41.言葉はいつもままならない
フロストロン領は北東に広がる高原。周囲を山と丘に囲まれており、その中心地にフロスト家の城があるらしい。
以前、優陽が世話になっていたのは当主の城から離れたエストロランド近くの屋敷だった。そのため、今回で初めてフロストロンの中心地へ向かうこととなる。
「フロストロンはこれからの季節、雪に覆われるため商いも難しくなる。が、それ故に敵の侵攻も寄せ付けん。内部からの調略を謀ったのはそのためだろう。大軍を率いて攻め込むより、よほど効率的だ」
クリードはフロスト家の城が遠目に見える丘の上。そこにある農村で一団を休ませた。
村の人々からは邪険にされるどころか大いに歓迎されている。
それもそうだろう。クリードは優陽と出会った頃から時間があれば近隣の村や町を巡り、近況を伺っていた。困ったことがあれば逐一、兄へ取りつごうと言って手紙をしたためていたのも覚えている。クリードが彼らにとって好意的な人物であっても不思議ではない。
広いとは言えない村にはぎっちりと人や馬が詰め込まれている。
クリードは村長の屋敷の一室を借りて優陽を呼びつけた。あまり乗り気でないアイギスを連れてきた優陽はクリードの隣で一緒に地図を眺める。
「フロスト家へ送った使者からの返答を聞かない限りはどうにも言えんが、今すぐこの地が戦地となる可能性は低い。先にエストロランドへ攻撃をしかけてきた様子からしても、フロスト家にはすでに戦う意思がないからな」
「エストロランドはもう実質、フロスト家の領地ですもんね。それをあげるから、見逃してくれ。ってことだった……?」
「だとすれば、俺は兄上の横面を一度殴らねば気が済まん」
「暴力はダメですよー」
「兄上は浅慮なお方ではない。冬が過ぎて雪が溶ければ、リュシオンの大軍が攻めてくることなど承知のはず……。エストロランドの民を見殺しにするほどの理由が、何かあられたのだろう」
テーブルへ広げたフロストロン領内の地図はクリードが描いたらしい。丘に川。村や町。小さな砦から家臣の屋敷まで、全て位置を把握しているようだ。
クリードは声を潜めた。
「『ユーヒ』のことは話したのか?」
「話しました。予想通り、夜中に抜け出そうとしたのでフィオさんに止めてもらいました」
「預言者を殺しに行こうと?」
「ケテルの方です」
「そっちか」
いやはや。宥めるのは一苦労でした。
げっそりとうつむく優陽越しにクリードはアイギスを盗み見る。似た者同士と言ったら怒られるので口には出さないことにした。
クリードは席を立つと部屋の隅で丸くなっていたアイギスの前で足を止める。
アイギスがじとりと彼を見上げた。
「貴様と手を組むのは本意ではない。が、勝つためならば仕方あるまい。今は手を組んでやる」
「……俺はお前と手を組む気はない」
クリードが差し出した右手から、アイギスは目をそらす。
口を開きかけた優陽だったが、クリードは手を引っ込めない。一度口を閉ざして、彼らのなりゆきを見守ることにした。
「聞こえなかったか。俺も仕方なく貴様と手を組む。それはこのままではユーヒの命が危ないからだ。そんな単純なことも分からぬほど、貴様も馬鹿ではあるまい」
「…………」
「リュシオン国王を倒さん限り、ユーヒは命を狙われ続ける。その上、貴様の命も残り僅かときた。貴様が死ねば戦力がその分だけ減る。今は少しの戦力も無駄にはできん。イヌだろうが、ケテル・ミトロンだろうが、必要であれば手を組まねばならん。貴様と違って、俺には妻であるシャレム・エストリンドを守り抜く義務がある」
「いえ。妻ではないです」
勝手に事実を改変しないで欲しい。話しの腰を折るのもどうかとは思ったが訂正はせねば。
優陽が強く首を横へ振る一方で、アイギスは再び差し出されたクリードの手を見た。
「……俺は、別に……。お前と手を組まなくても……」
「殺せなかったからあのような愚行を犯したのだろうがたわけ!!」
「おぅ……じーざす……」
ぼそぼそと応えたアイギスの体がふきとばされた。
振りきられたクリードの拳に優陽は思わず目を閉ざす。スロースもいないのに誰がコレを止めるのだろう。
「誰が貴様の尻拭いをしたと思っている! 貴様が余計なことをしなければわざわざ『シャレム・エストリンド』を表舞台に立たせる必要はなかったのだぞ! ユーヒが何度も貴様の命を助けてくれると思うなよ!」
そっちを怒っているのか……。
立ち上がりかけていた優陽はクリードの剣幕にすごすごと席へ戻った。クリードはアイギスの態度が気にくわないのではなく、アイギスを庇うために『シャレム・エストリンド』が表に出ていかなくてはいけない現状に腹を立てているようだ。
ここで自分がまたアイギスを庇えばさらにヒートアップしてしまうだろう。優陽は扉をチラリと盗み見たが、外で控えているはずのフィオが入ってくる様子はない。
声を荒げるクリードにアイギスは目を瞬いている。
「何の、話しだ……?」
「おい! まさか話してないのか?!」
アイギスの胸ぐらを掴んだままクリードがこちらを睨むので、優陽は視線を泳がせた。
