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43.兄弟と母

 城内は荘厳な見目とは裏腹、華やかな装飾だった。磨かれた石の天井や床に、赤い厚手の絨毯がよく映える。燭台が等間隔に備えられており、日が傾いてきて悪天候にもかかわらず明るく感じた。

 優陽はクリードの背中に続きながら密かに唇を引き結ぶ。

 まるでおとぎ話の内装の数々を目にしても、全く気分が上がらない。むしろ、城内に満ちる体へまとわりつくような空気は、堪らなく気味が悪かった。


「ヨゼルフ殿。勝手に客人を屋敷に招かれては困る」

「客人……? おお。貴殿らがお会いになるのは初めてであったな。こちらは亡き先代の御子息、クリード様でいらっしゃる。そうかたくなる必要はない」


 白いフードをまとった男が数人。優陽たちの行く手を阻む。彼らは皆、頭を丸め、丈の長いローブを引きずりながら歩いていた。

 彼らの一人が友好的とは言い難い声音で老騎士をたしなめるも、ヨゼルフは飄々とクリードを示して愛嬌を振りまく。


「突然の来訪、失礼する。しかし火急の件にて当代へお目通し願いたい。道をあけていただけますかな?」


 当然、クリードも退く様子はなく、彼らを見据えた。有無を言わさず2人は廊下を突き進む。優陽はクリードの側に寄りそって歩いた。

 背後から感じる視線はこちらを隅々まで観察しているようだ。

 ローブ姿が見えなくなるとヨゼルフは息をついた。


「リュシオンの神官や魔術師と言うのは、皆あのように辛気臭いのですかのぉ?」

「スロースも未だに何かと辛気臭いからな。もはや文化なのではないか」

「おや。スロースは再びクリード様へ仕官されましたか」

「俺ではない。偶然そちらのシャレム嬢を通して俺へまた小言を連ねている」

「はっはー。それは面白き御縁にございますなぁ」

「スロース殿は昔からあんな感じなのですか?」

「スロースは口さえ開かなければおなごたちの視線を独り占めでしたぞ。妬いていた若いモンは多かったですわい」


 顔だけは良いもんな。顔だけは。

 優陽は指でメガネを持ち上げる皮肉屋の顔を思い出した。すでにクリードは城内だと言うのにいつになったら合流する気なのだろうか。


「自ら他人を遠ざけなければならぬ理由があるのでしょうな。かわいそうに」


 老騎士の小さなぼやきは静かな廊下にぽつんと落とされた。

 その言葉に優陽は今までのスロースの言動を振り返り、納得する。アレらは身を守る術なのだ。必要以上に他人を寄せ付けないようにするための。自分の正体を悟られないようにするための。


「そう憂う心配もなさそうだぞ、ヨゼルフ。奴め、シャレム嬢と親しくなってからだいぶ口数が増えた」

「私、スロース殿と親しかったんですか?」


 笑みを浮かべるクリードに優陽は思わず首をひねった。

 会うたびにあんな嫌そうな顔をされている身としては納得がいかないのだが。

 ヨゼルフが声をあげて笑う。

 

「それはそれは。シャレム様はさぞお心がお広いようですな」

「そんなこともないかと思いますが……」

「ご謙遜を。先ほどから、この老いぼれの話しに嫌なお顔ひとつせずに付き合って下さっているはありませんか」

「それこそスロース殿よりよほどお話ししていて楽しいですよ」

「ありがたいお言葉にございます。よろしければまた、話しの続きをさせてくだされ」


 ヨゼルフの足が止まる。

 長い廊下の終着点。客人として応接間にでも通されるのかと思ったが、ヨゼルフは先の言葉通り()()()()()()()()としてクリードを連れてきたようだ。

 ヨゼルフは扉の前で困惑気味にこちらを見ている兵士へ頷く。


「構わん。わしが無理を言って通したと申せ」

「ですが、ヨゼルフ殿……」

「兄上には俺が強引に通ったと伝えておけ」

「お、お待ち下さい、お二人とも……!」


 堂々と部屋の扉を開けるクリードを止めようと慌てふためく兵の様子に優陽は同情した。きっと彼は真面目な人なのだ。

 勢いよく開かれた扉の向こうは執務室のようだ。壁には本棚が備え付けられ、ずらりと並んでいる。庭へ繋がる大きな窓から冬の弱々しい日差しが差し込むも、室内は薄暗い。

 鬱屈とした空気は優陽が一歩踏み入れた時点で感じた。部屋の奥に置かれた(いかめ)しくも品のあるテーブルには、顔色の悪い男が座っている。白いフードを被った男たちが数人、その周りを囲っていた。

 優陽は思わず自分が来た方を振り返る。先ほど行く手を阻んだ男たちかと思われたが、追い抜かれた記憶はない。皆、似たような容姿のせいで同一人物に見えるだけだろうか。

 クリードが怯む様子もなくテーブルの前まで歩み寄るので、優陽もその後を追いかけた。

 

