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44.予期せぬ来訪者

※このお話しには暴力描写が含まれます

 ケテル・ミトロンはこんな修羅場でもニコニコと笑っている。優陽には不気味で仕方ない。

 電車がやってきたホームへ自分を突き落とした時も。教会で自分を拉致しに来た時も。彼は微笑んでいた。何を考えているのか。何をしようとしているのか。全く予想がつかない。


「大丈夫。君のご実家の絨毯を汚すつもりはないよ。クリード殿」

「……では、先触れもなく、何用で参られた」


 ケテルは軽く両手を挙げ、まずはクリードへ向き直った。かたい声でクリードが応えるも、その手は未だ剣の柄に置かれている。

 吹き込む雪は不思議とケテルを遠ざけるように辺りへ積もっていく。


「昨日。国王が密かにフロストロンへ向けて出兵した。エストロランドで旧エストリンド家の兵がまとまり始めたからだろう。僕は早急に君と、フロスト家のご当主とお話しがしたい」

「出兵しただと……? この時期に?」

「このまま動かないと一月もあればこの城は囲まれてしまう。可能であればフロストロン領の境で足止めしたい。協力してくれないだろうか」

「……貴様は自分が何を言っているのか解っているのか?」

「僕? 僕は寝ぼけていないよ。きちんとフロスト家にも有益な取り引きだ」


 クリードも困惑の表情を浮かべていた。訝しむ彼へ、ケテルは懐から小さく折りたたまれた羊皮紙を取り出す。

 クリードはケテルと羊皮紙を交互に見た後。柄へ置いていた手を伸ばし、差し出されたそれを受け取った。


「……コレが本物である証拠は」

「今こちらへ送り届けている最中だよ。あまり派手に動いて、預言者から追手をつけられる厄介が増えるのも嫌だろう?」

「…………」


 クリードは文面へ目を通した。そして、部屋の奥で母に抱かれている兄の元へと届ける。


「……義姉上(あねうえ)からです。兄上」

「……エリーから?」


 それは先ほど彼が懺悔していた相手の名前だった。

 優陽は少しずつケテルから距離を取る。アイギスがケテルと彼女の間に入っているおかげでまだ逃げ出さずにいられた。そんな優陽と身構えるアイギスなど眼中にない様子で、ケテルはフロスト家の面々へさらに歩み寄る。

 震える手でクリードから手紙を受け取ったデュークはひと目で顔つきが変わった。引き止める母の腕を払い、目で内容を追いかけながら、ふらふらとケテルの元へ歩みよってくる。


「……これは、確かに。妻の筆跡だ……」

「もちろん。僕には偽物をフロスト家へ持ってくる理由はありませんからね」

「だ、だが……。貴殿は……。その、リュシオンの王太子……で、あられるはずだ……」

「ええ。()()僕は王子ですね」

「…………」


 訳が分からない、と。困惑に閉口するデュークの声が聞こえた気がする。この場の全員がそう思っていることだろう。

 ケテルだけはにこやかに腕を広げる。


「取り引きを致しましょう。デューク殿。クリード殿。僕はリュシオンに人質として取られていたあなた方のご家族を保護してきた。しばらく待って戴ければ馬車が城へ到着いたします」

「ど、どうやって……。どうして、そのようなことを……?」

「代わりに、リュシオンと結ばれた停戦の約束を無かったことにして戴きたい。この条件を呑んで下さるなら、僕はさらにあなた方がリュシオンへ対抗するために必要な情報を提供する。悪くないお話しでしょう?」

「こちらの家族を人質に取っているのは貴様も同じだ」

「仕方ない、クリード殿。こうでもしないと、デューク殿は僕の話しを聞いて下さらなかったのだから」

「…………」


 睨むクリードにもケテルは涼しい顔だった。ケテルの言い分は、正に先ほどのクリード自身が証明している。それでも本当にこの男を信用すべきなのか。

 兄弟は悩んでいる。

 そんな中。裏切り者の正体を確信した者たちは急ぎ、自分たちの主人へそれらを報せるべきだと判断したらしい。視界の隅で白い布がはためいた。

 開いていた扉がひとりでに大きな音を立てる。優陽が驚いて音がした方向を見ると、廊下への出口は固く閉ざされていた。

 

