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55.晦冥

 サヘル・オルランドは焦っていた。

 全ての行動が命がけになるのは承知している。それでもケテルから聞いていた話しと違う。彼はラーストーという指揮官と直接やり取りをするとは言っていなかったし、竜の呪いで親友がここまで苦しむことになるとも言っていなかった。こんなことになるとは、何も。

 やはり自分たちは彼に利用されているだけなのではないだろうか。『彼女』と同様に。


「サヘル様……。お顔の色が優れませぬ……」

「大丈夫よ、レイ。少し、考え事をしていたの……。これくらいの魔除けを保つだけなら私一人でできるわ」


 かたわらで今にも倒れそうな従者へ、サヘルは笑顔を取り繕った。嘘ではない。彼女よりはよほど余力が残っている。

 部屋の外からは群がる魔獣が吠える声と、それを撃ち落とす音。そして城の中で忙しなく動く兵士たちの声がよく聞こえてきていた。

 部屋の中央に書き連ねたまじないを見下ろしてサヘルは唇を噛む。

 あくまで、自分は時間稼ぎしかできない。レイの呪いも、魔獣の襲来も。根源を絶たねばいつかはこちらの体力が尽きてしまう。

 ケテルはそれまでに女王を討つことができるのだろうか。

 

「サヘル様……」

「レイ……。あまり無理は……」

「私が……ユーヒ様を、お迎えに参ります……」

「…………」


 サヘルは彼女の目を見返す。口に出さずとも彼女には分かってしまうのだろう。

 静かに首を横へ振り、サヘルはレイの手を取る。


「私のまじないはあなたが離れると保ちません。ユーヒ様とアイギス殿を信じて待ちましょう」

「ですが、あの者は……。アイギス殿は呪いに対抗する術が、ございませぬ……。ユーヒ様のこと、アイギス殿を見捨てはしませんでしょう……。仮にアイギス殿がユーヒ様を説得できたとしても、ユーヒ様お一人でこの砦までたどり着くことは……」

「エストリンド家のラーストー殿がユーヒ様と合流していれば希望はあります。レイ、今はあなたを失う訳にはいきません」


 サヘルがその先を遮るとレイは再びうなだれた。

 

「……申し訳ありません。出過ぎた真似を…………」

「謝らないでちょうだい……。あなたの心遣いに感謝します」


 握り返された手を包む。荒れた手は血色が悪く冷たい。

 サヘルは唇を引き結んだ。

 まだ諦めてはいけない。彼女の話しではケテルが預言者を追い詰めたのだと言う。ケテルが預言者を討ち果たせれば、この呪いもとけるはず。女王が死んだとなれば国王もこのまま戦を続けるとは思えない。


