39.自己肯定感はとりあえず上げておいた方がいい
死ぬかと思いました。
天羽優陽は呆然と天井を、虚空を見つめる。
アイギスの隣でうとうとと心地よく微睡んでいたというのに、突如として扉が開かれ、裁判が始まっていた。比喩ではなく、アレは裁判だった。魔女を、悪魔を火に焚べるための審判。判決が一度出れば覆ることはなく、逃れることもできない。
優陽の思考はその場でほぼ停止していた。恐怖が濁流のように呑み込んで彼女の逃げ場を奪った。
スロースを庇ってレイ・ジールの前へ飛び出した時は違う。
レイ・ジールには『シャレム・エストリンド』の言葉を聞く意思があった。スロースに怒りを向けてはいたが、シャレムの言葉を吟味し、その必要性を自身へ問いかける素振りを見せた。だからあの時はまだ相手を説得する余地があったのだ。
しかし優陽の部屋に押し掛けてきた者たちは、断罪を目的としている。説得は無理だと直感的に悟った。
アイギスを差し出さない限り部屋から出ていくつもりはない。何故なら彼が親しかった者の命を奪ったからだ。理由は明確で、そして優陽には彼らの感情を否定することもできなかった。
そんなに寄ってたかって責めたてられなくても理解はしている。それでも彼は渡せない。渡せない理由を、自分は絞り出さねばならなかった。
だからと言ってそれらしい理屈を羅列して並べても彼らは納得しない。彼らの怒りは『理屈』では収まらないだろう。
説得ができないのに、どうやってアイギスを引き渡さずにこの場を治めるのか。
人の壁の向こう。視界の端にラーストーの背中が見えた。クリードと何かを話している。険しい表情からして助けは期待できそうにない。
そして優陽は思い出した。思い出してしまった。
己の唯一の武器。唯一の希望にして、『天羽優陽』だけでなく『シャレム・エストリンド』をも切り刻むもろ刃の剣。
「静かになさい」
優陽はそうせざるおえなかった。説得ができないのなら、命令するしかない。『シャレム・エストリンド』であればそれが許された。加えて、彼らが求めている真に断罪すべき相手は、両親を殺された『シャレム・エストリンド』だからこそ提示できる。
「それとも。私と彼に代わり、リュシオンの預言者と国王を討ち果たしてくださる勇者様がいらっしゃるのかしら?」
彼女を責め立てる声は途端に消えた。
戸惑いや、憤りを持て余している表情を浮かべる人ごみのその奥で、ひとりだけ。心底、満足そうな男がひとりだけいる。隻眼を細めてこちらを眺める男を、優陽は内心かなり汚い言葉で罵った。自主規制。
気づくのが遅すぎた。はめられた。後には退けない。なら、せめて道連れにしてやる。
そんな些細な彼女の抵抗をあざ笑うかのように男は目の前で膝をついて頭を垂れた。まるでこうなることを望んでいたかのようだ。分からない。こんなことをして何の得があるのだろうか。
ラーストーが部屋から人払いをする。扉が閉まると再び室内には平穏が戻ってきた。
アイギスの隣へ倒れ込んだ優陽は唸る。
『シャレム・エストリンド』を演じ続けるのは不可能だ。それは自分が一番分かっている。今ですら罪悪感で吐きそうなのに、こんなことを死ぬまで貫くのは無理。ゼッタイに、ムリ。
「それにしても、よくあんなシャレムちゃんっぽいセリフ出てきたな……」
言っていることが支離滅裂となっているが、優陽は我ながら感心して腕組みをして頷く。
コミュ力に自信がある訳でもなし、ノベルゲームの経験値もさほど高くない割には素晴らしい機転だったのではないだろうか。
まるで以前にもこんなことがあったかのようにスルスルと言葉出てきた。
もしや高飛車ご令嬢の才能があるのでは?
