54.抵抗
クリードは近付いてくる足音に気づいて口を閉ざす。
サヘルもまた澄ました顔で再びストールを肩へかけた。
「クリード様。こちらにいらっしゃいましたか」
「フィオか。どうした」
足早にクリードの元へやって来た彼女はサヘルを見てわずかに眉を持ち上げた。
ストールを直したサヘルはにこやかに頭を下げる。
「おはようございます、フィオさん。本日もお勤めご苦労さまです」
「……ラーストーの部隊がこちらへ合流いたしました」
「シャレムたちを連れてか?」
クリードが視線で促すのでフィオはしかめっ面で答えた。彼女は苦々しげに続ける。
「いえ……。どうやらすれ違われたようなのです……。何やら肝心のラーストーは単独で国王の元へ向かったとのことで……」
「どういうことですか?」
うって変わり、サヘルが鋭く問いかけるとフィオはクリードへと目配せした。
クリードは2人を連れ、近くの倉庫へ移動する。錆びた鉄のにおいに満たされた室内は薄暗く、扉を閉めると目の前にいる互いの姿もおぼろげだった。
「何があった」
「エストロランドの部隊へケテルが接触してきたとのこと」
「ケテルが、ですか?」
「聞いていないのか」
「聞いていたらこのようにシャレム様の心配でヤキモキなどしておりません……!」
サヘルは唇を引き結ぶ。
やはりケテルはこちらへ預けるとしたサヘルやレイにでさえ全てを伝えてはいない。味方と位置付けるにはまだはやいようだ。
思い浮かぶ最悪の結末を振り払い、クリードは険しい表情のサヘルをなだめた。
「それで? ケテルの用件は?」
「ジャラスの部隊がエストロランド勢へ奇襲を仕掛ける算段をしている。そのため接敵する場所を伝えるので返り討ちにしろ、とのこと。さらにラーストー以外の人員は国王との戦いでは足手まといになりかねないので、国王を討つまでは我々と砦で戦うように指示された。……以上です」
「敵の位置が分かっていればこちらも奇襲は仕掛けられるだろうが……。竜人の部隊を不意討ちだけで退けられるものなのか?」
「当初、ラーストーも乗り気ではなかったそうです。が、数で不利なのは確実。早急にこちらと合流するためにも、フロスト家の一件も踏まえ、ケテルの話しに乗ったとのこと。……表向きの言い分は」
フィオは何か言いたげに締めくくる。
クリードもサヘルへと視線を向けた。彼女は目を閉ざし、ゆっくりと思い出すように言葉を繋いだ。
「おそらくは、ですが……。竜騎士の身につけている甲冑や武具にはリュシオンの加護が宿っています。ミトロン家の血筋である者は、それを無力化できるのだそうです。ケテルのことですから、何らかの方法でその力をラーストー殿へ与えたのでしょう。レイの使っていた甲冑などもケテルが加護を解いた後、川へ沈めるよう言われました」
「だとすれば……。ミトロン家の血が竜にかけられた呪いを解くことができると言う話しも信用できそうだな」
「それよりも、ジャラス殿の部隊がこちらでなくラーストー殿の部隊を襲撃しようとしていたことが問題です。シャレム様は鉢合わせなどされていないでしょうか……」
サヘルの声がだんだんと小さくなる。
フィオはクリードへ向かって頷いた。
「前日にケテルの助言通り奇襲部隊を撃破し、この砦まで順調に辿り着いた、と申していました。シャレム様が拾われたあの竜人はラーストーの気配を追うと申しておりましたので、シャレム様は単独で動いているラーストーを追いかける形になっているのでしょう」
「話しの様子からして部隊に損害はなさそうだが、その夜襲部隊にジャラスはいなかったのか」
「夜襲部隊は20名ほどの竜騎士だったそうです。それもラーストーが全て討ち果たしたと申していました。その中に黄金の鎧をまとう騎士はいなかったそうです。真偽は定かでありませんが」
鼻を鳴らすフィオ。
クリードは彼女の報告を一通り聞き、口元へ手をあてる。
顔を伏せているサヘルにクリードは首を傾げた。
「主戦力であるはずのジャラスの部隊をこちらの本隊ではなく、規模が劣ると分かっているはずの別働隊へ割くのは道理が通らない」
