68.背信
遠い過去のことにも思える記憶からサヘルが目覚めると、今となっては見慣れた顔が心底嬉しそうな顔をしていた。
「サヘル様……!」
「……レイ?」
サヘルが体を持ち上げるとまだ少しめまいを覚えた。
ふらつく彼女の体をレイ・ジールは慌てて支える。
「ここは……」
「神殿の儀式の間でございます。自分におつかまり下さい。ここから早急に脱出せねばなりません」
「ありがとう、レイ……。でも、大丈夫……。自分で立てるわ……」
サヘルは辺りを見回して奥歯を噛み締める。
神殿の儀式の間。そこは王位の継承を行うはずだった場所。幸いにも自分はまだ『人間』でいるようだ。
叫び声のような不快な咆哮が高い天井に響いている。不気味な造形をした異形の姿が次々と迫り、炎が焼き尽くす。
大きく深呼吸を繰り返した彼女は、手のひらを前に突き出す。
激しい光の明滅と共に吹き飛ばされた魔獣の残骸がクリードの前を横切った。
アイギスが振り上げた獲物の行き先を探してクリードを見ている。自身の着衣を軽く払って整えるサヘルへ、クリードは肩を竦めた。
「お元気そうで何よりだ、サヘル・オルランド嬢」
「あなた方もお元気そうで何よりです、クリード・フロスト殿」
「……早く出るぞ。ユーヒがお前を心配している」
アイギスの言葉にサヘルは自身が気を失う前のことを思い出し、肝が冷えた。
「ユーヒ様……。あの後、ユーヒ様はどうされたのですか……?」
「……あの毒ヘビがここへ連れてくると、ケテルが言っている」
「毒ヘビ……? ケテルが……?」
アイギスの視線を追いかけたサヘルの目には、ケテルが隻眼の男と対峙している光景が映った。そのかたわらには血を流して倒れる男の姿。
サヘルは息を詰める。
背中をレイへ預け、サヘルは慌てて這いつくばる男の元へ駆け寄った。ケテルの姿が瞬きの合間に消える。サヘルの目には彼の姿を捉えられなかった。
一方でケテルと対峙していた隻眼の男には何が起きているか見えている様子だった。身の丈以上もある槍は音を立てて空気を割いた。それも切っ先が大きく弾かれ、男は大きく後退する。
金属がけたたましく、重くぶつかりあった。
「……君にジャラスをかばう理由があったかな」
凍えるような問いかけに、ケテルの剣を止めたアイギスは歯を食いしばる。剣を押し当てるケテルの片腕は体格の優るアイギスの体を徐々に退けた。
「……ユーヒにコイツを殺すなと言われた」
「殺すのは君でなく僕だ」
「見殺しにしたら、絶対にうるさい。お前は知ってるだろう」
「…………」
アイギスが目を細める。
間に割って入ろうとするサヘルの腕を、後ろから伸びてきたクリードの手が引き止めた。
彼女が振り返ると彼は静かに頭を振る。
ケテルは手を緩めない。アイギスの眼前に刃が迫る。
「お前は、ユーヒがこいつを生かそうとしてるのも、知ってる。そこの眼帯を止めることも、知ってた」
「それは買いかぶりだ。何せ僕の予定が狂う理由はだいたいラーストーのせいだからね」
「そりゃあ申し訳ねぇな」
弾かれた穂先を払い、ラーストーは口角を持ち上げる。
ケテルの剣に押され、抵抗するアイギスの短剣は嫌な音を立てた。
「違う。お前はさっきクリードへ、ユーヒの行動は予想がつく、ユーヒに合わせて自分が動けば良いだけだと言った」
「…………」
「お前は……。俺よりユーヒのことを知ってる。ユーヒがどうするのか、知ってたはずだ」
アイギスが体重をのせてケテルを少し押し返すと、薄い刃が軋んだ。
「お前はフロスト家の屋敷で……。お前がアイツを俺から盗んだと言ったら、腹を立てた」
「……ああ」
「ずっと、どうしてお前が腹を立てていたか、考えていた。俺に腹が立ったなら、殺せば良いのに、お前は俺を殺さない」
「君がいなくなったら『シャレム・エストリンド』を守る人間がいなくなってしまう」
「お前は俺のことをあの毒ヘビに話してなかった。お前は言った。もう少し様子を見ると……。ユーヒやクリードたちと違って、お前は俺のことを知らない」
「君とはあまり接点がなくてね」
「……俺は殺すことしかできない。お前たちと接点なんて、あるはずない。殺ししかできない俺が、ユーヒと……会う、には……」
ケテルの剣が短剣を弾く。割れた刃が石畳を滑る。
手首を抑え、アイギスはうつむいた。