「……せめて、どちらかを討つまでは」

「……承知しております」


 サヘルとレイは顔を見合わせて頷き合う。

 荒く扉をノックする音が部屋に響いた。レイが重い足取りで扉へ歩み寄る。彼女が開く前に扉は乱暴に開かれた。

 現れたフィオは額に汗を浮かべて部屋の中心で立っているサヘルへ目を細める。


「サヘル殿。結界を保ったまま、戦うことは?」

「……できます」


 息も荒いフィオの問いかけにサヘルは頷いた。

 対して、レイが弱々しく首を振る。


「なりませぬっ……。戦うならば私が……」

「足手まといにならないのであれば貴様でも構わん。……ためらわないと、約束できるならな」

「それは、どういう……」


 フィオの表情は暗くなる。その口調は苦々しい。

 外からは大きな咆哮が響いている。地鳴りを受けて燭台の火がゆらゆらと揺れていた。

 サヘルは立ち上がり、ストールを脱ぎ捨てる。


「レイ、共に行きましょう。フィオ殿、代わりに祈れる者がいれば、こちらの負担が減ります。私も前線で充分にお手伝いできるはず」

「……僧侶になりそこねた端くれがいたはず。代わらせましょう」

「頼みました」


 フィオに後を任せ、サヘルはレイと共に部屋を出た。レイは足早に進むサヘルの後をついて来たが、いつもの凛々しい顔とは程遠く、足取りは重い。

 砦の上へ出ると、兵士が魔除け越しに魔術や矢を四方へ放っている。

 ふたりはその中心で指揮をとるクリードへと駆け寄った。顔色が良くなったとは言い難いが、彼の声は耳障りな咆哮をかいくぐりはっきりと聞こえてきた。


「クリード殿」

「サヘル、手を煩わせてすまない。レイ・ジール殿は……」

「問題ありませぬ……」


 城壁の上ではクリードたちが魔術と弓矢によって迫りくる魔の手を退けていた。

 クリードは手にしていた弓を下ろし、レイを見据える。汗で髪を濡らしながらも彼女は頷いた。


「その言葉、信じていいのだな?」

「戦えます……。そのために、私はここへ……」

「戦う相手が、同胞であってもか」

「先ほどから何を、おっしゃって……」


 クリードの声音は低い。レイは言葉を詰まらせた。

 砦が地鳴りと共に揺れ、彼女の視線はぎこちなく足元に迫りくる獣の群れへと向かう。

 サヘルがレイの視線を追いかけると、砦を囲う魔除けの周囲をうろつく獣を無差別に攻撃している巨体があった。それはひとつではなく、あるものは一心不乱に獣を引き裂き、あるものは獣に襲われながら壁に向かい体当たりを繰り返している。

 翼はあるが四本の足を持ち、厚い鱗をまとう神秘の存在は、理性があるようには見えない。その体にはリュシオンが掲げていた旗印。そして輝く甲冑の一部が引っかかっていた。


「な、何が……。何が、起きて…………」


 レイはその光景を見ておののいた。

 サヘルも察した。それらは無差別に生命を食らう無数の獣とは違う。サヘルはその姿を絵物語で何度も見ていた。古の記録。神と対峙したとされるもう一つの神秘。原罪を背負う定めの生命。

 周囲から彼女へ向けらる視線には、畏れが混じっていた。


「さ、サヘル様……! わ、私を……! 私を今すぐに……!」


 自身よりもずっと逞しい体が膝から崩れ落ちる。

 悲痛な声にサヘルは渇いた喉へやっとの思いで唾を通した。

 顔を覆う彼女の頭を引き寄せ、サヘルは「大丈夫」と繰り返す。


「私がおります……。あなたは呪いに負けはしません。気を確かにお持ちなさい」

「ですが……! ですが、このままでは……! 私は、サヘル様まで……!!」

「今のあなたは信じる神を失い、不安でしょう。幼い頃の私もそうでした」

「私は……私は…………!」


 サヘルは自身の震える声をどうにかして抑えた。

 思い出すのは、故郷が灰になった日のこと。昨日まであったものがなくなった朝。

 それまで身を隠していたサヘルがその光景に呆然としている中。甲冑をまとったいくつかの陰が、重い足取りでいくつもの穴を掘っていた。

 その時のサヘルは彼らが何故、自ら手にかけた者の亡骸を丁寧に埋葬しているのか。まったく分からなかった。

 

「必ずしも神を信じる必要はありません。神を信じることが難しいのなら、他のものを信じても良いのです。私は家族の言葉を信じました。家族が信じる神を信じました。それだけは後悔したことがありません」

