかれた優陽が白い羽へ顔を寄せると、じんわりと頬が暖まっていく。名前を呼ばれた気がして、優陽は小さく彼の名を呼び返した。




