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73.没落した貴族令嬢は竜に踊らされる

 灰色の翼は迫る肉塊の間を縫って急降下した。優陽はサヘルと共に彼の背に掴まる。

 強く吹き付けてきた風が止んだかと思えば、まばゆく巨体の真上へと運ばれていた。


「ユーヒ。真下に降りろ」

「……え? 降りるの? ここから……?」


 アイギスは発光する巨体の真上で旋回する。

 思わず足元を指さす彼女の背をサヘルは無情にも押してきた。

 

「ケテルが受け止めます。ご心配なさらず」

「バンジージャンプすら経験したことないんですけどおっ……!」


 揺れる背中。立っているのもやっとだ。意を決して優陽は強く握っていたサヘルの手を離し、空中へ身を投げ出した。

 重力が彼女を引っ張る。一時の浮遊感は最悪の思い出を蘇らせた。

 陽が落ちた後の駅のホーム。鳴りやまない電車の警告音。最後に見た青年の微笑は、ぎこちなかった気がする。


「……以外にふかふかですネ」

「アロガントみたいな鱗の上に落ちたら痛いだろう?」


 撫でると手のひらがくすぐったい。鳥の羽毛のようなものが彼女を受け止めた。白く輝く体はまばゆくも優陽の目を潰したりはしない。三対の翼は膜が張られたアロガントやアイギスとは違い、そんな心地よい羽に覆われていた。

 優陽は温かな白い背に手をついたまま、渇いた喉にどうにか生唾を通した。

 何から話せば、何を話せば良いのか。ここにきて全く分からなくなってしまった。

 

「……ケテル」

「時間がない、ユウヒ」


 そんな彼女がどうにか絞り出した声を遮り、三対の翼は大きく広げられた。彼の声は耳ではなく、頭の内側から彼女へ話しかけてくる。


「『シャレム・エストリンド』は必要な存在だった。でも、『シャレム・エストリンド』は見知らぬ誰かのために行動してくれる人ではなかった」

「……そうだね」

「そして僕は『君』なら何を選ぶのか分かっていて『君』をここまで導いた。僕は『君』の善意を利用している」

「…………」

「それを踏まえて選んで欲しい。『君』がどうするのかを」

「……わかった」


 彼はもうとっくに『天羽優陽』の返答を知っている。聞く必要もないのに、聞かずにはいられないのだろう。これまでの『天羽優陽』の記憶にある『ケテル・ミトロン』とはそう言う男であった。

 優陽はサヘルから預かった短剣を取り出す。鞘から引き抜くと、鋭い切っ先が現れて握る手が震えた。サヘルに言われた通り息を止め、鋭利な切っ先で左の手のひらを浅く裂く。熱を帯びる痛みに堪らず目を固く閉じた。


「僕の体へ、その手を置いて」

「……うん」


 血の滲む手のひらをケテルの背へ押し当てると、白い羽が汚れて少しだけ申し訳なく思えた。

 ようやく全ての答え合わせができる。不安と安堵が半々だった。彼の記憶を垣間見た今でも、この選択が正しかったのかまだ分かりかねている。

 体が強張る優陽とは反対に、ケテルの声には笑みが混じった。


「君に教えてもらったとっておきの魔法を見せよう」

「私が? ケテルに……?」


 自然と首が傾く。『天才』に教えられることなど何もなかったはずだ。いつも彼の行く先を祈ることしかできないでいた。自分はいつも、彼を置いていった。


「君の世界だと、竜は口から熱線(ビーム)を発するものだったからね。あれは驚いたなぁ……」

「なんて??」


 しみじみとしたケテルの呟きに沈んでいた優陽の意識は強制的に引き戻された。

 優陽が間抜けな声をあげている間に、大きく開かれた彼の顎の前には光輪が次々と重なっていく。ケテルへ添えた手のひらから熱が伝わってきた。熱は徐々に痛みを帯びていく。

 目玉の突き出た肉塊を大地へ縫い付けていたアロガントの巨体が急上昇する。目玉は肥大した自身の体を捩るも手遅れだ。

 優陽はケテルの背にしがみついた。

 幾重にも重ねられた光輪を突き破り発せられた光の束は、真昼のごとく辺りを照らす。

 放たれた光の束は大きく収縮した後。光の筋となって消えていった。

 残されたのは地の底まで続く大きな穴。そして奈落へ落ちていく黒い肉塊と瓦礫だった。

 呆然とその光景を眺めていた優陽はケテルに名前を呼ばれ、我に返る。


「……『私』と何の話ししてたの?」

「君の好きなものとか……。色んな格好をした人たちへ会いに行くお祭りとか……」

「心当たり……しかないっ…………」


 優陽は思わず胸を抑えた。

 羞恥心とも罪悪感とも形容しがたいこの感情。

 優陽が自己嫌悪に陥る一方。ケテルの翼は先ほどに比べ弱弱しく、ゆっくりと円を描いて降下していく。


「やっぱり口からまじないを直接はきだすのは良くないんだな……。喉が痛いよ……」

「いや、何で必殺技がこうなるの……?」

「何事も見映えは大切だからね……」

「満身創痍で出てくるセリフではない」


 先ほどつけたはずの手のひらの傷は消えている。残っているのは疼きを孕んだ鈍い熱だけだった。

 優陽は小さく笑うケテルの背に顔を埋める。

 