「サヘル様…………」

「私はあなたを信じています。あなたなら、きっと大丈夫」


 呼吸が落ち着いてきたレイの手を取り、サヘルはその甲を額に引き寄せた。


「私を信じて下さい、レイ・ジール。私があなたを守ります」


 しばしの間の後。サヘルの手が握り返された。

 レイは頭を垂れたまま、絞り出すかのような声でサヘルの名を紡ぐ。


「惨めな姿をお見せして……。申し訳ございませんでした……」

「知った者の不幸を目の当たりにして、心を痛めるのは何ら恥じることではありません。私だって、あなたの優しさに救われてきたのですから」

「……私にご命令ください、サヘル様。このレイ・ジール、あなた様のお言葉を信じ、戦いぬいてみせましょう」


 こちらを見上げる顔はまだ青かった。

 しかし、こちらをまっすぐにとらえている彼女の瞳にサヘルは心から安堵する。

 クリードがサヘルへ手を差し出した。サヘルはその手を取り立ち上がる。


「こちらに何かできることは」

「……残念ながら、私には預言者の呪いの影響を減らすことしかできません。あの姿から預言者の呪いの影響を減らそうにも、時間がかかり過ぎてしまいます。……彼らを戻すことは、難しいでしょう」

「同胞のことは……自分が始末をつけます。皆様のお心遣い、痛み入ります……」

「こちらこそ、その覚悟に感謝する」


 クリードは頭を下げると、新たな矢束を手に指揮へ戻った。

 怒号が響く中、今度はサヘルがレイの手を引いて立ち上がる。


「行きましょう。ケテルの悪夢を、終わらせなければ」

「はい。承知しております」


 レイは頷き、剣を抜いた。

 サヘルが見守る中、彼女は大きく跳躍し、混沌とした白い大地へと下りる。

 振り払った剣から炎の柱が湧き立ち、雪も魔も、そして同じ血を引く巨大な陰をも焼き尽くす。辺りを煌々と照らす炎は城壁の上にいるサヘルの肌をじりじりと焦がした。

 炎が落ち着くと、焦げたにおいが辺りに立ち込めていた。大地に立つレイ・ジールの周辺だけが、黒い焼け野原と化している。


「…………!」


 そこへ近づいてくる人影が見えて、サヘルは息をのんだ。自身の目を疑いながらも迷ってはいられない。

 慌てて城壁を下りようとしたサヘルの腕をクリードが掴む。


「クリード殿……!」

「分かっている。指揮は他の者に任せた。俺も行く」


 クリードはサヘルを抱えるとそのまま城壁から飛び下りた。

 口笛を吹いた彼に応えるように一頭の馬が駆けてくる。

 クリードがサヘルを引き上げて乗せようと手を差し出す前に、彼女は自力で馬へ跨った。

 クリードは笑みをこぼしながら馬を走らせる。


「意外に気が合うのかもしれんな。悪いが手綱を頼んでも?」

「一人で馬にも乗れないようでは女がすたります」


 サヘルの回答にクリードは笑みを深めた。

 

「サヘルは馬から援護を」

「お任せください。絶対に、死なせはしません」


 城門の前まで辿り着いたクリードは駆ける馬から跳び下り、剣を構えたレイの隣で同じく剣を抜く。

 レイはちらりと横目でクリードを見て、険しかった表情を和らげた。


「貴族の男児がそのような荒い馬の乗り方をされるのは初めて見ました」

「兄上には悪いが、武芸で俺に勝てる身内などいないからな。落馬する度にスロースの説教を長々と聞いていた甲斐があった」

「頼もしい限りにございます」

 

 サヘルはふたりから少し距離を取って馬の速度を落とす。

 一人、静かにこちらへやってくる男は豪奢な甲冑を身にまとい、白い外套を冬の風になびかせる。不思議と、その男が砦へ近付くに連れ、魔獣たちはこちらから距離をとった。

 男は足を止める。

 クリードは声を張った。


「リュシオン国王、モルオク・ミトロン殿とお見受けする」

「いかにも」


 男は簡潔に答えた。

 そして腰の剣を抜く。磨き抜かれた刀身にクリードの姿が映し出される。


「私はモルオク・ミトロン。リュシオンの国王。その私に剣を向けた意味はもう分かっていよう。フロスト家の後継よ」

「私はあくまで兄であるデューク・フロストの代理として貴殿との交渉をしにきた。何故フロスト家の事情に介入し、あまつさえ侵攻されたか」

「フロスト家が行うべき選択をしているのはクリード、貴殿であってデュークではない。実質、フロスト家の未来は貴殿の選択にかかっている」

「例えそうだとしても、兄上なしにフロスト家は立ち行かない。俺ができないことを兄上がなさり、兄上ができないことを俺がする。何をするにしても、神のご意思にお伺いを立てる貴国には分からんだろうがな」


