52.無い知恵を絞ってもそこに無いものは無いですね
『黒い月』。あるはずのないふたつ目の月。空に浮かぶはずのない穴。魔が溢れ出す根源。
それはリュシオン王国に時おり現れては魔獣を吐き出しては消え、災いを周辺国へとばら撒く。
「それはもうダークなファンタジーだよ……」
字面だけでもアカンやつ。
優陽はアイギスの背中でぼやく。
曇天の空にぽっかり空いた黒い穴から、オイルが溢れる様に地面に向かってぼたぼたと何かが流れ落ちていく。遠目に見ていると塊にしか見えないが、それらが散り散りになって四方へ広がっていく様子を見れば個々に意思があることが分かった。
3人は太い木の陰へ身を寄せ、そんな空を眺めている。
優陽は「そもそも……」と遠慮がちに切り出す。
「この世界だと魔獣とか魔物ってどういう生き物なのかちゃんとご説明していただいてもよろしいでしょうか……」
「さぁなァ。俺は学者じゃねぇから詳しくないぜ」
「魔獣は魔獣だ」
「命を脅かしてくる相手にそんなざっくりな認識で生きてるの……?」
逆に首を傾げられるとは予想外である。そこまで身近な存在だと言うならそれはそれで怖い。
木へ寄りかかったラーストーは顎を擦る。
「大雑把な説明で良いなら、生物なら何それ構わず食う節操なしさ。北の果てにデカい巣があって、そこから湧いて出てくるんだと。あとは……。個体差もあるが、アホみたいな力と、魔法を使える。ちょっと頭の良いヤツになれば言葉を話して人間をそそのかす。だから戦の最中に出てくると面倒、って感じだな」
「大雑把な説明だけでも充分ヤベーのは伝わりました」
やはりかなりの脅威で間違いないだろう。
自分が今でも生きていることが本当に不思議でならない。
優陽はアイギスの背から頭をのぞかせた。
「はやく撤退しないと、敵軍と魔獣から挟み撃ちされるってコトですよね?」
「そう言うことだ。敵に対処しながら相手なんてしてらんねぇ。今回は籠城できる砦があるから、魔法に対抗できないヤツは中に押し込めて、戦えるヤツが遮蔽に隠れながら数を減らすのが常套策だな」
「ふむふむ……。私たちは戻った方が良いんでしょうか……?」
優陽はアイギスへ視線を落とした。
自分は当然、ただのエサだ。ラーストーとアイギスは戦えるだろうが、あの数を相手にするのはいくらなんでも危ないはず。
ぱちりと視線が合った後、彼はラーストーへと向き直る。
「……預言者は今回の戦で『黒い月』が現れることを分かっていて、国王を出陣させているはずだ」
「そっか……。アイギスの話しからするとたぶんそうだよね」
「クリードの旦那から俺も聞いたけど、預言者サマは月の満ち欠けが分かるんだって? もしくは月を預言者サマが出してる?」
「俺は後者だと思っている」
以前、アイギスがフィオに話した。魔物の領分であるはずの『黒い月』の動向を、預言者である女王は知っているらしい。だから女王は人間ではない。それが本当だとすれば女王は一体何モノなのか。答えはまだ出ていないが、このタイミングでこの厄介なイベントが発生したことで嫌な予感は確信へと変わってきていた。
アイギスは声音を下げる。
「だが、恐らく千里眼のように一度使うとしばらくは使えない。その制限がなければこの大陸はとっくに魔獣の巣窟になっている」
「なるほど。未来を覗く千里眼は間違いなく魔術でなく魔法、神秘の域だ。少なくとも体が人間なら、乱発すれば体がもたねぇわな」
「いくら国王がリュシオンの加護によって魔獣を避けられるとは言え、他の奴らにその加護はない。魔獣を『黒い月』によって大量に召喚すれば、向こうも陣地から身動きがとれなくなる。そこまでバカじゃないだろう。つまり、月が立て続けにのぼることも、魔獣を底なしに呼ばれることもない。ヤツらは俺たちを砦へ追い立てるために『黒い月』を浮かべた」
