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71.きせき

「ねぇ、ユウヒ。君の世界では魔法がないんだろう?」

「フィクションの中だけなんだなぁ。残念ながら」


 ケテルの問いにユウヒは頷いた。

 夜空へ星がいくつも浮かぶ季節。おかげで夜もランプ無しで出歩けるほどに明るい。彼女の世界ではここまで星が近づく夜はないそうだ。

 2人して物見の塔の上へ登り、空に近い場所へ腰を下ろす。ケテルが考え事をするためにここへ来ると、彼女は決まって少し遅れてやってきて、彼の隣へ座った。


「魔法がないから、戦争もないのかな?」

「うーん……。私のご先祖様たちも戦争はしてるし……。私の国では戦争がなかっただけで、他の国ではしてる所もあったから、関係無いかも……」

「そうか……」


 ケテルは夜空を見上げる。彼女の言葉に安心している自分へまた嫌気がさした。


「僕はサヘルとレイを連れて、こうしてフロスト家へ逃げてきてしまった」

「誰だって親の心臓なんて食べたくないと思うよ」

「でもね、ユウヒ。王子である僕が国から逃げ出したってことは、僕は民や家臣たちを見捨てたってことだ」

「…………」


 山裾まで落ちる満点の星空は遠い。彼女の視線がいたたまれなくて、ケテルは目を閉ざした。

 

「僕はいくらそしられようとかまわない。けれど、立場上とは言え、僕に優しくしてくれてた人たちが理不尽な目に合うのはおかしいと思う」

「じゃあ、このあとどうするかクリード様たちと一緒によく考えないとね」


 ケテルには彼女からどうしてそんな回答が返ってくるのか不思議で仕方なかった。

 彼女は『シャレム・エストリンド』であり『アマバユウヒ』である。前者の立場であればフロスト家の当主と婚姻を結んだ以上その責務がつきまとうが、後者に関してはケテルへの義理どころか、この世界とは無縁の人間だ。

 彼女の住んでいた国は、環境は、家族は。いったいどんなものだったのか。フロスト家にサヘルと共に逃げ込み、『アマバユウヒ』の存在を知ってからはケテルはずっと彼女の国について尋ね続けていた。

 

「君たちを僕らの事情に巻き込んでしまってすまない。君に至っては僕らの世界に関係すらないのに……」

「まぁまぁ。もうシャレムちゃんになっちゃった以上はそうも言ってられませんから。クリード様も戦はしたくないって言ってるし。困ってる時はお互い様ってやつ……?」


 戦争どころか暴力とも無縁だった彼女が、どうして笑っていられるのか。ケテルには理解できなかった。

 

「何とかなるって思ってとりあえず行動してた方がなんとかなりそうじゃない?」


 少なくともケテルは自分が置かれている状況を冷静に考えれば考えるほど。目の前が暗くなっていく。できることなら神域の向こうまで逃げ出してしまいたい。自分の祈りを聞き届けてくれる神様なら、どんな神様だろうが構わない。

 

「そんなものなのかな……」

「おかげで私は生きてますし。まあ、ほとんどはクリード様のおかげなんでそんな大きな声では言えませんが……」


 笑って誤魔化す彼女にケテルはつられて笑う。

 彼女は恐ろしくもあったが、同時に希望でもあった。絶対はないと言う可能性。自分やサヘルが予言を覆すための導。

 神様が祈りを聞いてくれない以上、今のケテルには彼女が見せた希望へ縋る他なかった。


「君の生きていたような国がこの世界にもあればいいのに」

「ケテルがつくれば良いんじゃない?」

「……僕が?」


 彼女の提案にケテルは面食らった。

 どんな理由があろうと国を捨てて逃げ出した王子にそんな資格はない。そもそもその発想がケテルにはなかった。


「王様なら僕ではなくてクリードの方が向いてるよ」

「まぁ、クリード様は確かに俺様王様だけど……」

「……僕には家族を殺してまで国を治める覚悟なんてない。顔も知らないあかの他人のために、そこまで献身的になろうとは思えないよ」


 無意識に苦笑が漏れる。皮肉ではなく、ケテルは純粋にクリード・フロストを尊敬していた。継嗣でないにもかかわらず、彼は国とその民のために身内を粛清し、領主となった今も国のために尽くしている。

 次期女王であるサヘル・オルランドを連れて国外へ逃れる選択をした自分とは正反対だった。

 ユウヒは膝を抱える。

 

「でもね……。名前の知らない誰かでも、目の前で死んだら悲しいって言って、頷いてくれたのはケテルだけだったよ……」


 ぼそぼそと、今にも消えそうな声は辛うじてケテルへ届いた。

 

「……それは僕が弱い人間だからだ」

「え〜? だったらケテルはサヘルを連れてここまで来なかったんじゃない……?」


 彼女は一変して不思議そうに目を瞬く。

 その自信はどこからくるのか。ケテルにはまるで理解ができない。

 明るい星空を見上げて目を閉じた。


「私はケテルがお父さんやお母さんと仲直りして……。サヘルが自分の国に帰って……。ケテルが王様になって、めでたしめでたしで終われたら良いなぁって、思ってる」

「……そうだね。僕も努力するよ」


 そんな夢物語で終わるはずはない。

 彼女も分かっているだろう。それでも彼女は願うのだ。

 

