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57.理不尽は唐突に

 優陽の口はぽかんと開けっ放しになっていた。

 雪原の中に設けられた立派な陣にはいくつかの旗がはためいている。それ以外に、動いているものは何もなかった。


「えっと……。皆さんどちらに……?」


 もちろん、すれ違いはしなかった。フロスト家の砦へ向かったのなら何故、武器や防具まで置きっぱなしになっているのだろう。

 辺りを見回すラーストーも首を傾げる。


「もぬけの殻とは正にこのことだが……。移動したにしても足跡が少な過ぎる」

「実は囲まれてたり……?」

「人間の気配が多いだけ魔獣は集まってくる。だが、魔獣は砦に首ったけ……。つまり、ここには見ての通り、人間がいねぇのさ」

「なら、良いけど……」


 いや、たぶん良くない。これまでの経験からして嫌な予感の中でも群を抜いている。すぐそこで争いが起きていると言うのに、こんなに静かなのはおかしい。

 ラーストーはぴたりと寄り添って歩く優陽の肩を叩いた。


「何にしても国王がいねぇならここに長居は無用だ。砦に戻って旦那を援護しねぇとな。馬を探すぞ」

「そうだね……。はやく戻らないと……」


 アイギスの言う通りならば、レイ・ジールも動けなくなっているはず。もしくは、サヘルなら彼らを助ける手立てを知っているかもしれない。

 どちらにせよ、アイギスを助けに戻る前にやらねばならないことがある。例え足が重くても急がねば。

 優陽は冷たい手で頬を叩いた。


「お馬さーん。いるなら返事してー」

「陣の向きからして、馬屋はそっちじゃねぇぞ」


 首根っこを掴まれ優陽は雪の上を引きずられる。彼の言う通り、何千もの人間がいたのならば雪がこんなにふかふかしているはずがない。

 ラーストーに連れられて進むと、かすかにいななきが聞こえてきた。優陽は胸を撫で下ろす。


「そろそろ脚も腕も限界だったから助かるー……」

「良い馬が残ってりゃあ良いんだが……。駄馬じゃ怯んで使い物にならねぇ、からな……」

「…………」


 そこに馬はいなかった。馬だったらしいものはいた。

 ラーストーがすぐさま優陽をつまんで馬屋からつまみ出した。が、もう遅い。


「……スッキリしたか?」

「お水ほじい…………」

「俺も腹減ってるがここの食いもんには手を出すな。何が起こるか分かんねぇぞ」


 しばしの間。ラーストーに背中を擦ってもらった優陽は素直に頷いた。

 馬の頭は変な方向を向いていた。もっと言えばその頭はひとつではなかったし、有るべき場所に有るべきものがくっついていない状態で蠢いていた。融けた肉塊は何かを探すように地面をずるずるとさ迷っている。そんな馬だったらしいものは生きてはいるようだが、自力で動ける様子もない。

 ラーストーは優陽を小脇に抱え、陣の中心部へと戻る。

 

「よく調べた方が良さそうだ。油断するなよ」

「また吐きたくないので気を引き締めます……」

「そうしてくれ」


 やはりここで何かが起こった。優陽には想像することのできない何かが。あの馬の様子からしても魔法か魔術の類だろう。

 アイギスにかけられた呪いと関係があるかもしれないなら、逃げ帰る訳にいかない。

 優陽は深呼吸してどうにか吐き気を誤魔化す。


「これがSAN値チェック……」

「何かの呪文か?」

「独り言です」


 優陽はラーストーに下ろすよう促す。

 彼女は改めてリュシオン軍の本陣を見回した。人っ子一人いないのはもちろんのこと、鳥のさえずりも聞こえない。立派なテントがいくつもはってあるにもかかわらず、昨夜、降っていた雪を踏んだ形跡もない。生き物の気配自体が、まるでない。

 本当にこの場に大軍勢がいたのかさえ疑わしかった。


「んー……。でもジャラス殿があそこにいたってことは、リュシオンの部隊もここにいた、はずですよね……?」

「国王の出陣がでまかせだったとしても、これだけの規模の部隊が足跡も残さずに消えるのは妙な話しだ」

「時間がかかるけど、中だけじゃなくて、周りも見てみた方が……」

 

