45.義憤
己に流れる血は罪で穢れているらしい。
幼いころより、レイ・ジールは祖父母から、両親からそう教えられてきた。
罪を償い、穢れを浄化せねばならない。聖リュシオンに尽くすことがその唯一のあがないになるのだと。
幼かったレイ・ジールがその意味をきちんと理解したのは両親が死んでからだった。両親は高潔で実直な騎士だった。しかし、そんな高潔な両親ですら戦場で負ったかすり傷からみるみる体を壊し、そのまま亡くなった。それまでなら一日も経たずに完治していたであろう傷が、突如として治らなくなったのだ。
レイ・ジールは悲しかった。そして同時にその理不尽な運命を心の底から呪ったことを、彼女は鮮明に覚えている。
「フロストロン領には国王様が直々に出陣されるご様子。いかがされますか」
薄暗い室内。レイ・ジールは声を潜め主人へと問いかける。
青年は斜陽が差す窓の外を眺めていた。若い主人はいつ見ても見目麗しい。幼少期より天才と謳われ、虫も殺せないような心優しい青年へと育った。幼い頃から彼の護衛を務めていた黄金鎧の騎士は、今でもそう思っているだろう。
柔らかな金色の前髪がその双眸を隠す。
「冬までにフロストロンを落としてしまえば、反リュシオンの勢力は虫の息だ。そうすれば安心して王位継承の儀が行える。多少の無理を通してでも、儀式を早めたい。そんなところだろう」
「反リュシオンがリュシオンを脅かす可能性があると知られているのですか?」
「預言者と国王は焦っている。ここにきて『シャレム・エストリンド』とクリード・フロストが危険因子だと確信したのではないかな」
「その割りには、落ち着いていらっしゃいますね」
室内は息が詰まるほどの静寂が流れている。
青年の口から真実の一部を聞かされてから、見慣れたはずのその顔が別人のように見えた。
レイは当初、自身の耳を疑った。しかし、彼はタチの悪い冗談で他人をからかう人間ではない。何より、彼と共に助力を乞うてきた次期女王の真剣な面持ちが嘘偽りでないと、レイには嫌でも分かってしまった。
カーテンがゆっくりと閉ざされ日差しが遮られる。室内は彼女の目でかろうじて彼を視認できる暗さだった。それでも彼の目はまっすぐにレイ・ジールを捕えている。
「まだユウヒの存在は知られていないからね。ひとえに君の働きのおかげだ、スロース」
「そう思っているのなら、もう少し労っていただけませんか」
暗がりに溶け込むように立つ男は顔も上げずにぼやいた。
こぼれる笑みと共に隠れていたケテルの表情が和らぐ。
ケテルはレイとスロースへ椅子を勧めるも、レイは丁重に頭を下げ、スロースは無言を返した。
「僕も無い袖は振れないよ。王子とは言え、こっそりやり繰りするにも限界はある」
「あのじゃじゃ馬娘といい、あなたといい……。こちらに通じる言葉を使ってください」
「ああ、すまない。何がどうやったってゼロはゼロ。できないものはできない。彼女の国の言葉でそんな意味だったかな……。ユウヒの言葉使いはまた少し別の問題で……」
「ユウヒ様には何か問題が……?」
自身の目の前に震えながら立ち塞がった小さな姿を思い返し、レイは言葉を濁すケテルへ身を乗り出す。
初めて出会った時から違和感はあった。年相応の子どもであれば、炎に囲まれた時点でまともな受け答えができるはずもない。それが身内でもない他人を庇い、あまつさえ自身が身代わりになると申し出た。エストリンドの血がそれほどのものなのであれば、末恐ろしい。そして小さなこの命をここで失うには惜しいと、レイは自らの剣が鈍ったのを感じていた。
レイの心配をしり目に、ケテルは「うーん」と、口元へ手をあてる。
「彼女と言うよりも、ユウヒには歳の離れた兄君がいて……。その兄君が一部の層にしか通じない流行り言葉のようなものを彼女が小さい時から使っていたら、それが一緒に遊んでいたユウヒにも定着してしまった、とか……」
「……インテリヤクザ、とはどういう意味です?」
「…………まあ、そんなこんなで彼女の使う言葉の一部は僕でも分からないんだ」
「おい。今わかってる顔してただろ」
椅子へ腰を下ろしたケテルはニッコリと笑ってレイを見上げる。
聞けば聞くほどレイ・ジールの疑問は深まるばかりだった。
困惑する彼女の耳に暗がりから盛大な舌打ちが聞こえてくる。
「話しを戻そうか。レイはこのあと、フロスト家の馬車を出迎えに向かったサヘルが上手く取り次いでくれるのを待ってくれ。僕らも準備が整い次第、フロストロンへ向かうよ」
「承知いたしました……。ですが、サヘル様お一人でよろしかったのですか……?」
「さすがに人質としてつれてこられたフロスト家の馬車を僕が直々に、それも壁の外で出迎えたら騒ぎになる。まだ女王でないサヘルなら迎えの使者としてはちょうどいいし、見習いとは言え巫女だからね。壁を通る前に身を清めましょう、とでも言っておけば彼らを馬車から降ろせる。彼女は強かだから心配いらない。僕も預言者と国王の動きは常に確認している。君たちがリュシオンを出るまでの時間は稼いでみせるよ」
