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72.皆さん私のこと忘れてませんよね?!

 うっすらと目を開けた優陽の前には白い石の天井が広がっていた。

 かたわらで固い蹄が鳴る。


「ようやくお目覚めになって?」

「…………?」


 優陽は体を起こす。

 どうやら背中で揺られている内に意識を失っていたようだ。なぜ落ちなかったのだろう。

 大きな黒い瞳がため息と共に伏せられる。


「最後のお願いが子守りだなんて、意地悪な坊やね」

「……自業自得。因果応報。身から出た錆」

「お黙りなさい。あなたを捨てずにここまで運んだのはワタシよ。それももうこれっきり」


 蹄が固い床を強く叩いた。

 首を傾げ、優陽は艶やかな黒い尾を呼び止める。


「なんか、不思議な夢を見たんですけども」

「ワタシがあなたの夢に興味あるとでも? 本当に幸せな頭ね」

「でも、ケテルが私を見ていて……。私が死んでた、気が……?」

「……恐らくは坊やと血を分けたからでしょう」


 蹄の音が止まる。振り返った獣はやはり薄く笑った。


「王子様が坊やに授けた加護を通じて、あなたが王子様の記憶に触れたのよ」

「……ケテルの、記憶?」

「良かったわね。王子様の遺言が聞けて」

「……遺言って、どういうこと」


 優陽は立ち上がった。まだ足元がふらふらする。

 この感覚なら知っている。貧血だ。

 固い蹄が再び音を立てて離れていく。


「人間には過ぎた力を使う代償が肉体だけのはずないでしょう。王子様は神格を倒すために、それに等しい力へ手を出したわ。必然的に王子様自身も、神格へ近づいている」

「……ケテルは神様になるの?」

「言ったでしょう。神は神と崇められる故に神だと。神と等しい力を持った、しかし神とは崇めない存在をあなたたち人間は何と呼んでいるの?」

「…………」


 獣の笑い声が遠ざかる。優陽は白い空間の中に取り残されていた。

 足元のもっと下の方から地鳴りが聞こえてくる。不安になるその地鳴りが全ての元凶だろうと、なんとなく分かった。

 優陽は握りしめた裾で手汗を拭うと獣の後を追いかけ、小さな祠のような建物から出た。


「……あまりの急展開に処理が追い付かないですね」


 辺りの石造りの建造物は全てがれきの山に変わっていた。自分が今まで小さな祠だと思っていたものは崩れた建造物の一角だったらしい。

 空を遮るように建てられた城も、今は半分くらいの高さに縮んでいる。代わりに巨大な黒い塊が崩れた城へ手をつくように地面から這い出てこようとしていた。

 呆気に取られていると、目の前に何かが落ちてきた。瓦礫の塊ではない。ソレは液状だった。だからと言って雨でも、もちろん雪でもない。黒いタール状のそれは地面に落ちると辺りに黒い飛沫をまき散らす。優陽が驚きつつもその光景を眺めていると、足元に落ちてきたソレはひとりでに動き出した。


「何がなんやら?!」


 優陽は逃げる。可能な限りの全力で。絶対にヤバいと直感が告げている。実際にそれは優陽の後をゆっくりとにじり寄ってきた。


「神殿……?! ケテルが神殿にいるって……?! いや、でも神殿って、そもそもどこ?! ここもどこ?!」


 別れ際のスロースの言葉を思い出し、優陽は辺りを見回すが大きな建物はもれなく全てただの白い石に戻っている。

 辺りに湿った音が次々と落ちてきた。このままでは囲まれる。逃げようにも行く手を遮る瓦礫を超える術を持ち合わせていない。

 眼前に落ちてきたソレに危うく押しつぶされかけ、慌てて後退する。黒い塊から目玉が突き出て、優陽は息を呑んだ。

 気付けば四方から視線を感じている。優陽の足は竦む。脂汗が顎を伝った。


「ユーヒ様……!」

 

 強い風が吹き付けた。

 声の聞こえてきた方向を見上げると、灰色の翼の間から手が差し出された。無我夢中で伸ばされた手を掴むと、力強く固い背中へ引き上げられる。


「サヘル~! アイギス~!」


 どっと押し寄せた安心感に名前を呼ぶのが精いっぱいだった。

 サヘルは優陽の体を抱えてかたく目を閉じる。


「ご無事で何よりです……。心配いたしましたよ」

「サヘルも無事で良かったよぉ……」

「おかげさまでどうにか生きております」

「アイギスも迎えに来てくれてありがとう」


 ざらざらとした鱗に覆われた背中を撫でると彼は小さく頷いた。

 

