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42.フロスト家

 隙間から入ってきた雪の結晶はぽつぽつと溶けていく。灰色の空から落ちてくる白い粒は日に日に大きくなっている気がした。

 優陽は換気のために開けた窓を一瞬で閉め、昨夜の内容を確認し合う2人の元へと歩み寄る。

 

「まず、預言者の目はリュシオン国内しか見渡せない。そして、預言者の目は強力な魔術師であれば眩ませることができる。コレには間違いなさそうか」

「恐らくは」


 クリードは昨日から長時間座っていたせいか今日は椅子に座らず、地図を広げたテーブルの周りをうろうろしていた。アイギスも棒立ちのまま地図を見下ろして頷く。彼は座って会話しているより立っていた方が落ち着くらしい。


「あの女はエストリンドの屋敷を襲撃する際。何度か俺たちに下見や情報収集をさせていた。屋敷の構造や、兵士が交代する時間。家の者たちの動向……。ヤツの目がリュシオン国外まで見えているなら、そんな必要はない」

「だからフロストロンで暮らしていたユーヒを見つけられなかった、か……」

「リュシオン国外の情報は、神官たちや、間者を使って集めているようだ。それだけでも充分だからな」

「何故、ケテルはリュシオン国内にいながら預言者の目を眩ませることができると思う? お前は魔術師ではないだろう」

「魔術は使えないが、推測はできる」

「?」


 おもむろにアイギスがこちらを見る。フィオが用意してくれた白湯をマグカップへ注いでいた優陽は手を止めた。


「国内にエストリンドの娘がいたなら見逃すはずはない。だが、ヤツはケテルに監禁されていたユーヒを見逃していた」

「……わざと泳がせていた可能性は?」

「ない。ヤツはエストリンドの娘が生きていると知って、エストロランドへ俺を向かわせ、匿っている村や町がないかを虱潰しに探させた。つまり、俺が戻る前までは生死すら分かっていなかったんだろう。少なくとも、リュシオン国内にいるとは思ってもみなかった」

「スロース殿が言っていた通り。ケテルが何かしらの方法で私とスロース殿を見えないようにしていたってことだよね?」

「その方法が分かれば、俺たちもリュシオン内部で預言者に悟られず動けると思ったんだが……。現状はあくまで可能性だな」

「リュシオンの外まで出てきてくれたりとか、しないかなぁ……」

「しない。あの女は城と、併設されている神殿から出ない。出るとすれば式典の時くらいだ」

「だよねぇ……」


 アイギスが裏切ったと分かっていれば余計に警戒しているだろう。そんな簡単に出会えはしない。

 ユーヒは白湯を注いだマグカップをそれぞれの前に置いた。


「国外の動向があの女に見られていないと分かったのは大きい。ただでさえ気色が悪いからな」

「直視されていないだけだ。間者は山ほどいる」

「間者の顔と名前は分かるか」

「リュシオンの民は例外なく、あの女の目だと思え。リュシオンと商いのやり取りのある商人。リュシオンの神を崇める人間。全てだ」

「だろうな……」

「こわいこわい……」


 壁に耳あり。障子に目あり。

 この世界に障子はなさそうだが、壁もドアも薄ければ大差はない。

 肩を落とすクリードの隣で優陽は白湯をすすった。暖かさが身にしみる。


「フロスト家の内部に間者がいるのは間違いない。いや……。間者の正体はすでに分かりきっているが、その証拠がなければ糾弾はできん」

「……義理のお母さんですか?」

「そうだ。少なくとも、反リュシオンの勢力へ賛同、もしくは擁護していた家臣たちをフロスト家から追いやったのは母上だ。それは今、俺と共にここへ来た者たちの大半が証言している。ただ、それはリュシオンへフロスト家を売った証拠にはならん」


 クリードは唸る。

 優陽はチラリとアイギスを盗み見た。彼はすぐそれに気付き、むしろ優陽と視線を合わせる。

 

「なんだ」

「……アイギスは、クリード様のお父さんが病気で亡くなったことについて、何か知ってる?」


 心臓が大きく脈を打っている。この場で聞くべきではなかったかもしれないが、この場で聞くべきだと思った。手遅れになるよりかは良い。

 優陽の不安もよそに、彼はそっけなく首を横へ振った。


「知らない」

「そう……」

「ユーヒ」

「…………」


 名を呼ばれてつい、肩が竦む。

 余計なことを聞いただろうか。

 彼女が恐る恐るクリードを見ると、こちらを見下ろす彼の目は穏やかだった。


「父上は病だ。当時の俺もスロースに探らせていた。寝室には毒や呪いの痕跡は見当たらなかったようだ」

「ごめんなさい……」

「お前の気遣いには感謝する。こちらこそ気を使わせてすまなかったな」


 それもそうか。

 クリードが疑わないはずがない。優陽はひどい罪悪感と羞恥心を覚えた。

 クリードに対してもだが、特に不思議そうにこちらを見ているアイギスへ。

 

