60.かけた希望
程よい空調。ぬくぬくの毛布とクッション付きの椅子。ホットな飲み物。
「飛行機って、文明って、偉大なんだな……」
「先から文句ばかり垂れおって……。少しは我に感謝せぬか」
じん、とする頬を手のひらで温め、優陽はしみじみと呟く。
寒空の下。優陽はレイ・ジールの膝に抱えられていた。アロガントの背に乗り、一息にリュシオンの城へと向かっている。
不思議な力か、魔法か、定かではないが、風よけもないのに吹き飛ばされることはない。寒さを防いでくれないのが残念だ。
クリードが息をつき、乱れる前髪をかきあげる。
「まさかこれほどの少数で本拠地へ突入することになるとは……。留守居を任せたフィオたちを心配している場合ではないな……」
アロガントの提案により、優陽たちは出立の準備も兼ねて丸一日体を休めた。ずっと担がれていた優陽はともかく、クリードとレイは満身創痍であったし、アイギスも本調子でないことは明らかだった。
防衛の要である砦を空ける訳にもいかず、そしてサヘルを助けに向かうにも、人選は慎重にならざるおえない。
「つれないこと言うなよ、旦那。俺たちがいるだろ」
「貴様が一番信用ならん」
「殺すか?」
「その時がきたらな」
ラーストーを睨むアイギスをクリードが手で制す。
アイギスは元の姿に戻っている。アロガントが優陽たちには聞き取れない言語で何かを唱えると、彼の姿は瞬く間に長身の青年へと変わっていった。ただ、やはり服は跡形もなかったので、フィオが砦にあった物を急いで見繕ってくれた。おかげで少しサイズが小さいようだ。それでも彼は相変わらず寒さを物ともせず、薄着に最低限の防具をクリードによって、やや強引に身に着けることとなった。
昨日まで禍々しい雲が渦巻いていた冬空は日差しが弱弱しいものの、本日は馴染みの色をしている。
「して、何処から話す。リュシオンの中心部へ着くまで、主らの問いに答える時間がある」
アロガントの視線がこちらへ向いた。
「では」と、クリードはレイと顔を見合わせる。
「貴様らはすでにモルオク国王の意思は乗っ取られていると言ったな。その国王の意思を乗っ取った存在について教えてもらいたい。察するに、そやつが全ての元凶だろう」
「左様。我ら竜が神域の向こう側から致し方なくこちらに移り住んできた後。不毛だったこの大陸に恵みを施したことから始まる」
「おお……。壮大なお話し……」
「主らには壮大かもしれんな。手短にまとめてやろう」
思わず顔を輝かせた優陽にアロガントは喉の奥で笑う。
ラーストーが意地悪く口角を持ち上げた。
「そういや、神域からきたってコトは、何かやらかしたのか? この土地は罪人が送られてくる場所だったんだろ」
「我らの創造主であった神が、力くらべで他の神に打ち負けて崩御しただけの話しよ。神域の向こう側では常に神々がくだらぬ力くらべをし続けておる。近ごろはそれも落ち着いてきたが、我らはそれに辟易しておった。追い出されるより先に、自らの意思でこの地を魔族から取り戻し、真の楽園を創造せんとしたのだ」
アロガントは鼻を鳴らす。
「もっとも……。強く意気込んでいたのは我ではなく、我と共にこの地へやって来た同胞らだった。特に、主らが目にしたあの白き竜の源流よ」
懐かしむように金の瞳が閉ざされる。両翼が羽ばたくたび、力強く風を裂いた。
「我らは白き竜を中心とし、この土地に追いやられた者たちを集めた。その者たちへ神の知識を一部与え、魔族らに対抗する術と、生きる術を身に着けさせ……。そのうちに、我らは土地の守り神として崇められ始めた」
「……リュシオンでは信じられぬ話です」
「で、あろうな」
鬱屈とした表情のレイ。優陽が冷たいその手を取ると、彼女は遠慮がちに握り返してきた。