 おもむろに、ラーストーが口元へ指を立てる。優陽は口を閉ざした。

 彼は背負っていた槍を手にすると、自身の先を示した。そこにはいくつもの木箱が積んである。耳を澄ますと、雪の上を何か引きずる音が聞こえてきた。

 優陽が近くの物陰へ隠れたのを確認した彼はゆっくりと近づいていく。そして素早く音のする方向へ跳び、槍を払った。

 穂先はピタリと音の主の前で止まる。


「こんなところで何してんだ、ボウズ」

「…………?」


 ラーストーの問いかけに、優陽は顔を覗かせる。

 ラーストーが蹴散らした箱の向こうにいたのは、『シャレム・エストリンド』と同じ歳ほどの少年だった。

 少年は不思議そうにラーストーを見上げ、長い前髪の間から覗く深い緑色の瞳を瞬かせる。


「おじさんは何をしているのぉ?」

「おじさんはここにいたはずの団体さんを探してんだが、ボウズはリュシオンの人間じゃねぇよな?」

「そうなんだねぇ。ここにいた人たちならもういないよぉ」


 ふふっと。彼は微笑む。おっとり、ゆったり。少年の話し方はあまり馴染みがない。

 ラーストーが視線でこちらを促すので、優陽はそろそろと2人のそばへ歩み寄る。こちらに気付いた少年は優陽を見てさらに首を傾げた。


「お姉ちゃんも、おじさんと人を探しに来たの?」

「う、うん。君は何をしているの?」

「僕はお腹が空いたからご飯をもらいにきたんだぁ。このままじゃもったいないでしょー?」


 少年の手元にあるのは芋の入った木箱だった。ここにあるのは運び込まれた食料らしい。木箱に積もっている雪の量からしても最近になって補給された物資と思われる。しかしやはり、それを運んできた人間の姿はない。

 優陽は少年の前にかがみ込んだ。伸び放題の前髪のおかげで視線が合わせにくい。


「お前さん、竜人だな」

「おじさん、僕のこと分かるの?」

「人間の子どもはそんな薄着でこんな場所ほっつき歩いてたら半日保たずに死ぬぜ」

「そうなんだぁ。てっきりおじさんが『魔喰らい』だから、僕のこと分かるのかと思ったぁ」

「…………」


 槍を下ろしかけたラーストーだったが、少年のその言葉に目の色を変えた。

 今度は槍の穂先を前髪の隙間から覗く少年の瞳へと向ける。戸惑う優陽に、ラーストーが下がるよう促す。


「ボウズ。見た目より長生きしてるみてぇだな」

「そうでもないよぉ。僕はまだ400歳くらいのはずだもん」

「詐欺にもほどがあるのでは」


 優陽はそそくさとラーストーの後ろへと隠れた。

 ケテルと言い、この世界は見た目で人を判断すると本当にひどい目に合う。

 ラーストーの後ろから優陽は再度、少年と目を合わせた。彼は未だ両手に芋の入った木箱を抱えている。一見すれば敵意はなさそうだ。

 

「ええっと……。私はシャレムって言うの。あなたは?」

「僕はグラトナスって言うんだぁ。シャレムお姉ちゃん。グラって、呼んでねぇ」

「グラくん?」

「うん」


 頷く姿は見た目の年相応で実に可愛らしい。

 次いで、優陽はラーストーを見上げる。こちらは全く可愛くない。


「『魔喰らい』ってなんです?」

「俺のちょっとした特技だ」

「パーティーで披露するような陽気な特技でないのは分かります」

「あれぇ? 『魔喰らい』って一族の呼び名じゃなかったっけぇ? 忘れちゃったぁ」

「どっちも信用するには不安過ぎる……!」

「そりゃヒデェぜ、お嬢。出会って間もないガキより信用ないのかよ、俺?」

「心当たりあるでしょ! 無いとは言わせないですよ!」


 優陽はラーストーを指さして憤慨せずにはいられなかったが今はそれどころでない。

 反対の方向へ首を傾げる少年に優陽は少しずつ歩み寄る。


「グラは竜人なの?」

「うん。お父さんが半分人間でぇ、お母さんが竜だよー」

「へ、へぇ……。そうなんだね……。半分って…………」

「シャレムお姉ちゃんは、お母さんとお父さん、どっちが『神殺し』なのー?」

「…………は?」


 シャレムの思考はにぱーっと笑う少年の笑顔によりフリーズした。

 まずい。非常にまずい。天羽優陽が未だ知らない事実の更新がここにきてまだあるのか。それが大なり小なり困るわけだが、下手をすれば全てが根底からひっくり返り兼ねないパワーワード。