「うんうん。ケテルならきっと大丈夫だよ」

 

 その願いが全ての始まりだったのかもしれない。何の理屈も、根拠もない。それこそが紛れもない純粋な祈りだった。


「ケテルは魔術が得意なんだから、そっち方面のステを伸ばせば良きかと……」

「長所を伸ばせってことかい? 魔術であれば道理さえ分かれば大抵のものは扱えるけど……。魔術で国が作れたら苦労しないんじゃないかなぁ……」

「魔術の道理って、何……?」

「君には魔術の才能がないから理解できないだろうけど聞くかい?」

「事実だとしても少しくらいオブラートに包んでいただきたいのだが……?」


 眉間を寄せるユウヒにケテルは笑う。

 ケテルは素直に感心していた。思えば彼女の言う通り。国を継ぐことが『ケテル・ミトロン』の役割であった。しかしもう自分はミトロン家の人間では無いのだし、国を継ぐのではなく、造っても良いのではなかろうか。

 いっそのこと、そのくらいの気概があればこれまでの悲劇も少しは防げたのかもしれない。


「そうだなぁ……。さすがに一から良い国を造るのは難しいけど、クリードが良い国を造る手伝いくらいはできそうかなぁ……」

「ケテルがつくればって話ししてるんだけど……」


 ケテルは立ち上がり、彼女へ手を差し出した。

 あまり夜風に彼女をあてているとクリードに怒られる。

 春の風はまだ少し冷えた。後どのくらい、ここで季節を迎えられるのだろうか。


「僕が王位につくとなればサヘルは良い気がしない。手伝うくらいが僕にはちょうどいいよ」

「うーん……。この世界の魔術って、過去に戻れたりみたいなスーパーなパワーあったりしない……?」

「……時間の逆行と言う意味? それはもう魔法の域だから魔術じゃないよ」

「その、魔法と魔術の境が未だによく分からないんですが……」

「極端な話し。世界の理を無視する奇跡が魔法で、それを真似て理屈をこじつけて起こす奇跡が魔術だ」

「うん。ぜんぜん分からん」


 ケテルの手を取って立ち上がった彼女は真顔で頷く。

 屋内に入ると風もなくなり、彼女の手の温度を奪うこともなくなった。窓から差し込む月光が足元を照らす。ケテルはユウヒと並んで廊下を歩き、腕を組んだ。


「僕もどちらかと言うと感覚で魔術を使ってるから、勉強したいならスロースに頼んだ方が良いんじゃないかな」

「スロース殿には『自分が扱っているのは魔術と魔法の混ぜものですからシャレム様の参考にはならないかと……』とか、何とか言われて追い出された」


 澄ました顔でメガネを持ち上げる仕草をしてみせるユウヒを見て、ケテルは小さく噴き出す。

 本人が見たら眉をつり上げて嫌味を返すに違いない。

 ユウヒは歯を見せて笑う。


「要はケテルが大、大だーい魔法使いになれば全てが丸く収まる可能性もワンチャン?」

「大大魔法使いになる前に寿命がきてしまうよ」

「大魔法使いは?」

「どうだろう。そこまで僕に才能あるかな……」

「謙虚も過ぎると嫌味ですわよ……!」


 ユウヒは「ぐぅっ」と唸りケテルを指さす。

 彼女へ魔術を教えてみたこともあったが『シャレム・エストリンド』の体質が天才でも、肝心の『アマバユウヒ』には才能の欠片も無いのでケテルにはお手上げだ。神秘が身近になかった彼女は奇跡を起こそうとしても無意識の内に「あり得ない」と言う『常識』が働いてしまう。こればかりは彼女の育った環境の問題であって、それを克服するとなれば相当な努力と時間を要する。

 恨みがましい視線に見上げられ、ケテルは苦笑した。


「でも……。そうだね……。君がそう言うなら少し研究してみよう」

「え……? マジですか……?」

「時間に関する魔法は僕も前々から興味があった。城の文献は全て目を通したのだけど、存在しているのは分かっても、肝心の術式が見当たらなかったんだ。ゼロから自力で研究してみるのも楽しそうだし……。もしかしたら、君が元の世界へ帰れる手がかりになるかもしれない」

「……元の、世界に?」


 ケテルの言葉に彼女の視線がそれた。

 足音が静けさに刻まれていく。

 ケテルは手を伸ばした。その手はしかし空を掴む。

 前方から足早にこちらへ寄ってくる足音があった。ユウヒはとっさにケテルの背中へ身を隠し、足音の主を見上げる。


「おい、ゆ……。シャレム。また貴様は夜ふけに他の男とフラフラと……。朝起きが苦手なら夜ふかしせずにはやく寝ろ」

「お、お疲れ様でーす。旦那様〜……」

「都合良く妻になるな……」

 

