47.雪道の行軍
白い景色がどこまでも続く。今はまだうっすらと足あとが残る程度の積雪だが、一月後には足を取られる深さまで積もることだろう。
優陽は馬車に揺られながら通り過ぎていく景色を眺める。
「お寒くはありませんか。シャレム様」
「ありがとう、フィオ。大丈夫。気持ちだけもらうね」
隣に控えていた彼女が自身のコートから腕を抜こうとするので慌てて止める。
少し残念そうな彼女へ優陽は外の景色を指した。
「フィオの故郷はあの山の向こうにあるの?」
白い峰々と灰色の空の境目をなぞる。フロスト家の屋敷から見た山々は壁のようにそびえていた。遠目に見るとその険しさを改めて実感する。
フィオは目を細めて頷いた。
「はい。我が故郷、フェニキアースはあのフロストロン山脈のさらに向こう側の渓谷内にございます」
「あの山を越えてきたということ……?」
「エルフのみが知る、秘密の抜け道がございます。もっとも、それを知っていたとしてもそう容易い山越えではありませんが……」
「あんな雪山を越えてくるなんて、フィオはすごいのですね」
「流石に私も冬の山越えは致しません。それこそ、竜でもなければ冬のフロストロン山脈を越えることはできぬでしょう」
「フロストロン山脈……」
一番高い山の頂上付近は雲に覆われ、その全貌を見ることはできない。
前世でも山登りへ行こうとすら思ったことのない優陽は純粋に感心する。
優陽は荷台の上へ座り直す。
「今さらだけど、クリード様のフロスト家って……?」
「おそらくはあの峰々から家名を取られたのでしょう。この辺りの者たちは古くから山の神々を信仰しているそうです」
「それでリュシオンとは、えっと……。折り合いがつかなかったのですね……」
言葉には今まで以上に気をつけなければ。視線がついついおよぐ。
対してフィオは後ろに続く馬車へ視線を滑らせる。その馬車にはサヘルと護衛のレイ・ジールが乗っていた。
「フロスト家だけではありません。そも、この地には竜を始め、それぞれの土地を守る精霊や獣がおりました。我々エルフが、今に至るエルフの繁栄を築き上げた先人たちを祀るように。各土地でもその守護者を敬い、共存していたのです」
「リュシオンで聞くお話しとは、随分と差があるように聞こえますね……」
「それがリュシオンのやり方でございます。産まれてから死ぬまで、リュシオンの民は聖リュシオンが世界を創造し、竜や魔獣の脅威から人々を守る。そう言い聞かされていると。そのような戯言はあの城壁の中でしか通用しませんが、城壁の外へ出ることのない民らには充分な真実なのです」
「壁の内側と外側で、世界が違う……」
サヘルから聞いたリュシオンの歴史はリュシオンの壁の中でしか通じない。しかしリュシオンがその壁を徐々に広げていき、全てが壁の内側に呑み込まれてしまえばそれが真実になる。
聖リュシオン以外の神を信仰する者は人間ではなくなる。竜の血を引く者は罪状すら定かでない罪を償うために、命を削られながら国へ尽くし続けなければならない。
優陽は両手を擦り合わせ、指先に息を吐きかけた。
もう記録にも残っていないような罪をスロースやレイ・ジールたちが償う必要はあるのだろうか。少なくとも、他人を殺すことをアイギスに命令しておきながら彼を裏切るような神様を、「神様」とは呼びたくない気持ちが勝った。
遠くなっていく雪山を眺め、優陽は彼と出会った時のことを思い出す。
ケテルはエストリンド家の屋敷にいたらしい。アイギスと、預言者の手の者たちがエストリンド家を襲撃する一部始終を見ていた。アイギスが酷い怪我だったにもかかわらず勝手口の近くで這いずっていたのは、ケテルが彼を助けたからだ。
何のために?
アイギスも優陽と同様の疑問が浮かんでいることだろう。フロスト家の城でケテルは答えなかった。
アイギスがケテルの企みに必要な存在だと考えるのが自然だ。しかし積極的に接触しているスロースに比べ、ケテルがアイギスとまともに対峙したのは先日の一度だけ。優陽をリュシオンへ拉致した時でさえ、彼とは顔を合わせていない。おかげでアイギスはまた預言者の元へ戻ってしまった。アイギスが必要なのであれば扱いが雑ではなかろうか。
「もう少し、様子を見ないといけないようだ」
あの男はそう言っていた。何かを決めかねているかのような物言いだ。
「……様子を、見る?」
ケテルはアイギスがどう動くか観察しているということは、ケテルはアイギスのことをよく知らないということになる。アイギスはケテルがこれまで繰り返してきた世界に存在しなかったのだろうか。だが、それではエストリンドの屋敷で彼を待ち構えていたのは辻つまが合わない。
アイギスの存在は知っていたはずだ。でも詳しくは知らない。だからケテルはアイギスの行動を観察している。
優陽が消えた後、彼がどう行動するかも含め、ケテルはアイギスを品定めしていた。と、考えれば納得がいく。
「ヤな奴…………」
思わず顔をしかめた。
自分をひき肉にした男の好感度が今さら上がるはずもないが、さらに下がっていくのも考えものだ。
「どうかされましたか、シャレム様」
「いいえ……。その、ちょっと考え事を……」
雪の中。クリードが率いるフロスト軍は黙々と目的地である砦へと進み続けている。それでもさすがに夜の行軍は避けた。
冬の間は腹を空かしている魔獣が多いから襲われやすいのだそうだ。急いでいるとは言え余計なリスクを侵しても仕方ない。