「ケガはないか」

「さっきまで石の床で寝かされてたから体が痛くて……」

「寝てたのか、お前……」

「い、色々あったんです! 居眠りじゃないんです! 信じてください!!」


 ふたりとの間に流れる何とも言えない空気に優陽は思わず弁明した。

 あれは不可抗力だ。怠けていた訳ではない。後で絶対にスロースへ責任を取らせる。

 アイギスは巨大な黒い陰から距離を取り、崩れかけている建物の上へと降りた。

 呼吸を整えた優陽は改めてサヘルへと向き直る。


「その、夢を見た……と言うか……。ケテルの記憶を見た、みたい……」

「ケテルの、ですか?」

「私が死んでた」

「…………」


 沈黙するサヘルを見上げると、彼女の表情は浮かない。

 優陽はその先を聞くのが怖かった。でも、知らないままではいけない気がした。知らずに進んだら後悔する確信があった。


「……サヘルは、ケテルが私と知り合いだったこと、知ってた?」

「……自分から話しは致しませんでしたが、そうだろうと」

「……私、気付いてなかった」

「ユーヒ様」


 視線を落とす優陽の手をサヘルが取る。

 彼女の手は温かい。思わずその手を握り返す。

 サヘルは優陽の目を見て一言一句、優陽へ、サヘル自身へも言い聞かせるように紡いだ。


「ケテルは全て承知の上。私のことも。ユーヒ様のことも。アイギス殿のことも。全てケテルの覚悟です」

「でも、このままじゃケテルは……」

「ユーヒ」


 羽ばたく翼に優陽は押し黙った。

 唇を噛みしめる彼女へ、彼は長い首をこちらへ伸ばす。息遣いが間近に迫り、みっつの連なった目がゆっくりと瞬いた。


「お前がやれと言うのなら、俺はやる。お前が行くと言うなら、俺も行く」

「………………」

「お前が決めろ。お前が選べ。俺も選ぶ」

「……うん。……わかった。……わかった…………」


 両の手を握りしめ、優陽は何度も頷く。

 みっつの連なった目に自分の姿が映り込んだ。白銀の髪が風になびいている。紫紺の瞳。白い肌。まだ幼い顔立ち。それが今の自分。

 細い指で彼の目元をなぞる。

 

「アイギス。本当に、いつもありがとう」

「……伝える相手が違う」


 鼻先は軽く優陽の手を押し返して戻っていく。

 優陽はサヘルと顔を見合わせ頷き合った。

 

「……では、参りましょう」


 アイギスは地面を蹴り上げ、再び浮上した。

 サヘルが足元をまさぐり、小さな短剣を取り出す。彼女の手に収まるほどのそれは今の優陽でも片手で握れる大きさだった。


「これを」

「これを……。どうすれば?」

「今、スロース殿があなたの血でリュシオンを抑えていますが、滅ぶには至らない、と」

「……足りないってこと?」

「間違っても、取り返しがつかなくなるほど深く刺してはいけませんよ」

「おお……。そういうことね……。おっけーです……。って言うか、コレが神様なの……?」


 早とちりで冷や汗を流した優陽は胸を撫で下ろす。

 どうやら人柱にはならずに済みそうだが、こんな巨大な相手にその程度のもので対抗できるのだろうか。だとすれば『シャレム・エストリンド』がこの神様らしい何かに忌避されていたのも納得できる。

 両翼が足元から迫りくる肉塊を力強く払った。


「ケテルへ近づくぞ。掴まれ」

「ユーヒ様」


 優陽は頷き、こわばる両手で小さな剣を受け取った。

 はるか天上で稲妻が轟いている。地上で吹き荒れていた小さな砂嵐が吹き飛ばされ、白くまばゆい光が辺りを包む。優陽が思わず手のひらで光を遮っても指の隙間からこぼれる光は目をくらませる。

 光の中から現れた三対の翼を持つ白い竜はやはりアロガントと並び立つほどの大きさだった。

 白竜は大きく両翼を広げた。いつか見たその光に息を呑む。

 間違いなく人間ではない存在が発する輝き。この瞬間に到達するまでの遠い道のりを優陽が理解することはできない。

 ただ、この輝きが彼の命を燃やしていることだけは、嫌でも思い知らされた。

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