ケテルがテーブルの燭台へ軽く触れると音もなく灯がともる。
頬杖をついた彼は目を閉ざした。
「サヘルは上手くやってくれるだろう。クリードもスロースが急かしたおかげでフロスト家へ向かっている。デューク・フロストの心が折れない内にカタをつけられそうだ。エストロランドに残ったラーストーには、もう少し後押しが必要だね。彼の動きが遅れると、使える手札が減る……」
ケテルはひとつひとつの出来事を読み上げるように声にした。
彼の台本を聞いていたレイの顔は無意識に曇る。
「ケテル様は、国王陛下の軍と彼らが交戦して勝てるとお思いですか……?」
「『勝てる』とは思っていない。だから君とサヘルをクリードの元へ預ける。いざとなったらクリードとユウヒだけは逃してくれ」
「はい」
「まぁ……。彼がこの時点で命を落とすことはないだろうけれど」
「ね?」と、ケテルから同意を求められたスロースは相変わらず視線も合わせずに指でメガネを直した。
「それこそあなたの動き次第では?」
「ジャラスが一緒に出陣してくれて助かったよ。君と彼の魔術は相性が悪いからね。レイもジャラスとは無理に交戦する必要はない。適当にやり過ごしてくれ」
「自分のような若輩では、ジャラス殿のお相手は困難かと……」
「その時はラーストーに押し付けるといい。もしくは、例の掃除屋君に」
苦い顔をするレイへケテルは微笑む。
「レイは彼とはまだ出会ったことがなかったね。スロースは嫌われているようだけど、君は彼とうまくやれると思うよ」
「その者はユーヒ様から名を戴いたと聞きました。ユーヒ様、いえ……。シャレム様をも殺した預言者様の掃除屋に名を授けるとは、相も変わらず破天荒な御方でございます……」
「正確に言えばシャレム嬢を殺したのは彼ではないのだけれど……。エストロランドでの彼の様子を聞く限り、記憶に齟齬が出ているようだね」
「シャレム様の命を奪ったのは、その者ではないのですか……?」
「ああ。彼ではないよ。僕でもない。ユウヒがあちらの世界で死んだ時点で『シャレム・エストリンド』も同様にこの世界から強制的に排除される。それを知っている僕にはシャレム嬢を手にかける必要がない。だからそんな怖い顔をしないでおくれ、スロース。僕が彼女の母親を止めることはできないと分かっているだろう」
ケテルの言葉にレイの顔は強張る。
彼は苦笑気味に笑いながら暗闇に立つ男の視線を流す。
「そういうことだ、レイ・ジール、今回は時間稼ぎで構わない。君とサヘルの助けがあれば、クリードがどうにかしてくれるはずだ」
「もったいないお言葉です。全力を尽くします」
「ありがとう。問題は、僕とスロースだ」
ケテルは顔を上げて息をついた。
それでも彼の顔から笑顔が消えることはない。
「今回はかなりの重労働になる。竜騎士はほとんど出払うにしてもまだ残っているし、神官たちは王位継承の儀が近付いてきたおかげでだいぶ城へ戻ってきた。全部片付けるのは僕でも骨が折れるだろうな」
「それを私に手伝わせると?」
「僕といっしょに預言者へ対抗できるのは君くらいなんだから仕方ない」
「コレだから天才は……」
頭を振るスロースの反応にケテルは口元をおさえて笑う。
「頼りにしているよ。ところでこれから討ち入りするにあたってディール家が与えられていた『紫睡』の称号を取り戻さないかい?」
「もしその趣きのない冠位を勝手に使う気なら、この先、背後に気をつけることですね」
「君のことだからそんな生ぬるい殺し方しないだろう?」
「そういう所が悪趣味だとサヘル様は教えて下さらなかったので?」
「よくサヘルにも言われるよ」
「…………」
はは、と。ケテルは声をあげて笑う。
スロースは諦めた様子でまた視線をそらした。
困り果てているレイと視線を交えたケテルが小首を傾げた。
「すまない。悪ふざけが過ぎてしまったね。君とスロースから愛想を尽かされない内に、僕も働くとしょう」
「気色の悪い言い回しはやめて下さい」
「君はクリードとユウヒ以外にももう少し愛想をよくした方が良い」
「私は充分にあなたへ譲歩していると自負していますが……? 自分が人でなしだという自覚を持っていただけますか……?」
「そこまで君から言われたらさすがの僕でも傷つくよ」
悪態をつくスロースにケテルはとぼけた様子で立ち上がる。
そんな中、レイ・ジールは密かに嫌な汗を覚えていた。
彼は数多の世界で、数多のレイ・ジールと出会い、別れてきたと言う。本来なら敵対者であるスロースを味方につけるほど、世界を繰り返してきた。その中で自分は、彼にとってどちら側の人間なのだろうか。
今はまだ分からない。ただ、数年前からこの城へ連れられてきた、まだ年若い次期女王のことが気がかりだった。家族のために一人でここへやってきた彼女と出会った時の顔を、レイ・ジールは忘れられないでいる。彼女からこれ以上のものを奪うのは、余りにも酷だ。
足元に迫りきた暗い底無し沼から、彼女は目をそらした。




