04.お客様、困ります……!
その日のシャレムは我が家の雪かきをしていた。屋根には上ることができないので、アイギスが落としてくれたものを家の周りに運んでいく。
彼は何をやっても手際が良い。柱を軋ませていた屋根の雪はあっという間になくなっていく。
シャレムは雪下ろしが済んだ家のかたわらへしゃがんだ。拾ってきたバケツに雪を詰めているこの木製のスコップもアイギス製である。
しゃがんでバケツに雪を詰めて、詰めた雪を家の脇へよける。作業を繰り返しながらシャレムは鼻歌を口ずさんだ。
「黙っていられないのか」
「美少女が歌を口ずさむのはごく自然なことでは?」
「…………」
返答はない。
口を尖らせ、シャレムはバケツの雪を日当たりの良い場所へ積み上げる。豪雪地帯でなくて本当に良かったと思う。生まれた場所がもう少し北にずれていたら去年の今ごろは凍死していたに違いない。
額に滲む汗を拭い、シャレムは一息ついた。
人通りがあれば雪かきもせずに済んだかもしれないが、いかんせんここは森の中。人通りはおろか、馬のいななきが聞こえるなんてことは実にまれだ。
……馬?
シャレムが振り返ると、わずかに拓けた獣道をかき分け凛々しいサラブレットが現れた。一頭ではない。馬に乗った2人の男は彼女の前後をふさぐように止まる。
呆気に取られているシャレムを、彼らはじとりと見下ろす。
「名は?」
「え……?」
「名乗れと言っている」
いきなり現れて不躾ではなかろうか。いつものごとく野盗かと思いきや、身なりが明らかにそれではない。
彼らは上等な毛皮のついた外套に身を包み、装飾が施された馬具にまたがっている。馬具の細工もさることながら、携えられた剣は輝くほど磨きあげられていた。
諍いは避けられるなら避けたいものだ。迷った末に彼女は口を開くことにした。
「シャレムと申します」
「家名は」
「……エストリンドです」
「……本当に生きていたとは」
メガネをかけた男の呟きが耳に入る。
どうやらこの男たちはエストリンド家を知る者らしい。そんな気はしていたが。それにしてもこの世界にもメガネはあるのか。いやいや。そんなことを考えている場合ではない。
シャレムは頭を痛めた。
問題は彼らがエストリンド家に同情する人間なのか。その横暴を許すまじとした領民なのか。はたまた、そのどちらでもないのか。と言うことだ。
感嘆の声を漏らした男の隣で一際に見事な意匠をこらした馬具に跨る男が鼻を鳴らした。
「あの男の一人娘となればとんだ高飛車娘に育っているかと思ったが、素直で喜ばしいことだな」
そうですね。今しゃべっているのは『シャレム・エストリンド』の皮を被ったパンピーですので。
喉まで出かかったそんな言葉を呑み込む。
彼が馬を降りると、もう片方もそれに続いた。どうやら若い彼の方が上司らしい。
長身の青年は青みがかった頭髪をかきあげる。アイギスと同年代に見える。そう言えばアイギスは雪下ろしに夢中で気付いていないのだろうか。
彼はこちらへ右手を差し出す。
「私はクリード。クリード・フロストだ。ミス、シャレム・エストリンド」
「クリード様。この様な場所までご足労いただきまして何の御用でしょう?」
「無論、あなたをお迎えにあがったのですが?」
お迎え? さっきどの口が高飛車娘だって?
表情を見られるとまずい気がしたのでシャレムは軽く頭を下げた。
「なぜ今になって?」
「何故……? 当然でしょう。あなた様のご両親の亡き遺志を継ぎ、現在は我がフロスト家が旧エストロランド領を統治しております。あなた様が未だ健在と言う噂を聞きつけ、こうして捜し回っていた次第にございます」
ははーん……。お前、さてはロクなヤツじゃないな?
知ってるぞ。だいたい一番最初に手を差し伸べてきた輩はロクな人間じゃないんだ! それ散々やられたぞ! 初見プレイでほぼ毎回死亡分岐かバッドエンドへ進む私を舐めないでいただきたい!