「俺は……お前が座るはずだったイスに座ってる」
「……君は意外に詩的な表現をするのだね」
アイギスが顔を上げると、ケテルは苦笑していた。
アイギスのたどり着いた答えを聞いて、サヘルは口を引き結ぶ。クリードの手を払い、サヘルは足を踏み出した。
「何をしているジャラス」
「っ……!」
その足が途端に沼へ踏み入れたかのように重くなった。
耳にまとわりつく声は広い空間の、一番奥から聞こえてくる。幾人もの声が重なったような声の中には聞き覚えのあるものもあった。
振り返ると、先ほどまではなかった人影がある。その姿もまた、複数の影が重なり判然としない。影の周りには相変わらず無数の目がこちらを見ていた。
アイギスの足元で倒れ伏せていた男が息を呑む。
「背信者の言葉に耳を貸すなと忠告したはず。貴様がケテルを止めることが出来ぬと言うのであれば、私も相応の対処をせねばならぬ」
「陛下……っ…………」
「私だけがケテルを救うことができるのだ」
得体の知れない人影が発した言葉に、サヘルはカッと血が逆流する感覚を覚える。
ジャラスは血を流しながら体を起こそうと腕をつく。
サヘルの隣でクリードが剣を構えた。視界の隅で炎が床を舐め、生ぬるい風が肌を撫でていく。
ケテルが刃の欠けた自らの剣を指でなぞると、その刀身が輝いた。そして何事もなかったかのように元の光沢を取り戻す。
「ケテル様……っ…………」
「……君が知っているケテル・ミトロンは死んだんだ、ジャラス」
柔らかだった声は再び温度を下げる。
「君が守るべきものよりも、先のない僕の命を優先すると言うのなら。僕は君を殺さなくてはならない」
「そのようなことはっ……まだ……私はっ…………?!」
鎧を脱ぎ捨て、どうにか立ち上がったジャラスの体はアイギスの拳によって再び地面に倒れた。
青ざめるサヘルの後ろでクリードが頭を振る。
「けが人にくらい少しは手加減しろ、阿呆……」
「お前は俺にしなかった……」
苦言を呈されたアイギスは不満げにクリードを睨むも、呻く男の胸ぐらを掴み上げた。
「俺は竜騎士が嫌いだ。俺たちと同じはずなのに、お前たちには名前があって、帰る場所があって、対価があった」
「…………」
ジャラスがうっすらと目を開け、さ迷う視線の先をアイギスへ向ける。
「俺にそれをくれたのはユーヒだ。だから俺の神サマはユーヒだ」
アイギスはジャラスから手を離す。
膝から崩れ落ちたジャラスは弱々しく頭を振った。
「お前の神サマは本当にアレなのか」
「私ていどが、神にかなうはずなど……」
「ケテルはお前をまだ諦めきれてないのに、お前はもうケテルを諦めてるのか」
「そうは言っていないっ……」
「お前が今そう言った」
「違うっ……! 私はっ…………」
「違うなら、話しを聞け。ここに残ってるなら、お前も神サマなんて信じてないだろ」
ジャラスは声を荒げる。彼は目を閉ざしてうなだれ、押し黙った。
こちらの様子を眺めていたケテルへアイギスが向き直る。
「これで満足か」
「……ああ。そうだね」
ケテルは目を伏せ、剣を下ろす。
「彼女を殺すはずの君が……。ジャラスを救うなんて、皮肉な話しだ……」
「…………」
ケテルは渇いた笑みを漏らした。
息を詰めるアイギス。そのかたわらを足早に通り過ぎたクリードがケテルの横面を思いきり殴りつけたので、サヘルは無意識にため息をついていた。
アイギスの目の前でケテルの体がよろめく。呆気に取られているのは彼だけではなかった。
瞬くアイギスの前でクリードは握りしめた拳を解く。
「そこいるのは貴様が出会ってきた暗殺者でなく『アイギス』だ。間違えるな」
足へ力を入れてどうにか踏みとどまったケテルは顔を覆い、鼻から伝う血を指で拭った。
「すまない……。今のは……確かに僕の失言、だった……」
「ええ。そうね。その無神経なところ、どうにかしなさい」
「それはそうとして、この状況で僕が気を失ったら君たちはどうする気なんだ……」
「また叩き起こすだけだ」
「まあ……そうなるだろうね…………」
冷ややかなサヘルとクリードの言葉にケテルは呻く。
サヘルはうなだれているジャラスの横へ膝をつき、その肩を撫でる。力なくこちら見上げる瞳に彼女は眉を下げた。