「そう、ですね……。ジャラス殿の得意とする戦は守ることだと聞いておりますし……。何故、わざわざ国王自ら彼を遠ざけたのでしょうか……」
「まさか、シャレム様が砦を出て行かれたのが……」
「シャレムを追っているのだとすれば、未だこんな籠城に付き合ってはいないだろう。シャレムを捕虜に砦を明け渡すよう取引するのがよほど楽だ。俺達を皆殺しにせねば気が済まんのでなければな」
フィオの言葉に返しつつも、クリードの眉は無意識に中心へ寄る。
サヘル・オルランドとレイ・ジールが離反したことは、フロスト家から送られてくるはずの人質が来なかったことでリュシオン側も気付いているだろう。その黒幕がケテルであることまで知られていてもおかしくはない。
そんな状況で最も戦力として重要な人員を、わざわざ遠ざけるのはそれなりの理由があるはずだ。
冷気と共にまとわりつく嫌な予感に寒さも薄れる。
「何故、ケテルがラーストーへ接触することを隠していたのかも気になるが……。この砦を放棄することはできない。ここを抜かれてしまえば兄上のいる城まで一気に攻め入られる可能性がある」
「国王が動くまで様子を見ますか」
「ああ……。これからさらに雪が深くなればリュシオンは撤退せざるおえない。加えてラーストーが敵の本陣で暴れ出せばここからでも分かる。我慢比べだ」
「シャレム様のご無事を知る術はありませんでしょうか?」
「シャレムが死んだら死んだで今度はアイギスが暴れ回る。さすがにアレを見逃しはしない」
そう自分へも言い聞かせた。
クリードは祈るサヘルの肩を叩く。
今は彼女を背負って出て行った、あの男を信じるしかなかった。
クリードが改めてそう伝えようとした所へ、駆け足が近づいてくる。扉の外が騒がしいことに気付いたクリードたちが部屋を出ると、武装したレイ・ジールがこちらへ気付いて駆け寄った。
彼女の声は硬い。
「サヘル様、クリード様。火急の件にございます」
「攻めてきたか?」
「いえ……。国王軍より悪いものが……」
言葉を濁すレイへ、サヘルが生唾を呑み込んだ。
「……『月』が昇りましたか?」
重々しく、レイは頷いた。
クリードのかたわら、フィオの顔が強張る。
レイに促され、クリードたちは階段を駆け上り、物見櫓へと上がった。雪原の銀世界は様変わりしていた。
薄紅に燃えていたはずの明けの空は暗い雲に覆われ、南の空には黒い穴がぽっかりと空いている。
フィオが唸るように声を発した。
「また……。このようなタイミングで……」
「やはり、アイギスの予想は当たっているようだな……」
クリードはレイを見上げる。
今の彼女は以前よりもずっと軽装だった。急所を守る最低限の防具に、相変わらず身の丈ほどの大剣を事もなげに担いでいる。
「リュシオン軍の動きはどうだ」
「ございません。国王様には聖リュシオンの加護がございますが、離れ過ぎればリュシオン軍の者とて魔に襲われます。恐らく、今ごろは分隊を含め、国王様の周囲に集まり、魔除けの結界術を設けているかと思われます」
「互いに身動きが取れないということなら構わん。フィオ、皆を早急に砦へ連れ戻せ」
「かしこまりました」
クリードから指示を受けたフィオは身をひるがえし、階下へと駆けていった。
続けてサヘルへ視線をやると彼女はクリードより先に口を開き、砦の周囲をなぞるように示す。
「私一人で砦全体を魔除けで囲うには少々お時間をいただきます。先に地上を優先して魔除けで囲い、徐々に全体を覆っていくのが得策です」
「俺達は飛来する魔物に集中すれば良いということだな?」
「はい。それならば大群が押し寄せる前に魔除けで砦を覆えるかと」
「承知した。必要な物があれば言ってくれ。大役を引き受けていただき感謝する」
「少しはお役に立てそうで何よりです」
「では、自分はクリード殿を援護いたします」
「ああ。俺は弓兵部隊の指揮をとる。頼んだぞ」
サヘルは微笑む。
クリードは急ぎ、レイ・ジールを連れて見晴らしの良い櫓へと向かおうとした。