「ひとまず安心ですネ。今のところは……」
そんな現実逃避をしている場合ではない。
優陽は寝返りをうってアイギスを見た。あの騒ぎの中でも身じろぎもせず眠っている。もはや気絶だ。
アイギスとスロースには時間がないらしい。はやくリュシオンの呪いを解かなければ。そのためには女王か国王と話さねばなるまい。
しかし話そうにも向こうはこちらを殺そうとしている。話す余地などあるのだろうか。可能性があるとすれば、ただ一人。
「ケテル・ミトロン……」
もう会いたくない。
会うたびに嫌なことが起きる。それでもこの状況では会わざるおえなくなった。
アイギスの隣で悶々と考えている内に、またウトウトと眠気に襲われる。
何だかんだ自分も風邪をひいているし、体はまだ13歳のまま。死んでいないのが不思議でならない。
「シャレム様。お休みのところ申し訳ありません」
「…………?」
気のせいでなければ女性の声が聞こえた。凛としたよく通る声だ。まだお迎えはきていないはず。
優陽が目を擦りながら体を起こす。そこには甲冑を身に着けた女性が一人。確かにいた。金髪の美しい髪を後ろでひとつに束ね、白い肌は玉のよう。そして長く尖った耳。
「……エルフ、お耳?」
「はい。私はフィオレジスティアと申します」
「ふぃお、れじ……?」
「フィオで結構です。エルフは先祖代々、名を受け継いでいくため、家が続くほど名が長くなりがちなものでして」
長い金色のまつ毛に碧眼が隠れる。お美しい。まるでエルフを画に描いたようなエルフ。
この世界にはエルフが存在している?
それとも他の言語同様に『シャレム・エストリンド』の記憶から『天羽優陽』の記憶の近しい言葉に紐づけられている?
どちらにしても謎は深まるばかり。
眠気まなこで首を傾げる優陽にフィオは微笑ましそうに頬を緩めた。
「先ほどのお姿。たいへんご立派でございました。まだご成人もされておられませんのに、さぞお疲れでしょう」
「……聞いていたんですか?」
「はい。シャレム様のお言葉に感銘を受け、私フィオレジスティア。先ほどクリード様へシャレム様の護衛として志願いたしました」
「そ、そんなに……?」
胸を張るフィオ。優陽は思わず視線を泳がせた。
必死過ぎて発言の中身をきちんと精査している余裕はなかった。余計なことを口走っていなければ良いのだが。
優陽の心配をよそに、フィオを頭を垂れる。
「目的のためならば自身の仇敵とも手を組まれるそのお覚悟……。私には到底できません。シャレム様の大器、そして慈悲深い御心に皆、感服しております」
「さすがにそれは言い過ぎでは……」
「ご謙遜を。目先の感情に囚われず、大局を見据える。将には欠かせぬ才能にございますれば」
言えない。隣でスヤスヤ眠ってるお兄さんを助けるために必死でほとんど覚えてないです、とは。とても言えない。
優陽は観念してぎこちない相槌を返した。
「そのように言っていただけるとは何よりです……。ところで、私に用事とは……?」
「クリード様より言伝てが。近くフロストロンへ発つため、身支度をせよ。と」
「フロストロン領……?」
思わず窓の外を見ると斜陽が空を赤く染めている。
目を瞬く優陽にフィオは頷く。
「エストロランド領の勢力はラーストー殿がまとめてくださるそうです。我々は急ぎフロストロンへ向かい、フロスト家と和平を結び直さねばなりません」
「そう言えば、なんか……。フロスト家も大変なご様子、みたいなことをおっしゃってましたね……」
ラーストーが先の言葉通りに仕事をしてくれることにも驚きだが、昨日の今日でもう出発の準備とはかなり時間がないようだ。
優陽はアイギスを見下ろす。察した様子のフィオが続けた。
「その者はご心配なく。クリード様がシャレム様のために牛車を用意しております。荷車になってしまい申し訳ありませんが、クリード様はシャレム様がその者と私を側に置けるようにとのことでしたので……」
「クリード様とあなた方のお気遣いに感謝いたします。私のことはお気になさらないで下さい」