「君たちはこちらの話しが終わるまで、そこで待っていてくれ」


 扉の前で呆然とする白い一団へ視線を移し、ケテルは口元へ指を立てる。


「僕らの話しの邪魔をしないなら、最期にお祈りの時間を与えよう」

「……何故この様なことを」

「いかにケテル様と言えども赦されませぬぞ……」

「預言者様がどのような処断をなされるか……」

「聖リュシオンのご意向に背く意味が分かっておいでか……」


 白いローブの下から口々に恨めし気な、哀れむような声が聞こえてくる。

 そんな自身を責める声に「そうか」と。ケテルは変わらず目を伏せる。

 優陽は歯を食いしばる。

 頭の中で鉄の塊がけたたましいブレーキ音を響かせていた。

 

「僕が神の赦しを必要としているように見えるのかい?」


 白い集団はアイギスがぶち破ってきた、中庭へと続く窓へ流れ込んだ。まるで獣のような素早さは、優陽の目にはほとんど見えていなかった。


「スロース」


 穏やかな声でその名が紡がれると、割れた窓の周辺に積もっていた雪がみるみる内に赤く染まっていった。

 屋敷の絨毯よりも深い紅に踏み入った一人が悲鳴をあげる。

 彼は自身の目を覆い、その場に倒れ、転げ回る。その内に激しくむせ始め、悲鳴も無くなり、ついには動かなくなった。

 目の前で同胞に起こった出来事へ、彼らは息を呑む。

 沈黙があった。ケテルは腰に差していた細身の剣を抜く。

 次々に降り積もる白い雪景色の中から男が現れる。彼はため息をついて、自身のメガネを指で直した。


「私に面倒な労働ばかり押し付けるのは嫌がらせですか?」

「レイ・ジールに頼んだらせっかくの庭が黒こげになってしまうよ」


 他人事のような、呑気な笑い声だった。

 優陽の視界からケテルの姿が消えたかと思いきや、赤い雪の前で足踏みしていたひとりの頭がボールのようにとんだ。ケテルの剣によってはねられたそれは、孤を描いて部屋の隅へと転がる。

 足元へ届けられたそれに、婦人が引きつった声を漏らした。


「お、お待ち下さい! ケテル様……!」

「君たちには彼らから奪った充分な時間があったろう」

「ま、まさか…………なぜ、それを……?」


 足元にすがりついた女は瞠目する。

 ケテルはその腕を軽く足で払い、微笑んだ。


「お祈りの時間はいらないようだね」


 彼の刃は無慈悲にその口を塞いだ。

 室内を逃げ惑う彼らの背を、スロースのナイフは正確に捕らえる。「あつい! あつい!」と背中を抑えて倒れ込む。そしてやはり次には目を抑えて転げ回り、むせ始め、動かなくなった。

 優陽はアイギスの服の裾を固く握りしめていた。そうでもしていないと、立っていられない。


「絨毯を汚すつもりはないと申されたはずだが?」

「ああ。申し訳ない。穏便に済ます予定だったのだけど騒がしくしてしまったね」


 顔色ひとつ変えないケテルにクリードの声音は低くなる。

 室内に静寂が戻るとケテルは剣を収めた。


「心配いらない。すぐになくなる」

「っ…………?」


 優陽は自身の目を疑った。優陽だけでなく、婦人の前に転がっていた首を運ぼうとしたヨゼルフも声を漏らす。それは徐々に色を失っていったかと思えば、サラサラと崩れ出した。形はなくなり、そこには小さな砂の山ができあがる。そして最後にはそれすらも、窓から吹き込む風によって霧散してしまった。

 よくよく考えなくても、彼らからは血の一滴も流れていない。

 クリードは眉を潜め、デュークが息を呑む。


「どういうことだ……?」

「元は人間だった。いつからそうでなくなったのかまでは、分からないけれどね」

「…………」


 ケテルは婦人へ視線を移す。彼と目が合った婦人は表情を強張らせるも、毅然とそこに立っている。


「コレを見ても、まだリュシオンへ下りたいと思われておいでで?」

「……例えどんな形になろうとも、フロスト家の血を絶やさぬよう努めるのが私の使命です。私の子が生きている限り、フロスト家が潰えることはありません。愚かにもリュシオンへ弓引き、滅んだエストリンド家とは違います」