「我を含め、この地の竜は限りなく神格へと近付いていた。それでも魔族は当然、我らを餌としか捉えておらぬ。争いは絶えなかった。そしてこの大地は長らく神の恩恵がなかった故、別の問題もあった。時空が酷く歪んでおるのじゃ」
「失礼、アロガント殿……。時空、とは?」
「世界を分け隔てる壁、とでも言うておこう。必要以上に個々の世界が干渉し合わぬよう、理が設けた超えられぬ壁よ。主は分かるな、狭間の者よ」
「え? いや、まぁ……? ぜんぜん……」
レイの問いに答えたアロガントがこちらを見たので優陽は視線を泳がせた。
どうしてこの世界に転生したのか聞きたいのはこちらなのだが。
「時空って名前の敷居みたいなものだよ〜。神様がちゃんと管理したこの世界もあるかもしれないし、魔族が支配してるこの世界もあるかもしれないし、今とはまったく別の景色なこの世界もあるだろうけどぉ。理っていう存在がそーいう世界をひとつひとつ隔ててるのぉ。世界は少しずつ干渉はし合ってるけど、直接的な行き来は許されてないんだよぉ。本来ならねぇ」
「わかったような……。わかっていないような……」
グラトナスの笑顔に優陽は腕を組む。
マルチエンディングみたいなものだろうか。プレイヤーの選択肢によってエンディングが変わる。現実は常にマルチエンディングみたいなものだが、ゲームと違ってセーブポイントに戻ってやり直すことはできない。ケテル・ミトロンのような例外でなければ。
アロガントが頷く。
「そう。この大地は神の恩恵が薄かったために、理が正常に作動せぬことがあった。他の世界から超えられぬはずのその壁を越えてやってきてしまう迷い子がやけに多くてな。我らが理の力を安定させるとそれも無くなってきたが、他の世界から流れついてきた迷い子らに帰る術はない。ただただ、見知らぬ世界で生の終わりを迎えるのを待つだけだった」
「…………」
「それが全ての発端よ。ある日、迷い子の1人がかの白き竜を殺した。その者はまだ幼く、白き竜が憐れに思い常々、気にかけておった者だった。そこへ脆弱ながら知恵の働く魔族がやってきて、唆したのだ。竜の、神の力を手に入れれば、両親の元へと帰れるぞ。とな」
無意識に、優陽は手を握りしめていた。
強い風にアロガントが揺れる。優陽はとっさにレイの腕へ掴まった。
「我ら原初の竜でも世界の壁、時空を越えるのは難しい。それも知らず、その迷い子は自身の命を拾った白き竜を殺した。当然、元の世界に帰る術なぞない。そうして弱った心と体は魔族に奪われ、迷い子の魂は消えた」
「話しの流れからするに、今のモルオクに寄生しているというのは……」
「その迷い子を唆した姑息な魔族よ。白き竜から心の臓を奪い、自らが竜の力を手に入れると、さらに迷い子たちを同様に唆した。不安を煽られた迷い子たちが徒党を組み、我ら竜の心臓を奪い自らのものとせんとした。我が知る限り、生き残りは深緑の一族が命がけで逃がした、そこな幼子のみよ」
「……アロガントは?」
「我はこの地へ来る際、手負いの身だった。故に神域の傍らでほぼ眠っていたのだ」
「僕が来るまで、アロガントは呑気に眠ってたんだよー」
「手負いだったと言うたじゃろうが……」
グラトナスが笑うと、アロガントは苦々しげに言葉を濁す。
「グラトナスが一族から託された記憶によって、我もようやく事の次第を理解した。しかし、我ら竜に加勢をした『魔喰らい』も、一族諸共に滅ぼされつつあり、我とグラトナスだけでどうにかできる状況ではなかった」
聞こえてきた単語にレイが目を瞬く。
「『魔喰らい』? 殺した他者の魔力を根こそぎ食らう、魔族を崇拝する悪食では?」
「おいおい。その言い様は流石に傷付くぜ」
「……お前『魔喰らい』だったのか」