 冷や汗を覚える優陽に対し、ラーストーは口笛を吹く。


「伊達に400年生きてねぇな。やけに鼻が利くじゃねぇか。父親が『神殺し』だ」

「当然のように応えてる?!」

「あ。すまねぇ。そういや言ってなかったな」

「もしかしてもしかしなくても私を当主として担ぐ前に言うべきことじゃなかったんですか?!」


 思わずラーストーに詰め寄る。その涼しい顔をひっぱたいてやりたい気持ちでいっぱいだったが、あいにくと彼の前でぴょんぴょんと跳ねるだけで終わってしまう。

 ラーストーは特に悪びれる様子もなく顎をさする。


「旦那様と奥様しか知らねぇからな。あとは乳母くらいか? お嬢には伝えるなって口止めされてたからうっかりしてたぜ。つか、お嬢こそ何も自覚なかったのか?」

「そんなん、ある訳…………」


 口にしかけて、真顔になる。

 あった。普通じゃないかもしれない自覚。

 それはアイギスと出会ったあの日。天羽優陽が死んだ日。悪夢の始まり。

 リュシオンの刺客と思わしき男からボッコボコにされた記憶があるのに、翌日の『シャレム・エストリンド』は青痣とすり傷程度の怪我で済んでいた。

 寒さの中で震えた日も数えきれない。でも、その度に風邪で済んでいた。その風邪も気付けば治っていた。

 子どもの体って丈夫なんだな。そう思うにはやや無理がある気は、していた。

 口角が引きつる優陽の様子にラーストーは肩を竦める。

 

「『先祖返り』ってヤツらしいぜ? 旦那様もそのヤベー力が開眼しないことには何も分からねぇって言ってたから説明もへったくれもねぇよ。まず、その力が目覚めるかも分からねぇし」

「ふわっとし過ぎにも程がある……!」

 

 優陽は頭を抱えた。自力で『シャレム・エストリンド』の記憶を思い出すしかない。とは言っても、ほとんどの記憶の棚は開いたことがあるはず。特に家族との思い出は強く残っている。それでも心当たりがないということは、ラーストーの言う通り。両親がシャレムにその事実を隠していたとしか思えない。

 あたふたしている優陽の様子にグラは体を揺らしながら眺めている。


「シャレムお姉ちゃんは面白い人だねぇ」

「ラーストー殿のせいで私がおもしろおかしい人になっちゃったじゃないですか!」

「事実だろ。エストリンドにこんなおもしろおかしい人間いねぇよ」

「まだ私で遊ぶ気なら怒りますからね」

「なるほど~。お姉ちゃん、エストリンドの人なんだねぇ」

「エストリンド家も知ってんのか、ボウズ」


 ラーストーはようやく槍を下ろした。

 グラもしゃがみ込んで芋の入った箱を下ろす。


「知ってるよー。神域の向こうからきた人間は少ないもん」

「しんいき、とは……?」

「こっからずっと西に進むと神域っつー、神の国との緩衝地帯があるのさ」

「この世界には神様の国があるってことですか?」


 不思議だ。リュシオンでは神に祈っているというのに。その神様が住む国も存在してるのか。

 グラはうんうん。と繰り返し頷く。

 