「さて……。それはどうでしょうか。エストリンド家は、まだ滅んではいませんからね」


 初めて、ケテルと視線が交わる。

 思わず息を呑む。ふらついていた足に力を込める。

 ここで逃げ出す訳にはいかない。ようやくこちらの話しに耳を傾けたデュークがまた母の言葉に同意しないという保証はない。

 優陽は頷いた。


「ケテル様のおっしゃる通り。私はまだ生きています」


 難とか声を絞り出す。胸を張って前を見る。

 『シャレム・エストリンド』は両親の仇を討たねばならないのだから。


「私は逃げません」


 自分にもそう言い聞かせるしかない。いくら逃げ回ったところで追い詰められてジリ貧になる。

 ここまでやって来た目的を忘れてはいけない。

 

「……ヨゼルフ」


 デュークが沈黙を破った。

 老騎士は短く応答する。


「母上をお部屋へ」

「結構です」


 彼の母は少し疲れた様子だった。それでも気丈に首を横へ振る。


「あなたが当主です。あなたがそうすべきと決めたのなら結構……。例え、城を枕にするとしても従いましょう」

「母上……」


 デュークの手も遮り、彼女は自身の足で歩き出す。

 ぱちん、と。軽快な音が聞こえた。ケテルの指先から弾けた場違いな音が響くと、固く閉じていた扉がゆっくりと開く。

 貴婦人はケテルを一瞥するも、足早に部屋を去っていった。ヨゼルフはデュークと視線を交わして、彼女の後を追っていく。


「ご心配なく。あなた方が僕の提案を受け入れて下されば、少なくともこの城が戦場になることはないでしょう」

「だと良いがな」


 閉ざされていた扉が開いた一方、アイギスが割った窓ガラスの破片がみるみる内に元へ戻っていく。冷たい風がピタリと止み、室内は何事もなかったかのようだった。

 冷ややかに返すクリードへケテルは眉を下げた。


「ただ、困ったことに時間がない。僕とスロースはすぐにリュシオンへ戻らなくては。あまり城を空けすぎると、預言者が僕らに備えるための時間を作ってしまう。だから僕の代わりに君たちを助けられる人間を預けていく」

「人質の交換という訳か?」

「君にそんな心配はしていないよ、クリード。言葉通りの意味だ」


 ケテルは目元を和ませた。


「リュシオンを攻略するための機会を僕とスロースで作る。君たちにはこの地で国王を足止めし、可能な限りの時間稼ぎをお願いしたい」

「……あなたは本当に、それで良いのですか。ケテル殿」


 デュークの問いかけは念押しのようだった。

 ケテルは一向に笑顔を崩さない。彼は兄弟へ向かい頭を下げた。


「しばし、スロースをお借り致します。必ずお返し致しますので、どうかご心配なさらず」

「……貴殿の恩に、報いるだけの働きはしよう」


 ぎこちなくデュークは頷く。

 そう言えば、と。優陽は辺りを見回した。スロースの姿はすでにない。現地集合にしても、こんなことになるなら一言欲しかった。ケテルへ従っている彼に、そんな義理はないのだが。


「初めまして。暗殺者殿」

「…………」


 最後に。ケテルはアイギスの前で足を止めた。

 優陽の手は思わずアイギスの裾を強く引く。彼はそれを振り払いかねない様子でケテルへ一歩踏み出した。


「お前……。何故……。あの時、あそこにいた……?」

 

 唸り声に近いアイギスの問いへ、彼は変わらぬ調子で答えた。


「君はエストリンド公と対峙して、すぐに分かったはずだ。彼には敵わないと」

「…………」

「それでも、君は命令を遂行するしかない。だから僕が消えかけていた君の灯を点けなおした」

「……何の、ために」

「それは君も分かっているはずだよ。あの時、預言者のお気に入りだった『12番』は死んだ。違うかい?」

「……そこまで分かっていて、お前は俺からコイツを盗んだ」

「……そうか。君はそう感じているんだね」


 ケテルはひとり頷く。ほんの一瞬、まるで変化のなかった微笑が消えた。

 優陽は息を呑む。


「もう少し、様子を見ないといけないようだ」


 それもすぐにまた笑顔に隠れた。

 ケテルの呟きの意味はよく分からない。ただ、彼が自分を視界にすら入れないことに段々と腹が立ってきた。何も言うことがないのか。はたまた本当に時間がないのか。他に理由があるのか。それすらも優陽には問えない。