 クリードは眉を潜めた。

 モルオクの声は平坦で、会話と言うよりは台本通りに言葉を読み上げられているだけのように聞こえる。


「貴殿が引き連れていたはずの者たちはいかがされた。貴殿に与えられた加護を必要としているのではないか」

「見ての通り、貴様ら背信者が射殺し、消し炭にしおった。憐れなことよ。神のお役に立つ機会さえ与えられぬとは」

「それは、どういうことだ……」


 頭を振る男にクリードは絶句した。サヘルも堪らず、黒く焼けた大地を見下ろす。

 レイ・ジールの柄から赤く細い一筋が伝っていく。


「まさか……。アレらは貴様が率いていた者たちだと……? 貴様は自らに忠義を尽くす者たちを魔獣の餌にしたのか……?」

「餌では、ありませぬ……」


 語調が荒くなるクリードの隣で、レイは唇から血を流しながら声を震わせた。


「アイギス殿と出会い、ケテル様がその存在を自分たちに伏せていたと気づいた時から……。嫌な予感は、しておりました……。アイギス殿は確かに我らの同胞……。しかし、酷い嫌悪感があった……。私の中の竜の血が、本能的にアイギス殿を警戒しておりました……。恐らくは、他の同胞も同じ気配を感じ取った……。分かっていながら、それでも気のせいだと、思い込むことにしました……。だからアイギス殿はこれまで同胞と接してこなかった……。アイギス殿は、気付いておられたのでしょう……。私たちが、見て見ぬフリをしていることに……」

「嫌悪感……?」

「アイギス殿には、魔獣の血が流れております……。」


 レイの言葉に、サヘルは自身の血が凍りつくのを感じた。寒さからではない。その証拠に、彼女の額からはとめどなく汗が流れていた。

 クリードは瞠目し、レイとモルオクを交互に見る。


「馬鹿な……。人間と竜と、ましてや魔獣の血を引く人間など、どうやって生まれるというのだ……」

「預言者様は、生態を調べるためと称し、捕らえた魔獣を使役しておられます……。そして、本来は長命なため子孫を残すことに疎い竜の一族の血が絶えぬよう、管理されているのも女王様です……。私は幼い頃から騎士となると定められたため、胸を切り落としました……。しかしそうでない女は、必要な伴侶を神官たちが用意するのです……」


 サヘルは込み上げてくる吐き気に口元をおさえた。

 ケテルは教えてはくれなかった。いや、きっと教えたくなかったのだ。

 自らの両親がサヘルの親友にしてきた仕打ちを。忠義を尽くす者たちに行われた仕打ちを。彼は、赦すことができなかったのだ。だから、彼は決意した。サヘルには到底できなかった覚悟を、彼は貫く決意をした。

 歯を食いしばり、クリードはモルオクを睨みつける。


四騎光(しきこう)の一角である『蒼麗(そうれい)』の名を冠する竜の一族が消えたのもまた、貴様らが魔獣へ作り変えたのか……?」

「随分と昔の話しを蒸し返すな。あの背信者は我々のやり方を知って意見してきた。もう役には立ちそうになかった故、殺した。目せしめのつもりだったが、まだ十数年も経たぬ内に同じことを繰り返す愚か者が現れた。竜が聡いと言うのは、真実ではない」

「……ディール家は、貴様らの真実を知って国を出たのだな」

「真実は何も変わりない。全てにおいて聖リュシオンの言葉が正しい。それだけだ」

「そのような正しさなど……!!」


 とび出したレイ・ジールは炎をまとい、モルオクへと剣を振り下ろした。

 

「あってたまるものか……!!」

 

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