「……息災のようで何よりだ。クリード」

「お久しゅうございます。兄上。あまりお加減が優れないようですな」


 この城の主は重々しい声を発した。

 その目は手元の書簡に向けられ、こちらを見向きもしない。それでも挨拶もせず突っ立ているのも失礼だろうと、優陽はドレスの裾を少しつまんで頭を下げた。


「お初にお目にかかります。デューク・フロスト様。私はエストリンド家が当主、シャレム・エストリンドと申します」


 うんうん。きちんとお名前も覚えている。

 以後、お見知りおきを……。


「お前の顔が見れただけでも良かった。母上に見つかる前に、はやくここを立ち去れ」


 無視?!

 優陽は口にしかけた言葉をぐ、と呑み込む。

 仕方ない。自分は今のフロスト家では最も歓迎されない人間だ。コレは「なかったことにしてやる」の意だろう。


「お話しがあるのは兄上だけではありません。義母上(ははうえ)何処(いずこ)におられますか」

「やめておけ。はやく、立ち去るんだ」


 クリードはテーブルの前から一歩も動かない。デュークも動かない。

 デュークを取り囲む白いフードの一団をクリードが睨んだ。


「兄上と話しがしたい。席を外してくれないか」

「なりませぬ。先ほど面会の使者をお返ししたはず。それを無かったことにされ、このように押しかけるは無礼にも程がございます」

「貴様らに礼儀を説かれる筋合いはないぞ、リュシオンの間者ども。俺が穏便に済ましてやると言っているのが理解できないか」


 クリードの語気が荒くなる。

 その手がいつ、腰の剣へ伸ばされるのかと優陽はヒヤヒヤしながら様子を見ていた。

 場は膠着してしまう。デュークがひたすら何かを書いて羽ペンで紙を削る音だけが耳につく。その顔は青白いを通り越して、土気色をしている。薄暗いのでそう見えるのかと思っていたが、違う。数歩離れたこの位置からでも病的な肌の色は明らかだった。

 何故こんなにも具合の悪そうな男を誰も止めないのか。優陽は白いフードの男たちをクリードに負けじと睨んだ。しかし口を開くことはできない。

 この城内で自分は完全に部外者であり、厄介事を持ち込む疫病神である。そもそも誰のせいでこんなことになっている、とでも言われてしまえば終わりだ。

 ケテル・ミトロンが天羽優陽をこの世界に連れてくるために『シャレム・エストリンド』の人生に介入しなければ、フロスト家は別の道を歩んでいた。間接的にフロスト家を追い詰めているのは間違いなく『シャレム・エストリンド』だ。

 クリードが振り返る。廊下が騒がしかった。優陽が彼の視線を追いかけると、これまた白いフードをまとった女たちに囲まれた女性が一人。足早に廊下を進んでくる。

 彼女がクリードとデュークの母であろう。ひりつく空気に優陽は悟った。きらびやかなドレスに整えられた長い髪。病人のようなデュークと比べて彼女はやけに若々しく見えた。


「お久しぶりです。義母上(ははうえ)


 クリードが頭を下げたので優陽もそれに倣った。突き刺すような視線が降り注いでくる。できれば顔を上げたくない。


「あなたに私を母と呼ぶ資格はありません、クリード」


 入口で足を止めた貴婦人はピシャリと言い放った。


「その上、リュシオンへ忍び込んでいたネズミを連れてくるとは何事ですか」


 やだー。こわーい。もうかえりたーい。

 クリードの後ろで優陽は天井を仰ぎたい気分だった。すでにエストリンド家は彼女にとって同盟相手ですらない。

 何故、リュシオン王国にシャレム・エストリンドがいたことを、すでにフロスト家の奥方が知っているのか。ここまでくれば答え合わせは不要だろう。

 クリードが息をつくのが聞こえる。


「父上が今のフロスト家をご覧になられたら、さぞ落胆されるでしょうな」


 ペン先で紙を削る音が途絶えた。

 クリードの言葉に、若々しい彼女の顔はみるみる赤く染まっていく。


「無礼者! あの方をたぶらかした(けだもの)に似てなんと恥知らずな!」

「無礼は承知の上で参りました。しかし、このまま誰かが諌めなければ、フロスト家は家名を残すどころか消え去りましょう」

「獣と話すことはありません! その役立たずの門兵と共に早急に立ち去りなさい!」


 彼女は廊下を指してまくし立てた。

 ヨゼルフが「やれやれ」と言いたげに頭を振る。優陽も同じ心境だった。クリードから彼女に何を言っても響きそうにない。

 だからと言ってこの状況で小娘が口を出せばますますご立腹なされてしまうだろう。手詰まりだ。

 クリードも沈黙する。ただしやはり動かない。彼の視線は義母ではなく、半分血の繋がる自身の兄に向けられていた。ペンを持つ兄の手は震えている。

 ペンを握りしめたまま、土気色の顔で自身がしたためた文面を凝視していた。


「兄上」

「…………」

「また兄上のために残った者が出て行かれます。お止めにならないのですか」

「……いい」


 デュークの声は重く、苦々しげだった。

 彼の手は再びペンで紙を削り出す。震える手でしたためるそれは、誰宛の手紙なのか。優陽には分からない。

 

