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05.なかったことにしよう

 シャレム・エストリンドの幼少期の記憶は曖昧だ。天羽優陽(あまばゆうひ)との記憶が混じり合っているせいもある。

 彼女は今年で12歳。毎日お屋敷で多くの人間と顔を合わせていた彼女にとって、彼もその内の一人に過ぎなかったのだろう。

 寝台に横たわる顔を眺めていたシャレムは両手を叩いた。


「何か思い出されましたか」


 主人の目覚めを待つ従者の声に抑揚はない。彼自身はあまり興味がないらしい。

 記憶の引き出しをこじ開けたシャレムはうんうんと頷く。


「ずっと前に、ご家族でお屋敷にご挨拶に来られた?」

「そのように聞いております。今は亡きクリード様のお父上がエストリンド家との親交を深めるため、祝いの席に出席されたと。6年ほど前だったそうです」

「そうそう。まだ6才になったばかりだったから、ずっとお母様のそばにいました」

「本当にシャレム様からクリード様に婚姻の約束をなされたので?」

「クリード様から、プロポーズをいただいたのでお母様に言われた通り『考えておきます』って返した、はずです。クリード様はおいくつでした……?」

「今年で17になられましたので、当時は11でしょう」


 年下、だと……?

 シャレムもとい天羽優陽は思わず寝顔を凝視する。長身のせいか、てっきりすでに成人済みかと思い込んでいた。

 実際は彼と『シャレム・エストリンド』の歳の差は5歳ほど。そう考えれば内心ロリコン疑惑をかけていたことは謝罪。

 従者は肩を竦め、ボロ屋の壁によりかかる。


「そんなことだろうとは思っておりましたが……」

「分かっていてわざわざ一緒に私を探してたんです?」

「それが勤めですので」


 シャレムは椅子から立ち上がり、寝台の反対側。玄関でうずくまっているアイギスを見下ろす。

 彼は不満げにシャレムを睨む。それをまあまあと宥め、乱れた彼の髪を指で調えた。顔の青アザはしばらく消えないだろうが、ご立腹の彼にとっては些事のようだ。

 貴族に躊躇なしで殴りかかるとは思いもしなかった。この先どうしたものか。うっすらとした記憶によればクリード・フロストの立場は『シャレム・エストランド』と同等か、それ以上である。何かしらのペナルティが課されるだろう。

 後ろから従者の足音が近付いてくる。


「この度は我が主人の思い込み。主人に代わり、先の無礼を謝罪いたします」

「いえ、こちらにも非はありますので……」


 『シャレム・エストリンド』は全く彼に関心がなかったようだ。それもそうだろう。幼いながらにして見目麗しい彼女に求婚してきた者は他にもいる。クリードのように純真な恋心であればかわいいものだが、明らかに下心が見え透くものもあり、彼女の境遇を思うといい気はしなかった。

 シャレムの指の下から灰色の瞳がクリードの従者を睨み付ける。


「そいつを連れて、出ていけ。二度と顔を見せるな」

「それは難しいお話しかと」

「いや、なんで?」


 思い込みだったって結論でましたよね。

 シャレムは肩を落とした。やはりタダでは帰ってくれないらしい。

 従者は大仰なため息をついてみせた。


「クリード様はあの通り。まあ、お世辞にも謙虚な方とは申し上げられません。私もたいへん苦労しております」

「本人が聞いてないからってここぞとばかりにディスるな」

「特に、シャレム様のことは1年前の暴動の際から気にかけておいででした。ご自分のモノを奪われるのが我慢ならないお方ですので。ええ。あなた様がご存命と知ってから水を得た魚のようです」

「と、言われましても……」

「シャレム様がまだ思い出していない出来事があるのでは? クリード様がシャレム様にご執心の理由は、そちらかもしれませんね」

「何かあったかなぁ……」


 シャレムは腕を組んで首を傾げる。

『シャレム・エストリンド』には恋心を抱いた少年が別にいたようだ。思い出されるのはその少年のことばかり。彼のことは顔も、名前までしっかり覚えている。思い出そうとすればするほど、クリードが可哀想になってきた。恋する少女とはなんと残酷な生き物か。

 シャレムの手を退け、アイギスが立ち上がる。


「まだ居座るようなら今度こそ息の根を止めるぞ」

「そう結論をはやらずとも良いでしょう。謝罪もかねて私から一点ご提案が」

「どのようなご提案なんでしょう……。えーっと…………」

「申し遅れました。私はスロースと申します。以後、お見知りおきを」


 今にも殴りかかりそうなアイギスの間にシャレムはいそいそと割って入る。

 頭を下げた後。スロースはコートの懐へと手を伸ばす。


「どうやらシャレム様とアイギス殿は生活にお困りのご様子。クリード様としてもシャレム様が貧しい思いをされるのは望む所ではないでしょう」

「えー? ほんとにー?」

「そこにつきましては事実です。こう見えて一途なのは私も保証いたします。やり方は問題ですが」


 あんまり関わりたくない相手だなぁ。

 本音はそうでもシャレムは彼の手元を目で追ってしまう。

 テーブルに置かれたのは中身がいっぱいに詰まった袋。中から溢れた金貨が流れ出す。

 従者はその内の一枚を摘まんで器用に弾いた。


「お互いに、合理的に、穏便に。事を済ませましょう。それが一番ですとも」


 弾かれた金貨は男の長い指へ吸い付くように戻ってくる。シャレムは言葉を濁した。

 北風がガタガタとボロ屋を揺らす。

 寝台が軋む音がして、嵐が目覚める気配がした。

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