「馬車が到着したね。彼女たちをよろしく頼むよ」

 

 ケテルは足早に部屋を出ていった。

 優陽は引き留めることができなかった。声が出てこない。息をするので精いっぱいだった。

 クリードもその背を無言で見送る。彼はケテルの姿が見えなくなると、足早に優陽の隣へきて彼女の手を掴んだ。


「無理をするな」

「だ、大丈夫…………」


 情けない。

 柔らかな彼の第一声に、優陽は泣きそうになって余計惨めに思えた。

 クリードは他にやらねばならないことが山とある。恐怖で足が竦んでいる臆病者の心配をしている場合ではない。


「私が不甲斐ないばかりに、身内の揉め事に巻き込んでしまい申し訳ありません、シャレム嬢……。すぐに部屋を用意させますので、しばしお待ち下さい」


 気付いたデュークが慌てた様子で侍女を呼びつける。

 優陽は唇を噛みしめていた。クリードがこの義兄を憎むどころか敬う理由が痛いほど身にしみる。


「大丈夫、です……」


 絞り出した声も判然としない。本音を言えば全く大丈夫ではない。が、ここでへたり込んでいる場合でもない。

 ケテルははじめから()()()()()()()()

 振り返ると、アイギスはケテルが去った方角を未だに睨みつけていた。

 ケテルは見ていた。彼が死ぬ所を。正確には、彼が敵わないと分かっている相手に、立ち向かうしかない状況を。『シャレム・エストリンド』の体へ、天羽優陽を押し込むため。暗殺者の『12番』は、そのために殺された。

 あの燃える屋敷でも、彼はあの笑顔を浮かべていたのだろうか。

 渇いた唇を舐める。血の味がした。

 優陽はクリードの手を握り返す。

 

「そ、それより……。馬車、迎えに行きましょう……」

「……分かった」


 クリードは短く応えて、彼女の手をゆっくりと引いた。歩幅も彼にしては狭い。お互いに何も言わなかった。それがありがたくて、また泣きそうになる。


「アイギス」

「……なんだ」


 数歩後ろをついてくる彼を呼び、クリードは窓の外へと目配せした。


「待機しているフィオたちに屋敷まで来るよう伝えろ。貴様の足が一番はやい」

「…………」

「私は大丈夫だよ、アイギス」


 視線を感じたので優陽はぎこちなく頷き返した。

 アイギスは口を開くも、すぐに閉ざしてしまう。何かを伝えたいことは分かったが、彼は「わかった」とだけ残して、瞬く間に優陽たちの視界から消えた。

 クリードに助けられながらも城の入口へと向かうと、真白に染まった世界が広がっていた。雪が辺りの音を吸い込んで、やけに静かな景色だった。


「エリー……!」


 そんな中で、デュークと彼を呼ぶ声が響き渡る。

 先ほどまで遺書を準備していた人間とは思えない足取りで、馬車から降りてきた妻子の元へと駆けて行く。


「奴の言ったことは、事実のようだな」


 クリードは息をつく。吐いた息が白い霞となって消える。優陽も両手に顔を埋めて頷く。

 馬車は一台だけではなかった。その後ろからは彼のきょうだいと思われる男女が同じようにデュークと抱きしめ合っている。


「……お話し、してこなくて良いんですか」

「俺は後で構わない。その前に、話さねばならん相手がいる」


 クリードが見ていたのは泣きながら抱擁を繰り返す家族ではなかった。

 最後に馬車から降りてきたのは、2人の女性。

 優陽は目元を強く拭う。

 2人は再会に喜ぶ家族を横目にクリードと優陽の前へとやって来た。思わず身構える優陽に、碧眼を細めて彼女は微笑む。


「お初にお目にかかります。クリード・フロスト殿。私はサヘル・オルランド。こちらはレイ・ジール。ケテル・ミトロンに代わり、あなた方の一助となれるよう務めます」


 次いでサヘルは優陽を見て、レイ・ジールと共に頭を下げる。


「シャレム様もお久しゅうございます。何かあれば、このサヘルへ何なりとお申し付け下さいませ」


 献身的に世話を焼く聖女の姿はそこにはない。

 こちらへ注がれる強い眼差しに、優陽は目眩を覚えた。

 

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