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59.報い

 耳障りな悲鳴。吐き気をもよおすにおい。手を濡らす生ぬるい感触。

 目の前の景色はいくら目を閉ざしても消えない。

 駆け寄る足音がケテルの前で倒れ込む。


「ケテル様……!! お慈悲を…………!!」


 ケテルはまぶたを開いた。

 灰のような粉塵が彼の視界をよぎっていく。

 

「少しはそちらも手を動かしていただきけますか?」


 その向こうから現れたスロースは軽く自身の外套を手で払った。

 毎年、建国の式典に合わせ、城の周囲は祝祭の飾りつけが施される。建物から通路まで鮮やかな草花やタペストリーで彩られているはずだった。

 スロースは足元に転がっていた鉢を足でよけた。そこに植えられていたはずの花々はどれも色を失い、形も見慣れたものではなくなっている。植木は葉を落とし、細い枝だけが無秩序に伸び、絡まり合っていた。

 

「式典に集まる神官を皆殺しとは芸の無いことをする」

「生かしておく利益がないどころか竜人(君たち)の寿命を盗んでいる時点で殺さない理由がない」


 石畳に固い靴音が響く。

 冷えきった朝の空気はふたりの息を白く染める。

 人の気配が消えた広い空間で鮮やかな装飾だけが残されていた。


「私は構いませんが、恩情のひとつでも見せておいた方がよろしいのでは?」

「その段階はとうに過ぎている」

「あなたにはそうであっても、周囲の目には別に映ります」

「僕の心配をしてくれているのかい?」


 振り返ったケテルは口元を緩める。

 スロースはたちまち渋面して歩調を速めた。


「くだらないことばかり言うなら手伝いませんよ」

「冗談だよ、スロース。怒らないでくれ」


 ケテルは笑いながら自身を追い越した彼の歩調に合わせる。


「まがいものとは言え、一般的な魔術で魔法に近しい力へ対抗するのは僕でも面倒でね。それに、他国からのリュシオンの印象はすでに最悪だ。根本から変わる必要がある以上、手心は必要ない」

「あの『魔喰らい』はそのためですか」

「リュシオンが念入りに、特にその存在を捻じ曲げてきたのが竜と魔喰らいだ。竜は言わずもがな……。魔喰らいは魔族の尖兵だとふれ回った。おかげでまともな魔喰らいはラーストーしか残っていない」

「アレがまとも、と?」

「彼の性質をまともと評した訳ではないよ。魔喰らいとして自覚があり、正確に力を制御できる、という意味でだ」

「最終的にアレはどうするおつもりで」

「この先、クリードの邪魔をする腹積もりが残っているなら舞台から下ろす」

「そうして、あなたの書いたその物語で最終的に残るのは何人ですか」

「……さぁ。僕にも分からないよ」


 冷ややかな問いと視線にケテルは目を伏せる。

 長いスロープへ置かれた燭台に灯はない。弱々しい月明かりと山裾からわずかに顔を覗かせる朝焼けだけが足元を照らしていた。

 

「全てが綱渡りだ。今、この瞬間。君も含め、舞台に立っている誰かの気が変わってしまっても不思議じゃない」

「ならば、もう少しこちらへ手札を見せる努力くらいはすべきだと思いますが?」


 足音が止んだ。

 ケテルとスロースの視線が交わる。スロースは指でメガネを持ち上げた。

 

「これまでのあなたの動向が知られていないということは、向こう側はあなたを探知できないのでしょう。いい加減に隠し事は無くしていただきたいものですね。このままでは私が一方的に不利益を被ります」

「スロースは今、僕へ何が一番聞きたいんだい」

「あなたがこの事象を繰り返している理由です」

「それは最初に答えただろう?」

「そこまでの信用を得られているとお思いで?」

「今回は君たちと過ごす時間が少ないからね。難しいことは承知しているよ」


 ケテルは笑みをもらして歩き出す。顔をしかめたスロースは再び彼の背についていく。

 目前の城は空を貫かんばかりにそびえている。荘厳な城にすらやはり人の気配はない。見回りの兵士も、番兵の姿も、早朝に正門から入って来たふたりを咎める者は誰一人としていなかった。

