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51.ヒツジとヤギとオオカミと

 これほど美しい朝焼けに感動できないシチュエーションがあるだろうか。

 結論、ある。


「お嬢、竜人はやめておけって。確かにどいつもこいつもツラは良いけどよぉ。基本的に冗談通じない、融通きかない、甲斐性ない。の三拍子だぜ?」

「たぶん皆、ラーストーには言われたくないって思いますよ」


 こちらを見上げてくる男へ優陽は素直に答えた。

 ラーストーの隣へ着地したアイギスはじとりと彼を睨む。


「お前が率いていたヤツらはどうした」

「国王の奇襲部隊ならこっちでキレイに片付けておいたぜ。もしやここにいる全員、ケテルから何も聞いてないんで?」

「……ラーストー、ケテルと会ったの?」


 ここで聞くべきではなかったかもしれない。けれどもその名が出てきては聞かずにはいられない。

 さらに首を横へ振るアイギスの反応に、ラーストーは声を上げて笑った。

 こちらの様子を伺うジャラスを横目に、彼は自身の槍をもてあそぶ。


「すかしたガキだとは思ったが、とんだ茶番だぜ……」

「お前、ヤツと何を話した」

「お嬢に誤解のないよう言っておくが、接触してきたのは向こうからだぜ。俺たちがこっちへ向かっている途中に、フロスト家のいざこざが落ち着いたんでってメガネ君つれて現れたのさ」


 愉快だと言わんばかりにラーストーは隻眼を細める。

 その視線の先にはジャラスがいた。


「そこの金ピカの兄さんを俺に叩けってよ」

「…………」

「敵の迎えうつ場所なんかを俺へ助言してとっとと消えた。この場合、助言っていうよりは密告か? で、予定通りに夜襲を受けて返り討ちにしたのさ。その後、俺に別行動をとれ、ともな」

「……不意をつくなら少数の方が良い」

「さすがにアイギスくんは勝手が分かってる。俺だけがここへ来たのはそいうコト」


 ラーストーが大仰に肩を竦めてみせる。

 ジャラスは動かない。

 優陽も下手に口を開きたくなかった。

 彼はラーストーの言葉の真偽を吟味しているはずだ。この場に彼が率いてきた人間が1人もいないとなれば、彼の発言がジャラスを動揺させるためのブラフという可能性もある。しかし、優陽はラーストーの言葉に嘘はないと感じていた。

 国王軍との交戦はクリードやレイ・ジールの実力を信頼しているにしても無理難題に違いない。できる限り避けたい選択肢。それでもどこかで必ずぶつかる。今やリュシオンの国力とつり合う国はどこにもない。そしてその打開策として、ケテルはラーストーを選んだ。スロースの口から「ラーストーには気をつけろ」と言わせておきながら、この男を放置していたのはそのためだろう。

 ケテルは竜騎士をまとめているジャラスの実力をよく知っている。生半可な人物では彼の相手が務まらないと考えた。だが、スロースにもレイ・ジールにもすでに役割が与えられている。アイギスはまだ保留中。と、なれば残ったのがこの男。


「自分が散々めんどうみてやったガキから裏切られるなんてヤだねぇ。こわいこわい……」


 ヘラヘラと笑い、他人の神経を逆なでするのが得意なこの男も、実力だけは確からしい。竜の姿となっていたアイギスに傷を負わせたのは何を隠そうこの男である。

 ケテル・ミトロンなら、やりかねない。優陽は確信めいた不愉快に苦虫を噛んだ。

 とっさにアイギスが優陽を抱えて後ろへ跳ぶ。広い背中越しに強い衝撃を感じた。

 ジャラスは優陽の目には追えない速さでラーストーへと肉薄していた。

 槍を受け止めたラーストーの口角が一際に持ち上がる。


「そう怒るなってお兄さんよ。文句なら薄情なご主人様へ言いな」

「主人への侮辱を黙って聞き逃すことはできん」

「侮辱でなく事実だろ」

 

 不意に背筋が寒くなった。

 凍えそう、とはまた形容しがたい。嫌な汗が噴き出す。まるで喉元に刃物が迫っているような。

 青い閃光が火花を散らした。火花が弾ける音。ものが焦げるにおい。

 

「っ…………?!!」

 

 間一髪。ジャラスは踏み込もうとした足をひいて後退した。

 優陽も彼と同じくして息を呑む。

 小さな雷は渇いた空にパチパチと余韻を残している。ジャラスの兜を掠めたラーストーの槍へ、それらは引き寄せられるようにその尖端へと集まっていく。

 割れたジャラスの兜から、彼の動揺が優陽にまで伝わってきた。


「アイギスくんがアンタより先に俺の気配に気付いていた時点で気付くべきだったなァ、お兄さんよ」

「!!」


 冷笑と共に一度は静まった閃光が再び激しく火花を散らす。ジャラスの槍はラーストーの槍を正確に受け止めはした。しかしその先端から発せられた雷は彼の輝く鎧ごと、彼の体を貫く。