「いつも冗談がテキトー過ぎる……」

「僕は真面目だよ……」

「それはそれで怖い」

「僕からすれば君の方がよほど怖いよ……。さて……。はやく君をおろさない、と……っ……」


 何やら鈍い音がした、気がする。

 

「え…………?」


 優陽は目を瞬く。その間にも体は垂直に落下を始める。

 白く輝く巨体は消えていた。優陽の目の前には血を流しながら共に落ちていく青年の姿。ふたりはそろって地に空いた巨大な穴へ向かって落ちていた。


「ケテル……?!」

「っ…………!!」

 

 優陽の声に胸を抑えていたケテルは目を見開く。

 そして腰の剣を引き抜き、迫っていた黒い肉塊を切り払う。

 耳障りな断末魔を残して奈落の底へ消えていったそれを見送ると、ケテルの手から剣も滑り落ちた。考えるまでもなく優陽はケテルへ手を伸ばす。手を握ろうとすると、彼の肌を覆うかたい光沢で指が滑ってしまう。


「ユウヒ……っ……手を、はなして…………」

「っ…………!」


 腕を掴んで引き寄せる彼女の手をケテルの指が引きはがそうとするも、優陽は目を固く閉じて全力で首を横へと振った。


「私が死んだ責任、何も取ってないじゃん! 卑きょう者~!!」

「……本当に、君は……こまった人だ、ね…………」

 

 震えるケテルの指は彼女の叫びを受けて振りほどくのをやめた。代わりにその腕は彼女の耳を塞ぐように頭を引き寄せる。

 下へ下へ。優陽はケテルと共に怨嗟が響く暗い穴の中を落ちていく。どこまでもどこまでも。まるで時間が止まっているように感じても、目を開けるのは怖い。

 本当の終わりがやってくるのはやはり恐ろしくて、少しだけ安心した。

 苦し紛れにお嬢様を演じる必要もない。寒さや飢えや暴力に怯えて暮らす必要もない。もう命が脅かされる恐怖に震えなくて良い。


「……だとすれば本末転倒では?」


 優陽は気付いてしまった。当たり前のことに。そもそも何故、自分は嫌でもこの場へ辿り着いてしまったのか。ケテル・ミトロンに会わなくてはいけなかったのか。ケテル・ミトロンの手のひらの上で踊らされると決めたのか。


『その調子なら、崖から転がり落ちても這い上がってくるだろ』


 ふ、と。嫌味な声が脳裏を過ぎり、優陽はさらに怒りを思い出す。自分だって好き好んでこんなことをしてる訳ではない。崖から突き落されたがたまたま生きているのだ。

 生きているからには死にたくないのだ。


「死んで……やるものか〜!!」


 死にたくないから死に物狂いでケテルへ会いに来たと言うのに、ここで死を受け入れるのはおかしな話ではないか。

 穴はまだまだ続いているらしい。真っ暗な世界へ体が引き寄せられる感覚だけが現実味を帯びていた。

 ケテルの顔も見えなかったが体は温かい。


「起きろ〜! 顔だけ王子〜! 責任取れ〜! まだ死にたくないに決まってるだろ〜!!」


 目の前にあるであろう額へ頭突きを軽く繰り返すも返答はない。むしろ胸を貫かれているのに優陽を抱え続けて落ちてる方がおかしい。自分だけでも目覚めて穴から抜け出してくれたならこちらも諦めがついたと言うものだ。


「狭間とか神殺しとかデバフ要素以外になんかご都合設定ないのー?! 非力な美少女以外のステータスはー?!」


 ケテルの記憶では『天羽優陽』にも魔術が使える世界線もあったようだ。が、記憶の細部までは覗き見ることが叶わなかった。魔術の使い方を知るのは不可能だ。せめて一回くらい使わせてから死なせて。

 優陽は片手で持ち物を探る。と、言っても荷物などあろうはずがない。あるのはサヘルから預かった短剣。


「……そう言えば、返しそびれた」

 

 そしてスロースから渡されたコインらしきものだった。グラトナスの話しではないまじないがかかっているお守りらしい。それがぼんやりとした輝きをまとっていた。

 ……お土産の光るキーホルダーみたいだな。

 などと呑気な感想を浮かべていると、その輝きが強さを増してきたので優陽は思わず目を閉じる。


「……ん?」


 少しだけ、穴の底へ引き寄せられる力が弱まった気がした。しかし眩しくて目を開けてはいられない。

 そしてしばらくすると、それが手の中で渇いた音を立てて砕けた気配がした。


「…………なん?」

 

 再び暗闇の中で優陽は目を瞬く。

 指の先についた欠片からして持ち主への返却はおおよそ不可能だ。何が起こったのかさっぱり分からない。

 いよいよ体を包む空気が冷たくなってきた。優陽はひたすらケテルへ声をかけ続ける。


「…………?」


 不意に声がする。ケテルの声でも、周囲を囲む怨嗟の声でもない。

 優陽は恐る恐る顔を上げ、空があるはずの方向を見上げた。暗い穴の中。もうずっとはるか上に、光がある。豆粒のような光は星にも見えた。夜空に輝くひとつの星。

 不思議と、その光がどんどん近づいてきているような気がした。それは彼女の名前を呼んでいる。

 彼女は思い出した。何故、今の今まで忘れていたのか。


「もう見失わない」

 

 彼の声がはっきり聞こえる。優陽は腕を伸ばした。伸ばせば届く確信があった。

 白銀のごとくまたたく光へ、優陽は手を伸ばし、彼の手を掴んだ。

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