「神域の向こう側からやってきた人間は大体、大罪を犯して追放された人間だからぁ。こっちでも神秘には嫌われてるんだー」

「知らないところでマイナス値補正つら……」

「『神殺し』を犯した人間は血にその罪が刻まれるからぁ。だんだん血が薄まっていっても僕みたいに鼻の良い神秘だと、においで分かるんだよー」

「そ、そうなんだ……? ところで何か、その『神殺し』って、普通の人間と違いはあるの……?」


 急いでいるとは言え聞き逃してはいけない気がする。

 そしてできればもう少しはやくしゃべってくれたりするととても助かる。


「神様を殺せたから『神殺し』なんだよぉ」

「う、うん?」

「でも神様は人間よりずーっと丈夫だから神様なんだよねぇ。『神殺し』の血が流れてるだけの人間がいくら抵抗しても、ただの人間と変わらないから神様に殺されるだけだよぉ」

「ひぇ……」

「でもでもぉ、シャレムお姉ちゃんは器が『神殺し』で、中身は『狭間』だから、どうなるのかなぁ?」

「『狭間』……?」


 そのままの意味ではなさそうだ。

 ラーストーを見上げるが彼も肩を竦める。今度は意図的に情報を伏せている訳ではないらしい。

 以前、魔術を覚えようと思い立った時もそうだったが『シャレム・エストリンド』及び天羽優陽にもっとも不足しているものはこの世界の知識だった。なし崩しにここまで来てしまったおかげでアップデートが遅れている自覚はあったが思っていた以上に深刻だ。

 グラの前にしゃがみ込んだ優陽は首を傾げる。


「シャレムお姉ちゃんはこの世界の存在じゃないから、この世界の理に抵抗力があるねぇ」

「この世界……? 『狭間』って、もしかして……」

「お姉ちゃんはこの世界の神様からすごい嫌われてると思うなぁ。ひょっとしたら、この世界が排除したがる存在かも〜」

「いや、なんでそうなるの……?!」


 優陽は顔を覆う。好きでここにきた訳ではない上に存在が疎まれてるなんて理不尽が過ぎる。

 優陽の肩を叩き、ラーストーも2人の前にしゃがみ込む。

 まるでコンビニ前にたむろする田舎の不良。


「ボウズ。そっちの話しも詳しく聞きたいのは山々なんだが、ここにいた連中のことも聞かせてくれねぇか? 長話になるだろうから、砦まで一緒に来てくれんならお嬢がメシ作るぜ」

「そこは私なんだ?」

「わぁ……。ごはんを作ってくれるのぉ? 誰かが作ってくれるごはんなんていつぶりだろう……」


 ぱぁっと。少年の顔が輝く。400歳オーバーとはとても思えない笑顔だ。

 しかし自身が足元に置いた芋を見て、グラは首を振る。


「でも、お姉ちゃんたちにここの食料はオススメしないよー。僕は食べられるけど、お姉ちゃんたちはお腹が壊れちゃうからぁ」

「やっぱり、ここで何かあったの?」

「この辺りはあのでろでろのせいで魔に侵されてるからぁ。普通の人間があんまり長くいると、あっちにいた馬みたいにでろでろになっちゃうんだよー」

「一刻も早くここから出ましょうっ!!」


 一人勢いよく立ち上がる優陽を見上げ、グラは呑気に笑う。


「お姉ちゃんたちは大丈夫だよぉ。普通の人間じゃないから〜」

「嬉しいような悲しいような?!」

「お前さんが話しを聞かせてくれるならどこだって構わねぇ。俺もここに長居はしたくねぇからな」

「そしたらアロも呼ぶねぇ。呼べばすぐにくるから、ちょっとだけ待っててねぇ……」

「同伴者いたのかよ。ソイツも竜か?」


 目を閉ざすグラ。

 立ち上がったラーストーはやれやれと肩を回した。


「うん。アロは僕よりもっと長生きの竜だよぉ」

「え……? グラくんが400だから、600歳とか……?」

「何歳なのかなぁ……。千年とかかなぁ……? 僕もあんまり興味ないからなぁ……」

「桁違わない……?」


 突風が辺りに吹き抜ける。

 不意に辺りが暗くなった。乱れる髪を抑えて空を仰ぐと、そこには黒い巨大な陰があった。


「そうだよぉ。アロガントは原初の竜って呼ばれてたんだぁ」


 ゆっくり立ち上がるグラの隣で、優陽の口はまた閉じるのを忘れていた。

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