「だって……ここに来るまでフィオさんがずっと一緒だったから、時間がなくて……」
「コイツのせいで殺されかけたんだぞ!」
「でも、アイギスは……」
「これ以上あまやかすな!」
「すいません……」
なぜ、私まで……。
優陽は椅子の上で膝を抱える。
アイギスを見下ろし、クリードは盛大に悪態をついた。
「どうして自分がまだ生きていられると思っている? 自分がやってきたことは覚えているのだろう?」
「…………」
「貴様を誅すべきだと言い出した者たちを、『シャレム・エストリンド』が説き伏せたからだ。貴様が眠っている間、皆の前でな。おかげで『シャレム・エストリンド』は両親の復讐を誓わねばならなかった。貴様が知っているリュシオンの内情と引き換えに、だ」
「……聞かされていないぞ」
「だから〜! 時間がなくて〜!」
視覚外から突き刺してくる2つの視線に優陽は頭を抱えた。
クリードは深呼吸をいくらか繰り返す。
「……何にしても貴様は一度、リュシオンから逃れようとして失敗した結果。あのような事態になったのだろう。ならば、大人しく手を組め。貴様だけでは成せなかったことも、他の者の助けがあれば成せるかもしれん。それが例え、相手が神だとしてもな」
「…………」
クリードは今一度、握っていた拳を開いてアイギスへと差し出した。
アイギスはしばし、その手を見つめていたがまたぼそぼそと口を開く。
「俺に……どうしろと……」
「リュシオンの内情に詳しいだろう。できる限りの情報をよこせ」
「そう、じゃない……」
アイギスは視線の行き所を探している。
「その手を……俺は、どうすればいい……」
「……まずは立ち上がれ」
しばし沈黙があった。優陽はその場から動かずに2人の様子を眺める。
アイギスはクリードの言う通り素直に立ち上がった。
「俺と手を組む気があるなら、右手で握り返せ」
「握れば良いのか……?」
「できれば相手の目を見て握手を交わせ。それが礼儀だ」
「…………」
クリードの言葉に、アイギスはぎこちなく自分の右手を伸ばして彼の手を握った。視線は一瞬交わった気もしたが、アイギスは困った様子ですぐに優陽の方を見てしまう。
「良かったね、アイギス」
「…………」
よく分からない、と顔に書いてある。それでも優陽は彼と握手を軽く交わしたクリードを見上げて笑う。
「クリード様って実は照れ屋ですよね」
「こんな時にからかうな……」
クリードは手で口元を覆い、軽く咳払いをした。
彼は優陽の隣席へ戻ってくると、テーブルを軽く叩く。
「それで、だ……。改めて今後の動向のためにも貴様の話しをよく聞かせろ、アイギス。特に預言者の能力については知らねば命取りになるからな」
「うんうん。仲直りしたし、ちゃんとお話ししよう……」
しかし、返事がない。
優陽とクリードが見ると、彼は未だに壁際で立ち尽くしている。
「……どしたの、アイギス? 座らないの?」
「……座って、良いのか?」
「座らなければゆっくり話しができんだろう。どうせフロスト家へやった使者が戻ってくるのは速くても明朝だ」
「丘を登り降りするにしても、ずいぶん遅くありません……?」
「フロスト家の中で、俺と顔を合わせるか、追い払うか。さもなくば始末するかで揉めてる頃合いだ。あまり気長には待てんからな。2日経っても返事がなければ屋敷へ勝手に出向く」
「だって、アイギス。2日あれば話しきれそう?」
立ち尽くすアイギスに優陽は隣の椅子を叩いて勧める。
思えば、アイギスと話すことはあっても、彼の口から彼の話しをゆっくり聞くことは今回が初めてだ。
アイギスはクリードと椅子を交互に見てから、ようやく腰を下ろした。
「2日あれば……話せるはずだ……」
「ならばアイギス」
「……どうして、そう呼ぶ」
「?」
話しがなかなか進まない。
クリードを遮り、次にアイギスは優陽を見下ろす。その様子はまるで借りてきた猫のようにしおらしい。
「それは……ソイツが、俺をそう呼んでるだけだ」
「……握手を交わした相手をイヌと呼び続けるほど、俺は不躾な人間ではない。お前がイヌと呼ばれたいのなら、俺は全く構わんが?」
「…………」
アイギスは首を横へ振った。
クリードはやれやれと肩を竦める。
「預言者とはもう縁を切るのだろう? だったらユーヒからもらった名を使えば良いではないか。意味は分かりかねるが、悪くない響きだと思うぞ」
「俺の、名……」
「アイギスの方がかっこいいとおむぐ……!」
「何らかの私情は過分に感じるがな……」
挙手して主張する優陽の口をクリードの手がふさいだ。解せぬ。
「どうする?」とクリードは改めてアイギスへ問いかける。
優陽も彼を見上げた。アイギスは少し居心地が悪そうに頷く。
「分かった……」
「では本題に入るぞ、アイギス。いいな?」
「ん…………」
今度は、頷きながら返事をする。
クリードから「アイギス」と。呼ばれる度にどこか落ち着きなさそうに視線をさ迷わせる彼を、優陽は隣で微笑ましく眺めていた。