 たくましい体がなす術もなく地面に倒れ込むその時まで。優陽の目にはコマ送りのように、切り取られた一瞬、一瞬でしか認識ができなかった。

 倒れ込んだジャラスはすぐさま膝をつきラーストーを睨みつける。

 焼けた傷口から地面へばたばたとこぼれる、どす黒い血。

 優陽は思わずアイギスの服を握りしめていた。


「致命傷さえ避ければ死なないって? 死んだ方がマシな時もあるってのに難儀だねぇ」


 対してラーストーは瞠目するジャラスへ穂先を向けて相変わらず笑っている。


「何故っ……貴様ごときの魔術が……。聖リュシオンの加護を受けた、この鎧をっ……」

「言ったろう? 文句なら薄情なご主人様へ言いな」


 ラーストーの言葉にアイギスだけは合点がいった様子で目を閉ざす。

 

「リュシオンの神秘を解除できるのは、ミトロンの血筋だけだ。リュシオンの加護が機能しなかったということは、そういうことだ」

「ケテルが俺の槍によく分からんまじないをかけると、まあ不思議……。何故か竜騎士どもの鎧を俺の魔術が貫通するようになったってワケね。手早く片付いて助かったぜ。竜人(アンタら)聖リュシオン(神サマ)の加護を過信してるからな」

「そんなっ……はずは…………」


 ジャラスが自身の手で脇腹を抑えるも、流れる血は止まらない。

 竜の血を引く者は傷を負ってもその場で傷口が回復し始めると聞いた。レイ・ジールの炎に焼かれたスロースが生きていられたのもそのおかげだ。だが、ジャラスの傷口が回復する兆しはない。

 優陽は目の前でまざまざと見せつけられる冷酷な真実に吐き気がしてきた。


「別にそんなモンなくても俺一人で充分だったが、いらねぇ時間を食ってる間にクリードの旦那がアンタと国王の首まで取っちまったらエストリンドの立場がねぇからなァ。疑い半分、腹黒い王子サマの話しにのることにしたのさ。お兄さんも気の毒なこった」

「おのれっ…………。貴様、まさかっ……。あの時、サヘル様やレイ・ジールだけでなく、ケテル様までっ…………!」

「…………」


 ジャラスが視線を向けたのはラーストーでもアイギスでもない。優陽に注がれていた。

 彼がこれまでに与られた情報を総合するとソレが自然な流れだろう。恐らくは以前。城の地下からスロースに連れられて逃れた際、サヘルと接触したことになっているに違いない。実際にその通りだ。

 そして当然ながら、女王は肝心なことをジャラスに伏せている。全ての企てがまさかこれまで尽くしてきた主人のものだとは、彼も想像したくないだろう。

 ケテルの名がこれまでジャラスの口から出てこなかったことにも納得がいく。

 優陽の口の中はからからに渇いている。

 このままではいけない。取り返しのつかないことがおきる。

 優陽の頭の中でどこからか警鐘が鳴り響いていた。


「……ラーストー」

「ん? なんだ、お嬢」

「その者は捨て置きなさい」

「……え。マジかよ……」


 それまでご機嫌だったラーストーの表情がぎこちなくなった。

 アイギスの視線を感じ、優陽は喉まで出かけた言葉を一度は押し込んだ。代わりに深く深呼吸する。

 ケテルの思惑を自分は計りきれない。ただ、彼の選択が正しいとはどうしても思えなかった。


「……私の目的はリュシオン国王の首です。一介の竜騎士に構っている時間はありません」

「いやいやいや……。コイツはここで殺しておかねーと絶対めんどくせーことになるって、お嬢さんよ……。それはムリな話しだぜ……」

「私の話しは終わりです。アイギス、行きましょう」

「わかった」


 アイギスは頷く。しかし2人を引き止めたのはラーストーではない。

 不意に足元から鋭い岩がアイギス目がけて突き出てきた。それも軽々と乗り越え、アイギスは振り返る。


「とっととさっきのヤツらと合流しないとお前でも死ぬぞ」

「貴様ら……! どれだけ私を愚弄する気だ……!」

「ほらよ……。だから言ったじゃねぇか、絶対めんどくせーって…………」


 重い体を持ち上げ、ジャラスは立ち上がる。その足が一歩前に出るも、膝から崩れ落ちた。

 耳元でぼやくラーストーの顔を押し返し、優陽は唇を噛んだ。


「ジャラス殿。申し訳ありません。私からあなたにできることは、何もないのです」

「魔女めっ……。貴様を、陛下の元には行かせんぞ……」

「私の言葉が、あなたに届くことはないのでしょう。ですがどうか、サヘル様やケテル様とよくお話しをなされて下さい」


 どうしようもない。自分には、これ以上どうすることもできないのだ。

 優陽は口元を手で覆い、込み上げる熱を堪えた。

 ラーストーの言う通り。彼がここで生き延びたら次は確実に、まっ先に自分を殺しに来るのは想像に易い。


「ここで殺さねーとお前が殺されるぞ、ユーヒ」

「……やだ」


 囁くラーストーに、優陽は呻くように答えた。

 