「だが、預言者が絡んでいないとは言い切れない。俺はエストリンドの屋敷で死ぬことになっていた。別の任務の情報を、わざわざ俺へ伝える必要はない」

「父上が死んで一番得をしたのは母上だ。預言者が接触していたとすれば間違いなく母上……。その証拠があれば、母上を糾弾し、フロスト家の中心から追い出すことができる。そうすれば兄上も目を覚まして下さるだろう。その証拠が残されていて、発見できれば、の話しにはなるがな……」


 ユーヒは胸を撫で下ろした。事態が好転したわけではないが、不安がひとつ解消されて何よりだ。

 悩むクリードへアイギスは声を潜める。


「フロスト家に魔術師は?」

「……手練れは数人いたが、今は俺とココにいる。フロスト家に残っているのは、大半がリュシオンから推薦を受けた魔術師どもだと言っていた。城には探知の術式が施されているはずだが、今はリュシオンの魔術式になっている可能性が高い」

「むしろ都合がいい」

「内部が分かれば貴様は探れるか?」

「やってみないことには分からないが」

「ダメー。お嬢様命令でーす。許しませーん」

 「…………」


 アイギスに向かって優陽が腕をクロスさせると彼は口を引き結ぶ。

 代わりにクリードが首を傾げた。


「何か理由があるのか?」

「この間まだ怪我が治ってないって言ってたからでーす」

「もう治った」

「貴様……。昨夜の俺の話しを忘れたのか。戦力の消費は極力したくない。万全でないならそんな危険を犯すな」

「治ったと言っている。何の問題もない」

「ソレ治ってない人が言うセリフじゃん!」

「失礼いたします」


 外に控えていたフィオが扉を叩くのと、優陽が立ち上がったのはほぼ同時だった。

 彼女の咳払いに優陽は素知らぬ顔で座り直す。


「気にするな。どうしたフィオ」

「フロスト家へ向かわせた使者が戻って参りました」

「そうか。話しを聞こう。通してくれ」

「かしこまりました」


 フィオは扉の向こうにいた使者へ声をかけた。

 クリードからも促され優陽は背筋を正す。お嬢様を演じるのは実に骨が折れる。猫背すら許されない。

 生暖かい室内に冷たい空気が這い寄ってきた。


「ご苦労だった。無事で何よりだ」

「申し訳ありませんクリード様。クリード様の予想通りと言いますか……。ご期待にそえる成果は……」

「危険な役目を引き受けてもらっただけでありがたい。兄上は息災だったか?」

「あまりお元気とは、言い難いご様子でしたな」


 クリードへの報告の内容は彼の言葉通り、芳しくないものだった。使者の話しが進むに連れ、部屋の入口に立つフィオの表情が険しくなっていく。

 報告を終えた使者へクリードが今一度ねぎらいの言葉をかけ、室内には彼と優陽とアイギスと、剣呑な空気を漂わせるフィオが残った。


「今すぐにでも兵らと共に屋敷を囲いましょう」

「貴様は根っからの武人だな……」


 扉を締めて開口一番。フィオの怒りにクリードは苦笑した。

 クリードは静かに部屋の隅で佇むアイギスへと視線をやる。


「話しは聞いた通りだ。兄上は俺とお会いになりたくないらしい」

「殺すか?」

「お前も殺す以外の選択肢を学べ。ユーヒに言われただろう」

「……どうすればいい」

「私に聞かれても……」


 アイギスがこちらを見る。

 優陽も首を傾げて「うーん」と腕を組んだ。

 『シャレム・エストリンド』としてやって来たからには当然、務めをせねばならない。


「待っていても仕方ないしねぇ……」