「皆でよく話し合いましょう、ジャラス殿……。ちゃんと話し合う時間さえあれば、どうにかなるはずです」
「サヘル様……私は、あなた様を…………」
「良いのです。ここにいる者は皆、大切なものを失う辛さを知っています」
「…………」
サヘルに促され、ジャラスはどうにか体を持ち上げる。その足取りは重く、一歩ずつ踏み出すのがやっとだった。
片手間にとびかかってくる魔獣を切り払い、ラーストーが息をつく。
「仕方ねぇな。その荷物は俺が上まで担いでやるよ」
「いや、体力の残っている君と僕で殿を務めた方が良い……。先頭をレイとクリードに任せる。アイギス、ジャラスとサヘルを頼めるかい」
「わかった」
ケテルの言葉にアイギスは頷いたが、今度はサヘルが顔をしかめた。
彼女は腕を組んで未だに鼻を抑えるケテルを睨みつける。
「私だって戦えるのだけど?」
「話しただろう、サヘル……。君には全てが終わったらこの国を」
「どうして私が親の仇である国の復興を一から十まで手伝わなくてはいけないのですか?」
ケテルの言葉を遮ったサヘルはクリードと共に背後から迫りくる異形の群れをいなすレイを横目で見た。
「私に後事を押し付けようだなんて、本当に面の皮が厚い男ね。あなたが始めたことでしょう。自分で責任をもってなさりなさい。私は友人のために戦います」
「しかし、サヘル様……」
「レイも。私を信じてくれるのではなかったの?」
「失礼いたしました……」
サヘルの食い気味な抗議にレイは苦笑気味にケテルを見返す。
頭を振るケテルにクリードが肩を竦めた。
「何はともあれ丸く収まったのなら何よりだ。はやくここを出るぞ」
「何故ここから生きて出られると思っている」
声は地の底から這いあがってくる。
一斉に身構える中。ケテルは一人、深いため息をついた。
奇妙な影は未だそこにたたずんでいる。影から発せられる声を受けて、それまで無秩序に迫り来ていた異形の群れは波が引くように闇をはらむ洞穴へと引いていった。
「ずいぶんのんびりと日和見をしていたようだね。そんなに僕が怖いのかい?」
「痴れ者め……。貴様、改ざん者であったか……」
「まるで自分が正しいような物言いじゃねーの」
ラーストーは鼻で笑う。
影は異形の群れと共に洞穴へ消えた。足元の温度が急激に下がっていく。
「その者が改ざんを繰り返しているのがその証拠。我らがこの土地を支配する未来は変えられぬ」
「君が神格を得てこの土地を支配するなんてことはないよ」
「何……?」
「君はどうして、毎度この話しを僕にさせるんだろうね」
ケテルは目を細めて小首を傾げる。
「君は竜の心臓を奪い、国を乗っ取ったと言う成功に基づいて竜を侮り、神と言う存在も同様に侮っている。神域の向こうにいる神々が、魔族の流入を許すはずもないし、魔族が跋扈する地を放置することもない。この大陸が真に亡ぶ原因は君じゃない。例え君が神格に昇りつめたとしても、神々の『審判』によってこの大陸は滅ぶ。全てが無に還る。僕が救いたいのはリュシオン王国ではない。『国』という概念そのものだ」
「おい……。そこまでの話しはアロガントからも聞いていないぞ……」
「だろうね。アロガントもその最悪の結末を避けるために僕へ手を貸しているから。だけど、僕らがやらなきゃいけないことに変わりはない」
「それもそうだ」
淡々と続いたケテルの回答にクリードが苦虫を噛み潰す一方でラーストーが声を上げて笑う。
温度が暗闇の中へと吸い込まれていく。サヘルは両腕をさすった。
暗闇から響き渡る押し殺すような笑い声にレイが眉を潜める。
「構わん。ならば神の『審判』をも乗り越える体を手に入れるまでのこと」
「断っておくが僕の体はもう使えない。器が限界だからね。君も、僕も。コレが最期だ」
「器など、壊れた部分を接げば良いだけのこと。そこな混ぜ物のようにな」
「…………」
穴の中で瞬く無数の視線がアイギスへ注がれるも、彼は微動だにしなかった。
ケテルが肩を竦めて薄く笑う。
「粉々になった器を接げるほど、手先が器用には見えないけれど?」
「減らず口を」
地面が大きく揺れた。
暗闇の奥で何かが蠢く。それまでこちらを見ていた無数の目が閉ざされる。
「私が神となった事実を変えることはできなかったのだろう?」
辺りを照らしていた燭台の青白い灯が音を立てて燃えあがった。