「おっと……。そう言えばまだアイギスくんとお嬢にしか伝えてなかったか?」
怪訝な視線を集めながら笑うラーストーに優陽はため息をついた。
優陽を抱え、レイが無言で彼から距離をとりアイギスへ体を寄せる。
「この大陸にいた魔喰らいはその無礼者を除き、リュシオンによって大半が滅ぼされた。そも、魔喰らいの一族に与えてやった知識は魔族を滅するためのもの。あやつが滅ぼそうと画策するのは必定であった」
「そんな大層な歴史があったとはねぇ……」
言葉の割にラーストーは興味なさげに隻眼を閉ざす。
「騙された迷い子たちも、もはや後戻りすることも、元の体に戻ることもできず、奪った力で生を繋ぐ他なかったのだろうよ。それがリュシオン王国における神官らじゃ。そして、当の姑息な魔族は我ら竜に成り代わり、自らを神として崇めさせた。そうして、聖リュシオンとその物語が生まれたのだ。あやつは魔族から真に神へ至ろうとしている」
おそらく大幅に省略されたのであろう壮大な物語はそのように締めくくられた。
愉快でない昔話しはそれまで優陽が感じていたリュシオン王国に対する違和感を払拭するには充分な内容である。神様だと思っていたものは神様ではなかった。ひとつの悲しみから始まった、悪夢の始まり。
「何故、魔族はわざわざ神に成り代わろうなどと考えるのですか?」
険しい表情のレイからの問いにアロガントの視線は雪が降りしきる大地の地平を示した。
それはリュシオンを超え、さらにエストロランドを超えた先。灰色の空と同化しかけている山裾までのびている。
「神域に向かうためよ。神域を隔てる神の結界は魔族では破壊できぬ」
「なるほど。人間を狩り尽くしたらそれで終わっちまうが……。人間を利用して神格までのし上がれば、神域まで魔族の狩り場になる」
「なんと、おぞましいことを……」
ラーストーが感心した様子で地平を眺め、レイが苦々しく呟く。
優陽は思わずやけに静かなアイギスを盗み見た。
彼だけは眉を寄せてグラトナスを見下ろしている。グラトナスは口元に指を立て、アイギスと視線を交えていた。
仲間がいて良かった。後でちゃんとグラトナスから説明を受けることにしよう。
優陽は適当な相槌で誤魔化しておくことにした。
クリードは顎に手をあて目を伏せる。
「リュシオンが執拗に他国を侵略し、領土を拡げているのも、聖リュシオンとしての神の立場を確立するため、か?」
「理解が早いではないか。我ら竜はヒトを連れてこの大陸に点々と集落を作り、それが国となった。故に信奉する主らの『神』はそれぞれの集落を形成した竜、もしくはその地を縄張りとしていた祖霊が元となっておる。真に神格を有するものでないにしても、あやつにとっては都合が悪い。主らフロスト家が良い例よ。主は蒼の一族の血も引いておるだろう」
「…………何だと?」
クリードは面食らった。彼だけではない。レイも含め、優陽もアイギスも。思わずクリードを見ていた。
アイギスが首を傾げる。
「……クリードからは、竜のにおいがしないぞ」
「とーっても薄いからねぇ。僕やアロガントくらいじゃないと気付けないよぉ」
「もしや、先の砦での戦。クリード殿が自分と共にリュシオンの呪いに倒れたのは……」
「レイ・ジールが受けた呪いにあてられたんじゃなく、クリードの旦那が竜の血を引いていたからか」
「ふむ……。純血を受け継いでおってもあの感覚はおぞましいもの。自覚がなければなおさらであろうな」
先の砦では、優陽の知らない所でそんなことがあったらしい。アイギスが倒れた時と同じくして、砦ではレイとクリードも預言者の呪いに苦しんでいたようだ。それはリュシオンの強力な呪いが、魔術の才能があるクリードに悪影響を及ぼしたのではないか、との推測であったが、実際は違った。