近くの村の傍らに野営を設け、一夜を過ごすこととなった。シャレム・エストリンドは村人の厚意と、クリードの半ば強引な親切心のおかげで客間を貸してもらっている。小さな村の客間にベッドがあるはずもない。それでも自分だけが室内で一夜を過ごすのは気が引けると主張した所、アイギスに首根っこを掴まれて部屋へ放り込まれてしまった。
そんな無体な……。
優陽は小さな暖炉の前でしょぼくれながら薪を焚べた。フィオが部屋の戸締まりを確認した後、ソファを整えている。
「私は外におりますので、何かあればお申し付け下さい」
「せめてフィオだけでも一緒に寝ようよぉ……」
「もったいないお言葉ですが……」
フィオが渋面すると部屋の扉がノックされた。
扉から顔をのぞかせたサヘルが柔和に微笑む。
「失礼いたします、シャレム様。今宵は私もこちらで休ませていただいてもよろしいでしょうか?」
なるほど。そういうことらしい。
部屋にあるソファはふたつ。自分は床へ布を敷いて寝ても良いのだが、それこそフィオに血相を変えて叱られるだろう。
優陽は頷いた。サヘルの後ろに控えていたレイ・ジールが頭を下げる。
「自分とフィオ殿が交代で外に控えております。御用がありましたらお申し付け下さい」
「ふたりとも寒くない……?」
「ご心配ありがとうございます。ですが、シャレム様が思っている以上に私の体は熱いので、凍りつくことはないでしょう」
表情を和らげるレイ・ジールを見て、優陽はそう言えばと思い出す。
スロースを丸焼きにしかけたのは彼女である。あの時は逃げ出すのに必死であまり話せなかった。スロースを逃した自分を恨んでいないかと、内心ヒヤヒヤしていたのだが彼女から漂う雰囲気には棘がない。
レイ・ジールの言葉にフィオが少し厶、とした様子で胸を張る。
「私も寒さには慣れております故。シャレム様に何かあれば一番にとんで参ります」
「ふたりともありがとう。ゆっくり休ませてもらうね」
「はい。お休みなさいませ、シャレム様」
「お休みなさいませ。サヘル様、シャレム様」
ふたりは一礼して部屋を去った。
暖炉が室内を薄暗く照らす。こじんまりとした暖炉だけではそこまで温かいとは言えないが、優陽がアイギスと共に過ごしていた隙間風が通り抜ける山小屋よりはずっと良かった。
優陽はフィオが置いていってくれた厚手のかけ布にくるまる。
窓の外は静まり返っていた。雪は止んでいる。時おり家の外で兵士たちの動く物音が聞こえた。
「外が気になりますか?」
サヘルが優陽と同じく布にくるまって彼女の隣へ腰をおろす。修学旅行の夜みたいで、少しだけテンションが上がった。
「……サヘルはもう、お城には戻らないの?」
残念ながら、今はそんな呑気な思い出に浸っていることもできない。
声を抑える優陽に、サヘルも頷いた。
「私とレイ・ジールは、リュシオンの人間として城に戻ることはないでしょう」
「……お城に、家族はいないの?」
「私は元々、リュシオンの人間ではありません。ここから南……。海に面した漁村で生まれた田舎娘です。叔母と暮らしていましたが、すでに他界しております。レイのご両親も、彼女が騎士となる前に亡くなられています」
「そっか……」
クリードが言っていた通り、サヘルはリュシオンに連れられてきたのだ。何の関係もない土地に。
後に続く言葉が見つからない優陽に、サヘルは小さく笑う。
「私の苦労など、ユーヒ様の苦労に比べれば大したことはありません」
「そんなことはないよ……」
「私には叔母という家族がおりました。私が逃げ出したくなった時は、レイが支えてくれました。何より、私にはまだ帰る場所が在り、私が『私』で在ることを許されています」
「…………」
「スロース殿から、エストロランド領での出来事は聞いています。ユーヒ様、あなたがなさっていることは、並大抵のことではありません」
サヘルは優陽の手を取った。彼女は優陽の手に自身の額を当てる。
指先にじんわりと伝わってきた温かさは本物だった。
「あなたは充分に頑張っていらっしゃいます。人の死が身近ではなかったあなたにとって、この世界がどれほど恐ろしいものなのか……。ソレが当たり前に存在していた私たちには、あなたに共感することができません……。それでも私たちは、あなたに頼る他ないのです……」
申し訳ありません、と。
彼女は声を震わせた。
「ですから、私のことなどお気になさらないで下さい。ケテルに手を貸している私には、ユーヒ様から情けをかけていただく資格はありません。どうか、御身を一番に大切になさって下さい」
「……それは、なんか違う気がするよ、サヘル」
頭を上げない彼女に、優陽は苦笑した。
「私はサヘルに助けてもらったし……。サヘルとは仲良くしていたいし……。サヘルが困ってたら今度は私が助けてあげたいと思うから……。私がそうしたいからそうしてるだけで、サヘルが謝る必要はないよ」
「私は、あなたへひどい嘘をついているかもしれないのですよ?」
「嘘をついている人は、そんなことわざわざ言わないと思うんだけど……」
「…………」
ようやく顔を上げた彼女は、優陽につられたように笑った。
どこか諦めた様子で、目を閉ざす彼女の表情はどこか既視感がある。
「励ますつもりが励まされているようでは、不甲斐ないばかりですね……」
「そんなことないよ~。ありがとう、サヘル」
優陽はサヘルへと体を寄せた。それだけでだいぶ暖かくなる。
サヘルと互いに体重を預けあったまま目を閉じた。
明日からまた少し頑張れる気がする。そのうちに頑張れなくなるかもしれない。ここのところ、毎日がそんなことの積み重ねだった。でも、まだその時ではなさそうなので、優陽はサヘルの隣で眠りについた。




