37.憂慮
クリードは深くため息をついた。ため息しかついていない。
窓から差し込む冬の日差しは弱弱しく室内を照らしている。灰色の窓の外は一月も経てば本格的な冬が訪れるだろう。その前に積み重なっている厄介ごとを片付けていかねばならない。
「あの『雑ざりもの』。どうされますか」
「それを決めるのは俺ではない」
扉の前にたたずむ男はメガネ越しにこちらへ問いかける。
クリードはテーブルの上へ腰かけ、頭を抱えた。
「エストリンド家の当主を手にかけた当人が目の前にいるのだぞ。ラーストーたちが黙ってはいまい」
「いかにも」
「ユーヒには悪いが俺にはどうすることもできん。当主の暗殺だけでなく、ここ数日の村々の襲撃もヤツだろう。……ユーヒのおかげで俺が5年前『シャレム・エストリンド』を囲いこんでいたことも知られている。ここで俺がヤツの肩を持てば、ようやく得てきたエストロランド領内での俺の立場へさらに支障をきたす」
「賢明なご判断です」
「……言いたいことがあるなら、はっきり言え」
苦虫を嚙み潰してクリードは唸る。
言葉とは裏腹、冷ややかな声音のスロースは「では」と続けた。
「クリード様のおっしゃることはもっともです。今ここであの『雑ざりもの』を庇えばクリード様のお立場は確実に悪い方向へ向かうでしょう」
「ああ」
「ですが、アマバ・ユーヒはクリード様が何をおっしゃった所で、あの『雑ざりもの』が死ぬことを由とはしない。最悪、巻き込まれて死にます」
「だから頭が痛いのだろうがっ……」
説得するだけムダだ。
スロースとレイ・ジールの間へ割って入ったことに始まり、自分の命を顧みず他人を助けることが当たり前の人間に何を言っても結果は決まっている。
クリード自身も不思議と分かっていた。どんな甘言も、脅しも、彼女には響かないだろう。
彼女は目の前で他人が死ぬことを恐れる。クリードには当たり前の出来事も、彼女には当たり前ではない。クリードにとっては珍しくもない出来事が、彼女にとってはあってはならない恐れるべき出来事である。それが良くも悪くも、彼女をここへ導いた。
クリードの指は無意識に自身の額を小突いている。
「それで……? 貴様はケテル・ミトロンからあの狗について何も聞かされていないのか?」
「ええ。クリード様にはじまり、ラーストーやレイ・ジール、サヘル・オルランドの情報まで渡しておきながら、あの『雑ざりもの』に関しては名前すら触れられませんでした」
「他人の口から俺を語られるのは腹が立つな……」
「ケテルがエストリンド家を襲撃した彼を見逃しているとは考えにくい。意図的に存在を伏せていると考えるのが自然かと」
「ヤツのおかげでユーヒが死ぬかもしれんのだぞ?」
「もしくは、彼がアマバ・ユーヒの死因になる可能性はない。と考えているのか」
「……まさか俺たちがどうにかするだろう。などと能天気な思考の持ち主ではなかろうな」
「それくらいおおらかな人間であれば、禁忌へ触れずに済んだでしょうね」
「禁忌、か……」
クリードは渇いた笑みを漏らした。
スロースの言うケテル・ミトロンが犯した禁忌とは何を指すのか。
シャレム・エストリンドとアマバ・ユーヒの運命を捻じ曲げたことか。
そのために繰り返し過去へ戻っていることか。
それらの力を得るために自らの両親である国王と預言者を食らったことか。
はたまた、これ以上の禁忌が存在するのか。
頭痛を覚えてクリードは頭を振った。
傾き始めた斜陽が足元を赤く染める。スロースが軽く指を鳴らすと、薄暗い室内を蝋燭の火が僅かに照らした。
「くれぐれもケテルを侮りませぬよう。アレを同じ人間とは思われないことです」
「ヤツの言葉が全て真実だったとして、そんなヤツがユーヒに固執する理由も皆目、見当がつかん」
「彼女の記憶や認識が間違っていなければ、彼女はシャレム嬢の体と合わせて2度殺されていることになる」
「……何のゆかりもない国の救済のために、何度も同じ男に殺されては堪らんな」
「ケテルの魔術で眠っていたおかげで、中身はクリード様が初めてお会いした時のままです。戦知らずの箱入り娘の割りに、自身の境遇に対し自暴自棄にならないのは大したものでしょう」
「ほお……?」
「……何か?」
顔を上げたクリードにスロースは目を閉ざした。
クリードの口角は思わず持ち上がる。