心の中でまくしたてた彼女ははた、と気付いた。
「……以前、どこかでお会い致しました?」
「おや。まさかとは思っておりましたが、顔だけでなくこの名までお忘れになったと? お父上に似て薄情であられますな、シャレム嬢」
クリードは笑みを深める。表情とは裏腹、彼は気分を害したようで明らかに語気が冷めた。
薄情と言われましても。
シャレムはますます首を傾げた。
この顔だけは良い男。天羽優陽ではなくシャレム・エストリンドと面識があるのだろうが、彼女の記憶を遡ってもなかなか出てこない。いや、ぼんやり。うっすらと。記憶の奥底に眠っているような……。
「シャレム嬢。このまま立ち話も難でしょう。つきましてはご同行願いたいのですが」
「お気持ちはありがたく思いますが、ご遠慮させていただきます。お父様の罪を認め、私自身も償いをしなければなりません」
きっと代わりの統治者がまたロクな奴じゃなかったとか言って民衆が怒ってるから、代わりの人柱にしようとか思ってるんだろ。そうに違いない。知らない人にはついて行っちゃダメって小学生で教わるんだからな。
考える素振りを見せるもシャレムはそれっぽいことを付け加えて今一度、頭を下げた。
「贖罪のご自覚があるのでしたら話しが早い。このような場所で密やかに暮らしている場合でないこともご承知でしょう?」
なんとも邪悪な笑みだこと。
シャレムはその表情に感心すら覚えた。彼女の手首をクリードが掴む。
少女の手を取る力加減ではないぞちくしょーめ。
シャレムは両足に力を入れて踏ん張り、反射的にスコップを持った手を振り上げる。しかし彼女のスコップがさく裂することはないまま、クリードの体は吹っ飛んだ。
驚いたのはシャレムだけではない。従者と思われる男が剣の柄に手をかけるも、主人が組み敷かれていては抜く訳にもいかなかった。
クリードは眉を潜め、血の入り混じった唾を吐き捨てた。
「なんだ、貴様は。エストリンドの狗か?」
「…………」
白い雪の上に、ぽつんと赤い点が落ちた。
アイギスは無言でクリードの喉元に錆びついたナタを突き付ける。
「死にたくなければ出て行け。二度とそのアホヅラを見せるな」
「貴様こそ口のきき方に気をつけろよ。俺を誰だと思っている」
「死人の名前などどうでもいい」
どうにも穏便にはいかないようだ。
シャレムは振り上げていたスコップを背中へと隠す。
「クリード様」
「うるさい。手を出すな、下がれ」
「…………」
主人の命で従者の男はアイギスから目を離さず、徐々に距離をおく。
アイギスは体を前に倒し、さらに声音を低くする。
「とっとと失せろ。血で床を汚すとそいつがうるさい」
「口のきき方に気を付けろと言ったはずだ」
「っ…………!」
アイギスの体が蹴り飛ばされ、ふらふらとよろめく。むせるアイギスの手からナタが落ちる。クリードがその胸ぐらを掴むと、右ストレートが見事にきまった。
「狗になぞ、剣を抜くまでもない」
あわあわと。シャレムがどうにかして間に入ろうとしている中、クリードは鼻で笑う。
その言葉にカッチーンときたらしい。アイギスの顔から表情が消えた。
伝ってきた鼻血も構わずアイギスはよろめいた脚に力を入れ直して地面を蹴る。低い姿勢のタックルを受け止めとるも、クリードは体格差に押されまた地面へ倒れた。
「クリード様……!」
「手を出すなと言っただろう!」
「しかし……」
駆け寄ろうとした従者をクリードは一喝した。そこへアイギスの拳が入る。クリードも負けじと雪の上をもみ合ってアイギスの顔を殴る。
シャレムはクリードの従者と顔を見合わせて立ち尽くした。互いにどうにかしてくれと思っていることだろう。 顔の良い男が殴り合うのは趣深いと思うのだが、目の前で繰り広げられると困ったものだ。
クリードは邪魔だとばかりに腰に差していた剣をベルトごと外した。
「とっとと失せろクソガキ……」
「狗の分際で俺に指図するな……!」
「あのー……ケンカはよくないと思いま~す……」
もみ合っては殴り合い。胸ぐらを掴んでは殴り合い。雪道に乱闘の痕跡が残されていく。
シャレムはその後を追いかけることしかできなかった。あまりにも殴り合いが白熱していくので口を挟もうにも挟めない。挟むとなぜかこちらが怒られる。
クリードの従者が隣でため息をつくのが聞こえてきた。
「これだから子どものお守りは……」
「…………」
シャレムが盗み見ると、目が合った従者はメガネを指で直した。
「失礼。正直者でして、つい」
「そうですネ」
彼は何事もなかったかのように腕組みしている。
これはこれでタチの悪い男に違いない。
森が少し開けたところでようやく2人が静かになった。雪の上で荒い息を繰り返すアイギスの元へ、シャレムは膝をつく。
シャツには赤黒い斑点で斬新なデザインが描かれていた。顔の至るところに痣。けれども腹の虫だけはおさまらないようで、またふらふらと立ち上がろうとする。
「アイギス、いったん落ち着こう? ほらほら。アイギスの勝ち。びくとりー」
「あのクソガキ……ぶち殺す……」
「そんな物騒な言葉使わないの。ステイ、ステイ……」
いつものように手を伸ばして布切れで鼻血を拭ってやると、呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
一方のクリードも雪の上に転がり、同様の悪態をついている。従者が手を貸そうとすると、彼はその手を払った。
「クリード様。その様子ではどうにもならないかと思われますが、どういたしますか」
「黙れ……! アレは俺のモノだぞ……! 誰が退くか……!」
アイギスが手加減するはずもない。彼も同様に綺麗な顔が痣だらけで酷い有り様であった。歯も欠けていないのは幸いだろう。
クリードは難とか自力で上体を起こすと、シャレムを指す。
「エストリンド候が死んだならアレは俺のモノで相違なかろうが! なぜ汚ない狗にくれてやらねばならない!」
「しかし、あの様子ではシャレム様はクリード様のお顔すらご記憶にない。お相手もすでにいらっしゃる。となれば、お約束は成り立たないのでは?」
「俺の妻になることを考えると言ったのはこの女だぞ!」
何だって?
シャレムがクリードの言葉に目を瞬いたのとほぼ同時だったろう。
アイギスからの倍返し右ストレートがクリードの顔面に直撃し、彼の意識を吹っ飛ばした。