優陽は一番に動揺しそうな人物が静かなことに目を瞬く。
「……あんまり、驚いてないです?」
「……心当たりはある」
自身の手を眺めてクリードは目を細めた。
「父上は領地を守ることに命を削っていた。リュシオン親派だった母上との縁談も、自らおじい様たちに勧められたと聞いている。執務室に毎日こもって、兄上ですら食事も一緒にしたのは数えるほどしか覚えていないそうだ。妾なんてもってのほかだった。だと言うのに、ある日。出自も定かでない女性を父上が突然つれてきた」
「……それが、クリード様のお母さん?」
彼は頷く。
「仔細は俺にも分からない。だが、母上は容姿からしても、この辺りの人間でないのは確かだった。俺だけがきょうだいの中で容姿が異なっているだけでなく、魔術の才がやけにあるのも、納得がいく」
「…………」
クリードは呆然と自身の広げた手を見下ろしていた。
確かに彼はデュークを含め、他のきょうだい達とは容姿が大きく異なる。身長もアイギスやスロースとそれほど変わらない。それは竜の血が流れているからなのだろうか。
口を開くのをためらっている優陽の隣で、アイギスがさらに首を傾げた。
「……もしかして、それでお前もユーヒにひかれてきたのか」
「は……?」
アイギスの言葉にクリードは珍しく間の抜けた声を漏らす。
彼の質問の意図が優陽にも分からず、アイギスを見上げる。
「どういうこと……?」
「お前、竜が当たり前にいて麻痺してるだろうが、リュシオンの外で竜に会うことはそうない。ましてやクリードは今日まで自覚がなかったのに、お前をあの森まで探しに来た」
「前にも言われた気がするけど……。そう、なの……?」
ジャラスと出会った時にそんな話しをちょっとした気がする。本来、竜人と呼ばれる彼らとリュシオン国外で出会うのは珍しいそうだ。
優陽がレイとグラトナスを交互に見てみると、彼女らも強く頷いていた。
「言われてみれば……。アイギス殿のおっしゃる通りかもしれません……。ユーヒ様のように複数の竜と親しい間柄の御仁はそういらっしゃいません」
「そうだねぇ。僕らに出会ったのも、偶然ではないかも~。ケテルお兄ちゃんなら、何か知ってるかもねぇ」
「そ、そういう意味か……。そ、そうかもしれんなっ……」
「……大丈夫ですか?」
口元を覆うクリード。優陽は無難な言葉をかけるのが精いっぱいだった。
彼のお家事情が複雑なのは理解していたが――。
「問題ない! 俺の話しは後回しだ! リュシオンの話しに戻るぞ!」
「え? あれ…………?」
この一瞬の間で彼の心境に何があったのだろうか。
心配をしようにも当人が話しを続けろというのでは遮る訳にもいくまい。
ラーストーがクリードの肩を軽く叩いている。
にんまりと大きな口角を持ち上げたアロガントが「まぁ、待てと」さらにクリードを宥めた。
「リュシオンの始まりと企みは話した通りよ。次は我が主らに聞かせてもらおう。でなければ、事は解決に向わぬ」
「俺達も全てを把握している訳ではないぞ」
クリードは一息おいてレイへと視線を送る。
頷いた彼女は、優陽を抱えたまま姿勢を正した。
「自分からお話し致しましょう。自分も、知っている限りではございますが」
「結構。そこの魔喰らいがケテル・ミトロンから与えられたまじないは、魔族の呪いを弱め、魔喰らいの力を高めるもの。紛れもなく、我ら竜がヒトに与え、リュシオンに葬られた知識のはず。それが何故、贄となるはずのミトロン家の後継がそれほどの知識と力をもっている」
レイ・ジールは大きく深呼吸をした。
優陽が見上げると、人間離れした輝きを放つ瞳と目が合う。
そうして、彼女はケテル・ミトロンから伝えられた、これまでの出来事と、これから起こりうる先の出来事を話し始めた。