「その通りだ。兄上には何としてでも会わねば話しが進まん。俺と貴様で直接出向くぞ。フィオはここへ残れ。何かあれば合図を送る」

「で、あれば私も……」

「うっかり貴様が剣を抜いて、屋敷の絨毯を汚すのは避けたい」

「……かしこまりました」


 苦虫を噛み潰したように唸った後。フィオは頭を下げた。


「しかし、供の一人もつけぬのは……」

「そうでもしなければ兄上……。というよりは母上だ。俺を敷地内に入れまい。だが、俺はともかく、ユーヒには護衛が必要だ」


 そこで、と。クリードは肩を竦めてアイギスを見た。


「アイギス。貴様へこれから屋敷内の構造を伝える。少し離れて俺たちの後をついてこい。気取られるなよ。もし合図があれば、優先してユーヒを守れ」

「……回りくどい」

「もし、兄上の身に万が一があればそれこそエストリンド家との同盟を白紙にされかねん。力でねじ伏せるのは最後の手段だ」

「お前の身内が、真っ先にお前を殺しにかかってきたらどうする」

「アイギス……」


 あまりにもド直球。

 思わず優陽があわあわすると、クリードは意地悪く笑ってみせた。


「その程度の覚悟はとうにできている。どこぞの腹黒い王子にできて、俺にできぬはずなかろう」

「なら構わない。できる限りお前も窓側を歩け」

「……わかった」


 アイギスの視線に優陽は頷いた。

 フィオはクリードの意向を伝えに、クリードとアイギスはボロ布へ簡単な城の見取り図を描き出して情報の共有を始める。

 2人の背中を眺めながら、優陽は密かに息をつく。

 何が「構わない」のだろうか。ケテル・ミトロンも含め、自分の家族を手にかけるなんてことは無いに越したことはない。少なくとも、自分は今もできることなら実家へ帰って家族に会いたいし、どうでも良い話しをしながら食事をしたいと思っている。


「ユーヒ」

「…………」


 悶々と椅子の上で膝を抱えていた優陽は驚いて顔を上げた。

 アイギスは静かにこちらを見下ろしている。


「城の中はだいたい覚えた。俺は先に行く」

「え……? もう覚えたの?」


 窓の外には、正に城と呼ぶにふさわしい建造物が降り続く雪の向こうにそびえているはずだ。エストリンド家の宮殿のような居城とは違い、高い城壁や見張りの塔もある。正面の門からも奥行きがあり、居住のためだけに建造されたものでないのは確かだった。

 アイギスは灰色の瞳でじ、とこちらを見下ろす。


「もう見失わない」

「…………」


 大きな手のひらが優陽の細い手首を掴む。彼が少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。彼からすれば、自分はあの時から何も変わっていない。非力な少女の体のまま、厄介ごとに巻き込まれて抜け出せなくなっている。

 優陽はかわいた手の甲を掴んで頷き返した。


「うん。今度は大丈夫だよ」

「…………」


 彼の指先がゆっくりと離れていく。

 気付けば部屋に残されたのは優陽とクリードだけだった。


「無理をして『シャレム・エストリンド』になりきる必要はない。特に母上は名家のお生まれだ。お前のような小娘に口出しでもしたら、烈火の如く怒り始めるだろう」

「言われなくても私が話すことなんてありませんよぉ……」

「だと良いがな」


 重い足取りで身支度を整えた優陽は用意されていた馬にクリードと共に跨った。フィオを始め、クリードを心配する声に見送られながら、優陽はいよいよフロスト家の居城へと向かう。