 ケテルに続き、スロースは赤い絨毯の敷かれた階段を上る。

 階を上るほどに、白い石の天井や壁には豪奢な彫刻が施され、床は自身の姿が映るほどに磨かれていた。色のついたガラス窓から差し込む光がその床へさらに鮮やかな模様を描く。城外の燭台とは違い、柱に備え付けられたそれは揺らめきひとつせずに一定の範囲を照らしている。

 

「嘘偽りはない。僕は『国』を救いたいからこの事象をやり直している」

「この状況に救いがあるとは思えませんがね」

「今回はずっとマシな方だよ。まだ、ね」

 

 広い廊下の奥。ケテルが閉ざされた両扉へ触れると、重々しい音と共に道が開く。

 ざらざらとした空気が肌にまとわりついた。向こう側にはもうひとつ、ひと際に重厚で荘厳な大扉がある。


「でも、君の言う通り。僕の救いの定義が必ずしも君の望み通りになる保証はできない」

「そんな相手をどうやって信用しろと?」

「お互いに妥協は得意だろう?」


 口元を緩め、ケテルは大げさに肩を竦めてみせる。


「君の望みは国王と預言者を殺すこと。それは僕も同じだ」

「私の命の保証が抜けているのですが?」

「おや……。そうか。そうだったね」


 スロースは眉を潜めた。

 最奥に至る大扉の前で足を止め、ケテルは首を横へ振る。


「すまない。思ったより君が前向きなようで嬉しいよ。もちろん、僕は君に死んで欲しくはない、スロース」

「……先もそうでしたが、他の私と比べるのは止めていただけますか。純粋に不愉快だ」

「そうだね。君と言い、暗殺者くんと言い……。どうやら、僕の予測はもうアテになりそうにない」


 遠く、窓の外へ視線を向ける。

 白み始めた山の端から僅かに漏れる輝きが地平を描いていた。差し込む光が徐々に強くなり、足元の影を濃くする。

 スロースは今一度、指でメガネを直す。


「もうひとつ」

「うん?」

「あなたが救おうとしている中には、アマバ・ユーヒが入っているのではないですか」

「どうしてそう思うんだい?」

「この期に及んで誤魔化すおつもりで?」

「君とは誠実に向き合っているつもりなのだけど……」

「どの口が……」


 悪態をつく彼にケテルは目を細める。

 

「彼女から僕が何をしたかは聞いているはずだ」

「ええ。そして以前にあなたは、彼女が前世で死ねば『シャレム・エストリンド』も強制的に排除される。だから『シャレム・エストリンド』を自ら手にかける必要はない。と言った」

「よく覚えているね」

「あなたの今までの行動は全てアマバ・ユーヒの存在ありきのものだ。つまり、アマバ・ユーヒの死は避けようがなく、かつ彼女が『シャレム・エストリンド』の体を授かることは確定事項、とあなたは仮定した」

「…………」

「しかし私を含め、それ以外の登場人物に関してのあなたの言動は不確定事項が多い。共通するのはあなたがそれぞれにアマバ・ユーヒとの接点を作ろうとしていたこと」


 スロースはケテルの前に立つ。

 ケテルは笑みを崩さない。

 

「あなたはアマバ・ユーヒを殺した。同時に、シャレム・エストリンドとして生まれ変わった彼女の命を繋いでいるのもあなただ。国を救うために彼女を利用するだけなら以前のように私に管理させておいた方が確実だと言うのに、あなたはソレをしない」