「貴様、こちらへ戻ってきてからやけにユーヒへ寛大になったではないか」
「ケテルから子守りを言い渡されております故。当人から避けられてはこちらの都合が悪いのです」
「ユーヒに付き合ってヤツを追いかけるまでの義理はなかったろう。下手をすれば貴様もタダでは済まなかった」
「私が引き留めても一人で追いかけていたに決まっています。無駄死にさせる訳にはいきません」
「そういうことにしておいてやろう」
クリードはテーブルから下り、スロースを指さす。
「念のため言っておくが……。将来、俺が娶ると約束した以上、ケテルにも貴様にもユーヒはやらんぞ」
「……杞憂にも程がございます。そもそも本気でアマバ・ユーヒを伴侶として迎えるおつもりで?」
「俺がユーヒへそう約束した以上、違える気はない。俺はそこまで甲斐性なしではないぞ」
「はあ……。左様で…………」
スロースの生返事がクリードに届くことはない。
生返事をする彼を横目にクリードは再びうなだれ、腕を組む。
「そのためにもどうにかしてヤツの落としどころをだな……」
「少々お待ちを」
クリードがいくつめか分からないため息を吐き出したところで、スロースは口元へ指を立てる。
沈黙が流れ込んできた室内に、今度は硬い扉をノックする音が響き渡る。
「何用だ」
「フィオにございます。クリード様。火急の知らせにて」
「入れ」
扉が開かれ、スロースは無言で壁際へと身をひく。
部屋に入ってきたのは華奢な麗人だった。その身には些か不釣合いな甲冑をまとった彼女はスロースが視界に入ると足を止める。
「スロースのことは気にするな、フィオ。続けろ」
「しかし、この者は元々リュシオンの竜人……。信用して良いのですか」
「この辺りでは国をおわれて落ちぶれた竜人よりも、国を堕とされた長耳族の方がよほど珍しいかと思われますが……」
いぶかしむ声にスロースは小さく息をつく。
フィオの白い顔がカッと。長く尖った耳の先端まで赤く染まる。
彼女は碧眼を細めて声を荒げた。
「その呼び方は止めろ、リュシオンの魔竜めが……! 我が祖国フェニキアースは滅んではいない!」
「いっそ、滅ぼされてしまえばまだ再興の余地はあったでしょうね」
「貴様……!!」
彼女は剣の柄へと手を伸ばす。明後日の方向へ視線をやるスロースにクリードは2人の間へ割って入った。
「やめろ、スロース……。シャレムと違ってそやつは有言実行してくる類だぞ……。フィオも安い挑発にのるな。貴様の身の上は承知しているが、一言目にスロースを疑った貴様も貴様だ」
「私はっ……。いえ……。失礼いたしました…………」
「ただし向こうから喧嘩を吹っ掛けられたら遠慮なく殴っておけ」
クリードにたしなめられ、フィオは口を引き結んだ後に構えを解いた。頭を下げる彼女の肩をクリードは軽く叩く。
スロースは肩を竦めた。
「どうせシャレム嬢のことでしょう」
「……何故そうだと」
「仮にもクリード様の奥方となられる予定のシャレム嬢のお部屋に、何の対策もせず私が離れるとお思いで?」
「貴様も気付いていたのならば早く言わんか……」
「彼女がちょうどよく部屋の扉を叩かれましたので、申し上げるのが遅くなりました」
「…………」
フィオは眉を吊り上げてスロースを一瞥する。
彼女は深呼吸を挟み、改めてクリードへと向き直った。
「一部の者が、先の竜人の件でシャレム様を問いただすと言い出してお部屋に向かったようです」
「さっそくか……。煽ったのはラーストーか?」
「恐らくは」
「少なくとも、私がシャレム嬢の部屋へかけていたまじないをこじ開けたのはラーストーでしょう」
「奴は鼻がきくからな。さしずめ、シャレムが名前を呼んでいるのを聞いて、主人の仇だと察したか」
クリードの口からは自然とため息が出ていく。
彼の言葉にフィオは目を瞬いた。
「主人の仇……。あの竜人はエストリンド家を襲撃した者だと言うことですか……? シャレム様は自らの仇をお助けに……?」
「貴様にも後ほど仔細を話す。それよりもシャレムがあの狗と共に火炙りにされてはかなわん。2人共、剣を抜く用意はしておけ」
「承知いたしました」
「…………」
スロースは足早に部屋を出ていく。フィオも彼に従った。
一方のスロースは壁にもたれかかり大きなため息をひとつ。そしてかわいた咳をいくつかした後、気だるげな足取りで2人の後を追いかけた。