「おー……。アイギスすごい……」
「お前はもう少し頭を使え」
「すいません……」
そっけない返答に優陽はすごすごと謝罪した。
とは言われても、こちらの世界の基本情報を丁寧に学ぶ時間は今までないに等しかった。その日暮らしをしていた時も、素性を隠していたため知らない人間に話しかけることもできず、買い物もアイギスが同伴。やり取りも全て彼が行っていた。
魔法や魔術に至っては学ぼうとしたら拉致されて結局よく分からないままだ。
知らないことを知らないとは難儀である。義務教育の偉大さを痛感する。
小さくなる優陽の横でラーストーが息をつく。
「アイギス君の推測通りだとすれば詰むだろうな、この戦」
「ど、どうして……?」
「リュシオンの加護とやらで国王サマの軍は無傷だ。対して俺たちは魔獣を防ぎきったとしても、国王軍が追い打ちをかけてくる。砦から出ようにも囲まれちまった後じゃそう簡単に前線は押しあげられねぇ。ついでに砦へ火でもかけられたら全員蒸し焼きだ」
「急いでどうにかせねば……?!」
「どうにかするって言ってもなァ」
ラーストーは首を傾げる。
何故そんなにも他人事でいられるのだろうか。
アイギスは常に辺りへ視線を滑らせていた。
空を飛ぶ黒い点は徐々にその数を増やしている。
「魔獣の数と動きがどうなるかでコッチの動きも変わる。預言者サマは魔物の使役もできるのか?」
「使役しているモノもあるが、月から湧く魔物は知らない」
「でも、もし使役までできるなら……。ふぇにき、あーす……? フィオの故郷が攻められた後、行き場を失くしたフィオたちも無事じゃ済まなかった気がす……」
「お。そうそう。いいぞー。その調子、その調子」
「なんか、すごい、腹立つんですけど……」
思わずこぼした優陽のぼやきもラーストーにはどこ吹く風。
生き残るためにも知恵を絞らねば。
優陽も頭をひねる。
ケテルはリュシオン国王を討つ機会を作ると。そのためには国王が留守の間に、彼が預言者である女王を相手取る計画のようだ。それまでは国王を足止めし、時間を稼ぐことが当初の計画。しかし、死んでしまっては元も子もない。計画はあくまで計画であって、状況が変わった今、意固地にこだわり続けても仕方ないだろう。
国王はまず、魔獣の群れを使ってこちらの軍を砦に閉じ込める気らしい。確かにこれなら別働隊で国王軍の不意を突くことも、挟み撃ちにもできなくなる。
もしかしたらジャラスはそのための時間稼ぎに使われていたのかもしれない。下手をすれば彼と、彼が率いていた部隊は本隊へ合流する前に魔獣の群れから襲われる可能性も充分にあるというのに。
「不遇が過ぎる……」
思考がそれていやいや、と頭を振る。
今は自分の心配をせねば。またクリードに怒られてしまう。
不意に、彼女の背筋に寒気が走った。怖気と呼んでも良い。得体の知れない波が一瞬、彼女を呑み込んだ。
慌てて辺りを見回すも、特に変わった様子はない。
「……なんか、気持ち悪くありませんでした?」
「お嬢も感じたか? なら、俺の気のせいでもなさそうだな」
ラーストーも同様に辺りを見回していた。
未だに鳥肌が治まらず、優陽は身震いする。気のせいや風邪ではなさそうだ。ではいったい何だったのか。
優陽が不安に駆られていると、今度は途端に視界が低くなる。驚いて声を上げる間もなく、白い地面が目の前まで迫ったので息を呑んだ。
「あ、アイギス……?! 大丈夫?!」
彼はとっさに腕をついて体を支えたらしかった。
優陽は脚をばたつかせ、雪に顔を突っ込んで膝をつくアイギスへ問いかける。聞こえてくる唸り声は以前、彼が呪いにうなされていた時のそれだった。