「彼女にはその時まで生きていてもらわないと困るからね。城から動けない僕のそばへ彼女を置き続けるのは危険が伴った」

「彼女の協力が必要ならば彼女の心象を害すのは明らかに悪手です。一国の継嗣であるあなたなら理解しているはず。にもかかわらず、あなたはむしろ彼女を遠ざけている」


 スロースは一段と声を潜めた。


「彼女と会いたくない理由があるのではありませんか」


 沈黙があった。

 スロースはケテルが口を開くのを待った。

 目を伏せるケテルの笑みは一向に剥がれる気配がない。


「君は僕を買い被りすぎている」


 長い沈黙の後。スロースを見上げた彼は胸をおさえる。


「全ては僕の身勝手でやっていることだ。僕は他人のために犠牲を払えるほど、善良な人間ではない」

「……左様で」


 スロースは身を退いた。

 ケテルは扉へ手をかざす。固く閉ざされた巨大な扉は嫌な音を立てて軋んだ。


「報酬は割り増しで請求しますので必ず全額お支払いを」

「ありがとう」


 ケテルの手はさらに軽く扉を押した。重厚な木製の両扉に亀裂が入り、耐え切れず弾ける。

 粉々に砕けた細かい木片が広い空間へ散った。高い天井に崩れ落ちる残骸の音が反響する。

 ガラス窓に囲まれた広間。白い装束をまとったいくつもの人影。中央にふたつ並んだ玉座。

 ふたつの内のひとつに腰かけた女は身の丈もある杖を鳴らす。


「ケテル、これはどういうことです」

「始めに言っておこう。無意味なやり取りに時間を割くつもりはない」


 ケテルが剣を鞘から抜くと、それが合図だったように天井につられていた照明器具が次々と落ちてきた。重力に従って落ちてきた照明は、玉座の周辺に集まっていた白い人影を押し潰す。金属が擦れる音と共に、辺りへ悲鳴が反響する。

 剣を抜いたケテルに続き、スロースもナイフを取り出した。


「ケテル。あなたは父と母に刃を向けると言うのですか……」

「僕の両親は君が殺した。予定より侵攻が順調に進んだおかげで体が腐り始めたろう」

 

 ケテルが剣を軽く横へ払う。磨かれた石の床が割れ、めくれ上がる。

 さらに逃げ惑う白装束の背。とっさに反撃しようとする者もいる。スロースのナイフはそれらが口を開いた時点ですでに彼の手を離れていた。

 命乞いと悲鳴が混ざり合う。


「何を言っているのですか、ケテル」

「スロース。そちらは任せるよ」

「言われずともやりますよ」


 杖が床を打ち、硬い音が響き渡る。

 途端にスロースの体が重くなった。気管が締め付けられるような息苦しさ。視界が霞み、世界から色が失くなる。

 思わず喉元をおさえるスロースの前にケテルが踏み出す。


「その賤しき竜に唆されましたか」

「スロース。僕の側から離れないように」


 ケテルの剣が何かを割いた。

 肺にどっと空気が、世界に色が戻ってきた。咳込みながらもスロースは懐から小瓶をとり出す。


「ケテル。答えなさい」


 女の声は次第に焦りを帯び始めた。

 彼女の周りにいた人影はひとり残らず塵となり、白い装束だけが残されている。

 スロースは小瓶を床に叩きつけた。割れた瓶から赤い液体が弾けとぶ。


「私に手向かう意味を、分かっているのですか」

「続けてくれ」

 

 再度、杖が床に打ち付けられる。

 ケテルが同様に剣を床へ突き立てた。彼のそれは見えない波を払いのける。

 スロースはガラスが散らばる床へ手のひらを押しつけた。冷たい床と鋭い痛みが手のひらから伝わる。体重をさらに前へかけると床の目地やひび割れにそって液体が拡がった。それは明らかに質量を増やし、徐々に玉座へと近付いていく。

 床を覆っていく異質な液体を目の当たりにして、女王は立ち上がった。


「おのれ……忌々しき紫睡(しすい)の生き残りめ……」

「おや……。ここまで接近をお許しいただいたので、てっきり忘れさられているものかと……」


 スロースは笑った。

 脂汗が額を伝う。体外へ血を流した分だけ体温が下がっていく。それでも彼は床から手は離さなかった。

 後退するアロマーティにケテルが斬りかかる。

 見えない壁にその刃は塞がれるも、彼の剣は今にもその壁を貫かんと食い込む。


「いくらお前に才能があると言えど、まだヒトの身であるはずのお前に私の力を越せるはずが……!」

「なら、答え合わせは簡単なはずだろう?」


 ケテルは微笑む。

 スロースが最後にもう片方の手で床へ文字を連ねた。

 女の顔が引きつる。目地から広がった赤い液体はみるみる色を変え、床だけでなく壁や天井をも覆っていく。鮮やかな紫はわずかに光りを帯び、薄暗かった室内をぼんやり照らした。