 今回はきちんとフィオに防寒具を揃えてもらっているので馬乗で風邪をひくことはなさそうだ。


「……怖いか」

「……そりゃあ、怖いですよ。私、パンピーですから」


 それでも鞍に掴まる手は震えた。徐々に近付いてくる巨大な建築物に見下されている気がして、息が苦しくなる。

 クリードが背後で微かに笑うのが聞こえてきた。


「俺も怖い」

「……クリード様は何が怖いですか」

「さあ。分からん。おかげでなおさら怖い」

「それは、困りましたね」


 馬はそれでも前へ進む。雪の道に蹄の痕を残して。怖いのなら今すぐ手綱をひいて、回れ右をしてしまえば良いのに。彼はそうしない。

 優陽はつられて笑った。


「じゃあ、スロース殿の代わりに一緒にいてあげますね」

「……さすがにスロースと比べては頼りないな」

「人がせっかく気を使ってあげたのにマジレスやめて下さいよ」


 全く、と口を尖らせる。そう言えば一向に姿を見せないその従者は現地集合ではなかったのだろうか。

 正面の門前でクリードは馬を止めた。彼の顔を見た番兵はギョッとした様子で頭を下げる。


「クリード様……! お久しゅうございます……!」

「ああ。久しぶりだな、ヨゼルフ……。近衛長であるはずの貴様が何故、門兵をしている?」


 髭を蓄えた老騎士はクリードの顔馴染みのようだ。訝しげに眉を潜める彼の問いかけに、老騎士はどこか自嘲気味に笑う。


「いやはや……。お恥ずかしい話……。奥方様のご機嫌を損ねてしまいまして……。もう歳なので、体を労りなさいとのお言葉を戴いたもので……」

「……そうか」

「私の話しはどうでも宜しいのです。まさかお供もお連れにならず参られたのですかな?」

「こちらの御息女はエストリンド家の当代。シャレム・エストリンド嬢だ。改めて兄上と今後のエストリンド家との方針を話し合うために来た。兄上にお目通し願いたい」

「……かしこまりました」


 ヨゼルフと呼ばれた彼は共に門の前に立っていた同僚たちに視線を送った。彼らは顔を見合わせた後。頷きあって持ち場へ戻っていく。

 優陽が目を瞬く間に、ヨゼルフは小さな門を開いてクリードを促す。

 彼はクリードの馬の手綱を優しく引いた。馬は彼の歩調に合わせ、ゆっくりと城へと近付いていく。


「……良いのか」

「クリード様。城内はすでにフロストロンではありません。つい先日のこと。妹君がリュシオンの神官たちの元へと嫁ぐようにと奥方様が申され、リュシオンへと向かわれました」

「……兄上がエストロランドへ救援を出さなかったのはそのためだな」

「妹君だけではございません。デューク様の奥様とご子息様、それに付き添われた弟君も、今はリュシオンにいらっしゃいます」

義姉上(あねうえ)が? 何故そのようなことになっている」

「我々とデューク様が魔獣の討伐へ向かい、数日の間、城を空けたのでございます。奥方様はその間に孫の顔をリュシオンにいらっしゃるご親族へ会わせたいと申され、それ以降。奥様とご子息様は戻られません。弟君……。ジュート様がご一緒とは言え皆、心配しております」


 馬を引いて歩く老騎士の顔に、皺が一層深く刻まれる。優陽は思わず身を乗り出していた。

 不謹慎だと分かっているのだがこの歳で「おじさん」と呼ばれるクリードはとても気になる。

 今、この城にはクリードの身内は義理の母と兄しかいない。この状況を作りだしたのがその義理の母だと言うことはやはり限りなく黒なのだろう。


「実の、お孫さんですよね……?」

「左様にございます。奥方様にとっては、お家のため、良かれと思ってやっていらっしゃること。我々がいくらお咎めしたところで、耳を貸してはいただけませぬ」


 ヨゼルフは深い皺をさらに寄せて優陽を見上げる。

 確かに、奥方の判断が間違っているとは言い難い状況だ。むしろ隣国が勢力を増している中、滅亡に近い同盟国と抵抗しようと提言してくるクリードの方がよほど信用ならないだろう。

 家が生き残る最良の選択をするのは当然。それはフロスト家もエストリンド家も変わらない。だから『シャレム・エストリンド』もここで引き返す訳にいかない。

 

「案ずるな」


 馬がぴたりと歩みを止めた。優陽が見上げると、巨大な扉がこちらを呑み込もうとしているようだった。

 クリードに馬から降ろされた優陽は生唾を呑み込む。対して彼はまっすぐにその入口の先を見据えていた。


「明日になれば、貴様はまた隊長に戻っている」


 ヨゼルフは扉を開けた。生暖かい空気が2人を包む。

 

「……こちらへ」


 老騎士は腕を広げてクリードを促す。

 城の中はやけに静かだった。まるで生気が抜かれたように、どこか淀んでいた。

 得体の知れない不安に優陽の足は竦んだ。

 ここにいるべきではないと。少女の体が告げている。


「案ずるな」

「…………」


 繰り返された言葉に、優陽はぎこちなく顔を持ち上げる。クリードは彼女の手を取り、まるで自分自身を鼓舞するかのように一語一語を噛みしめていた。


「俺のこれまでの努力は、この時のためにしてきたものだ。もう一度。この一度だけでいい。俺に機会を与えてくれ、シャレム」

「…………」


 優陽はクリードの手を握り返した。

 震える彼女の手を引き、彼は老騎士の背中を追いかける。

 そう。今度はきっと、大丈夫。

 優陽は窓の外を見る。白に覆われた世界は何も見えそうになかったが、不思議と彼女を安心させた。


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