わざわざアイギスのために荷車を用意してくれるとはどういう風に吹き回しだろう。とてもありがたいが一抹の不安が過ぎる。
そんな優陽の心配もよそにフィオは柔和に微笑んだ。
「今夜は彼と共にお休みになられますか?」
「そうですね……。目が覚めたらきっとお腹が空いているだろうし……」
「では、私もお手伝い致します。シャレム様がお食事等で席を外される時は私がここへ残ります故。お疲れになりましたらお声かけ下さい。ドアの外におります」
「でも、フィオも準備とか……」
「私はほとんど身ひとつでクリード様に仕えておりますので荷造りはすでに済ませて参りました。それよりもシャレム様のお着替えなどが必要でしょう。私でよろしければ工面して参りますが、いかが致しますか?」
「……そうして戴けるととても助かります。お願いしてもよろしいですか?」
「かしこまりました。では、しばしこちらを離れます。何かあれば外に見張りがおります故、お申し付け下さい」
「ありがとうございます。フィオ」
一礼して、彼女は部屋を去った。扉が閉まると優陽は顔を覆う。
ま、眩しい。そして心苦しい。
『シャレム・エストリンド』を演じ続けるのは、やはり無理だ。だからと言って今さら『天羽優陽』には戻れない。戻る体がない。
ならせめて安穏とした生活を送らせていただきたいが現状ではそれもできない。
解決する方法はこの国家戦争を終わらせること。そのためには――。
「そして以下略」
やはりケテル・ミトロンに会うしかないようだ。
同じ結論に至った優陽は考えるのをやめた。同じ結論に帰結するのならばこの自問自答に意味はない。
では、『シャレム・エストリンド』を演じる天羽優陽は次に何を考えるべきか。
「クリード様のご実家に行くんだよね……?」
フィオの言葉を思い出し、優陽は口元へ手をそえる。
ケテル・ミトロンの言葉を真実だと仮定しよう。あくまでスロースの判断を信じているのであって、あの腹黒王子を信用している訳ではない。断じて。
その仮定では本来、自分はクリードの妻となっている。そして『シャレム』がエストリンド家の家臣を、クリードがフロスト家の家臣を動かしているとすれば、フロスト家の当主はクリードということ。彼の兄と義母はどうしているのだろうか。現状との大きな差異はソコだ。
クリードやスロースはよほどのことがない限り、クリードが当主となることはないと言っていた。クリードの兄が亡くなったとしても、クリードの弟たちが家を継ぐと。
「フロスト家によほどのことがあった……。当主にならないはずのクリード様が当主になるほどの……」
クリードはこれからフロスト家の当主になると豪語はしていたが、言葉の節々に兄への敬意が感じられる。父親の話しはしないが、兄の話しはぽつぽつとこぼしているのだから、嫌ってはいないだろう。
「そう言えば、クリード様のお父さんはどうして亡くなったんだっけ……?」
どこかで聞いた。どこだ。思い出せ。
優陽は頭を抱える。
周囲の人間にとって当たり前の情報は今さら話題にすらならない。しかし『シャレム・エストリンド』はとことん屋敷の外に興味がなかった。他家の事情など爪の甘皮ほどの興味もない。今の天羽優陽を困らせている要因のひとつである。
『フロスト家の当主が病にて亡くなり、次いでエストリンド家もあのような惨事に……。フロスト家は順当に継嗣が当主を継ぎ、エストロランド領を吸収し大きくはなりましたが、リュシオン王国に勝るほどではありません』
そんな彼女へ、丁寧に外の世界の情勢を教えてくれた声を思い出した。彼女、サヘルはそう言っていた。
優陽の視線は自然と、再びアイギスを見下ろす。
都合よく、反対勢力の主軸になっていた当主が立て続けに亡くなった。そしてエストリンド家の襲撃は、預言者に命じられた彼が起こしたものだ。ならば、フロスト家の当主も病で亡くなったと、本当にそう言い切れるだろうか。
静寂に満ちた部屋。今まで居心地の良かったその静寂が不意に彼女へのしかかってくる。
喉の渇きに耐え切れず、優陽は扉の外へと声をかけた。