 呻き、よろめくアロマーティに振るわれた剣は彼女の腕を落とした。杖が音を立てて転がる。

 目を見開いてケテルを見上げた彼女は声を震わせた。


「な、何故だ……っ…………何故、紫睡の毒の中で……お前はっ……ぅぅっ…………」

「さぁ、ね。僕は聞くまでもないと思うけれど……」


 ケテルは冷淡に告げた。


「母上の体から出ていけ」

「私をっ……母を、殺すのか……? ケテル……?」


 細い指がケテルの外套を引っ張る。


「私が……どれだけお前を愛して…………」


 無言で剣が払われた。

 女の体が倒れる。跳ねた頭部は壁際へと転がっていった。

 スロースはのろのろと立ち上がり、血の気のない自身の手のひらの傷を拭う。


「まったく……。こんな悪趣味な芝居に付き合わせられるとは……」

「…………死にぞこないのトカゲが……余計なことを吹き込みおったな…………」

「まだくるよ、スロース」

「なっ……?!」


 とっさに体を反転したケテルは自身よりひとまわりはある体格のスロースを易々と担ぎ上げた。

 スロースを担いだ彼はさらに大きく跳んでアロマーティの体から距離を取る。直後、女の体を中心に、黒い霧が波のように広がった。それは壁などの障害物を物ともせず、地平を目指して広がっていく。

 波を浴びたスロースに、再び強い頭痛と吐き気が襲う。全身が急激に冷え、視界が狭くなった。呼吸をしたくとも、内側から何かが肺を押し潰そうとしている。


「ぐっ……ぅっ……っ…………」

「スロース。大丈夫だ。僕がいる」

 

 ケテルは咳き込むスロースを下ろし、壁へ寄りかからせた。呼びかけるその声も不鮮明になりつつある。


「私に手向かうことがいかに無意味か、教えて差し上げましょう」


 床に転がる女の声は変わらず、そして平坦に響いた。

 壁を突き破り、鮮やかな窓ガラスが割れる。翼を持った巨体は、荒々しい咆哮をあげた。彼らはもつれる足取りで壁や天井を次々と破壊する。豪奢な広間はあっという間に吹き抜けとなった。

 美しい光沢を放つ鱗をまとった数多の竜が、辺りを取り囲んでいる。


「ケテルは生かせ。死にぞこないは私の一部に使う」

「君にそんな余裕は与えない」


 ケテルが荒い呼吸を繰り返すスロースの手に自身の手を重ねる。体温と音だけは辛うじてまだ届いていた。

 スロースは震える手でケテルの手を握り返す。


「君の選択肢はふたつだ。僕たちを殺すか、僕たちに殺されるか」

「この状況でどこからその様な自信が……」

「僕たちは不確かな希望に賭けた。不確かではあるけれど、信じるには充分な希望に。僕はそれを信じ抜くと決めた」

 

 歯を食いしばり、意識を保っていたスロースの頬を温かな空気が撫でる。


「スロース。僕が時間を稼ぐ。ユウヒを頼んだよ」


 スロースの狭い視界が瞬く間に白くとんだ。温かな空気が全身を包みこむと、徐々に世界が戻ってくる。懐かしささえ覚える柔らかな風はしかし、空を覆う暗雲を力強く吹きとばした。

 女の悲鳴が響き渡る。それは光から逃れる闇のように遠ざかっていき、消えた。

 スロースはまばゆい世界に思わず目を細める。

 朝焼けの空。白く輝く竜鱗。三対の飛翼。真紅の瞳。

 全てが神秘を纏う巨体は空からスロースをじ、と見下ろしていた。

 まだ荒い息のままに、スロースは重い体を持ち上げる。メガネを直す指は未だ震えが収まらない。おぼつかない足取りで、動かなくなった竜の群れの合間を縫う。

 大きな羽ばたきが、彼の背中を押した。

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