 目を泳がせるユウヒへ「まったく」と。男は頭をふる。彼は腰に手をあてケテルへと視線を移した。


「貴様も……。あまり自分の立場を楽観視するなよ」

「うーん……。僕はクリードと違って穏やかでもの静かなヒトが好みだから、その心配は杞憂かなぁ……」

「ケテルにも好みのタイプとかあるんだね。そしてさりげなく私のことディスってない?」

「ひどいな。僕も人間なんだから好き嫌いはあるよ。大丈夫、クリードが浮気することはまずないだろうから自信を持ってくれ」

「そう言った話しをしているのではないっ……!」


 顔を見合わせたケテルとユウヒにクリードは顔を赤らめる。その後ろで控える従者がメガネを直してため息をついたのでクリードは咳払いを挟んだ。


「明日、また改めるがリュシオンとの交渉は芳しくない。サヘル・オルランドも含めて話をする。貴様もとっとと休め」

「……ありがとう。では、僕は失礼するよ」

「おやすみ〜、ケテル。また明日ね〜」


 視線に促され、ケテルは素直に2人へ手を振りその場を後にする。

 背中越しに聞こえてくる他愛もないやりとりが遠ざかるにつれ、春の夜風がケテルの胸を冷ました。


「ああ。また、明日。ユウヒ」

 

 

 天羽優陽は『天才』というものをよくわかっていなかった。彼女にとっては奇跡でも、ケテル・ミトロン()にとってはそうでなかった。

 大地を揺るがす竜が。焔で地平を覆う竜が。死を招く沼を湧かす竜が。

 彼の望みをことごとく打ち砕いた。砕かれるたびに、彼は考えた。奇跡の起こし方を。最良の結末に至る可能性を。


「このまま僕らの心臓を取り込み続ければ、お兄ちゃんは『人間』の枠を超えちゃうよぉ……?」

「……無関係の彼女が国のために命をかけたのに、僕が命を賭けないなんて笑い話しだよ、グラトナス」

「そっかぁ……。お兄ちゃんがそう言うのなら……。僕とアロが取り込んだ心臓をまた預けるねぇ……」


 世界は暗闇に包まれ、果てしない荒野に漂う重苦しい空気は肺を圧迫する。

 長い前髪に隠れたグラトナスの表情を伺うことはできない。自身を見下ろすケテルへ、彼は「でも」と浅い呼吸で付け加えた。


「きっとユーヒお姉ちゃんにとって、この世界はもう無関係じゃないんだよ……。だから、お姉ちゃんがお兄ちゃんに託したモノは、忘れないであげてね……」

「……ああ。大丈夫……。覚えているよ……」

 

 消えた大地。地平にひとり立ち尽くす青年。最期に自らの命を絶って、はじまりの門へと還る。そうして繰り返す世界の行く先は果てしない。

 

 天羽優陽は我に返る。走馬灯のように眺めていた光景は天羽優陽(自分)の記憶でないことにようやく気付いた。

 目の前に横たわる『シャレム・エストリンド』は少女と呼ばれる齢を過ぎている。人間離れした美貌に磨きがかかり、いよいよ人形と区別がつかなくなりそうだ。

 その隣にもう一人、青年が倒れている。見覚えのある彼もまた、虫の息だった。


「また君か……」


 ケテルはシャレムを抱き上げた。流れている血の量からして、彼女はもう死んでいる。『自分』が死んでいるのを眺めるのは何とも奇妙な気分だった。

 立ち上がるケテルの足元は赤黒い尾をひく。


「何が足りないんだ……。何が……」


 彼は重い足取りで独り呟く。


「まだ試していないこと……。何かを見逃している……。クリードたちを手助けするだけではダメだ……。でも、僕の力だけでは足りない……。ユウヒが、いないと……。ユウヒを死に追いやる無数の原因をどうにかしない限りは……。彼女をヤツから守り切れるほどの、実力がある存在は…………」


 ケテルはそこで足を止めた。

 目を見開いた彼は息を呑む。


「君、なのか……?」


 恐る恐る、と形容しても良いほどに。ケテルはぎこちなく振り返る。

 床を這いつくばる青年は呻きながら彼を睨んだ。


「そうか……。君は……。必ず、ユウヒの元に……。彼女を殺しに来る……」


 腕の中で沈黙する相手に、ケテルは歯を食いしばる。

 

「彼を、僕にっ……。助けろと言うのか……。僕が、君を殺しにくる、彼を…………!」


 慟哭が響き渡る。その問いに答える声はあるはずがない。

 膝から崩れ落ちたケテルはしばしの合間、死人の顔を眺めていた。

 名前のない青年がむせ返る。彼の言葉は吐き出された血に混じり、届きそうもない。

 

「……君なら、そうするんだろうね」


 静寂の後。ケテルは顔を上げる。

 その隻眼が紅をまとい、名前のない青年を見た。


「分かったよ。彼に賭けよう」


 白い光が辺りを包む。暖かなそれを見るのは初めてではなかった。

 アロガントの背中から遠目に眺めるよりも前に。自分はその光を、何度も見ていた。

 この物語を始めたのはシャレム・エストリンドではない。まぎれもなく、天羽優陽(自分)だ。

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