「そんな拗ねるなって……。確かにちょっと……。ちょっと悪ふざけが過ぎたかもしれねぇけどよ……。ここで手柄をあげなきゃお前が戻ってきてくれたとしても、エストロランドがフロスト家の統治から脱却するのが難しくなっちまう」

「私よりよっぽどデューク様とクリード様のが政治のお話しできるんだから、その方が良いと思う……」

「そう言うなよ……。アンタそこそこ機転がきくんだからそんな卑下すんなって。アイギスくんだってまた巻き込まれたくないだろ?」

「俺にはお前らの都合などどうでも良い。ヤツがユーヒを殺しにくるなら、その時に俺がヤツを殺すだけだ」

「……分かったよ。じゃあ、次があったらそれ以上の先延ばしはナシだぜ?」

「……分かりました」


 ラーストーは肩を落とし、盛大なため息もおまけでつけた。

 アイギスが歩き出すと、ラーストーも槍の穂先を払ってやれやれと背負う。白い雪の絨毯に赤い斑点模様ができた。

 脊中越しに未だ荒い息遣いと視線を感じる。


「ここで私の命を取らなかったこと……。後悔するぞ、シャレム・エストリンドっ…………!」

「アレ、ほっといても死ぬかもしれねーぜ」

「後ろにいたヤツらがすぐに追いつく。はやく国王のいる本陣に向かわないとまた足止めを食らうぞ」

「あー、そう……。お人好しが過ぎると早死するってクリードの旦那に言われたろ……」

「……2人とも、私のわがままを聞いてくれてありがとうございます」


 遠ざかっていくはずの怨嗟の声がなかなか消えない。

 優陽は搾り出した気力でせめてそう伝えることにした。

 そう、これはわがままだ。

 自分は何もできないクセに命を狙ってきた相手の命を助けてやれという。主君に忠誠を尽くす騎士に忠義の機会を与えずに無視しろという。それでも自分は死にたくないという。

 顔をうずめる優陽をアイギスがおぶり直す。


「お前の好きにしろ。俺がどうにかする」

「アイギスくん、まるで俺より前からエストリンド家にいるみたいじゃないの」

「俺はユーヒについていく。死んだガキにいつまでもすがってるお前といっしょにするな」

「おーおー。辛らつ辛らつ。コッチもコレで 飯食ってんだから勘弁してくれよ。ジャラスが生きてるのは確かに面倒だが、奴はケテルだけでなくサヘル・オルランドのお守り役でもある。恩を売っておくのも悪くない。アンタも負い目を感じたから殺したくないんだろ。エストリンドとしても、恩を仇で返した云々、後々とやかく言われたくねぇからな」

「……ありがとう」

「そう落ち込むなって。この間からなかなかに良いご当主様ぶりだぜ。そのくらい破天荒な方がウチの部隊にはウケが良い。何せバカと死にたがりが大勢……」


 ぽんぽんと優陽の肩を叩く手が止まる。アイギスも進むのを止めた。

 優陽の体から嫌な汗はひかない。それまで薄い紅をまとっていた朝焼けの空へ途端に雲が渦巻き出した。

 にわか雨とは違う。黒い雲は引き寄せられるように南へ尾を引いている。

 本当に雲なのだろうか。朝日が完全に隠れてしまった。時間を夜へ巻き戻すかのような暗がりが空を覆っていく。

 ラーストーが息をついた。


「まいったな。そう来たか」

「ユーヒ。急ぐぞ」

「もしかして、クリード様が危ないの?」

「旦那は大丈夫だろうが、外に出てる歩兵部隊が危険だ。下手すると国王軍とやりあう前に死人が出る。この状況じゃ悪手だが篭城させるしかねぇ。俺たちも一度、身を隠して様子見だな」

「……何が起きてるの?」


 2人は雪を蹴って駆けだした。ジャラスが混ぜ返して荒れた大地を、あっという間にとび越える。

 優陽はアイギスの背へしがみつく。辺りは薄暗い。ひどく不安になった。理由は分からない。ただただ、何かに見られているような気がして気味が悪い。

 彼は南へ向かう黒い雲に目をやりながら速度を上げた。


「『黒い月』が昇る」


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