もがく優陽を見かねたラーストーが自身の短剣で優陽とアイギスを繋いでいた紐を切る。
「具合が悪いの……? さっきのなんか気持ち悪いヤツのせい……?」
ラーストーに助けられた優陽はアイギスのかたわらへ膝をついた。彼の顔色を見ようとその肩へ触れる。
アイギスは顔を覆ったまま僅かに頷いた。
「……ケテルが、あの女を追い詰めた」
「え……?」
苦しげなうめき声に混じっていたのは笑みだった。
初めて、彼の笑顔を見たかもしれない。
「バカだな……。焦って、とっさに身を守ろうとした……。いい気味だ……」
渇いた笑い声は、心底嬉しそうで。優陽は言葉を失った。
ラーストーがアイギスの代わりに辺りを警戒しながら会話を続ける。
「ってことは、さっきのは預言者サマの魔術か?」
「呪いだ……。竜にかけられた、のろい……。ケテルに追い詰められて、逃げようとしている……」
アイギスは笑みを消し、ラーストーを見上げた。
噴き出した汗が顎を伝う。
「国王を殺せ……。女王が、自分を守らせるために……強制的に、竜を集めている……」
「逆を言えば国王の周りは手薄になる、ってか。アイギス君はどうする?」
「置いていけ……。時間は稼げても……。抵抗し続けられるかは、わからない……」
「そうかい。暴れまわるならリュシオンにしてくれよ」
「え……」
呆然としていた優陽はラーストーに担がれる。
我に返ってアイギスへ呼びかけるも、彼はよろよろと立ち上がり彼女へ背を向けた。
「自分のガキに、ころされかけてやがる……。いい気味だ……。本当に……こんなに気分がいいのは初めてだぞ、母上さま…………」
「…………」
うわ言を繰り返して離れていく背を、優陽は引き止められなかった。
ラーストーは優陽を肩へ担いで走り出す。あっという間に、丸まった背中は見えなくなる。
雪原には冷たく、重苦しい空気が漂っていた。
「アンタにやれることはアイギス君を助けることじゃねぇぜ、お嬢サマ」
もっともな意見だった。
この悪夢を止められる人間はそういない。その中に自分が入っているのは全くもってタチの悪い冗談だ。
目元を擦り、優陽はラーストーの背に腕を回してしがみつく。
「……ラーストー殿は何で『シャレムちゃん』にこだわってるんですか」
「それ、いま答えなきゃダメか?」
「あなたが私に命をかけるのに、その理由も知らないのは……。よくないと、思う……」
「はぁ、なるほど……? また律儀なこった」
ラーストーは生返事を返す。
優陽は鼻をすすった。
「旦那サマにはフラフラしてるトコを拾ってもらった恩やら何やらがあるがなァ。だが、お嬢にこれと言った借りも思い入れも何もねぇ」
「…………」
「俺は『アマバ・ユーヒ』が『シャレム・エストリンド』を演じる気がまだあるからその通りに従ってるだけだぜ。アンタは戦うと決めたんだろ? なら、俺もそれに従うさ」
隻眼と視線が交わる。彼の口角が緩やかに持ち上がった。
「深い意味はねぇよ。気まぐれってヤツだ」
「……気まぐれに、命をかけるの?」
「いちいち理由つけて行動してんのか? そんなんじゃ疲れるぜ」
「それ、後悔したりしない?」
「始めることを選んだのは俺だ。俺がそうしたいと思ったから始めた。途中で間違ってたって分かったなら素直に受け入れて止めりゃあ良い話しだ。生きてりゃ間違えなんて腐るほどあるさ」
ラーストーは枯れ木の合間を縫い、雪を蹴散らしながら曇天の下を駆ける。
「どうせ死ぬなら、やりたいことやって死なねぇともったいねぇしなァ!」
「……そっか」
ラーストーは笑う。
顔にかかる雪が火照った目元を冷ましていく。
目を閉ざし、渇いた唇を噛みしめると、苦い味がじわじわと広がっていくのを感じた。