サヘルとレイがいなければ、押し寄せる魔獣の群れをやり過ごした後にリュシオン軍と交戦するなど到底不可能だ。ケテル・ミトロンはこの事態を想定したと考えるのが自然である。では、何故これまでフロスト家やエストリンド家に接触せず、単身で抗っていたのか。始めから彼の協力があればそもそもここまで追い詰められることもなかったのではないか。
クリードの脳裏からはどうしてもケテル・ミトロンに対する疑念が拭えなかった。
クリードは頭を振り、弓矢を準備するよう声を張り上げようとした。
そこへ何かが押し寄せる。
彼は全身を手でまさぐられるような不快感と、激しい頭痛に見舞われた。内側からその何かが彼へ話しかけてきている。おぼろげな声はクリードを叱咤しているが、聞き取れはしない。
堪らず足を止めたクリードの横で、レイ・ジールが崩れ落ちた。
「っ……あ、頭がっ…………」
「っ…………」
嫌な予感が現実となり、脂汗が浮かぶ。
異変を感じ取ったサヘルが駆けよってきた。彼女は崩れ落ちる自身の従者とクリードを見て息を呑む。
「レイ……! レイ、私が分かりますか?」
「サヘル、様……。危険です……。預言者様が……我々に、城へ……戻れとっ…………」
吐き気を催す中、クリードはかろうじてレイのうめき声を聞き取った。
サヘルはレイの顔を覗き込み、その額や頬へ手をあてる。
「我々とは、私とあなたへ呪いが……? ですが、私は何とも……。それに、何故クリード殿まで……」
「竜です……。竜へ……呼びかけを……。預言者の身が……危ういと……。恐らく、ケテル様と紫睡の者、が……」
「……分かりました。クリード様、レイの隣へきていただけますか?」
「っ……すまない…………」
サヘルの手に引かれ、クリードは膝をつくレイの隣へ腰を下ろした。
サヘルは2人の前へ膝をつくと両手を組み、目を閉ざす。クリードの知らない祝詞を彼女が唱え始めると徐々に徐々に、クリードの頭の中の声は遠ざかり、頭痛もひいていく。
クリードは額の汗を拭った。
「いかがですか、クリード殿」
「……だいぶマシになった。礼を言う……」
それでも不快感は消えない。思考に霞みがかかっている気分だった。ひどい倦怠感と吐き気は気を緩めると意識が遠のく。
しかし眠っている場合ではない。彼らの異変に気付いた周囲の兵士が彼の名を呼んでいた。
ふらつきながらも立ち上がる彼の隣でレイは未だ冷や汗を流している。
「申し訳ございませぬっ……。猶予のない状況で、このような……」
「レイ……。あなたは悪くないわ。ケテルは分かっていて、私を連れて行かせたのでしょう……。おそらくクリード殿はあなたへかけられた呪いにあてられたの……。そんな強力な呪いを受けていて、まともに動ける人なんていやしないわ」
「しかしっ……このままでは……」
立ち上がろうとしたたくましい体が傾き、サヘルが彼女を支えた。息の荒いレイは憎々しげに歯を食いしばる。
クリードは深呼吸を繰り返し、周囲からの心配の声を手で制した。
「俺は、動ける……。レイ・ジール殿、あなたはサヘル殿の護衛に回ってくれ。迎撃の指揮は俺がとる」
「クリード殿……」
「案ずるな……。剣は振れる……。それよりも、すまないが皆のために、急ぎ魔除けを……」
空を覆う黒い雲はさらに濃く、重苦しい空気を漂わせている。金切り声や、獣の吠えるような声が無秩序に響いていた。
サヘルは立ち上がり、表情を引き締める。
「かしこまりました。レイ、私の護衛を頼みますよ」
「承知、いたしました……」
うなだれるレイを連れ、サヘルは室内へと戻っていった。
クリードは声を張り上げる。
「魔術部隊と弓兵部隊は急ぎ配置へつけ……!」
クリードは胸をおさえた。
最悪の自体を想像して心臓が鼓動の速度を上げている。
『彼女』と共に出ていった彼には対抗する術がない。しかし『彼女』は彼と共にいなければ魔獣へ対抗する術がない。
クリードの視線は無意識に馬屋に向いていた。
「……今は、ここを守れ」
クリードは奥歯を噛みしめる。
兄から預かったものを失う訳にはいかない。どちらにせよこの砦が落ちれば助けに行くこともできない。
自身へ何度も言い聞かせ、悪い予感を振り払う。クリードは息を吐いて手渡された弓へ矢をつがえる。
睨みつけた空には闇が蠢いていた。