「ここにいても、皆を困らせるだけだ……。困らせるだけなら良い……。くだらぬ理由で死なせてしまっては、私は皆の家族に顔向けもできん……」

「デューク様……」


 ヨゼルフが目を伏せる。

 デュークの声は絞り出されるように続く。


「父上が正しかった……。出ていくべきは私だった……。私が家を絶やしてしまった……。すまない……。すまない……。私の妻となったばかりに……」


 この場に最も必要なのはお医者様かもしれない……。

 デュークのひとり言にも思える懺悔に優陽は嫌な汗を覚える。彼が何を書こうとしているのか察してしまった。

 彼はこの先、この家に、自分の家族に。何が起こるのか分かっていて、クリードと自分をここから追い出そうとしているのだ。

 ガリガリと。ペン先は紙ではなく机を削っていた。


「デューク! 何度も申しているでしょう!」


 母は息子に駆け寄る。彼女がその手を取るとペンが床に落ちた。溢れたインクが赤い絨毯へ黒いシミを広げる。


「あなたがフロスト家の当主。私が最初に産んだあなたが、当主に間違いないのです!」

「母上の言う通りにして良かったことなど……。エレーを妻に迎えたことくらいです……。それも、私が出来損ないなばかりに……」

「何を言うのですか! 私の子であるあなたが出来損ないであるはずがないでしょう!」


 頭を抱える息子。それを隣で叱責する母親。

 会話は堂々巡りだった。デュークはひたすらに妻への懺悔を繰り返す。母は自身と彼の血の正当性を言い聞かせる。彼らのやり取りがゴールにたどり着くことがないのは、誰の目にも明らかだった。

 見兼ねたヨゼルフが間に入ろうとした瞬間、その顔がこわばる。クリードが窓に背を向け優陽の体へ覆いかぶさった。

 次には凄まじい音と共に、中庭へ続く大きな窓ガラスが破られた。窓から降ってきた青年は貴婦人が連れてきた白いフードの一団を瞬く間に蹴散らし、修羅場をさらに混沌とさせる。

 驚き、身構える相手を容赦なく力でねじ伏せる彼へ、優陽は慌てて声をかけた。


「ま、まだ何も合図してないよー! アイギスー?!」


 デュークを引きずるようにして部屋の奥まで逃れた奥方が「衛兵!」と声をあげている。おわた。

 しかし、アイギスはそんな逃げ惑う貴婦人や、意識を奪われて床に伸びている怪しい集団など眼中にないようだった。彼はむしろ携えてきた短剣を手に、廊下の先を見据えて唸る。


「奴だ……。俺は……。思い出した…………」

「奴? 誰のことだ?」

「奴はあの場にいた……。エストリンドの屋敷に……。屋敷の者だと思っていた……。だが、違う……」


 クリードは困惑しながらもアイギスの隣で腰の剣へ手を伸ばした。

 廊下の先に人影が見えた。その人影はゆったりとした足取りでこちらへ向かってくる。

 近づいてくるその顔には見覚えがあった。

 思わず、優陽はアイギスの手を強く握る。気付けば足が竦んでいた。

 頭に蘇るのは、夕暮れの駅のホーム。ひるがえるハンカチ。止まらない電車。強烈な痛み。そして燃え上がる屋敷。


「やあ。フロストロンはもう雪が積もっているのだね。いつ見ても手入れの行き届いた綺麗な庭だ」


 部屋へ足を踏み入れた闖入者は呑気に割れた窓の外へと目を向けた。中庭から、凍える風が室内へ絶えず流れ込んでくる。

 クリードはしばしその闖入者の顔を不思議そうに眺めていた。そして不意に何かを思い出した様子でその表情は険しくなり、腰を落として鞘へ手をかける。


「み、御子(みこ)様……? 何故ここへ……?」


 困惑しているのは先ほどまで助けを求めていた女主人も同様だ。我に返った様子で彼女は立ち上がり、恭しく頭を下げる。


「失礼致しました、ケテル様……。まさか直々に当家へご来訪されるとは……。その、報せが……。なかったものですから……」

「うん……? ああ、気にしないで下さい。ここへ来たのは、僕の独断です」

 

 金色の髪。穏やかな声。柔らかな微笑。

 リュシオン王太子。ケテル・ミトロンは朗らかに頷いた。


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